混浴 その④ ワニとの対決!(前編、現実)
バーベキューの食材を買いそろえた俺達は、一人旅だという虹山さんも誘ってみたのだが、残念ながら彼女は旅館を予約していて、そこで食事が出るらしいので、そちらで食べる、ということだった。
その代わり、一つ有益な情報を教えてくれた。
この温泉、日が高いうちに入った方が、抜群の景色を堪能できるのだという。
ただし、『ワニ』と呼ばれる、混浴に入ってきた女性を覗くことを生き甲斐にしている、ようするに『スケベオヤジ』がいるので気を付けなければならない、ということだった。
この温泉、内湯は男女別に別れているので、単純に温泉に浸かるだけならまったく問題はない。ただし、露天風呂の部分は、途中まで柵があるものの、先端の方は繋がっていて、完全に混浴になるのだという。
ここの泉質は乳白色でやや濁っており、お湯に肩まで浸かっていれば見られる心配はないが、その代わりにバスタオルを巻いて入浴することはマナー違反とされている。
湯浴み着も、用意されていない。
そして幸か不幸か、絶景ポイントは仕切りの柵が完全になくなった、先端部分なのだという。
さすがにこの環境では、一人旅に慣れている虹山さんでも最先端部分に行くのは躊躇してしまっていたが、今日は俺がいるので、できれば隣に並んで、一緒に景色を見たい、というような事を言われてしまった。
この発言に衝撃を受けたのが、美香、優美、瞳の三人だ。
俺にとっては五歳ほど年上の女性から、混浴しながら一緒に景色を見て欲しい、との誘い。
虹山さんは純粋に雰囲気を味わいたいだけであって、他意がないことは明白なのだが、どういうわけか三人とも対抗意識を燃やして、
「私達もご一緒しますっ!」
と言って、引かないのだ。
俺は、別に混浴することが目的じゃなかったし、同僚女子達とそんなことになるなんて想像もしていなかったので、かなり困惑してしまう。
また、二十歳代、それも俺の連れはその前半なのだから、『ワニ』が群がってきてしまうから対策が必要、と、虹山さんは苦笑しながら忠告してくれた。
ちなみに、『ワニ』と言われる所以は、湯船から鼻と目から上だけを出して、エモノをじっと狙う様子が爬虫類のワニに似ているからなのだという。
想像するだけでキモい。
また、地元に住み着いているワニは、連携行動を取るようになっているという。
さすがにずっと湯に浸かっているとのぼせてしまうので、普段は館内の大広間などで、日光浴をしている爬虫類のワニのようにリラックスしているという。
ところが、若い女性が混浴にくる気配を誰か一人でも察知すると、その情報をあっというまに一斉配信して、みんな――場合によっては数十人単位――で、集団で風呂に入るらしい。
ただ、女性が混浴エリアに入るときは、比較的距離を置いて、景色を眺めているフリをしているという。
やがて女性が、濁ったお湯に安心して、がら空きの先端付近に近づいていくと、退路を絶つように集団で取り囲み、徐々に包囲網を狭めていくらしい。
といっても、ここで大声を上げられたりすると厄介なので、代表格の、比較的歳上の、いわば『おじいちゃん』が、ゆっくり近づき、
「どこからおいでになったのですかな?」
みたいなことを聞いて、フレンドリーな雰囲気を醸し出す。
女性陣が、おじいちゃんだから、とその相手をしていると、だんだんのぼせてくるのだが、退路の方向は別のワニたちが塞いでいて、その人数の多さもあって、
「帰るのでどいてください」
と言いにくい雰囲気となり、次第にどうすれば良いのか分からなくなってくる。
そのうちに我慢できなくなって、ややスペースが空いている……ただし、浅いので上半身が見えてしまうようなルートを、逃げるように足早に帰るはめになるのだという。
これは一例で、他にも彼等は、いくつも策略を練っているという話だ。
おそろしい奴等だ。
俺も、『ワニ』と呼ばれる者の存在は知っていたが、せいぜい、女性が入ってきたらガン見するエロじじい、ぐらいにしか思っていなかったが、その考えは甘かった。
高度な連携を取る、訓練された覗きのエキスパートだ。認識を改めねばなるまい。
すると、この話を聞いていた三人の女子は、急に怖がり始めた。
いかに俺がいるとは言っても、そんな精鋭のワニ数十人に囲まれて、果たして牽制になるのだろうか。
すると、虹山さんが、
「大丈夫ですよ。土屋さんならうってつけの、とってもいい作戦があります。私も協力しますよ」
と、ある奥義を教えてくれた。
しかし正直、こんなデタラメな作戦が上手くいくのか、俺としては半信半疑だったのだが、
「私が景色が見たいと言い出したことなので、もし上手くいかなかったら、私が責任を持って囮になります。そのあいだに女性の皆さんは帰れば問題ないですよ」
とまで言ってくれたので、その作戦を実施してみることにした。
それから、約三十分後。
俺が温泉に入ろうと脱衣所にいくと、ワラワラと中年以上の男性客が、更衣室に入ってきた。
その数、三十人以上。
どうやら、俺が複数の女性を連れていて、混浴するかもしれない、という情報が知れ渡っているようだった。
軍隊並に統制が取れている。ラノベのネタに十分なりそうだ。
彼女たちが混浴するかどうか、というのは、虹山さんによれば、雰囲気で分かるのだという。妙にドギマギしていたり、少し興奮していたり、そんな様子が伝わるのだろう。
そして、確かに景色の良さそうなポイントだけ、なぜか誰も人がいない。
みんな、チラチラと俺の方を見ている……どうやら、俺がそこに行くことを望んでいるらしい。
これは、俺がそこにいれば、連れの女性達もそこに集まるだろう、という長年の経験から身につけた策略なのだろう。
奥の内湯から、キャッキャ、ウフフという若い女性のトークが聞こえて来て、場に緊張が走る。
さらにいくつかチラチラ視線を感じた俺は、誘いに乗るように、その絶景ポイントへと向かった。
一人の中年男性が、ニヤリ、と笑みを浮かべたのが分かった。作戦通り、ということなのだろう。
そして、ついに美女、美少女たちが、柵の向こうから登場した。
肩まで白濁した湯に浸かり、完全に見えない事を何度も確認して、キョロキョロ、おどおど、ゆっくりと俺の方を目指して進んでくる。
虹山さんだけは、比較的堂々としていたが。
しかし、この状況でも、彼女たちを見つめる者は誰もおらず、ほんの一瞬、その位置を確認するように視線を動かすだけで、ほとんど景色を見ているようだった。
……っていうか、この中で、俺が一番挙動不審だ。
肩まで白濁した湯に浸かっているとはいえ、美香も、優美も、瞳も、虹山さんも、全員一糸まとわぬ全裸なのだ。
しかも、全員、相当な美形だ。
表情にこそほとんど出さないが、ワニたちは、『当たり』だと思っているに違いない。
俺は、近づいて来る彼女達に内心ドギマギしながら、虹山さんに忠告されたとおり、平常心を保っているように見せかけることにした。
程なく、全員俺の側にやって来た……正直、俺の鼓動はバクバク鳴っているのだが、さすがに湯の外にまでは聞こえていないだろう。
「……うわあ、本当にすごい……絶景、ですね……」
優美が第一声を上げた。
「本当……想像以上ね。来て良かった!」
これは美香。素直に喜んでいる。
「ずっと山が連なっているのが見える……素敵……」
瞳も満足げだ。
「……私も数回ここに来て、初めて見ました……これが、ガイドブックで絶賛されていた景色なんですね……」
虹山さんも感慨深げだ。
皆が言うとおり、滅多に見られないすばらしいシチュエーションだ。
確かにこれは、日が沈む前でないと見ることができない。
そして約十秒後、風呂の方に視線を戻すと、「肩まで湯に浸かりながら女性用通路に戻れるルート」は、既に完全にブロックされている状態に陣形が変化していた……恐るべし、ワニ軍団!
そして、事前の情報どおり、『おじいちゃん』が近づいてきた……ただし、俺に。
「どこからおいでになったのですかな?」
これは、カップルなどで入っている時は、男性に声をかける、というのがセオリーなのだという。そうやって安心させるのだ。
「……ええ、ちょっと近場からなんですけどね」
と、返したのだが、その爺さん、根掘り葉掘り、
「近場とはどこですかな?」
とか、
「女性の方々とは、どういうご関係ですが」
とか、しつこく聞いてくる。
そこで俺が、
「すみません、プライベートなことはちょっと……僕も彼女たちも、景色を見たがっていますので……」
と申し訳なさそうに断ると、その爺さんは去っていった……しかし、また別の男性……今度はやや強面の、がっしりした体格の者が近づいてきた。
怯える女子達。
その男性は、不気味な笑顔を浮かべて、女性達に質問をし始めた。
それを俺が遮ろうとすると、露骨に不快な表情を浮かべて、俺を睨み付けてきた。
ここで怯んではいけない、と、俺もにらみ返したその時、虹山さんが俺に向かって、こう進言した。
「若、本日はお忍びでいらっしゃっているのですから、面倒ごとは起こさないでください。そのために、あえて若い衆を入れなかったのですから」
実際に聞くまで、そんなばかげた言葉が通用するのかと思っていたのだが、本物の社長秘書が放つその一言に、ワニ達全員が動揺したのが分かった。
※次回もこの続きです。
※なお、今回の温泉は架空のものであり、これほどの(連携された)ワニは、そうそう存在しないと考えられますので、過剰に怖がる必要はないと思われます。




