最終話 下僕の静かな辞職
「主人!お帰りなさいませ」
つい意気込んでしまった。
驚いた顔の主人はまた美しいがちょっと反省。
執事失格である。
外出からもどってきた主人はいつものとおりに血色がよく、赤く色づいた頬などいつも以上に麗しかった。
マントをうけとり主人のあとをしっかりとついていく。
おとをたてずにあるく姿、引き締められた腰、長いクロガミ、その動作ひとつにもしなやかで色をかんじる。あいもかわらずうっとりとしてしまうような後姿だ。
僕がいても主人はきにすることなくドレスをぬぎすてるとそのままのお姿でベッドに横になる。
まるで胎児のようにまるくなって寝る姿がかわいらしい。
その姿がそれはもうかわいらしいのだ。
僕はマントを所定の位置に戻し、ドレスをかたづけると静かに部屋からでた。
心臓の高鳴りが通常ではないほどにはやい。
手足の感覚もわからなくなってきているようだ。
「主人、僕の一番大切な人」
これだけは伝えておきたかったけれども、主人は帰ってきたばかり疲れてそのまま寝てしまった。
それに僕がこんな状態なのを知らせることなんかできない。
余計な思いや思考を僕のために使ってほしくないのだ。
もともとはできそこないの僕は今まで過ごした時間だけで十分に幸せで。
それだけで、これからおこることに対する不安も恐怖も何もない。
きっと僕の時間はほんとうにわずかのようだ。
やしきをめいいっぱいに掃除をした。
僕がいなくなっても少しでも長くきれいなままにしたくて隅々まできれいにした。
そして僕が使っていたものはすべてまとめて物置小屋へとおいた。
本当はいつか主人の邪魔になってしまうかもしれないので処分してしまいたかったがこれらはすべて主人に用意していただいたものなのだ。
ていねいに畳んでひとまとめに布にくるみ片隅にそっと執事服をおいた。
その中に懐中時計もなごりおしいけれどもいれる。
これを他の誰かが使うのも我慢できない。
なのでひっそりとこっそりと見つからないようなところに隠した。
全ての服をおいたから僕ははだかだけども、それはおりてきたときとおなじだから何もおもわない。
たださいしょにもどるだけ。
さぁ
最後に僕から主人にできることと言えばトマトジュースをつくってさしあげることしかでない。
あしためしあがっていただくときまで美味しさがのこっていればいいけれども。
そっと、それを食事のまにおく。
これが僕の最後のおしごと。最後のふうけいとなるからとうごけなかった。
主人はのんでくださるだろうか?
「おゆるしください、しゅじん」
きょかなくもどってしまう僕を。いう勇気がない僕を。
そろそろと暗くなりそうなそらをみてぼくはむねをみた。
むねが痛い。
天使である僕がいのりをあつめられなくては存在することもままならない。
もうじき消滅してしまうのだろう。
胸にはいのりをあつめるものがはいっていてつかわれないと壊れてしまうようにつくられている。
胸が痛い。からだのなかでヒビがはいっていくのを感じる。
僕はもうじき消滅してしまうのだろう。
自然にそう思えた。
さいごだけでもいつもからだにおしこめていたつばさをひろげた。
羽につたわってくるやさしい風。
とじてもいないのになにもみえなくなっため。
ぼくのそんざいはうしなわれる。




