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第十六話 レオン視点

三人称になります。

 

 エリアルを部屋まで送った後、レオンは足早に廊下を歩きだした。とはいっても、エリアルの隣がレオンの部屋になるので大した距離ではない。


 侯爵家は二階まで吹き抜けの玄関ホールを挟んで、右の二部屋がレオンとエリアルの部屋、左が侯爵夫妻の部屋となっている。


 ホールを挟んで侯爵夫妻の部屋と距離があるのは、声を気にしなくてよいという配慮だ。


『エリアルは恥ずかしがり屋さんだし、それを言い訳に使えばいいわよ。夜の出来事も、わたしたちの耳には届かないでしょうって』


 それを母から聞かされた時は苦笑したものだが、なるほど、使えるなと、レオンは思っていた。実際はどうだか分からないが、少なくとも壁一枚よりはマシだ、ということだろう。


 まだ婚約の段階なのに、(ねや)の配慮はいささか気が早いのでは?と、思う人がいるかもしれない。しかし、エリアルが侯爵家に来たという時点で、彼らの中で彼女は家族となっている。


 身分の差があるとか、エリアルの意志が定まらないとか、そういうものは彼らにとっては、障害ではない。


 一度、この家に招いたら、死ぬまで出さない。


 それがミュレー家の人間の考え方だった。



 その考えはレオンの隠し部屋にもよくあらわれている。あの部屋は壁一枚を挟んで、エリアルの部屋に繋がっている。


 その部屋には、相手の部屋を覗ける隠し穴があった。その昔、侍従を部屋に置いて、相手に不貞の気配がないか監視させていた。


 誰もいない間に……なんて話はよく聞くことだ。既婚者の不貞は、なんだかんだいっても、貴族の間では寛容だ。だから、こんな部屋を用意していたのだろう。


 レオンは絵画でその穴を塞いでいたが、もし、エリアルが自分に向いていなければ、そういう強行手段もためらいなくしただろうな、と思っていた。



 ***


 レオンは自分の部屋まで来ると、やや焦りながら扉を開いた。扉が閉まるまでドアノブを握っていなかったことにより、大きめの音を立てて扉が閉まる。


 冷静さを欠いた行動だったが、この時のレオンは余裕など全くなかった。


 喉は乾ききり、全身に高揚を感じて熱くてたまらない。乱暴に羽織っていたバニヤンを脱ぐと、椅子の背もたれに向かって投げた。


 それでも全身の火照りはおさえきれずに、レオンはサイドテーブルに近づく。テーブルの天板にはガラス製の水差しとコップが置いてあった。


 鳥のくちばしのような細長い注ぎ口から、なみなみとコップに水を()ぎ、それを一気に飲み干す。


 渇いた喉が潤され、自然と口元が弧を描く。まだ頬を紅潮させながら、レオンはぽつりと呟いた。


「ダメだよ、エリアル……あんな顔をされたら、我慢できなくなる」


 脳裏に思い出すのは、何か言いたげに口を引き結ぶ彼女の姿。


 その姿は、淑やかな婚約者ではなく、レオンを意識している一人の女だった。思い出すだけで背筋がぞくぞくして、興奮してしまう。


 笑いっぱなしの口元を軽く手でおさえ、くつくつと喉の奥を鳴らす。


 ──こんなにうまくいくなんて……本当、最高……


 今宵の結果に、レオンは笑いが止まらなかった。



 レオンはトランプゲームに長けていた。彼とよくゲームをする者は彼を(ディーラー)にはさせたくないと、口を揃えて言うだろう。


 一度、レオンが(ディーラー)になるとゲームが支配されてしまう。それを知っていたからだ。


 幼い頃より母に鍛えられ、戦略を学んだレオンは、初心者のエリアルにゲームを勝たせるのも、負かすのも造作もない。


 今回は念のため、トリックが仕掛けやすいカードを選んだ。だからなおのこと、勝敗はレオンの手で決められた。


 最初、エリアルをわざと負かせ、闘争心に火がついたところで、最後に勝たせるのも計算済みだ。


 あの場で勝って、もし、エリアルに口づけをしても、彼女には動揺しか与えられないだろう。


 うんと雰囲気を作ったところで、あっさりゲームに負ける。


 できなかったことで、焦燥感を募らせ、自分を意識することを期待した。


 結果は上々だ。


 コルセットなしも効果を発揮していただろう。


 コルセットはエリアルの心の防御壁。体を引き締めることで、心を律しているようにレオンは感じていた。


 彼女の心を引き出すのに、それは邪魔だ。取り払いたかったのだ。案の定というべきか、コルセットなしの彼女はいつもより素直に感情を出していた。


 何か言いたげに揺らす瞳も、熱くなった首筋も、何もかもがレオンを意識している証拠だ。


 ──隠そうとしてもバレバレなところが、本当に可愛いよね……


 脳裏に焼き付けた彼女のしぐさ一つ一つを思い出して、レオンは多幸感に身を委ねる。


 それは、今までの焦燥が、満たされていくようだった。


 エリアルは頑なに恋とか愛とか、そんな俗物から程遠い態度をレオンにとっている。だから、口づけをするといっても、照れもせず、能面のような顔になっていたのだろう。


 レオンがそんな雰囲気を今まで微塵にも出さなかったというのもあるが、それにしたってあそこまで固まられると傷つく。


 ──エリアルの中では、僕は童話の王子さまのように清らかなんだろうな……


 目の前にいるのは、童話の登場人物ではなく、生身の人間だと教えたくなる。素肌を晒して、脈打つ心臓の鼓動を聞いてほしくなる。


 ──君を思って、こんなに早くなっているよ? ねぇ、ちゃんと聞いて。


 そう言えたら、どれほどよいか。しかし、そんなことをやったら、彼女はやっぱり能面になる気がした。


 想像がついて、思いの差を嫌でも実感してしまう。


 出会ったときから、エリアルにどっぷり浸かっているレオンと、そうではない彼女とでは決定的な溝がある。


 それは仕方ないことだが、寂しいものは寂しい。早く同じところまで墜ちてくれればよいのに、と焦がれてしまう。


 だから余計に、彼女があんな目でみてくれたのが、嬉しくてたまらなかった。


 ──僕のことで頭がいっぱいかな? またゲームをしようと言ったときのあの顔ときたら……たまんないなぁ。


 後で見に行こう。今頃、彼女はぐっすりと眠っていることだろうから。


 興奮のままに、レオンは口の両端を持ち上げた。



 エリアルの紅茶には熟睡できる薬を仕込んだ。だから、部屋に忍び込んでも彼女は気づかない。


 その薬は酒に似た苦味を持ち、ブランデーと変わらない。


 スプーン一杯のブランデーと、アールグレイの紅茶は相性がいい。そこにシナモンスティックを落とすと、冬の飲み物になる。


 シナモンは冷えや消化をよくするとして寒い季節はよく口にするものだ。なにも不思議な組み合わせではない。


 ブランデーではなかったということを除けば、レオンのした説明に偽りはなかった。


 それを思い出して、くくくっと、レオンは心底楽しげに笑っていた。



 ***


 レオンはエリアルの部屋に立ち寄る前に、図書室へと向かった。ジュリーから報告を受けて、エリアルの読んでいた本を処分しようと思ったのだ。



 薄暗い図書室に入ると、レオンは隅にある暖炉に火を灯した。


 勢いよく燃え上がった炎にうつったレオンの顔には、先程までの笑みはない。


 闇に落ちたような藍色の瞳の奥は、感情が見えず、顔も人形のように動きをとめていた。


 炎で明るくなった部屋の本棚を見つめ、迷いなく一冊の本を手に取る。エリアルが読んでいた本だ。


 ここの蔵書は目を通しているため、タイトルである程度の内容は思い出せた。エリアルが読んでいた本は、幾多の浮き世名を流して、最後には愛人の一人に刺し殺された女が書いたものだ。


 自分がしてきたハニートラップの数々を武勇伝のように語る内容。


 それをパラパラとめくっていると、本の隙間から何かが落ちた。音もなく床に落ちたそれを見てレオンは目を見開く。


 床に落ちたのは、手作りのしおり。それを指でつまみ上げる。


 拾ったしおりの中にはヒスイカズラがあった。花弁を四枚合わせて作られた押し花は、エメラルドグリーンの蝶のようだった。


 呼吸を止めて食い入るように見てしまう。


 ヒスイカズラは稀少なため、そこいらで売っているものではない。


 王の許可をもらい、侯爵家の温室で特別に栽培していた。ヒスイカズラは熱帯地域の植物で、寒さに弱く、温室じゃないと栽培が難しい植物だ。


 だから、この花の送り主はレオンで間違いない。


 それに、ヒスイカズラは、押し花には向いていない花だ。花の部分がくるんと、獣の爪のように立体的で、乾燥させれば脆く崩れてしまう。それなのに、しおりになったヒスイカズラは元の美しさを保っていた。


 このしおりを作るのに、エリアルがどれほど手間をかけたのか。


 秘められた想いを見れたような気がして、心が震えた。


「エリアル……」


 感極まり、レオンはそっとしおりに唇を寄せた。恍惚の笑みを浮かべながら、手に持っていた本は暖炉の中に投げ込んだ。


 本が激しい炎に焼かれていく。


 それを一瞥して、しおりに向かって恍惚の笑みを浮かべた。


「エリアルにはこんな本、いらないでしょ? ……不倫を助長させる本なんて……いけないものを読んだね。あんまり悪いことを覚えるなら、君をこのヒスイカズラみたいに閉じ込めてしまうよ?」


 しおりの中のヒスイカズラは、半年経つと色が抜けてしまうだろう。


 紙に残るのは枯れた花。それもやがて花の形を保てず、残滓(ざんし)となるだけだろう。


 もし、エリアルがそんな姿になったら……それすら、愛しく感じてしまう。


 本が激しい炎に包まれ、黒く散り散りになっていく。元には戻れず焼かれる姿は、レオンの願いのようだ。



 レオンはしおりを大事にしまい、火をそのままにして歩きだしてしまう。


 部屋の外では、従者のオーラスが控えていた。レオンは歩みを止めずに、彼に声をかける。


「片付けておいて」


 オーラスは返事もせずに図書室へと入っていった。


 レオンはそのままエリアルの部屋まで行くと、ブリーチズ(半ズボン)のポケットから鍵を取り出した。


 新しい黄金の輝きを誇るそれは、鍵穴に差し込む部分が四角く、階段のような切り込みが入っている。


 持ち手の先には(つた)がハートの形を描いており、特別な部屋にふさわしい豪華さがあった。


 錠前に鍵を差し込む瞬間は、鼓動が高鳴る。自然と弧を描いた口元のままに、レオンは扉を開いた。



 中は薄暗く、月がぼんやりと室内を照らしていた。靴音を立てないように慎重に歩き、レオンはベッドで眠るエリアルへと近づく。


 ちらりと、ジュリーの部屋を見るが、彼女が起きてくる気配はない。たとえ起きていても、扉を開く無粋な真似はしないだろう。


 羽毛や獣の毛がたっぷりと含まれたマットレスに座れば、音もなく体は沈んでいく。


 体を丸めて横向きに眠るエリアルを見て、レオンは目を細めた。


 小さな寝息を立てる彼女は、レオンに気づかない。それをいいことに、レオンは彼女のブロンドの髪をひとふさすくいあげ、顔を近づける。


 仄かに香る花の匂い。これはレオンが愛用している香油と香水を混ぜた〝シャンプー〟と同じ匂いだ。


 エキゾチックで甘い香りは、チューベローズという花を原料にしている。


 夜になると香りが増すその花は、『危険な快楽』の異名を持ち、夜、若い娘はチューベローズの畑にはいっては行けないという偽話まであるほどだ。


 官能的な匂いがふたりを包んで交わっているようで、レオンは陶酔した気分になる。


「しおりは貰っておくね……どうも、ありがとう」


 鼻にかかったような吐息をもらし、レオンは彼女の髪に唇を落とした。はらりと彼女の髪から手を離すと、今度はマットレスに手をつける。そして、エリアルの耳元で囁いた。


「お礼に今度は、外で甘やかしてあげる」


 ふわりとチューベローズの香りが強まり、レオンは満足げに微笑んだ。

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