卵が先か鶏が先か
卵が先か鶏が先か
卵が無ければ鶏は生まれない、鶏が居なければ卵は生まれない
ではどちらが先にできたのかは永遠の論争の種である。
科学者は言った。
この問題は鶏の遺伝子を持った生き物がいつ発生したかを考えれば簡単だ。
例えば鶏ではない鳥Aと交配可能な鳥Bが居たとしよう。
AとBが交雑し、CというAとB両方の遺伝子を受け継いだ雑種の鳥が誕生する。
雑種のC同士が何代にもわたって交配されると、Cと言う鳥が新しい種として定着する。
このCと言う鳥が鶏だ。
他にも突然変異で説明してもいいし、その他の原因で鶏の遺伝子を持つ鳥ができる事もあるだろう。
どの経路をたどるにせよ、後天的に鶏ができるのではなく、先天的に鶏の遺伝子を内包した卵が鶏になる。
すなわち卵が先なのだ。
牧師は言った。
その答えが知りたければ聖書を読み解きなさい。
神はこの世界を創り、そしてすべての生き物をお創りになられました。
犬は犬として、人は人として、鶏は鶏として。
何年、何千年経とうとも猿が猿のままであるように、他のものが鶏になどなりようが無いのです。
なぜなら神は鶏は鶏としてお創りになられたのですから。
神は決して燕を鶏としてお創りになられることは無いのです。
すなわち鶏が先なのです。
哲学者は言った
何を『鶏』と定義するかによる。
鶏とそうでないものの境目がどこににあるのかはとてもあいまいな物なのだ。
たとえばダチョウを見て世界中の人が「これは鶏です。」と言ったとしよう。
果たしてその鳥は鶏なのだろうか、ダチョウなのだろうか。
生物学的にはダチョウと分類されていても、社会通念上その鳥は鶏なのだ。
ならば卵の視点から考えてみよう。
ここに今朝生まれた卵がある。もちろんこれは鶏小屋から持ってきた卵だが、これは本当に鶏の卵なのだろうか。
カッコウのように他の鳥が托卵した可能性は?こっそり誰かが別の生き物の卵をしのばせた可能性は?これが卵の様な形をした石だとしたら?
実際に卵が孵ってみなければこれが鶏の卵であることはわからない。
それどころか、卵が孵ってヒヨコが出て来たとしても、それがヒヨコに似た別の生き物である可能性がある以上まだ安心はできないのだ。
ヒヨコが成長し、鶏になって初めてそれが鶏だったと認められるのか?
否、その鶏が鶏そっくりのロボットだったり、外見が同じだけの新種の生き物ではないと誰が言いきれよう。
そもそも鶏とは何なのだ、鶏という概念が社会全体に(この後8時間ほど鶏とは何かを論じ続けたのでカットされました。)
コメディアンは言った。
まずその問題を解決するためには何をもって『鶏』とするかによるね。
頭の上に真っ赤なトサカがあるのを鶏だとしよう。
そうすると、ウチの2ブロック先に住んでるモヒカンを真っ赤に染めたパンク野郎も鶏って事になるが、そいつが言うには俺は鶏野郎じゃねぇとさ。
じゃあ飛べない鳥が鶏なのかって?馬鹿を言っちゃあいけない。
揚げた鶏は立派に飛んで(フライ・fly)いるじゃあないか。
どっちが先かなんて考える前に今を楽しもうぜ。