第二十一話 帰り道②
わたくしの隠したかった秘密をこの場で暴かれるとは思わず、動揺が全身を駆け抜けます。
視線を落とし、膝の上で組んだ指を忙しなく動かします。
──どうしよう……なんて言い訳したら……
冷や汗が背筋を伝い、わたくしはまごまごと口を動かしました。
「あの……あれは、パリでは売っていなくて……その……」
「パリでは売ってないの? じゃあ、どこに?」
不思議そうに尋ねてくるレオン様に、わたくしは追い詰められた気持ちになります。身を縮めていると、レオン様は畳み掛けるように質問してきました。
「エリアルの生まれた土地で買っていたの?」
「いえ……」
「じゃあ、どこだろう? 教えてよ」
馬車の椅子に手をついて、うつむいた顔を覗き込むようにレオン様が近づきます。わたくしは腰を引いて、少し逃げます。
「……どうしても、秘密なの?」
また一歩。レオン様が腰を進めてきて、わたくしは大きく後退りました。背中に馬車のドアに当たる音がして、ぶるりと震えます。
レオン様はそんなわたくしに呆れることなく、くすくすと笑い出します。
「そんなに隠さないで。僕はあのクグロフが好物なんだ。優しい味がして、食べるとほっとする。すごく好きなんだよ」
好きのところに情感が込められていて、どきりとします。わたくしのことを言っているわけではないのに、勘違いをしてしまいそうです。
──どうしよう……そんなに好きなら、言ってもいいのかしら……
それを口にするのは秘めた思いを告白するようで、恥ずかしさが込み上げます。
「ねぇ、教えて。どうして、そんなに隠すの?」
その声色は低く耳に響きました。まるでクモの巣にとらえられたかのように、レオン様の声が脳に響きます。ふわりと彼から香る花の匂い。その香りに誘われるように、わたくしは秘密を口からこぼしました。
「……あれは……わたくしが……作ったものです……」
消え入りそうな声で言うと、耐えきれずに顔を手で覆いました。手作りのものを差し出していた罪悪感と、秘めた心を告白したみたいで、いたたまれません。
熱くなる顔を隠していると、レオン様がぽつりと呟くように話し出しました。
「そう……なんだ。エリアルの手作り……ははっ」
やっぱり、呆れられてしまったのでしょうか。レオン様から乾いた笑い声が漏れ出します。わたくしは心を重くして、か細い声で謝罪しました。
「申し訳ありません……手作りのものなど……」
ひゅっと、息を飲む音がして、静かな声が聞こえます。
「どうして謝るの? どうしようもないくらい嬉しいのに……」
──嬉しい?
きつく顔を覆っていた手の力がゆるんでいきます。指の隙間からは、まだレオン様の表情は見えません。
「僕はきっと、幸せで顔が蕩けていると思う。……ねぇ、エリアル。ちゃんと見て。僕がどれほど嬉しい顔をしているのか、その目で確かめて」
甘い優しい声。それに導かれて、指の隙間をあけていきます。赤く染まった頬。持ち上がった唇。そして、最後に見えた藍色の瞳は、幸福な色で輝いていました。
それらを見たら、レオン様が心から喜んでいることが、伝わってきました。
とくん。とくん。心臓が嬉しくて心地よいリズムを刻みます。
わたくしは信じられない気持ちで、おそるおそる尋ねました。
「……呆れられてないのですか?」
「呆れるなんて、まさか……エリアルが一生懸命作ってくれたものだよ? 嬉しいに決まっている」
わたくしを諭すような声。密かな想いが結ばれたようで、歓喜がふくれあがります。目尻に熱いものまで込み上げてきて、それを隠すように目を伏せ、両手を祈るように結びました。
こんなに想いがふくらんでは、淑女らしくなんてできません。思いのままに口を軽くしてしまいます。
「……手作りのものなど、恥ずべき行為だと思っていました」
「淑女らしくないから?」
静かに問いかけられて、うなずきます。レオン様の手がするりと伸びてきて、わたくしの髪の毛をなぞります。
優しい手。安心して身を委ねたくなる心地よさです。惚けたままにレオン様は、困ったように微笑んでいました。
「さっきも言ったけど、エリアルが淑女らしくしてくれようとしているのは、僕のためだって、わかっているよ。だけど、それでエリアルらしさが失われるのは悲しいんだ」
わたくしを甘やかす言葉が次々とレオン様の口から出てきます。
「僕はエリアルがありのままでいてくれた方が嬉しいし、心が安定する。エリアルは綺麗に微笑むだけじゃなく、照れたり、拗ねたり、怒ったり、もっと感情を出していいんだよ。僕の前ではね」
祈るように組んでいた両手をふわりと包み込まれました。大事なものを扱うようなしぐさで、あたたかさが伝わります。
「まだ難しいかもしれないけど、ちょっとずつでいいから、僕にありのままのエリアルを見せて」
パカリと、お腹の中で留めていたものが蓋を開いたような気がしました。でも、怖くはありません。レオン様がこうやって、側にいて見守ってくれているからでしょう。
──〝ヤンデレ〟を治すといっておきながら、わたくしがレオン様に治されているみたいだわ……
でも、この人が笑顔でいてくれるのなら。
無理に思いを封じるようなことはしないでみよう。
少なくとも、この人の前では……
「レオン様、ありがとうございます。わたくし、心が軽くなりました」
心を込めてそう言うと、レオン様は少年のように破顔しました。
***
セーヌ川を沿って馬車が走り出します。
クグロフを買うことはできませんでしたので、そのままお屋敷に帰ることになりました。
このまま屋敷に戻ったら、キッチンに入ってまたクグロフを作ってほしいとレオン様に言われました。
わたくしは興味のあったキッチンに入ることができるので、興奮してしまいます。
「嬉しいです。ずっと、入ってみたくて……どんな風にパンを焼くのか見てみたかったんです」
弾む思いのままに伝えると、レオン様のきょとんとした瞳と目が合います。
「エリアルはパンも焼いていたの?」
はたと自分の趣味をいってしまったことに気づき、しどろもどろに口が変なかたちになります。
「あのっ……実家では、毎朝焼いていました」
するりと言ってしまったのは、クグロフ作りを好意的に見てくれたレオン様なら引かないと思ったからです。
想像通り、レオン様は感心したように息を漏らしました。
「毎朝。すごいね。エリアルはパン作りが好きだったの?」
「えぇ……とても……」
そう、とレオン様は呟き、やや寂しげな顔をされます。
「じゃあ、侯爵家に来てからパン作りができなくて辛くはなかった?」
労る言葉に、わたくしは慌てて両手をふりました。
「そんなことはないです」
そう言ったのにレオン様の表情は晴れません。
「そっか。……でも、したいことがあったら、もっと言ってね」
その時、馬車の車輪が石を巻き込んだのか、がたりと大きく揺れます。とっさにレオン様の胸に手をおいてしまいました。
レオン様はそのままわたくしの肩を両手で掴み、声を落とします。
「もっと甘えて。ねだって。わがまま言ってね。──どろどろに、溶けるくらい……僕によりかかって」
甘すぎる言葉に、わたくしの喉がアイスクリームを思い出します。
焼けつくような白い甘味。ごくりと、唾を飲み干しても甘さはそのままです。
わたくしはその甘さに身を委ね「はい……」と掠れる声で答えたのでした。




