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第十四話 トランプ遊び②

 ──ご褒美は、唇への口づけ。


 その意味に気づき、わたくしは息を数秒間は止めておりました。瞬きも忘れていたので、人形のような能面になっていたでしょう。


 固まるわたくしを不思議に思ったのか、レオン様が椅子から腰を上げ、わたくしの顔の前で手を振ります。


「エリアル? 息、してる?」


 女性とは違うまろみのない角ばった大きな手が視界で揺れて、はっと息を吸い込みます。勢いよく吸ったので、喉にひっかかりむせそうになりました。


 口元を両手で隠して、「はい」と頼りない声で返事をします。


 我に返ったことで、急に口づけが現実味を帯びてきて、全身が火をついたように熱くなります。


 ──く、口づけって……えぇ!?


 心で悲鳴を上げて、恥ずかしさのあまり、頭から湯気が出てしまいそうです。

 唇への口づけなんて、倒れるしかありません。


 ──し、しっかりしなさいっ……こ、こんなことで動揺しては……


 心の中で叱咤するものの、恥ずかしさが勝ってしまい、顔をあげられません。わあぁぁ……と混乱する頭に、レオン様が呆れられたようにため息をつきました。


 それにはっとして、すぐさま姿勢を正します。見苦しいところを見せたわ。心を殺さないと……


 わたくしは、こほんとわざとらしく咳払いをして、口元に笑みを浮かべます。ひきつらないようにするのが大変です。


「失礼いたしました。ご褒美。そう、ご褒美ですね」


 ふふっと笑いましたが、うまく笑えたような気がしません。愛想よくしていると、レオン様が肩を大きく上下させて、深いため息を吐かれます。


 ──このご様子は……完全にあきれられてしまったのかしら……?


 口づけ一つで狼狽えるなど、淑女としてはあってはならないことかもしれません。自分の失敗に恥じ入っていると、レオン様はくすりと微笑みました。


「そんなに緊張しないで。ここで、少し休憩にしようか」


 レオン様は立ち上がり、近くに置いてあった銀色のベルを手にとります。チリンと高い音が鳴り、しばらくすると、レオン様の従者のオーラスさんが扉を開いてやってきました。


 オーラスさんは、侯爵家の家事、雑務をせずにレオン様の身の回りのことだけをする方です。影のようにいつもレオン様に付いていて、いつもきっちりした格好をしています。


 侯爵家のマークが刻印された金色のボタンがついた紺の上着に、白いブリーチズ(半ズボン)に白いタイツ。そして、頭にはグレーのカツラ。オールバックの髪型に横にロールした巻き髪が、左右に二つずつ。カツラは上流階級の正装ですので、被っているのはおかしなことではないです。


 正装ではありますが、レオン様はカツラをしていません。

 婚約の話をされたときはしていましたが、次にあったときに髪の色が変わっていて、不思議に思って尋ねてしまいましたの。

 それからは被らないようにしてくださいます。


 今から思えば、貴族の正装も知らない無知な発言でした……


 そんな思い出話に浸っていると、オーラスさんが静かな声でレオン様に話しかけられました。


「お呼びでしょうか」

「うん。お茶と、エリアルに羽織るものを用意してくれるかな? ここは冷えるから」


 思わずえっと、声を出してしまいます。


「寒くはないので、大丈夫です」


 まだ口づけの動揺が体を火照らせています。寒さを感じる隙間のないくらいです。


 レオン様はそう?と言い、こてんと首をかしげました。椅子から腰をあげて確かめるように手が伸びてきます。

 その手がわたくしの耳の下に添えられ、不意の刺激にびくりと震えました。


「今、震えなかった? 寒かったんじゃないの?」

「い、いえ……」


 そう?と心配そうな眼差しをされて、一人意識していることが恥ずかしくなります。布越しではないレオン様の手は固く、男の人だということを意識してしまいます。


 羞恥を隠すように目を伏せると、耳の下に触れていた指先がつぅと、首筋をなぞりました。むきだしの肌を通る指は、弱いところを刺激して変な声が出そうになります。


 肩まで下りてきた指が、ドレスの生地を爪ではじき、ひたりと鎖骨まで伸びてきました。


「っ……」


 思わず吐息が漏れて、わたくしは口元を手でおさえました。


「あ、ほんとだ。熱いね」


 なんでもないことのないように言われて、体温が急上昇します。レオン様は確認が終わったのか、あっさりと手を放しました。


「エリアルへの羽織ものはいいよ。お茶を頼む」

「かしこまりました」


 オーラスさんが去る足音が遠くに聞こえます。わたくしは体にこもった熱を吐き出すように、深く息を吐き出しました。


 ──恥ずかしい……レオン様はただ確かめたかっただけなのに……わたくしったら、ふしだらな声を上げてしまって……


 今宵はおかしな夜です。いつもはうまく被れるはずの淑女の仮面がうまく被れません。レオン様を意識しすぎて、微笑みを忘れてしまっています。


 小さく落ち込んでいると、席についたレオン様が口を開きました。


「エリアルはさ……真面目だよね」


 寂しげな声色で言われて、わたくしは顔を上げました。真面目と言われる意図が分からず、聞き返してします。


「真面目……ですか?」

「うん。真面目。僕がどんなことをしても、怒らずに受け止めてくれる。感情を出さないようにしてくれているのは、僕の病のことを気にしてるからだよね? だから、真面目だなって……思って」


 最後の方は掠れて、哀愁の秘めた声色でした。わたくしは眉尻を下げます。


 レオン様の病気を治したくて、何でも受け止めようと思っていました。それをすればよいと思っていました。


 それならば、なぜ……

 レオン様はこんなに悲しそうなのでしょう?


 なんて答えてよいか分からずに、わたくしは視線をテーブルの上に流します。ふぅと、一呼吸おいた息を吐かれて、組んだ腕がテーブルにつくのが見えました。


「ごめん。責めているわけじゃないんだ。ただ、ちょっと……寂しくて」


 ──寂しい?


 視線を上げると、レオン様は捨てられそうな子犬のように、頼りなさげな笑みを浮かべていました。


「僕は単純だから、エリアルが受け止めてくれると舞い上がってしまうんだ。つい、口調だって戻っちゃったし」


 それに、あっと、思います。

 やはり気のせいではなかったのです。レオン様の口調はここに来る前はもっと紳士的でした。今はくだけた話し方をします。


「ずっと格好をつけていたかったのに、嬉しくて元に戻っちゃった」


 肩をすくめてレオン様は困ったように微笑みます。


「子供だなぁって、自分でも思うよ。だから、エリアルも一歩、引いてしまうんだよね」


 哀愁が滲み出た声で言われて、わたくしはとっさに違います!と声を出しました。


 自分の声の大きさに驚きつつ、わたくしは左頬に手を添えて視線を逸らしました。


「わたくしは……その……レオン様の言葉が変わったのは気にしません」


「──それは、婚約者になった義務感……だからじゃないの?」


 感情を殺した冷たい声がわたくしの言葉に重なります。それに腰の当たりがひやりとしました。視線を向けると、レオン様はふぅと小さく息を吐きます。


「ごめん。今のは忘れて。エリアルが僕を気遣っているってことは理解しているから」


 優しい口調なのに、胸が苦しいです。


 ──義務感……そんなの違うわ……好きだからよ……


 腹の底に押し込めたはずのものが、カタカタと揺れている気がします。ここで、好きと口にしてしまえば、レオン様は安心してくれるのでしょうか。


 ──いいえ。ダメ。ダメよ……


 もし口に出したらとりとめもなく腹にとどめたものが溢れてしまう。それはわたくしを飲み込んで、淑女の仮面を壊してしまう気がしまうでしょう。


 わたくしは頬から手を離して膝の上にのせました。スカートに皺ができるほど、握りしめてしまいました。


「レオン様……わたくしは……義務感から側にいるわけではありません」


 心の中のものをうまく伝えられません。でも、わたくしは前のめりになります。少しだけわかってほしくて。


「ただ、側にいたくて……それは誠なのです」


 うまく伝えられているだろうか。こんなことを伝えてもいいのだろうか、と不安が首をもたげます。


 レオン様が口を開きかけ、閉じました。そして、何かを考えるように視線をそらします。


 ──伝わらなかったのかな……


 小さく落ち込み、眉尻を下げていると、オーラスさんが扉をノックして、銀のワゴンを引いて静かにやってきました。


「お茶の準備ができました」


 それが助け船のように感じて、わたくしはふぅと息を吐き出します。



 目の前にティーセットが置かれていきます。あまりの美しさに萎んだ心は一気に花開き、まぁ、と声を上げてしまいました。


 金色に輝くカップとソーサには、白い花が立体的に描かれていました。カップの内側は深海を思わせるコバルトブルー。カップの一部はガラスでできているのか、内側の青が透けて見えました。


 見たことのない美しい茶器に目が奪われてしまいます。


 そこに紅茶が注がれると、深みのある赤茶色に変わります。不思議な光景に目を奪われていると、オーラスさんは一礼して去っていきました。


「エリアルは青色のものが好きだから用意させたんだけど……気に入ってくれた?」

「えぇ、とても」


 口元が緩み、声が高くなります。レオン様は先程までの憂いをなくし、嬉しそうに微笑みました。


 レオン様がカップに手を添えて、紅茶を飲み始めます。それにわたくしもドキドキしながらカップに指を伸ばしました。


 金のふちを顔に近づけて香りを鼻で吸い込みます。


 ──甘い香り。これは……


「どうしたの?」


 わたくしがカップを見てボーッとしているとレオン様が声をかけてくれました。


「いえ……甘い香りがしたので」

「あぁ、シナモンの香りだね」


 シナモン。紅茶にも入れるのね。初めてだわ。


 わたくしはそうですかと、返事をして金のふちに唇を付けます。こくり。一口飲んで首をひねりました。変わった味がします。


「レオン様、このお茶は……」

「ん? ブランデー入りの紅茶だよ」


 ブランデー入り。だから、茶葉とは違う味がしたのね。


「夜だからよく眠れるようにね。……ブランデーとシナモンは相性がいいし、体を暖めてくれるよ」


 そういうことだったのね。レオン様の気遣いにわたくしは頬を緩めます。


「レオン様、お気遣い、ありがとうございます」


 緩んだ頬のまま言うと、レオン様はカップをソーサに置きました。


「さっきの話だけどさ……」


 すっかり気持ちがゆるんだところに、チクリと刺すような言葉。カップを持ったままレオン様を見つめていると、どこか仄暗い瞳が見えました。


「エリアルが嫌がったらやめようと思っていたけど、僕のことを()()()()想ってるなら、問題はなさそうだね」


 くすりと笑う声は子供のようです。でも……


「お茶を飲んだら、ゲームをしようか。唇を賭けて」


 なぜでしょうか。


 逃げ出せない雰囲気を感じとってしまいました。

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