第一話 お祝いの日にて
ヤンデレ。好きな人にはぬるいかもしれませんが、どうぞ宜しくお願いします。
この国は五年前、聖女さまに救われた歴史を持ちます。
未曾有の大飢饉に国がみまわれて、国王が神に祈ったときに降り立ったのが聖女さまでした。
聖女さまは神に祈りましたが、ただの人間です。魔術的な力はありませんでした。
しかし、聖女さまは知性の豊かな方で、重税ばかり強いる無能な国王を押し退け、国の改革を行いました。飢饉を脱したばかりか、腐敗した聖職者へ鉄槌を下し、税を軽くし、異国からの攻めを押し退け、国民の不満を次々と解消していったのです。国は見事に復活しました。
無能な国王に排斥されていた、彼の弟を重用し、後に二人は結婚されました。
そして、王妃となった聖女さまは、今もなおこの国に加護を与えてくださるのでした。
今日は、聖女さまが降り立った記念の日です。慈悲深い聖女さまのご意向で、国中にワインが振る舞われます。
平民も貴族も、身分の差など失くし、ワインを飲み、夜通しお祭り騒ぎをします。町ではかがり火が焚かれ、躍り狂う人々の姿も見れます。
国中が歓喜に包まれる中、わたくし──エリアル・ド・フォーレは、ため息をひとつ吐いていました。
ソファにしなだれかかり、左手は肘掛けについて、顔の横に添えます。しっとりとした弾力のある肘掛けは、わたくしの体重を心地よく受け止めてくれていました。
視線の先にあるのは、右手の中にあるワイングラス。三分の一ほどはいったそれを、傾けて手の中で遊びながら、酔ったふりをして眺めます。
ソファにしなだれかかるのは、礼儀作法としてはいけませんが、今日は無礼講の日です。咎める人はいません。
それに土臭い、田舎者……酷いときは生地の薄さから下着姿などと、揶揄される白いシュミーズ・ドレスを身につけていますから、わたくしに話しかけようと思う人もいないでしょうね。
シュミーズ・ドレスはシュミーズの言葉通り、肌が透けそうなほど薄い生地で織られたワンピースドレスです。
羽のように軽い生地は歩くたびにふわりと、スカートの裾を広げますが、リボンや花の刺繍がひとつもないデザインなので、下着と見間違えられても仕方ないでしょう。
胸元を強調するのが主流ですのに、このドレスは生地が肩をすっぽりと覆ってしまい、丸い襟からは大きい二段のレース飾りがあります。なので、鎖骨も見えません。
袖は、肩口から風船のようなふわっとしたシルエットを作り、手首にかけてすぼまっています。
細腰に魅せるためのパニエもつけていないので、腰から下のスカートは体のラインに添ってしまい、ボリュームが足らず、すとんとしています。
唯一、艶のある藍色のリボンを腰に巻いておりますが、目の前の絢爛なドレスを纏う貴婦人の前では無駄な抵抗のように思えてなりません。
せめて髪型ぐらい……とは思いましたが、今流行りの盛髪はこの装いに似合いません。
なのでクセのあるブロンズ髪をまとめて上げるだけ。リボンも、羽も、生花も、花瓶も、鳥かごも、軍艦も刺してなく、飾り気のない装いになってしまっています。
「ふぅ……」
目の前に繰り広げられる、お菓子をひっくり返したような派手な光景と人々の笑い声を聞きながら、わたくしは手で弄んでいたワインを一口、飲みます。
香りも楽しまずに飲んだワインは、渋味だけが口に広がりました。それが、わたくしの今の気分に似ていて、嫌な気持ちになります。
──レオン様ったら……今日という日にこのドレスを指定しなくてもよろしいのに……宝飾品も付けないでなんて……意地の悪い人……
聖女日は、お祭りですので、上流階級の方々はこの日の為に最も美しく、派手な衣装を着込んでいます。
金糸の唐草模様をドレス全体にあしらったもの。大輪の薔薇のモチーフを惜しげもなくつけたもの。透ける生地に赤、黄色などの細かい花の刺繍を絵画のようにほどこしたもの。そして、それらを更にゴージャスに魅せる宝石たちの煌めき。
眩しすぎる世界が目の前にあり、同じ場所にいるというのに、わたくしは疎外感を覚えてしまいます。
なので、お祭り気分にも浸れず、片隅でワインを飲む有り様。
このような状況になった相手に文句を言いたくもなりますが、渦中のその人は花瓶や、軍艦を頭につけた令嬢に囲まれて談笑中です。
令嬢がたはレオン様に気があるのでしょうね。無礼講のこの日に、群れをなして囲うなど、狙ったとしか思えません。
レオン様もレオン様ですわ。ドレスを指定しておいて、置いてけぼりにするのですから……こうなることは、聡明なレオン様ならば、予期できたでしょうに……
腹の中に嫌なものを感じてしまい、わたくしはわき机にグラスを置いて、膝に置いてあった木製の扇子を手にとりました。動揺を微塵も感じさせないしぐさで、それをとり、わき机に敷かれたクロスの前でパチリと開き、弄びます。
ここなら、死角になっていて、わたくしが何をしているのかなんて見えないでしょう。
扇子を弄びながら、こうなるのも仕方ないかもしれないと、諦めの境地に入ります。
──元々、釣り合いがとれていない婚約だもの。レオン様も一年経って、わたくしに飽きたということなのでしょうね。
ため息をついて、達観してしまうのは、彼──レオン・デュ・ミュレー様と、わたくしの身分に開きがありすぎるからです。
彼は国王陛下とも血筋が繋がっている由緒正しきミュレー侯爵家の嫡男です。家は軍人貴族。あまたの功績を上げ、お父上様は元帥です。彼自身も銃士隊の隊長を務めていらっしゃいます。
それに比べて、わたくしは、宮殿に出向いたこともない田舎貴族。
わたくしの家は男爵家ではありますが、慎ましやかな領地で、民と共に小麦の品種改良の研究を代々しておりました。
聖女さまがくる前の王政はひどいもので、重税を強いられていました。病気になりにくい小麦の研究はわたくしたちと民が食べるために必要なことでしたの。
一人の使用人と共に暮らすわたくしの生活は、農民に毛が生えた程度です。わたくし自身も料理や家事をいたしますし。社交界など足を踏み入れたことがありませんでした。
そんな身分の開きがあるので、なんの利益があってこの婚約が結ばれたのだろうと、首を捻りたくなります。
レオン様は一年前に、わたくしの美しさに感動したなどと、言いましたから、容姿が気に入られただけなのかもしれません。
わたくしの見た目の良し悪しは分かりかねますが、そういえば幼少期は司教さまに頼まれて絵のモデルをしたこともありました。もうお亡くなりになったので、お会いすることもありませんが。
レオン様は上流階級のお方。見た目で選ぶのは、あくなき美の追求をする上流階級ならではの趣向なのでしょうね。
理解は難しいですが、侯爵家からの婚約話をわたくしたちが断れるわけはありません。家族共々、青ざめ、うろたえ、卒倒しましたが、レオン様の婚約者として恥じない振るまいができるように、わたくしは努力を重ねました。
慣れないハイヒールを履き、靴擦れで血が出てもダンスを覚えました。
コルセットで締め上げられ、身動きがとりにくいパニエを付けていても、ぎこちない歩き方にならないように、訓練しました。
寝る間を惜しんで蔵書を読み漁り、見聞を広めました。
常に優雅な微笑みができるように、感情を殺す術を学びました。
幼少期から訓練をしてきた他の令嬢とは違い、わたくしは無知な田舎もの。レオン様の隣で控えるためには、努力するしかなかったのです。
幸いにも、家庭教師や、社交用のドレスも、サロンへ向かうための諸費用もすべて侯爵様が出してくださいました。多少は見れる姿になったとは思いますが、生まれ持ったものがそう変わるはずないのですわ。
だから、レオン様もきっと……飽きてしまわれたのね。
そう、夢から覚めるだけよ。
だから…………
──ミシミシ。
持っていた扇子が小さく悲鳴を上げだしました。
それなのに、わたくしは手の中の力を緩められません。レオン様との思い出の数々が、脳裏を過ってしまっていたのです。
いつも〝ヒスイカズラ〟を持って屋敷に来てくださったレオン様。微笑まれた姿が本当に素敵で、いつもうっとりとしてしまいましたわ。
──ミシミシ。
わたくしの屋敷から見える愛する小麦畑も、壮観だと言ってくださって、とても嬉しかった。見よう見まねで作ったクグロフを美味しいと口にしてくださった時も。わたくしは嬉しかったのです。
──ミシミシ。
分かっています。レオン様は、上流階級の方。心を一人占めなどできません。
レオン様のお父上様も愛人が二人おります。だから、レオン様が他のご令嬢がたに心をうつされても憤ってはいけません。
お母様にも鋼の心を持てと言われておりますし、頭では理解しております。
でも……
「──あぁ……あ……」
不意に令嬢の声が耳に届きました。
軍艦を頭につけた令嬢がよろけております。それをそばにいたレオン様が腰を抱き、支えました。
「大丈夫ですか?」
「え、えぇ……」
軍艦が重すぎるのかなかなか頭をあげられません。近くにいた男性方々が、令嬢を支えていきます。
わたくしはその光景から視線を外し、握りしめていた扇子を見つめました。
欠けた木片が視界に入り、ため息をつきます。
「ありがとうございます。皆様。レオン様……」
砂糖を飴色になるまで煮詰めたような甘ったるい声がして、見たくもないのに視界の端でレオン様の様子を見てしまいました。
レオン様は肩をすくめると、こちらをちらりと見ます。目が合い、心臓が跳ね上がりました。
嫌なものが腹にたまって、醜い顔をしているかもしれない。わたくしは急いで、淑女らしい余裕の笑みを浮かべました。
──わたくしのことは気になさらずに。お好きなようにしてください。
教えられた通り、そう目で合図を送って、ゆるりと視線をそらします。
ワイングラスを手にとり、一気に飲み干しました。
レオン様もわたくしが視界にいると、目障りかもしれません。
欠けた扇子を持ち、わたくしはレオン様と言葉を交わすことなくホールから去りました。
欠けた扇子の木片が、手のひらに刺さり、チリチリ痛みだします。それでも、わたくしは歩みをとめることはありませんでした。