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前編



1、



「ただいま」


 マサルは仕事を終え、環状線で家路を辿り、自宅に着いたのは、夜九時を回っていた。玄関で靴を脱いぐと、部屋の奥からヘアバンドで髪をまとめた、おデコ丸出しのアケミが出てくる。


「お帰りまーちゃん。あ、今ご飯温めるね」


 アケミはキッチンに行って、夕食を温める。


「まだ食べてなかったの? 先に食べてて良かったのに」


「いいんだよん。ひとりで食べるの美味しくないしー」


 テーブルを見やると、そこにはクレヨンとイラストが描かれた画用紙が散乱していた。


「ねえねえ、アケミ。これ何?」


「ひひっ、絵本描いてるの。どう? 可愛いでしょ」


 アケミは得意そうに、長いスカートを翻しながら、くるくるとターンしてみせる。画用紙には、なんだか可愛らしい生物が描かれていた。どうもハチのようである。


「おい、危ないから、そんなに体動かすなって」


「えー、しょうがないじゃん。まーちゃんが帰ってくるの一日楽しみに待ってたんだよ」


「このハチみたいなのは?」


「うーん。名前まだ決めてなかったんだけれども、今思いつきましたー。天から降ってきましたー。ハッチ。ミツバチハッチ」


「パクリじゃん」


 マサルの親の世代にテレビでやっていた、昆虫物語みなしごハッチを連想させる名前のわりに、絵は全然似ていないなかった。案の定マサルは笑ってしまっていた。


「パクリもんだから、ハッチじゃなくてパッチだな」


「じゃあ、パッチに決まり。パッチにはトゲがあるけど、優しいから刺さないの」


 ふーん。マサルはクレヨンをもち、自分も描いてみるが、ミツバチとは難しいものである。なんだか歪になって、途中で路線を変更。最初に引いた歪な線が功を奏して、なんとかそれっぽいものが完成した。


「完成。えーと、この生き物はなんだろう」


「まーちゃん。自分で描いたのにウケる。なんかトゲだらけでハリネズミっぽいから、ハリネズミのポッチ。一人ぼっちのポッチにしよう」


 これがミツバチのパッチと、ハリネズミのポッチのものがたりの始まりである。




2、  



 タタン、タタタン。タタン、タン。


 和太鼓のような、洋太鼓のような、心臓の鼓動の表裏を、縦横無尽に行き来する粋で軽快なビーツに、妖精たちは輪になって踊っていた。


 そのリズムに合わせて流るる縦笛の旋律は、あくまでも陽気で明るく、妖精を音に酔わし、お祭り騒ぎに花を添える。


 マサルとアケミの部屋の玄関下駄箱付近。人はいないが、何は無くとも妖精はいて、人間には視えないその宴は、新たな仲間の誕生を祝っている。


 少し離れた場所から、それをぽつりと一匹で眺めるハリネズミがいた。


 仲間の誕生……妖精という意味では、彼も仲間と呼ぶのかもしれない。広義では同じ種族である。しかしだ。結局のところ、ハリネズミに狭義での仲間などいないのである。何故ならば、彼にとって恥ずかしい話ではあるが、そもそもトゲだらけのハリネズミは、嫌われもので、厄介者で、誰からも必要とされていないのだから。



 中央にはピンクと水色のラインの入った、シマシマ模様の卵があり、それを取り囲み「ひやっふー」と踊り狂う妖精たち。


『番組をご覧の皆さま。ご覧ください。ついに……ついに念願のパッチの誕生の瞬間です』


 興奮するテレビリポーター。あんまし興味のないハリネズミは、一人屋台で買ったドリンクを飲みながら、それを見守る。


 その卵にはハリネズミが居候しているアパートに住む、アケミとマサルと希望が詰まっているのだ。だからハリネズミが見届けないわけには、いかないのだ。まったく掟とは時に面倒臭さいものであると、ハリネズミは思った。


 妖精たちの踊りを、少し遠くからボッーと眺めるハリネズミ。 


 棘ならばあった。茨のように。身体にも、こころにも。


 身体中トゲだらけのハリネズミで、トゲを柔らかくするのを苦手な彼は、触れたもの全てを傷つけた。そう、彼は、ひとりぼっちのポッチである。


 だからこんな風にみんなに祝福されて生まれてくる、このパッチなるものとなんか、絶対関わりたくなかった。ポッチは別に羨ましくなんかない。妬んでもいない。嫌ってもいない。ただ、棘だらけの体が触れてしまったら、こんなにも、みんなに大切にされて、今まさに生まれようとしているパッチなるものを傷つけてしまう。触れたもの全てを傷つけてしまう。


 その場にいた妖精たちは、いよいよ鎮まり返り、全員が息を飲む。


 カラフルなマーブル模様の卵の殻を突き破って、細い腕がニョキッと飛び出て、小さな可愛い女の子が出てきた。ミツバチの妖精パッチである。


 眠そうな目を擦りながら、生まれたばかりの妖精は「おはようなの」と一言。捲き起こる感動の拍手。


 ああ、そういうノリなのね。ハリネズミのポッチはそう思った。


「さてと」


 つまらない催しも終わり、ポッチはジュースを屑篭に捨て、押入れにコッソリこさえた自分の部屋に戻ろうと、歩き出す。




3、




 小さな頃からドジだったマサルは、仕事を上手にできなかった。だけれど、頑張って頑張って少しずつ重要な仕事を任されるようになっていった。


 夜はどんどん遅くて、アケミは毎日マサルを起きて待っていた。


「お帰り」


「起きてまってなくていいよ。先に寝てていいから」


「だってさ、まーちゃんが帰ってくるのだけが楽しみなんだもん」


 もう午前を回っていたが、マサルは風呂に入って、アケミの作った夕食を食べた。そして、たわいも無いお喋りをした。今日仕事で何があったのか、アケミの絵本がどこまで書けたのか、そして暫くお喋りした後、自然にマサルは寝てしまった。


 一日中楽しみにして、僅かな時間しかお喋りできなかった。アケミはとても寂しいかったが、首を振ってベッドに横たわるマサルに布団を掛けた。


「ありがとう。一日絵描いて遊んでてごめんね。遅くまでご苦労様」


 夜は人を不安にさせる。ここのところアケミは毎日気分が優れないし、食べ物も殆ど受け付けない。夜は考えなくても良いことを、考えてしまう。不安になってしまう。こんな寂しい夜が一生続くのかと、思ってしまう。


 いつかマサルに置き去りにされてしまうのではないか。そればかり考えてしまう。


 窓の外は月明かり。空は晴れていた。一口飲みこんだ飲み物と思いは、タンポポの香りがした。星空を見る。外に行きたい。自由に羽ばたきたいと、アケミは流れ星に願った。もっと願うべきことは、沢山有る筈なのにである。




 翌朝、マサルはアケミを起こさないように、仕事に出掛けた。それが思いやりであることは、重々承知していたが、なんだか起きれない自分が悲しかった。


 今日も誰と話すこともなく、アケミは画用紙にクレヨンを走らす。


 少し横長の大小の丸を三つ。そこに触角を描いてリボンを付ける。つぶらな瞳に小さな羽根。ハート模様のお尻と少し膨らんだお腹。ミツバチのパッチの感性である。


「パッチは羽根あるから飛ぶの?」


 そんなアケミの寂しい独り言に、『ぶーんって、飛ぶよ〜。ミツバチだけに〜』と、描いたイラストから返事が返ってきた。




4、


 



 外へ出ていたハリネズミのポッチがマサルたちの部屋に帰ると、あたり前ではあるがアケミがいて、何度も正体不明の独り言を発しながら、頭を抱え、時に足をジタバタさせながら画用紙に絵を描いていた。大方、絵本のストーリーに詰まっているのであろう。


 お疲れ様。よく頑張ってるね。早く絵本を完成させてね。


 アケミに気付かれないよう、クローゼットを開け、マサルが以前レゴのブロックで造ったお城に戻る。これがポッチの自室である。こっそり勝手に電気と水道を通したことをポッチは秘密にしている。


 しかしポッチは自室に帰ってみて唖然とした。なんとお城の城門には『パッチのお弁当屋さん』と大きな看板が掛かっているではないか。兎に角、ポッチは扉を開いた。するとエプロンをつけた少女が彼を出迎える。


「おかえり~。早かったねぇ~。あ、今日からここでお弁当屋さんを開くことになったから。あちきはパッチだよ~」


 先日皆に祝福され生まれたミツバチの妖精であった。どうせこんなことであろうとポッチは予想はしていた。彼女はアケミとマサルの希望で生まれたのであるから、或いは、もしかしたら、ここに来るかもしれないと思っていた。


 しかしだ! ポッチは何を突っ込んで良いのかわからなかった。自分の方が先にここへ住みついていたのに、勝手にここで店を開くなんて、なんて面倒くさいやつだ、そう思った。優雅な一人暮らしに土足で踏み込んできたことを怒ったが、パッチは話を聞かずテキパキと店をブロックで作っていく。


 前途多難であった。ハリネズミのポッチはため息を吐いた。


「ぼくはポッチ。一人ぼっちのポッチ。ぼくが先に住んでるんだから、勝手なことしないでよ」


「ふーん。そっかじゃあこれからは、一人じゃなくて、二人ぼっちだね」






 優れた妖精の朝は早い。


「ほら~、ポッチ起きてよ。腕によりを掛けて朝ご飯作ったからさ~」


「ごめん。ぼく昼まで寝る主義なんだ。ハリネズミは夜行性なんだよね」


 ミツバチは、ハリネズミの眠るベッドに乗り、彼の鳩尾を、足の裏で踏みつける。ポッチはハリネズミなのにカエルちゃんみたいな呻き声を上げてしまう。


「開店セールで忙しくなるから、早くおきておくれよ~」


「え? 何? ぼくもお弁当屋さんやるの?」


「あったりまえじゃん。生まれたばかりのあちきに一人でお店やれっていうのかい? それでも男? あ、そっかポッチは男じゃないね。そうそう、妖精には性別なんてありませんから~が口癖だったね」


「お前、性格悪いな。勝手にぼくの口癖作んなってば」


 ポッチは渋々体を起こして、ブロックでできたダイニングテーブルの横に建てつけられた椅子に腰掛ける。彼女が用意した激甘の蜂蜜料理を食べる。


「日本暮らしが長いんで、朝は味噌汁と焼き魚がいいんですけど」


「はいはい、文句言わない」


「夕食はぼくが作るからな」


「いーねー。期待してる」


 ポッチやれやれとため息をひとつ。顔を洗面で洗い、歯を磨き、パッチの用意したハートのエプロンに着替え、開店前にメニューについて教わる。先ほどの蜂蜜料理を見た限り、ポッチは嫌われものの自分がキッチン。それを店頭で売るのがパッチが適材適所と判断した。


 メニューは四種類。卵焼き弁当とウインナー弁当と唐揚げ弁当。それにパッチの作った蜂蜜弁当である。


 もちろん蜂蜜弁当は売れなかったから、ポッチがこっそり食べて売れたことにした。


 ねぇ、パッチ。ぽくはこれまで生きて、それでも誰も信じられず、これからも信じない。それでもいいのかい?



 ねぇ、ポッチ。あちきはやっと生まれて、それでも明日を信じられず、これからも信じない。あなたとあちき表と裏。似たもの同士だね。まるで光と影のように。





 日曜日、マサルは疲れた体に鞭打って早起きする。家にずっといるアケミをどこかに連れて行ってやろうと。


 ひときわ大きな公園は、大きな池があって、料金を払えば手漕ぎボートを貸して貰えるが、万が一を考え、散歩するだけにする。


「アケミは絵本作家だから、いい景色とか好きかと思って」


「うん。ありがとう。あそこの出店でアイス食べたいなー」


「いいよ。買ってくる。何がいい?」


「チョコミントか……やっぱ蜂蜜」


「蜂蜜?」


「あれ? なんか声聴こえた気がして」


 マサルがアイスクリームを買いに背中を向けると、「ねえ」とアケミに呼び止められる。


「わたしね、この頃、凄く怖いんだ」


 アケミは自分のお腹を押さえながら言った。マサルは自分もどうしていいのかわからなかったが、アケミを不安にさせたくなかったので、「大丈夫だよ」とアケミの髪を撫でる。



6、




 ポッチはハリネズミなので、その棘でパッチの作ったハートのエプロンは直ぐにボロボロになってしまう。


 その度にパッチが直してくれる。


「パッチワーク」


「それ言いたかっただけだろ。お前」 


 二人が弁当屋を始めて、店は直ぐに軌道に乗った。ハリネズミは料理の才を発揮し、そのふわふわの卵焼きの味は、妖精界隈の口コミで徐々に広がり、売り上げは伸びていく。そして何より看板娘が可愛いと、リピーターが続出したのだ。蜂蜜弁当は相も変わらず売れなかったが、ハリネズミがこっそりと食べた。


「ポッチ~。片栗粉と卵、切れちゃったから、買ってくるねー」


「えー、店番嫌だよ。ぼくが行くよ」


 嫌われものが店頭に立ったら、売れるものも売れなくなる。


「ポッチ。バカ。あちきの体をよく見て」


 そう言われたので、ハリネズミはミツバチの体を頭から爪先まで見る。つぶらな瞳、整っているが性格の悪そうな口元、凹凸の少ない幼児体型、病的に細い手足。


「ね?」


「ああ、確かに無いよね。胸が……」


 言うと同時にハリネズミはグーで殴られた。


「違うわ~! アホなの? ねえ、アホなの? よく見て。ポッチには無くて、あちきに有るもの」


 ハリネズミは今一度、彼女を見る。ああ、なるほど。確かに。


「そう、あちきは羽根が有るのさ。ミツバチだからね。鳥と違ってホバーリングできるんだよ。凄いでしょ」


 そう言って口で「ぶ〜ん」と言いながら飛んでみせる。


「行ってらっしゃい。気をつけて」


 一人になったハリネズミは、昼下がりでお客さんが来ないので、考え事をしてしまう。


 パッチは妊婦の妖精である。寿命は凡そ十月十日ほどだ。アケミのお腹の子が無事に産まれようが、例え流産しようが、どちらにしてもパッチは消えてしまう。


『ねぇ、ポッチ。あちきはやっと生まれて、それでも明日を信じられず、これからも信じない。あなたとあちき表と裏。似たもの同士だね。まるで光と影のように』


 ポッチの脳裏にあの日の言葉が何度もリピートする。




7、




 その日は雨が降っていた。アケミはこのばちりぱちりと鳴るこのアパート独特の雨音が好きだった。


 なんと無く感が冴えて天気予報では曇りであったが、マサルに傘を持たせたので、「でかした。わたし」と、一人ご満悦であった。


 最近では、次第に大きくなる自分のお腹に、命が宿っている実感が少しだけ涌いてきた。


 変化はそれだけでは無い。食欲も戻ってきたし、戻してしまうことも減ってきた。先の見えない不安は、消えないけれど、体調が安定すると気分もマシになるものである。そうアケミは感じていた。


 




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