月下の二人 (現実)
※今回も土屋視点の現実世界、前回の続きとなります。
「……結婚……俺と?」
美香が言った言葉が、にわかには理解できなかった。
「うん。そう……嫌?」
「……嫌じゃないけど……」
「本当!?」
美香の表情が、ぱっと明るくなった。
「いや、ちょっと待て……」
俺は喜ぶ彼女に対して、右手をかざして制止した。
「美香、かなり酔っているだろう?」
「……うん、酔ってるよ」
「お前といい、優美といい……急に結婚話を持ちかけてくるなんて、おかしい……何かあったのか?」
「……うん、あった」
「やっぱり……何があったんだ?」
「えっと……ツッチー、まだ気付いてないよね?」
「……何に?」
「だったら、秘密」
ニコニコと微笑んでいる美香。どうも要領を得ない。
「……俺とおまえ、付き合ってるわけじゃないよな?」
「うん、付き合うとか、あんまり考えた事もないね」
「それなのに、結婚って、おかしいだろう?」
「あははっ、確かに、順番、飛ばしちゃってるね……」
そして美香は、優美と二人が『こうなった』経緯を、簡単に説明してくれた。
この日の午前中、クレーマーを撃退した後、祝勝会の約束をして一旦、解散したのだが、美香と優美の二人は『何か』に気付いたらしく、二人で喫茶店に行き、その『何か』について話し合いをしたのだという。
その結果、俺には隠れた『すごい才能』と『すごい人脈』が存在する反面、『負のオーラ』とでもいうべき、世の中を怨んでいるような悪い感情が潜んでいる、という結論に達したらしい。
才能と人脈に心当たりはないが、『負のオーラ』は、まあ、自覚している。
その『負のオーラ』を払拭するには、職場環境がずっと良くなるか、あるいは、幸せな結婚でもするしかない、という話の展開となり、なぜか二人の間に競争心が芽生えたのだという。
そこで、抜け駆けはなしで、どちらが先に、俺に『結婚してもいい』と言わせるか、正々堂々と競うことになったらしい。
「……ちょっと待て。じゃあ、俺って……単に二人の競争の道具みたいなものか?」
「そんな、道具ってわけじゃないよ。これでも二人とも、真剣に考えたんだから……でもまあ、さすがに優美ちゃん、お酒飲んでないと言えなかったみたいだけど」
「……なるほど、それで酔って意識朦朧となって、あれだけ俺に絡んできたのか……」
「そんな、絡んだなんて言ったら可哀想よ。甘えてきた、ぐらいにしてあげればいいのに」
「……まあ、それはそれでいいとして、結局、おまえが最終的に、さっき結婚なんて言葉を口にした理由は、やっぱり酔ってるから?」
「えっと、先に優美ちゃんが結婚話切り出したから、私が言っても、抜け駆けにはならないなって思ったの」
「……いや、なんか論点がずれてる……どっちが先か、抜け駆けか、っていう問題じゃないだろう……」
なんか少し、頭が痛くなってきた。
「まあ、私も、さすがにそんなにすぐ結婚なんて決断できるとは思ってないから。例えば、『三十五歳までにお互い相手がいなかったら』とかでもいいんじゃないかな?」
「……うん、まあ……それならいいかもしれないな……」
まだ十年以上も先の話になるし、お互い、別の誰かと結婚する可能性だって残される。
ただ、なぜか美香は
「……やっぱり、こんなものかな……」
と、やや不満そうに呟いたが。
「……あ、あと、もう一つ、私と優美ちゃんの間でツッチー、評価されてたことがあったよ。ツッチーは今、『勇者の卵』みたいな感じだって」
「勇者の卵?」
「うん、そう。すごく素質があるのに、殻を破り切れていない、前に出て戦う事を躊躇している。でも、何かきっかけがあれば、それを破れて勇者になれる。そんな感じ」
……俺は、それを聞いて、自分が書いているファンタジー小説を思い出した。
主人公のヒロ――これは自分を重ね合わせている――は、最初、『勇者候補』だった。
それが、戦いを重ね、敵を倒していくうちに、いつの間にか真の『勇者』になっていた。
彼は自分と違い、戦いにおいて常に前面に立ち、あるいは指揮を執り、仲間を引っ張って行く存在だ。俺の憧れた姿でもある。
それに対して、今の自分はどうだろうか。
目の前で起こっている問題に対して出来る事と言えば、創作の世界で、気に入らない相手を面白おかしく登場させて、主人公達にひねり潰させているだけではないか。
偶然にも、職場で起きている似たような事例は、小説内で敵キャラとして退治したあとに、なぜか自分が何もしていなくても解決していたが、それがずっと続くとは到底思えない。
現実の問題は、自分が動いて、自分で解決しないといけないのだ――。
あたりまえの、そんな事に、今更ながら気付いたとき、俺は、まるで雷に打たれたかのように衝撃を受けた。
「……ツッチー、どうしたの?」
美香が、不思議そうに俺の顔をのぞき込んできた。
そして、彼女は、そんな情けない俺の中に、『勇者』の影を見いだしてくれているという。
俺は、決めた。
「……美香、さっきの……『三十五歳までにお互い相手がいなかったら』っていうのの他に、もう一つ、条件を追加していいか?」
「……もう一つ? どんな内容?」
「俺が、『勇者』になったら……具体的に言えば、『備前専務と戦って、勝つことができたら』結婚してくれないか?」
「えっ……備前専務と、戦う? それって、凄く危なくない?」
「ああ……負ければ、会社にいられないだろうな……でも、いいんだ。あいつに悪い意味で目を付けられたまま、ずっと苦しみながら今の職場に留まるぐらいなら、辞めた方がマシだ。俺は絶対に間違ったことをしていない……その事を証明して、一矢報いたいんだ」
「……でも、それって、勝算あるの? そもそも、勝ちってどういう事なの?」
「勝ちは……そうだな、あいつを屈服させて、元の開発職に戻ることができれば、勝ちって言えるかな。勝算はほとんど、ないな……負けて無職になったら、結婚どころじゃなくなるだろう? だから、『勝ったら結婚』なんだ……何ヶ月、何年かかるか分からないけど」
「……そっか、本気なんだね……殻、破り始めたね……」
美香は、心配そうな、それでいて嬉しそうな、微妙な表情になっていた。
「……うん、いいよ。ツッチーがそう決めたのなら、私も応援するし、協力する。勝ったら結婚、だね」
そう言いながら笑顔を見せる美香のことが、たまらなく愛おしく思えて……俺は思わず、彼女のことを抱き締めた。
「……ちょっと、ツッチー、まだ早いよ……」
彼女は、困惑している。
「美香、前から言ってたよな……付き合うなら、自分をぐいぐい引っ張ってくれるような男がいいって」
「……言ってたね」
「だったら……俺はそういう男になるよ。美香のこと、引っ張っていきたい。そのぐらいじゃなきゃ、あの専務には勝てないし、結婚だってできない」
「……どうしたの、何かスイッチが入ったの?」
「入れたの、美香だろう?」
俺のその言葉に、今度は美香の方から俺の体に両手を回して、抱きついて来た。
「……本気で、そう言ってくれるんだね……うん、分かった。だったら、私は……ツッチーのこと、全力で支えます……」
――俺達は、そのまましばらく抱き合い……一旦、体を離して、互いに見つめ合った。
美香は、相変わらず笑顔で……しかし、涙を浮かべていた。
そして俺達は、月明かりの下、初めて唇を重ねた――。
※現実での戦いを決意した土屋ですが、作家デビューの夢もあり、投稿は続けられます。
※この状況でも、まだ社長や、美香を含む同僚が、自分の小説を読んでいるとは思っていません。
※引き続き、評価やブクマ登録、感想などを頂けますと、ヒロインや同僚社員一同と共に大喜びいたします。




