混浴 その⑧ 憧れ(現実)
俺と美香は、その後もしばらく並んで浴槽に浸かっていた。
ぬるめのお湯だったので、のぼせることもない。
美香は湯浴み着を着ているし、実感はあんまり無いけど、混浴なんだよな……。
背後では、裸に近い格好の女性三人が、キャッキャと騒ぎながら体を洗っているし、俺にとってはカオスな状況だ……っていうか、なんで彼女たち、こんなに警戒心がないんだ?
「……みんな、ツッチーが草食系って知ってるからね。絶対あっち向かないっていうの、分かっているし……ううん、万一何かの間違いで見られたとしても、たいしてダメージないって思ってるのかも」
「……ダメージがない?」
「うん、何ていうか……かわいらしい子犬に見られた、ぐらいにしか思わないのかな? 人間のオスっていう感じじゃ無いのかもしれない」
「……それって、あんまり良いことじゃあないな……」
「あはは、でも、私は知ってるよ、ツッチー、結構変態さんだもんね」
「もっと酷い評価だ。なんでそんな風に思うんだ?」
「秘密。あと、優美ちゃんも、ツッチーはちょっと肉食系かもしれないって思ってるみたいだけど、まあ、あの子はツッチーに憧れてるから、ちょっとぐらい見られても平気なのかも……」
「……憧れ? 俺に?」
「だって、前に『結婚してください』って迫られてたじゃない」
「あれは酔っていたからだろう?」
「うん、そうだけど、そうじゃなくて、酔わないと言えなかったから……ま、本人から直接聞けばいいかな? お願いだから、真剣に話、してあげてね……そろそろ準備できたみたいだから、交代するね」
美香は、そう言って湯船から出ようとした。
「なっ……ちょっと、待て……」
「だめ、後ろ向かない!」
「はい……」
まさしく、叱られた子犬だ……。
美香はそのまま行ってしまった。
何となく、自分が不甲斐ないと感じながら、ぼーっと一人で夜空を眺めていると、
「……失礼します……よろしくお願いします……って、なにかドラマに出てくる、えっと、ホステス? キャバ嬢? さんみたいですね!」
はしゃぐように隣に入ってきたのは、しっかりと湯浴み着を着た優美だった。
「……いや、俺も行ったことないから分かんない……って、優美、そんなの見てるんだな」
「はい、もう二十歳の大人ですから、勉強にって思って」
そんなドラマを見て、一体なんの勉強になるというのだろう。
たしかに優美の歳は二十歳だが、童顔だから、どう見ても女子高生だ。
洗い立ての濡れた髪、ほんのりとシャンプーの香りが漂ってくる。
そして彼女も先程の美香同様、ピッタリと体を寄せてきた……湯船が狭いせいだが。
「……やっと、ツッチーさんと体を合わせることができました!」
「……いや、優美、誤解を招くからその表現は控えよう」
「そうですか? はい、分かりました……でも、嬉しいですっ!」
いつも通り、明るく元気だ……と思ったのだが、意外とそれ以上、会話が続かない。
「綺麗な星ですね……」
「ああ、そうだね……」
「……」
「……」
「……なんか、緊張します……」
「……ああ、うん……混浴なんて、俺も慣れていないし……」
「……」
「……」
なんだろう、この緊張感。
優美、実は先輩の指示で混浴させられているだけで、内心困っているんじゃないかと思って彼女の方を見ると……俺の方をじっと見ていたようで、目が合った。
すると恥ずかしそうに赤くなって下を向いた。
……メチャクチャかわいい。
俺の鼓動の跳ね上がり方は、さっきの美香を上回っていた。
「その……誰かに言われて、嫌々ながら今、俺の隣に座っている……なんてことはないよな?」
「えっ……はい、もちろんですっ! すっごく嬉しいですよっ! ただ、緊張してるだけです!」
慌てて笑顔を見せてくれる優美。うん、本当に無理矢理って訳じゃなさそうだ。
「……ツッチーさん、美香さんと、相変わらず仲、良いですよね……うらやましいです」
「うん、まあ……古い付き合いだしね。話も合うし、一緒にいて飽きない感じかな……」
俺はあえて、仲が良いことを否定しなかった。
「……そうですよね、お似合いだし……あの、一つ教えてください。その、すっごく失礼な質問ですし、答えにくいようだったら全然、そう言っていただければいいんですけど、あの……」
「何でも良いよ。答えられることは答えるから」
「……はい、じゃあ……あの……美香さんの好きなところ、どこですか?」
思ったよりストレートに聞いて来た……ぶっちゃけ、答えにくい。
しかし、彼女の質問は真剣なようだったので、俺も真剣に応えることにした。
「……えっと……そうだなあ、話しやすいところ、かな……あと、なんだかんだ言いながら、俺の事、心配してくれたり、励ましたり、時には慰めたりもしてくれる。俺の心情を汲んでくれるから、一緒にいて落ち着くし、安心できる……ずっと一緒にいたいって思える。そんなところかな……」
「……なるほど、そうなんですね……ちなみに、私と一緒じゃあ、ずっと一緒にいたいとは思えないですよね?」
「いや、そんなことないよ。今も、正直ドキドキしている……まるで、憧れているアイドルの女の子と一緒にいるみたいだ」
「えっ……そ、そうなんですか?」
優美の表情が、パッと明るくなった。
「ああ。優美の隣でこうしてくっついていられるなんて、本当に心がときめくような感じだ……」
「……そう、ですか? 嬉しいです……でも、あの……恋愛感情にはならないんですよね?」
「そうだなあ……憧れっていう感じで、恋愛じゃあないのかもしれないな……」
「……そうですか……」
優美は、明らかに落ち込んだようだった……ちょっと罪悪感があるが、きちんと本音を言っておこうと思った。
「……美香さんには、恋愛感情、あるんですよね?」
「……そうだな、何ていうか……お互い、いたわりあえるし、支えられる……このまま共に歩んでいきたい、苦労も一緒に乗り越えていきたい……そんな風に思わせてくれる、何かがあるんだ……なんだろう、うまく説明できないけど……それは、好きだっていう気持ち以上のものかもしれない」
「……なるほど……単に好きだっていうだけの、私の感情よりもっと深いんですね……私も、憧れてただけかもしれません……やっぱり、順番なんて関係なかったみたいですね……」
ズクン、と、何かが胸の中を走った。
優美は、本当に俺なんかに憧れを持っていてくれたのかもしれない……恋愛感情を持っていてくれたのかもしれない。
けれど、俺の中で側にいてもらいたい人は、別にいた。
そしてその事も、正直に告げた。
「……うん、これですっきりしました。やっぱり、お二人はお似合いです。私、二人の事、応援しますっ!」
優美は、とびきりの笑顔を見せてくれた……少しだけ涙ぐんでいるようにも見えて、それがまた、俺の心を揺さぶった。
「だから、ツッチーさん、美香さんの事、絶対に離さないようにしてくださいねっ!」
「ああ……頑張るよ」
「浮気なんかしたら、私も怒りますよっ!」
「ああ、そんなの絶対にしない」
「もし美香さんに逃げられたりしたら、それは絶対、ツッチーさんが悪いんですからねっ!」
「ああ、それはそうだろうな……」
「万一逃げられたときは、私が慰めてあげますからねっ!」
「ああ、ありがとう……って、えっ?」
イタズラっぽく笑う、優美がいた。
「……冗談ですよ。私も、吹っ切れたので、誰かいい人、捜します……あ、でもやっぱり、密かにチャンスをねらう小悪魔になるのもいいかも……だから、やっぱり完全に吹っ切るためにも、美香さんを大事にしてあげてくだいねっ!」
「ああ、もちろん」
どっちなんだよ、と思いながらも、こんな可愛くて、素直ないい子が、俺の事を慕っていてくれていたっていうことに、内心、感激していた。
その後、今日だけ、ということで、少しだけくっついて……最後に軽く抱き締められて、優美は戻っていった。
俺も出ようとしたが、彼女からまだ後ろを向いてはいけない、と言われて思いとどまった。
なんだろう、と思っていると、
「……失礼します、隣に入っていいですか?」
その言葉を聞いて、仰天してしまった。
「な……虹山さんっ、なんで……」
「あの子達に奨められて、断り切れなくて……瞳さんは最後がいいって言うので……それに、ちょうど良い機会かもしれません」
「いや、順番の問題じゃあなくて……ちょうど良い?」
「はい……土屋さんに、大事なお話があるのです」
社長秘書の虹山さんから、大事な話……
少なくとも告白ではないことは、すぐに理解できた。
※優美は土屋の性格と美香への思いを知って、嫌われたくないと引きましたが、本当に吹っ切れられるかどうかはまだ不透明です。




