第十一話 悩み
侯爵家にきて、早くも一週間が経ちましたが、わたくしは混乱しており、毎日緊張し続けています。特にレオン様との距離感に戸惑っていました。
侯爵家に来たので、ソフィ様のお手伝いをすぐするのかと思っていましたが、まずはゆっくりと屋敷の生活に慣れましょうと言われ、することがなくなってしまいました。
変わらず午前中は、家庭教師の先生のご指導を受けています。それすら、もう不必要と言われましたが、わたくしはひよっこです。なので、お願いをして学ばせて頂いております。
でも午後からは暇になってしまい、図書室で本を読みふけることが多くなってしまいました。
今日も図書室に足を運び、本を選びます。王立図書館より、規模は小さいですが、新聞は全てそろっていますし、かなりの蔵書です。
新聞といえば、聖女さまの治世になってから、国から発行されていたものが、民間に委託され、かなりの種類が増えました。
諸外国や、内政を伝える政治色の強いもの。農村のニュースを伝えたり、新しい書籍情報をのせるもの。中には、貴族の生活の様子をゴシップ的に伝えるものもあります。
わたくしが侯爵家に来たことも、翌日には新聞にのっていて驚きましたわ。
聖職者と貴族に特化した身分制度は解体されつつありますが、それでも、平民に比べれば豊かすぎる生活です。時折、滑稽なことにお金を使う貴族の生活は、庶民の間では笑いの種なのでしょう。
そうそう。面白いのは、手書き新聞です。
農民や平民の間で広まっている新聞です。手書きでメモ帳に記されています。形式も整われていなく、スペルも間違えているので、読みにくいですが、生々しい市民の声がかかれています。
急激に配置された警察への不満。貴族への不満。噂話などなど。真偽は定かではありませんが、率直な意見が書かれていました。
その新聞を知ったのは、ジュリーのポケットに入っていたものを偶然、目にしたときです。ジュリーは隠したがりましたが、食い下がって教えてもらいましたの。
ジュリーは貴族への悪口がかかれているそれを読んでいたなんて、申し訳なさそうにしていましたが、わたくしは叱るわけありません。
わたくしの家は領民の声を聞いて、稲の研究を続けてきました。様々な人の意見というのは時に驚くものもあります。それに耳を傾け、共によい稲を作るのはわたくしの家の誉れですわ。だから、こういう歯に衣を着せない意見は貴重と感じてしまいます。
「勉強になるわ。また新しいのがでたら、読ませて頂戴」と、笑顔で言うと、ジュリーは変なものを見る顔でわたくしを見ました。
そして、おかしそうに笑い出しました。
「こんなものまで勉強とおっしゃられるなんて……エリアル様は心の広いかたですね」
今度はわたくしが間抜けな顔をしてしまう番です。
──こんなものを読むなんて!と、怒った方が貴族らしいのかしら……? 難しいわね、貴族って。
まだまだ、貴族らしくない自分を恥じるばかりです。
そんなことがあったため、わたくしは今日は図書室にこもり、歴代の夫人の伝記を読んでおりました。彼女たちはサロンで文化人と交流し、意見を交わしてきました。サロンのお手本というべき書物です。
ソフィ様もお義父様も、3つあるサロン室を使用し、様々なサロンを開かれております。わたくしもいづれサロンを主宰する立場になるでしょう。
その日の為に、勉強はかかしません。
今、目を通しているのは様々な浮き世なを流した伯爵夫人の伝記です。
読み進めるのが恥ずかしくなる配慮まで書かれてあって、わたくしは口を固く引き結んでしまいます。
逢い引き部屋の配慮。恋が生まれやすいソファの配置。中には、コルセットを締めすぎて失神した夫人を横たえる為に、適正なソファの紹介もありました。
通称、失神ソファ──と、呼ばれるそれはロールケーキのようにくるんとした形の肘掛けがあり、頭を置きやすいそうです。
計算されたハニートラップに遠い目をしたくなります。でも、これも上流階級の嗜みなのでしょう。奥が深すぎます。
「ふぅ……」
思わずため息がでてしまったところで、部屋をノックする音がしました。顔を上げると、ジュリーがわたくしの外套を持って姿をあらわしました。
「エリアル様。もう二時間もこもられていますよ。あまり根を詰めないで、庭を散策されたらいかがですか?」
パッと顔を上げて柱時計に目をやると、針は午後三時を過ぎたところでした。時の早さに驚き、わたくしは慌ててお気に入りのしおりを本に挟みます。そして、丸いサイドテーブルに本を置きました。
眉根のしわを無くして、ジュリーに微笑みかけます。
「それもそうね。ありがとう、ジュリー」
ジュリーは嬉しそうにわたくしに近づき、外套を羽織らせてくれます。今は寒くなる季節なので、毛皮の外套は部屋のあたたかな空気を含んで、わたくしを包みました。
ふと、ジュリーがわたくしの置いた本に視線をやり、おもむろに手に取りました。
「この本は読み終わったのでしょうか? 終わったのなら、本棚に戻しますね」
わたくしは読んでいた後ろめたさから、ついえぇ、と答えてしまいました。
しおりが気になりましたが、誰にも気づかれないだろうと思って、わたくしは庭の散策に向かいました。
***
外に出ると寒さが頬を掠めます。
真ん中の石畳を歩きながら左右分かれた庭の花に目をやります。そこにはダリアの花が咲いておりました。
白、赤、黄色と艶やかに大輪の花が咲いています。ひとくちにダリアといっても、形は様々。ねじれた花びらになっているもの。細い花びらをつけるもの。太陽に大輪を輝かせるものもあります。
寒くても花は美しく咲くものです。その逞しさを感じてしまい、ふぅと息を吐きました。
「わたくしもダリアの華のようになりたいわ」
──華麗に、優雅に。
ささいなことに動揺しない心を持ちたい。
心の声が口から漏れてしまい、後ろにいたジュリーが声をかけてきました。
「まぁ。エリアル様はすでにダリアのように美しく輝いておりますよ」
裏表のない言葉と分かっていても、わたくしの心は晴れません。
「見た目だけは少しは近づけているけど、心はたんぽぽよ」
いたずらした子供のように肩をすくめ、笑います。
「タンポポは、春の食卓を彩るもの。サラダにすると美味しいから、わたくしはタンポポでも、よいのだけれどね」
ふふっと笑うとまぁ、と笑われます。
「そんなご謙遜を。私の目から見たら、エリアル様は隙がなく完璧ですよ」
完璧なんて、ほど遠いわ。思わずレオン様とのやりとりを思い出して、わたくしは遠い目をしてしまいました。ふぅと、息を吐き出したわたくしに、ジュリーがこてんと首をかしげます。
──完璧……目指すなら、完璧。そうね。そうよね。よしっ
わたくしは素早く周囲を見渡し、人がいないことを確認すると、恥をしのんでジュリーにお願いをしました。
「ジュリー、お願いがあるの。わたくしを……その……抱きしめてくれない?」
口にするとなんとも恥ずかしく、目をふせました。「は?」と、呆れたような声がジュリーからして、羞恥心が煽られます。ですが、完璧であるためにはお願いするしかありません。わたくしは祈るように両手を前で組みました。
「わたくし、人との接触に慣れていなくて……レオン様に触れられるたびに体が魚のように跳ねてしまうの。必死に堪えているけど、ここに来てからのレオン様はスキンシップを過剰になさるわ」
思い出すだけで顔を覆いたくなる出来事です。
ここ一週間、レオン様は夕食とお風呂が終わると、余暇をわたくしと過ごしてくださいます。それはよいのですが、なんというか……距離が近いのです。近すぎます。
手に手をのせてのエスコートはされたことがありますが、体が密着するまで抱きしめられたり、腰に手を抱かれたり……ソファに座るときは、必ず横並びです。
本を読んでいても、肩が触れてしまい、内容がちっとも頭に入ってこないのです……
手の甲に唇を落とされたときは、気を失いかけました。一歩、後退するだけに留めましたが。
嫌ではありませんの。過剰なスキンシップは〝ヤンデレ〟のせいだと、きちんと理解できていますから。受け止める覚悟もあります。ただ、慣れないだけなのです。わたくしの問題ですわ。
だから、わたくしは慣れる練習をしたいのです。わたくしがこのような症状になるのも、全て触れあいに慣れていないからです。
ジュリーなら同性ですし、きっと症状は軽くなるはずです。
わたくしは切実でした。だから、お願いにも熱が入ります。
「レオン様の触れあいに慣れたいの。わたくしを助けると思って、抱きしめて」
熱が入りすぎて瞳が潤み出します。
それなのに、ジュリーは顔を蒼白させ、真顔でわたくしのお願いを却下しました。
「エリアル様……それだけはなりません。レオン様に叱られてしまいます」
叱られる? いえ、温厚なレオン様なら、叱りはしないでしょう。
「そんなこと言わないで。理由を話せばレオン様もお叱りにならないわ」
でも、理由を言うとわたくしの挙動不審もバレてしまうわけで……あぁ、どうしましょう。内緒にしてた方がいいかしら?
考えを巡らせていると、ジュリーは蒼白した顔を真っ白にして、ガタガタと震え出します。
「り、理由を言ったら叱られないかもしれませんが……でも、ダメです! わたしはまだ死ぬわけにはいかないのです!」
声高に言ったジュリーに瞬きを繰り返します。ジュリーは、しまった!という顔をしました。わたくしはごくりと生唾を飲み干します。
「……ジュリー……もしかして、レオン様の〝ヤンデレ〟をご存知なの?」
ジュリーは眉根をひそめて、怪訝そうな顔をします。
「……〝ヤンデレ〟のことは知りませんが、レオン様はご病気なのですか?」
今度はしまった!と、わたくしがします。
──ジュリーは〝ヤンデレ〟のことは知らないんだわ……わたくしったら、病のことはふせたいでしょうに……また失敗してしまった……
なんて誤魔化そうか考えていると、ジュリーは至極真面目な顔をして言いました。
「エリアル様。体が跳ねることなど気にしないでください。きっと、レオン様の目には愛らしくうつっていますよ!」
ジュリーの熱弁にわたくしは眉尻を下げます。
「でも、みっともないわ……淑女は余裕の顔で微笑み返すものでしょう?」
そう言ったのに「いいえ!」と強く否定されました。
「今、わたしにお願いをしたように『抱きしめて』と言えば完璧です! 使用人一同、平和になります!」
わたくしは納得しませんでしたが、ジュリーのあまりの気迫にわたくしは「やってみるわ」とつい口を滑らせてしまいました。