第1話 ディスコミュニケーション
――せめて、お前だけでも……。
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「舐めてるんですか? 出直して来て下さい」
「……あ、ぅ、はい」
冒険者ギルドの受付嬢は、ライセンスなしの人間に死ぬほど冷たかった。
踵を返し、すごすごと退散しようとする俺の背中に、からかうような笑い声が降りかかってくる。
「ひゃはははは! なんだぁ? あのガキ、ライセンスもねーのにギルドに来たのかよ」
「つーか、あの頭に乗せてる赤いスライムなんだよ。お守りのつもりか?」
「すすす、スライムに守られる人間て! クッソ! クッソ! ぎゃははははははは!!!!」
余計なお世話だ、ちくしょう!
こっちだって好きで乗せてるわけじゃねーんだよ――
と思ったが、口には出さなかった。代わりに「……あぅ」という言葉にならない言葉が口から漏れ出た。
ていうか、そんな事は正直どうでもいい。
それより汗が止まらない。
さっきの暴言野郎どもだけじゃない。
すれ違った剣士らしき女もくすくすと笑っている。
別のテーブルにいたパーティ連中は「やめてやれよ」だとか「かわいそう」だとか。でも、口元は笑みの形に歪んでいた。
居心地は最悪で、早くここから逃げ出したくて。
自然と足が速くなる。
俯いたまま。嘲笑の視線と声を振り切って。
やっとギルドの入口まで戻ってきた瞬間――ギィッという軋んだ音とともに扉が開かれた。
入ってきたのは魔導帽をかぶった艶やかな女だった。
顔中汗まみれの俺と目が合うと――
「――うわっ。キモッ」
一言、そう言って傍を通り過ぎて行った。
「フッ……」
俺は知らず、笑みを零していた。
というか泣き笑いだ。
限界を超えた羞恥とイライラにこれ以上抗えない。
だから――ほんのわずか。誰にも気付かれないように全身に力を漲らせた。
瞬間、俺を中心に不可視の波が広がっていく。
人間の持つ根源的な力。
オーラによる波だ。
「うおっ?! なんだ今の?!」
「と、とんでもないオーラだったぞ……?」
「だ、誰だよ……?」
「誰ってそりゃ――」
ギルド中の視線が一斉に俺へと向けられ、
「「「「えぇえええええええええええっ?!!!!」」」」
一気に騒然となった。
「……ふぅ」
すっきりした!!
ところで、俺は逃げるようにギルドの外へと飛び出した。
そのまますたすた。
適当に街中を歩いて行き、人通りの少ない路地裏に出たところで、ぴたと足を止めた。
「……ハ。疲れた」
《ウケケケケ! ざまあねえぜ、クサレコミュ症魔導師がァッ!!》
情けなさすぎる俺の様子がおかしくてたまらないのだろう。
頭の上にいる赤いスライムは、ギルドにいる時からずっとげらげらと笑い続けていた。
《マジだせえ! キメエ! 世間知らず! なんでライセンスもねーのにギルドなんか行っちゃったの?! オレってやっぱ強いしィッ!! とか思っちゃってたわけェッ?! ウックククク……ざぁあああああああんねぇえええええええええええんッ♪ 一般人と同じ扱いでしたァアアアアアアアアアアアアアッ!!!!! ウヒャヒャヒャヒャはっずかちィイイイイイイイイイイイイッ!!!!!!》
イラッ――とした瞬間、俺の手は自身の頭の上へと伸びていた。
右手で外道スライムを鷲掴みし、そのまま路地裏の壁に向かって――キラーン☆
思い切り叩き付けてやった。
「ぷぎゃっ?!」
そうして、俺は歩き出す。
行く当てはない。しかし、目指すものはある旅路へと。
「ぷいぷいっ! ぷいっ! ぷーーーーーーっ!!!!!!!!!!」
スライムが必死こいて追いかけてくるが、もちろん無視だ。
ぴょんぴょんぴょん!!!
「ぷいっ!!!!!! ぷいっ!!!!!!!!!!!!」
無視、無視。
ぴょんぴょんぴょん!!!
「ぷいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっっっっっっ!!!!!!!!!!」
無視だ。無視無視無視無視。
「……ぷいぃ……」
やがて鳴き声がほとんど聞こえなくなったところで、ひどくか細い鳴き声が一度だけ聞こえた。
振り返りはしなかった。
そのまま歩き続ける。
路地裏を出て商店が立ち並ぶ街並みの中へと。
もう鳴き声は聞こえない。
けれど、きっと――
《――わらわは願う!! 回帰せよ、円環の先にあるものよ!!!! 回帰せよ――ラスカル・ノーズ!!!!》
それは虚空に響く声。
俺だけに聞こえる真なる願い。
瞬間、俺の体の周りに光の輪っかが発現し、発光する。
真っ白な世界に飲み込まれる。
ほんの一瞬。ゼロコンマだけの白の世界だ。
そうして――
「…………」
「ぷぃ、ぷぃ、ぷぃぃ……」
気付いたら、恨めしそうな目で俺を睨んでいるスライムが目の前にいた。
さっきの路地裏に戻ってきている。
全てはこいつの仕業だった。
魔法なのか何なのか。正直よく分からないが、とにかくこのスライムにはこういう事ができるのだ。
願いを現実のものにできる――奇跡の力らしい。
どんな奇跡だよ……。っていうか、こんな奴が持ってていい力じゃないだろ……。
もっとも、何でもかんでも無制限に奇跡を起こせるわけではないらしいのだが、とにかく――はぁああああああああああああっ……俺は大きなため息を漏らすと、頭の右側をガシガシとかきむしり、
「あぁーーーーーっ! もう!!!!!!!!!!」
路地裏に佇んでいた赤いスライムを掴み上げ、頭の上に乗せてやった。
《おおおおお、おま、お前ぇえええええっ!!!!!! 何してくれてんだ?! 今、マジで捨てる気だったろ!! わらわを捨てるって事がどういう事か分かってんのか?! あ? 世界滅ぼされてぇのか? 厄災振り撒きまくるぞ!!! 人間滅亡させるぞ?! それでもいいのか? あぁっ?!!!!!!》
「いや、無理でしょ」
今のお前じゃ、だが……。
《なんだぁあああッ!? やってみなきゃわかんねえだろッ! もしかしたら奇跡が起きるかもしれねえだろうがァッ!!? そう!! わらわが元の体に戻った暁にはァアアアアアアアアアアアア――オメエは速攻あの世行きだ!! 覚悟しろよオラァッ?! 泣いても許してやんねェからなァッ!!!!》
「……わかった」
《――うぇ?》
奇跡なんて起こらない。願いはきっと叶わない。
今はまだ……だが、それはこいつが一番よくわかっているはずだ。
というわけで――俺はためらいなく、頭の上のスライムを引っ掴んだ。
《だぁーーーーーーっ?! 待て待て待て!!! 冗談だ冗談!!!! 捨てるんじゃあねえええええええええッ!!!!》
必死の叫びを受けて、俺ははぁっと息を吐くと、再び手を離してやった。
《ぐっ……オメエ、何か最近調子ン乗ってない? 女の子だぞわらわは? 女の子には優しくしろって習わなかったか?》
「誰が女の子だって?」
《わらわに決まってんだろォがァアアアアアアアアアアッ?! まさか、わらわにオメエとおんなじような汚らしいモンが生えてるとでも思ってんのか?! あ゛ァッ?!》
「あのな……」
知ってたけど、なんて品のない女なんだ……。
《美しく清らかでェ――あ、やっぱやめた。わらわで変な妄想された日にゃあたまんねえからなァヒャッヒャッヒャッヒャァッ!!!!》
「誰がお前なんかで!!」
いや、本当に。
《ケッ!! 美的感覚狂ってんじゃねェのオメエ? わらわだぞわらわ!! ったく、これだから世間知らずのコミュ症野郎はよォッ……!! そりゃ仲間にも捨てられるわ!! なァッ?!》
「うっ……ぐぐぐ」
《あ、傷ついた? 傷ついちゃったァッ?! ウッヒ、ウッケケケケケヒャハァーハハハハハァッ!!!!》
死ね。でも――こいつの言う事は紛れもない事実だった。
そう。今の俺には何もない。
初恋の少女も、仲間も、家族も、信頼も、名声も、生まれ故郷も……。
確かにあったはずなのに。
今はもう何もない。
全てなくなってしまった。
残ったものといえば――
リーンゴーン、リーンゴーン。
夕食時を知らせる鐘が街中に鳴り響く。
――もうこんな時間か。
「帰るか……」
と言っても、家などないので宿屋にだ。
《うぇ? 帰んのかよ! 酒場行こうぜ酒場!!! そんで肉食ってパワーつけてよぉ――》
「その金はどっから出ると思ってんだ……」
《ヒャハハハハハ!!!! こっから》
瞬間、紙幣が数枚、俺の前に振ってきた。
こいつの体はブラックボックスだ。ありとあらゆる物をその赤い体に収める事ができるらしい。おかげで俺の服なども収納してもらっているのだが――本当に一体どんな構造になってるんだろう?
魔法の一環なのか何なのか、実際のところこいつ自身にもよくわかっていないらしい。と、一瞬ぼけっとしてしまったが、そんな事よりこの金だ。
「な、なにこれ?」
《キヒヒヒヒ。ギルドにいた連中からくすねといたんだよ。これで豪遊といこうじゃねえか!! なあっ?!》
犯罪だ……が、確かに今日はちょっと飲みたい気分かも。
嫌な思いもしたしね……。
ギルドでの事を思い出すと、自然とため息が漏れた。
「……よし。お前が盗んだ金は募金でもするとして――今夜は飲もうか」
《でひゃひゃひゃひゃ! 募金とかいう偽善行為はクソすぎるが、まあいいや。飲むぞ飲むぞ飲むぞぉーーーーーッ!!!》
ちなみに世界の常識ではあるが、お酒は二十歳になってからだ。
え? 俺?
十七歳ですが何か?
だって、みんな飲んでるし……。まあ、本当はいけない事なんだけどね!!
それだけ理解したうえで、飲みすぎなければ大丈夫!!
いや、本当に――
「飲みすぎるなよ、元魔王」
《おめえにだけは言われたくねえよ、コミュ症野郎……》
そうして、俺たちは歩き出す。
これは救済の物語。
願いの先の物語である。