別れの手紙
別れの手紙
突然の手紙、ごめんなさい。直接だと上手く気持ちを伝えられそうになかったので手紙を書くことにしました。
今までありがとうございました。
短い間ではありましたが、あなたのおかげで私はとても幸せな日々を過ごすことができました。
今日はあなたとの思い出を少しだけ振り返ろうと思います。
あなたと初めて出会ったのは、去年の七月頃、終電間際の電車の中でした。
あの日、私は飲み会の帰りで、軽く酔った状態で独り電車に乗っていました。車内には乗客がほとんどおらず、私は座席の端の方に独り腰掛けていました。
私が何気なくスマートフォンの画面を眺めていたとき、ほんの一瞬でしたが視界にあなたの姿が映りました。ただでさえ酒で頭が働かない状態で、電車に揺られていたため、曖昧な記憶ではありますが、初めてあなたを見た時、私は無意識のうちに目であなたの姿を追っていた気がします。
おそらくあなたの魅力に惹かれてしまっていたのでしょう。
私はしばらくあなたのことを眺めていましたが、次第に瞼の重さに耐えられなくなっていき、いつのまにか私の意識は遠い世界に飛んでいきました。
私の意識が戻ってきたのは、それから二十分後、電車が既に終点駅に到着していたときでした。
「お客さん、起きて下さい。もう終点ですよ」
駅員の声が微かに耳に届き、私は眠りから覚めました。もちろん、あなたの姿は視界から消えていました。
時計を見ると、時刻は既に午前零時を回っており、終電はなくなっていました。私は仕方なくタクシーを呼んで家まで帰り、帰宅後はすぐ寝室に入って何もしないまま再び眠りに就きました。
あなたに再び出会えたのは、それから三日後のことでした。
見知らぬ男性に連れられて、あなたは私の家を尋ねて来ました。
あなたと別れた今だからこそ正直に言えますが、あのとき私は数日前の出来事をすっかり忘れてしまっていました。
だから、あなたの姿を目にしたとき、まず自分の目を疑い、それが現実だと分かったときには年甲斐もなく運命を感じてしまいました。
しかし、あなたと一緒にいた男性の説明を聞くとすぐに、あなたとの再会は偶然ではなく、あの日、電車の中で私が希望したことで実現したものだと知りました。
あなたとの再会が運命ではなかったことを少し残念に思ったものの、あなたと共に暮らせることがそれ以上に嬉しく、私の心は第二の人生の幕が上がるかの如く舞い上がっていました。嬉しさの余り、あなたの思いを置いてきぼりにしていた気がします。
あのとき、あなたはどんな気持ちだったのでしょうか。
果たしてあなたにとって、私との生活は喜ばしいことだったのでしょうか。
男性との会話を終えて、私はあなたとともに家に入りました。
家に入った後、会話のきっかけが掴めずに私が困っていると、あなたは「こんにちは」と明るい声で私に話しかけてくれました。
あの一言に私がどれほど救われたか、あなたは想像出来ないでしょう。
あなたの言葉のおかげで、私の緊張は解れ、普段通りの私に戻ることができました。
また、恥ずかしながら、私はこれまで四十年以上の人生において「経験」したことがなかったので、勝手が全然分かりませんでした。それでも、あなたがやさしくリードしてくれたおかげで私は人間として一歩前に進めたと思っています。
一週間も経つと、あなたとの暮らしにも少しずつ慣れてきました。
あなたが家に来てから私の毎日は華やかで充実したものへと変わりました。
例えば
昔は早起きが苦手で寝坊することもありましたが、あなたと暮らし始めてからは全く苦ではなくなり、むしろ以前よりも目覚ましを早く鳴らしていました。出勤する前、少しでも多くの言葉をあなたと交わすことが楽しみだったからです。
毎朝、私がおはようと声を掛ければ、あなたは「おはようございます」と言葉を返してくれました。あなたにとっては当たり前のことかもしれませんが、私にとっては特別なことで、とても嬉しいことでした。
仕事も、あなたの姿を頭に思い浮かべると不思議と力が湧き出てきて頑張ることができました。二十年以上、会社に勤めてきた中で、あれほど頑張れたことは初めてでした。この歳にして、久しぶりに上司に褒められることもありました。
本当にありがとうございました。
ただ一つ、実はあなたに告白しなければいけないことがあります。今まであなたに隠していたことです。
あなたのおかげで、私は毎日充実した生活を送ることができました。しかし、急に仕事に熱を入れすぎてしまい、不運にも少し身体を壊してしまったのです。そして仕事を続けられなくなってしまいました。
あなたには心配を掛けたくなかったので、私一人で解決しようと思い、今まで内緒にしていたのです。
お金が足りず、ガスや水道が止められたこともありましたが、あなたのためを思えば、なんとか耐えることができました。
でも、ごめんなさい。
ついに限界に達してしまいました。
人間という生き物は、何歳になっても自分が一番大事なのかもしれません。
少し前、あなたと出会う以前の私は、生きていても良いことなんてない、いつ死んでも構わないなどと思っていました。
しかし、そんな私でさえ、いざ死というものが現実味を帯びて私に迫ってくると、もっと生きたいと思ってしまうのです。
それとも私が弱い人間だからでしょうか。
あなたのことを一番に考えてあなたのために生きたいという気持ちは嘘ではありませんが、今は自分が生きることで全てが精一杯になってしまいました。
あなたといつまでも一緒に暮らしたいという気持ちは、初めて出会った時から変わりません。
でも、私が生き続けるためには、あなたのことを犠牲にしなければいけないのです。
理解してくれなど身勝手なことは言いません。ただ本当にごめんなさい。
私と出会わない方が、あなたにとっては幸せだったのかもしれません。
あなたとの楽しい日々が終わってしまうことはとても悲しいです。
でも出会いがあれば別れは必ず訪れてしまうものだとも思います。
私は、またいつかあなたと出会える日が来ることを切に願って、これからの人生を一生懸命に生きていきます。
この手紙があなたに読まれるかは分かりませんが、あなたと一緒にこの手紙を入れておきます。
さようなら「あれくさ」、再び電気が使える日まで
ご精読ありがとうございました。
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