夜の散歩と黒い小道
東鳴は25回目の誕生日が終わる瞬間を独りで迎えた。右手にはロック割りの焼酎が1/3程容積を埋めているグラスが握られ、口につまみの辛味するめを咥えながら、カレンダーを見る。その目は特別の感慨を映さない。誕生日が他の日と異なる特別な日だと感じていたのは、いつまでだったか。自分の過去に回想が及びかけて、それが自分の現状への現実的考察への呼び水になることに先回りして気づく。回想からすら逃避している自分のみっともなさから生じる苦々しい気分を焼酎でのどの奥へ流す。昨日買った安物の焼酎のボトルが底をついた。
「くそっ・・・・・・飲みすぎだろ」
最近では独り言以外で言葉を発することがない。声が酒で枯れている。それでも鳴はまだ酔っていなかった。このままでは眠れない。最近は酔いつぶれるまでいかないと、眠れない。酔いが薄いとどうしても頭が現実に考察を運び、不安が湧き出て止まらなくなるのだ。鳴は近所のコンビニへと焼酎なりウィスキーを求めて部屋を出た。
暦は9月。残暑は少しずつ治まり、蝉に替わって、秋の虫の声が台頭し始めている。涼しげなその声と、実際に肌に当たる風の爽やかさは、普通なら癒しをもたらすことだろう。しかし鳴には、今年の夏を結局引篭もり続けて過ごしてしまったことを突きつけられているのだと感じられた。背中が寒くなり、怖気が足先から込みあがってくる。
酒にこの不安を消してもらう。それだけが鳴にできることだった。この生活の先に地味で暗い破綻が待っているとわかってはいても、鳴の心に現実と闘う火が、かつてのように、巻き上がることはない。死にたくはない、だが生きていたくもない、死ぬのは怖い、現実と向き合うのも怖い。生まれたくなかった。生まれたことが誤りだったのだ。自分の両親に見苦しく責任転嫁して、なんとか現状を正当化する。
そんなことをくさくさ考えながら、鳴はコンビニへ向かう。その鳴の視界に見覚えのない小道が入る。鳴が今の部屋に入ったのは2年と半年前だ。流石にあたりの地理は頭に入っている。しかし、いま鳴の目の前にぽっかり開けた小道には見覚えがなかった。
鳴が、地元都会の大学の院でなく、田舎の大学院に進学したのは、この田舎のノスタルジックな風情が気に入ったからである。元気だった頃は、暇を見つけて辺りの魅惑的な小道に入り込んでは、道に迷って「ここどこだぁ?」なんて笑いながら、自転車を漕いだものだった。鳴に見覚えのない、こんなにも奥ゆかしい小道があるはずがない。しかし、その小道はほろ酔いとノイローゼ気味の頭が作り出した幻影とは思えない。
小道に入り込みたい衝動は、鳴の心にかつての冒険心を爆発させるに至らない。どうせ何もない暗がりに続くなり、知ってる道につながっておしまいなのだ。鳴の優先事項が酒であることに変化は起こらず、コンビニへ歩を進めた。ウィスキーと冷凍ピザを買って、折り返す。帰り際、鳴が例の小道を探してみる。小道は勿論さっきと同じ場所に口を空けていた。小道があったことに妙な安心を感じ、鳴はウィスキーの瓶を開けながら小道にふらふら入り込む。
小道は舗装されておらず、露に湿った丈の短い草がところどころに生えて涼やかな道だった。鳴が一歩進むごとに、初めて土が踏みしめられるようにゆっくり沈む。これはひょっとして人の家の入り口なのではないかと目を凝らすが、真っ暗で小道の表面以外の情報が得られない。静かであることに免罪符をもらって鳴は久々に込みあがる好奇心に任せて進んでいく。
20歩ほど進んだところ、小道の先を見失った。えっと驚いて顔を上げると、まるきり真っ暗になっていた。視界がまるで利かない、プラネタリウム前のような本当の真っ暗だった。田舎の道には時折、異常に闇が濃くなる箇所が生まれる。越して2年と半年で、鳴はそのような箇所をいくらか見てきたが、ここまで真っ暗なのは初めてといってよかった。ひとしきり感動して、これ以上は危ないと踵を返す。
小道を辿って、やや明るい方へと歩いてゆく。鳴の心には久しぶりの感慨が湧き上がっていた。冒険じみた小道探索にうきうきする自分を久しぶりに見つけて、心が和らぐ。しかし、鳴の感想はポジティブなピリオドを打たない。その感慨を久しく忘れていたこと、同時に失った現実と向き合う強さ、自分の失ったものの大きさに空虚な挫折と罪悪感が押し寄せる。機械的にウィスキーを喉に流し込んで、40度のアルコールが喉を焼く痛みで罪悪感に返事をする。
――この人生はいつ終わるのだろう
ありきたりな厭世の言葉を頭で反復する鳴が小道を抜けて目にしたのは、見覚えのない草原、だった。