第二話 婚約者からの告白
憂鬱な気持ちでパーティーを過ごした一週間後。レオン様がわたくしの屋敷にやってきました。
レオン様はいつものように〝ヒスイカズラ〟の束を持ってきてくれます。
翡翠色の花は育てるのが難しく、稀少なものです。一本いくらなのでしょうと、逃げ腰になりますが、こうやって稀少な花を贈られるのも、わたくしがうっかり美しいと言ってしまったからですわ。だから、レオン様は気を使ってこうして持ってきてくださるのです。
ただ、この花は一日から数日で枯れてしまう儚いもの。頂いたものは押し花にして保管しております。
わたくしは藍色のリボンが巻かれた手のひらサイズの束を受け取り、感謝を述べていつものように微笑みます。
「ありがとうございます。大切に飾らせていただきます」
そう伝えたはずなのに、レオン様は微笑まれなかった。いえ、口の端はわずかに持ち上がっております。微笑と、表現できなくはない曖昧な笑み。
それに、首を捻りたくなりましたが、気を取り直して、庭へ案内しました。
わたくしの家はレオン様のお屋敷に比べれば、馬車小屋にも満たない小さなもの。窮屈な客間にお通しするよりも、レオン様が気に入られている庭にお茶を用意して過ごすのが、ここでのおもてなしです。
外に出ると、揺れる黄金の穂が一面に広がります。わたくしの家は小高い丘の上にあり、領地の隅々までよく見えるのです。今は収穫前なので、たわわな実をつけた稲穂を見れことができます。豊かな実りを感じてわたくしの口の端は、自然と持ち上がりました。
ちらりと、レオン様を見ましたが、やはり様子がおかしいままです。
いつもは「壮観だ……」と感嘆の声を漏らすレオン様の顔が憂いを帯びたまま。
一体、どうしたのでしょうか。
一抹の不安を飲み込み、わたくしは外付けの椅子にレオン様を案内しました。
丈夫さを重視した木製の椅子は、座り心地は今一つですが、クッションを引きつめれば、ソファに似た柔らかいものになります。
花一つない庭ですから、なるべく色彩豊かな大振りの花を刺繍をして、クッションカバーはわたくしが作りました。裁縫、刺繍は何度も指を刺したかいあって、今では得意なものの一つです。
それに体重を預け、紅茶と、都市パリで流行しているお菓子──クグロフを差し出し、レオン様におすすめします。
帽子をひっくり返したような形のクグロフは、ホワイトチョコレートでコーティングして、フルーツやナッツで飾り付けてあります。
「どうぞ」
一人分のサイズに切り分けたクグロフがのったお皿をレオン様の前に差し出します。
わたくしの前にも同じように皿を置いて、椅子に座ります。
しかし、レオン様はクグロフを見つめるばかりで、手をつけません。
──前は喜んで食べてくださったのに、いつも同じで飽きてしまわれたのかしら……
代わり映えのしないおもてなししかできない自分を恥ながら、そっとティーカップに指を添えて、お茶を口に含みました。
「エリアル……」
視線が逸れたタイミングで声をかけられ、わたくしは素早く、かつ音を立てないようにカップをソーサに置きました。
そして、レオン様のお顔をみたとき、思わず息を飲んでしまいました。
端正なお顔立ちを悲壮感たっぷりに歪ませていたのですから。
あまりの空気の重さにわたくしは身構え、ごくりと唾を飲み干しました。
──この雰囲気……あぁ、とうとう……
パーティーで感じた嫌なものが込み上げ、左手で掴んでいたクッションが歪な形に変わっていきます。煮えたぎる腹のうちを悟られないように、レオン様の口が開くのをわたくしは待っていました。
「エリアル……今日は俺の心を正直に打ち明ける。……君にとっては許しがたいことかもしれない。しかし、聞いてほしい」
────聞きたくない。
そう言えれば、どんなに楽でしょうか。しかし、わたくしは口元に艶やかな笑みを浮かべて、余裕のある顔をします。そう教えられましたから。
「えぇ、もちろんですわ。なんでもおっしゃってください」
胸に手をあてて、少しだけ前のめりになり、聞きますと体勢で示してみせる。しかし、レオン様はいや、ダメだと頭を振った。
「やはり、こんなものを打ち明けられない。君を傷つけてしまう」
苦悶の表情をされるレオン様に、眉尻が下がってしまいました。
──それほどまでに言えないことなら、やはり、婚約解消かしら……
腹の中で煮えたぎる何かを必死に堪えます。爪でクッションが引っかかれ、布が小さな悲鳴を立てました。
わたくしは呼吸を整え、どうにか安心させるような微笑みを作ります。
「わたくしなら平気ですわ。これでもレオン様の横に立つ者として、努力はかかしておりません。どうぞ、打ち明けてくださいませ」
実際、レオン様の婚約者として恥じない振る舞い方を身に付けるべく、お母様を初め、みっちり仕込まれている。大丈夫。わたくしはうまく振る舞えるわ。
泣きわめくなどみっともない恥を晒すよりは、淑女としての矜持を貫きたい。わたくしの心は決まっていた。
わたくしの心が伝わったのかレオン様が大きく息を吐き出します。重く深いそれが失くなると、レオン様は意を決したようでした。
「エリアル……俺は……」
重く低い声に背筋を伸ばします。爪を立てていたせいか、ぴっと、クッションの布が裂けるのを耳が拾いました。
「……俺は心の病を患っているらしい」
その一言に、強ばっていた体の力が抜けます。
病? 心の? 予想外の言葉に混乱しかありません。
わたしはどうにか平静さを保とうと、緩んだ背中を再度、引き締めます。
「心の病でございますか……?」
「あぁ……」
あまりに重い声色に、腰の辺りがひやりとしてしまいました。お元気そうに見えますが、そんなに重症なのでしょうか。別の意味で心配になり、わたくしは恐る恐る声をかけました。
「……そんなに悪いのですか?」
「あぁ、このままでは、手遅れになる」
そんなに……
わたくしは気弱な心を叱咤し、椅子から立ち上がると、ドレスの端を摘まんで、レオン様の膝元に向かいました。ドレスが土につくのもかまわず、レオン様の膝に手を置きます。はっとした表情で見られましたが、わたくしは微笑みを浮かべます。
「わたくしにできることならば、なんでも致しますわ。力にならせてください」
動揺を隠して、なるべく落ち着いた声で語りかけます。
わたくしの心が伝わったのか、レオン様の表情が緩みました。今までの憂いを帯びた顔から、いつもの優しげな眼差しへと変わっていきます。
「エリアル。ありがとう……」
膝に置いた手を掴まれ、しっかりと両手で包み込むように握られます。動揺が走りましたが、レオン様のお顔は真剣そのものです。
「君の力が必要なんだ。俺の病気には」
端正な美貌が近づき、レオン様は至極真面目な顔で病名をおっしゃいました。
「──俺の病名は〝ヤンデレ〟というらしい」
〝ヤンデレ〟……聞いたことない病名だわ。わたくしが無知なだけでしょうか。
知識不足をフォローしてくれるように、レオン様は病気のことを語ってくれました。
「〝ヤンデレ〟というのは心に巣食う闇のような病気だ。見た目は普通の人間とは変わらない。しかし、進行速度は早く、悪化すると無差別に人を殺してしまう恐ろしい病だ」
わたくしは思わずまぁ、と声を上げてしまいました。いくら銃士隊を率いているとはいえ、レオン様はわたくしの前では温厚な方です。それが、無差別に殺人など……とても信じられない話です。
それが顔に出てしまったのでしょう。レオン様が自嘲の笑みを浮かべました。
「俺とて、こんな病を患っているなど、到底信じがたい。だが、聖女さま──妃殿下が持っていた教本に書かれてあったのだ」
「聖女さまの……ですか?」
「あぁ、君も知っている通り、この国は聖女さまの加護があるとされている。妃殿下は人の力しか持たないが、教本をその手に持ち、この国を救っていたのだよ」
隠された歴史を知り、ひゅっと息を飲みます。レオン様は王家に所縁のあるかた。説得力のある話ですが、ならば、なぜ隠されていたのでしょう。
「その本は秘密のお話なのでしょうか?」
「あぁ、妃殿下のご意向で隠されていたんだ」
「そうなのですか……」
国を安定させる策が書かれた奇跡の本。そんなものがあると周辺諸国に知れ渡ったら、その本は狙われ、この国は火の海になっていたかもしれません。
ぞわりと、腰の辺りを冷ややかにしているとレオン様は言葉を続けました。
「その教本には、国を復活させる策の他にも、様々な人間の心を知れる図式が書かれてあった。それに俺の病名も書かれてあったんだ」
「まぁ……そうだったのですね」
聖女さまの本に書かれてあったのなら、わたくしが知らないのも無理もないでしょう。
「何度も確かめたが、症状が出ているのは間違いないようだ」
「……治せるものなのでしょうか?」
思わずすがるような声が出てしまいました。ふっとレオン様は表情を緩めて、手を握りしめる力を強めます。
「あぁ、君の力があれば」
「わたくしの?」
「この病を抑えるには、パートナーの献身的な愛情が必要不可欠だ」
────献身的な愛情?
わたくしはこてんと、首をかしげました。
「俺はこの先、普段は見せない振る舞いや顔をするかもしれない。しかし、それは全ての〝ヤンデレ〟のせいだ」
レオン様がすがるような視線でわたくしを見つめます。
「どうか見捨てないでほしい……俺には君の力が必要なんだ」
わたくしは激しく動揺しました。早鐘が打つ心臓のままに、言葉を口から滑らします。
「わかりました……でも、わたくしは具体的に何をすればよろしいのでしょうか」
すると、ふっとレオン様の目が細くなります。その瞳の奥にキラリと光る何かを見たような気がしました。
「俺のすることなすこと、受け止めてくれればいい。君のできる範囲で」
できる範囲で。その敷居の低さに胸を撫で下ろしました。
「わかりましたわ。お力になります」
そう言うと、レオン様は麗しい顔を輝かせます。
「ありがとう……君が側に居てくれることを神に感謝したい気分だ」
大袈裟な褒め言葉に、頬に熱が帯びてしまいます。思わず視線を逸らすと、掴まれた手の力が一瞬だけ強まり、ゆるくほどかれていきます。
「すまない……あまりに感動して、強く握りすぎてしまった。痛くはないかい?」
激しく鼓動する心臓を隠して、わたくしはゆるく首を振りました。
「いえ……平気ですわ」
微笑みを浮かべると、レオン様は安堵した子供のような顔をされました。
そのお顔を見ながら、本当にご病気なのかしら?と思ってしまいます。
────これが〝ヤンデレ〟の恐ろしさなのかもしれないわ。見た目で判断してはダメよ。
わたくしは緩みそうになった頭を叱咤し、決意を固めました。
こうして、わたくしはレオン様の〝ヤンデレ〟という病を治すべく、彼の挙動を注視して、それを受け止める覚悟を決めたのでした。