第十五話 トランプ遊び③
ペラリ。
部屋にトランプがめくられる音だけが響きます。
お茶を飲んだ後、ゲームがまた始まりました。
今のところ、ゲームの行方はわたくしがリードしています。しかし、ハンディ分を無くそうと、レオン様がジワリジワリと追いかけてきています。その度に、わたくしは気品に欠けた顔をしてしまっていました。
口は強く引き結んでいますし、眉はつり上がってることでしょう。体を強ばらせていないと、高鳴った心臓が口から飛び出してしまいそうです。
もし負けたら……と、考えると椅子から落ちてしまいそうになるので、考えないようにしています。ゲームに集中したくて神経を尖らせますが、かえって心臓の音が耳について落ち着きません。
ちらりとレオン様の顔を見ると、こちらに気づかずカードを見ていました。
視線を落としているため、長い睫毛がよく見えます。すっと通った鼻梁に、薄く結ばれた唇。燭台に置かれた蝋燭がそれに影を作り、匂い立つような色気を漂わせています。
──あの唇が近づいてきたら……
唇に視線が釘付けとなり、吸い込まれそうになります。思わず前のめりになったところで、ふとレオン様が顔を上げました。心臓が大きく脈打ちます。
「次はエリアルの番だよ」
それにはっとして、慌ててわたくしは手前のカードを前に出してめくりました。
──……わたくしったら……何を考えていたの……?
淫らな想像を振り切るように、カードに視線を流しました。
***
残り二枚になったトランプ。最後の一枚をめくる前に勝敗が決まりそうです。予測がついて、わたくしは口をすぼめてしまいました。
わたくしが出したトランプは、キング。二番目に強いカードです。じっと睨み付けるようにトランプを見ていると、レオン様が自分のカードを取ろうと指を置きます。
「もしエースがでたら……僕の逆転勝ちになるかもね」
その一言に緊張が高まります。レオン様の瞳が熱っぽく光っているのは、気のせいでしょうか。
ドキドキと鼓動が高鳴るのは、不安なのか、それとも期待なのか。
あまりの緊張に、わたくしは膝に置いていた手でスカートを握りしめていました。
レオン様の親指がカードの下に入り、引き寄せられていきます。
ぺらり。
カードを裏返す音がやけに耳につきました。
──あ……
レオン様の出したカードを見たわたくしは、ひゅっと息を飲んでしまいました。力が抜けてしまい、手の中のスカートの皺がほどけていきます。
「なんだ、ジャックか。僕の負けだね」
肩をすくめるレオン様に茫然としてしまいました。
──勝った……?
目の前のことが信じられなくて、瞬きを繰り返してしまいます。
──勝ったのに……嬉しくない……
その事実に気づき、わたくしはかっと羞恥で頬を染めました。あまりに意識しすぎて、負けを望んでいた。そんな気持ちに戸惑います。
それなのに、レオン様は普段通りの微笑みを浮かべていました。ただトランプで遊んだだけ。そんな風に思えてしまい、わたくしはいたたまれなくなります。
「あぁ、すっかり夜も更けてしまったね。もう寝ようか」
あっさりとした声。
先ほどの艶っぽい雰囲気が嘘のように消えていきます。
そのままレオン様はまだ途中のトランプを片付けて、木箱の中にしまわれてしまいました。それを黒檀のキャビネットにしまわれて、わたくしの前まで来て、すっと手を差し伸べます。
あまりに自然なエスコート。わたくしは茫然としたまま、その手を見つめます。
「部屋まで送るよ」
その優しさが切なくて、わたくしは「はい」とも言えず、口を真一文字に引き結びます。
感謝も言えずに、そっと火がついた指先をのせます。それは柔く掴まれるのみ。言葉も交わせず立ち上がっても何も言われないまま、わたくしたちは部屋を後にしました。
***
微妙な距離感のまま、並んで部屋まで歩いていきます。
もう皆様、寝てしまったのか、わたくしたちの靴音だけが廊下に響きました。
会話もなく、わたくしの部屋の扉の前まで来てしまい、足は止まりましたが言葉に詰まります。
高まっていた心臓の音は、冷や水を浴びたように今は静かです。ただ、消えた蝋燭のように、芯が熱を持ち、くすぶっているようでした。
「エリアル、おやすみ」
ごく当たり前の挨拶。それに一抹の寂しさを覚え、自然とレオン様の口元を見てしまいます。
もしかしたら触れたかもしれない唇は、廊下を灯す蝋燭の炎がうつり、艶っぽく見えてしまいました。そう見えたのはわたくしの中の熱がおさまっていないからでしょう。
「おやすみなさいませ。レオン様……」
惜しむ気持ちを払い、ぎこちない笑みを浮かべます。すべては夜が見せた幻のような一時。そう思い込むことにしました。じゃないと、寂しいですと言ってしまいそうです。
それなのに。
「また、トランプで遊ぼうね」
その言葉に、火がついたのはなぜなのか。くすぶった熱を実感して、薄く口を開きます。レオン様は目を細めて、もう一度、おやすみと言い、踵を返してしまいました。
──パタン。
惚けたまま、扉を開いて中に入ります。扉を閉めると、それに背中をつけて体重を預けました。
──どっくん、どっくん。
心臓が跳ねて、耳鳴りがします。たまらず目を伏せると、侍女の部屋の扉が開く音がしました。
「エリアル様……?」
パタパタと足早に近づく音と、ジュリーの声がしてわたくしは、目を見開きます。
「どうかされましたか?」
ジュリーが心配そうに顔を覗き込んできます。わたくしは慌てて姿勢をただし、なんでもないふりをします。
「大丈夫よ」
口元は笑みを浮かべているというのに、ジュリーは真剣な面持ちで聞いてきます。
「……レオン様に『抱きしめて』のお願いをしてきたのですか?」
忘れていた約束にわたくしは、どきりとして首を激しく左右に振ります。
「違うのよ……ちょっとレオン様とトランプ遊びをしていて……」
あぁでも、あんな恥ずかしい賭け事のことなんて言えない。どう言い繕えばよいのか、のぼせた頭で考えます。考えがまとまる前に、ジュリーは右の手のひらを見せて言葉を制しました。
「大丈夫です。それ以上はおっしゃらなくても分かっておりますから」
それに、こてんと首をかしげます。ジュリーはにんまりと笑いだしました。
「レオン様と交流が深まって宜しゅうございました」
嬉しそうなジュリーに、わたくしは慌てます。
「深まったというか、その……えっと……」
「大丈夫ですよ。お顔を見れば、仲睦まじくされたことなど分かっていますから」
──仲睦まじく……そんな微笑ましいものではないわ。
わたくしはレオン様を男として意識していました。きっと浅ましい女の顔で見てしまっていた。それは、積み重ねてきた淑女らしさが崩れていくようでした。
わたくしはまだぼんやりする頭で、ジュリーにドレスを脱ぐ手伝いをしてもらいます。夜の淑女の嗜みを一通りおえて、ベッドに横になりました。
灯りが消され、暗くなると先程のレオン様とのゲームを嫌でも思い出してしまいます。
布団を引き寄せ、顔を隠します。ふわふわとした頭のまま目を伏せると、今さらながら、紅茶に入っていたブランデーに酔ってきたようです。くらくらとした目眩を感じながら、わたくしは仰向けになりました。
体を動かすと素足に触れたマットレスのシーツが冷たく感じます。体は足の爪先まで熱くなっていて、どうしようもない気持ちです。
ふと天井に描かれた眠り姫の絵画が目に止まりました。
ハートを抱いて眠る少女。初めて見たときは、その愛らしさに感動しました。
それなのに、今はレオン様を思い出して切ない気持ちになってしまいます。
少女が抱くハートの赤が、わたくしがレオン様に抱く思いの色に見えてしまいます。
「レオン様……わたくしは……」
また夜に二人っきりになったら。今度はわたくしからトランプをしませんか?と、言ってしまいそうです。
そして、お母様から禁じられていた賭け事に、自ら手を出してしまうでしょう。
そんな予感がしました。




