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第十八話 パリへお出かけ②

 

 コーヒーハウスに近づくと、もわっとたばこの匂いがしてきました。お店の前のテラス席で、パイプたばこをふかした男性が数名いるせいでしょう。パイプからひっきりなしに煙がのぼり、辺りはたばこの匂いで充満しています。


 慣れない煙と匂いに思わず眉根をひそめると、レオン様がわたくしの手を引いて、足早に店内へ入っていきました。


 コーヒーハウスの中は禁煙らしく、たばこの匂いはしません。


 店内の内装は宮殿の一室のような豪華さで、深紅の壁には絵画がずらりと並んでいます。天井には、噴水のような形をしたシャンデリアが煌めいていました。


 四角いテーブルには真っ白なクロスがしかれ、木製の椅子に腰をかけて、コーヒーを飲みながら新聞を読む人、チェスを楽しむ人、物書きをする人、なにやら熱く言葉を交わす人など、おもいおもいの時間を過ごしていました。


 静かな侯爵邸で過ごしていたせいでしょうか。人の多さに驚いてしまいます。わたくしがボーッとしている間に、レオン様がお店の人に声をかけてくださいました。


「あちらの席にどうぞ」


 お店の人に案内されて、店内のはじっこの席まで歩きだします。


 テーブルがところ狭しに置かれて、かつこの人の多さ。わたくしは椅子や人にぶつからないように身を縮ませて、びくびくと歩いていきます。


 二脚の椅子が向かい合わせになったテーブル席にたどり着くと、緊張がゆるみ、ふぅと息を吐いてしまいました。


 気を取り直して、椅子に腰かけます。レオン様も対面の椅子に座りました。


 レオン様は被っていたシルクハットを脱いで、椅子の背もたれにあるフックにかけていました。帽子専用のフックみたいです。周囲をよく見てみると、同じようにシルクハットをフックにかけている方が何人もいました。


 わたくしたちが席に座ると、すかさず店員が近づいて注文を聞いてきます。


「コーヒーを二つと、アイスクリームを一つ」

「かしこまりました」


 ──あれ? アイスクリームはひとつなの?


てっきり一人一つずつだと思っていたので、驚いてレオン様に尋ねました。


「アイスクリームは、おひとつなのですか?」


 レオン様は微笑みながら、うんと答えます。返事の声がどことなく落ち込んでいるように聞こえます。どうしたのかしら?と、レオン様をじっと見ていると、藍色の瞳が切なく細められました。


「エリアルの分だよ。これは君へのお詫びを兼ねているかな……」


 ──お詫び?


 謝られるようなことなどあったでしょうか。思い当たらずに、眉根をよせてしまいます。わたくしの疑問に答えるように、レオン様はゆっくり話し出しました。


「さっきエリアルは『自分のせいで僕の評判が落ちる』と言っていたよね?」


 お店に入る前にした会話を思い出します。確かにそう言いましたので、わたくしは頷きました。


「あの言葉を聞いて、改めて実感したんだ。僕は今までエリアルを庇う努力を怠っていたってね。エリアルが僕との立場の違いに苦しんでいたのに、その辛さを見ようとしなかった……僕は君をもっと気遣うべきだったんだ」


 熱のこもった言葉に、ひゅっと息を飲みます。思いもよらない後悔の言葉。戸惑っている間にも、レオン様の言葉は止まりません。


「少し前の僕は君に酷いことをした。君の婚約者でありながら、君を放っておいて……それに、聖女の祝いの日にはドレスも……今さらだけど、本当に申し訳ないことをしたと思っている。すまない」


 そう言って、レオン様は真摯に頭を下げてくださいました。


 わたくしは慌てて椅子から腰を持ち上げます。


「そんな、頭など下げないでくださいっ」


 大きめな声が出てしまい、隣で座っていた人がちらりとこちらを見ます。わたくしは、はっとして、席に腰をおろします。


 ゆるゆると顔を上げたレオン様の顔は本当に申し訳なさそうで、わたくしは眉尻を下げました。


「もう、過ぎたことですから……」


 気になさらないでください、と微笑みたかったのに、口元は固く閉ざされてしまっています。あの時に感じた嫌なものを思い出してうまく笑えません。


「でも……あのドレスを着て、エリアルは傷ついたでしょ?」


 触れられたくないところを刺激され、わたくしは思わずうつむきました。膝の上で揃えた手が、だんだんとスカートを掴んでいくのが見えます。


 ──傷ついた……えぇ、悲しかったわ……とても……


 でもこんなところで、その感情をぶつけられません。それに、侯爵家に来てからの日々を思うと、あれは夢だったのでは?と思ってしまいます。


 あの冷たい態度はすべて〝ヤンデレ(やまい)〟のせい……今となってはそう思えてしまうのです。


 でも、わかっているのに、表情がつくれません。早くいつも通りにして、レオン様を安心させなければと思うのに、心ばかりが焦ってしまいます。


 いつの間にか手のひらの中のスカートはよれて皺を作っていました。


 レオン様の様子を伺うと、辛抱強くわたくしの言葉を待っていてくれました。なんでも話していい、聞くから。そう言われているような気がして、わたくしの心はぐらつきます。


 ──……少しだけなら、言ってもいいのかしら……


 寂しかった。傷ついた……と、ほんの少しだけなら。


 腹の底で押し留めていたものが喉まできて、わたくしはその欠片を口からこぼしてしまいました。


「寂しかった……です。レオン様の心が変わってしまったように感じて……」


 蚊の鳴くような声で吐き出された本音。レオン様の顔が見れずに、わたくしはうつむいたままです。


 しばらくの沈黙後、「ごめん……」と絞り出すような声が聞こえました。


 ゆるゆると顔を上げると、レオン様は悲痛な面持ちでいました。


「僕は愚かだった。焦燥感からエリアルを試すようなことをしたのだから……」


 ──焦燥感?


 思いがけない言葉にわたくしは驚いてしまいました。レオン様は力なく微笑(びしょう)します。


「僕はずっと、エリアルよりも年下ということが負い目だったんだ。君はどんどん綺麗になっていくし、会うたびに淑女らしくなって、知性も身につけてくれて……正直、焦っていた」


 過去の自分を思い出しているのか、レオン様は自嘲気味の笑みを浮かべます。


「エリアルからエスコートなしでサロンへ行けると言われて、僕は必要ないのかな……って、思ってしまったんだ。だから、振り向いてほしくて、子供みたいに拗ねた」


「格好悪いったら、ないね」


 その言葉に胸が詰まってしまい、わたくしこそと、早口で言います。


「レオン様に、いつまでも負担をかけてはいけないと思ってそれで……」


 ──レオン様のことを思っていたのに、それがかえって傷つけていたなんて……


 レオン様の気持ちがわかっていなかった。やるせない気持ちになり、心を沈ませていると、レオン様の瞳がいつものような優しげな眼差しに戻っていきます。


「エリアル……僕は言葉や態度で君への思いを伝えていなかった。だから、君を傷つけたし、思いがすれ違ったと思っている。だから、改めて、誓わせて」


「君が一番だ。誰よりも思っているよ」


 その言葉はとても嬉しくて、心臓がきゅっとしてしまいます。


 ──嬉しい……嬉しい。ほんとうに……


 それなのに、わたくしの心はどこまで浅ましいのでしょう。幸せなのに切なく思ってしまうのですから。


 侯爵様の愛人のことがちらつき、その想いが期限付きのように感じてしまいます。そんなことを考えずに、レオン様の今の言葉を信じて、その胸に飛び込めばいいのに。


 ──いっそのこと、愛人なんて作らないで……って言ってしまいたい。わたくしだけを……ずっと見ててほしい……


 出してはいけない黒いものが飛び出してきそうです。愛人を作らないでなんて、そんなわがまま言ったら、呆れられてしまうでしょう。レオン様の心が冷えていくかもしれません。それが怖いんです。


 わたくしは気持ちに鍵をかけたくて、ご病気のことを持ち出しました。


「わたくしもレオン様をお慕いしています。ですが、無理なさらないでください。ご病気のこともありますし……」


 そう言うと、逆だよ、と否定されます。


「エリアルがこうやって側にいるのが一番の薬なんだ。エリアルが侯爵家に来てから、僕は笑うことが増えたし、それはエリアルも感じているんじゃないかな?」


 それは確かに感じました。前のレオン様はどこか大人びいた雰囲気でしたが、今のレオン様は少年のようによく笑います。その笑顔を見るとわたくしも嬉しくなります。


「エリアルが居てくれると心が安定するんだ。それに嬉しそうに笑ってくれたり、照れたりするとすごく嬉しい」


 レオン様は朗らかに微笑みます。わたくしは照れくさくて、言葉に詰まってしまいます。


「もっと頼って、甘えてくれると、嬉しいんだけどな……」


 弱々しくなった声に、わたくしは戸惑い身を縮ませてしまいます。


「甘えるなんて……今でも、充分頼りにしていますよ?」


 ぽつりと呟くように言うと、レオン様の藍色の瞳がナイフのように煌めきだしました。雰囲気が変わり、わたくしは目を見開きます。


「まだまだ。全然だよ」


 淀みのなくなった声。深い青色の瞳が、わたくしを捕らえようとします。


「もっと、もっと……僕に甘えて。僕を欲しがってよ」


 ぞくりとするような色気を感じて魅了されそうです。心臓が捕まれてしまったような気がして、たまらず視線を逸らします。


「甘えると言っても何をしたらよいか……」


 過度なおねだりは負担になると、お母様の言葉を思い出します。


 すると、レオン様はしばらく黙ってしまいました。


「そうか……エリアルはおねだりの仕方が分からないんだね……」


 どこか附に落ちたような言葉。それに小首をかしげていると、ちょうど注文したコーヒーとアイスクリームが運ばれてきました。


「お待たせしました」


 テーブルにカップとお皿が並べられ、雰囲気が元に戻ります。それにほっとして、わたくしはアイスクリームをまじまじと見つめました。


 白いお皿にのったアイスクリームは、白く丸い形をしていました。表面は溶けかけているのか、とろっとたれてきそうです。


 ──これがアイスクリーム……


 わたくしが見つめていると、すっとお皿が視界からなくなりました。お皿のなくなった方を見ると、にこりとレオン様が微笑んでいました。


 そして、突拍子もないことを口にしたのです。


「アイスクリームは僕が食べさせてあげるね」


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