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紅と黒の不機嫌




  ビュッ、ガキンッ、ガタン!


カルドが銀色の光を放ち、風を切り裂く。切りたいのは、風じゃない。

パグ・ナウの三つの爪は、蝋燭立てを弾く。もう一度振ったカルドは本棚を壊すだけだ。切りたい肌は切れない。


「くひゃひゃひゃひゃひゃっ!」


 黒の殺戮者の哄笑が響き渡る。

笑うほど余裕があるのも、切り裂けないのも、むかつく。

ソファを引っくり返しても、食事中の吸血鬼の邪魔をしても、本棚を倒しても、止まらず殺しにかかる。

黒の集団は、止めるどころが避難した。二日酔いで青ざめていた二人も、口をあんぐりと開いて見ている。暇があるならその口を足で閉じてやりたい。

優先するはこのしつけぇ野郎を殺すこと。

ナヤとカロライは非戦闘員。壁と同化して存在を消していた。

アイスピックはなんか騒いでたからどさくさに紛れて蹴り飛ばす。

それを軸にコクウに飛んでカルドを振った。俊敏なくせにギリギリでコクウはかわす。

あたしはパーカーの下からナイフを出して、それを投げる。

コクウは目にも止まらぬ速さで避けた。

ナイフはカカカカッとレネメンの頭上の壁に突き刺さる。

目にも止まらぬ速さなのは知っているさ。今この瞬間でも彼はあたしを取り押さえることができる。

それをしないことを、絶対に後悔させてやるわ。

速いのは承知。

ここはあたしの得意フィールド。狭ければ狭いほど、動きやすい。

障害物があればあるほど、有利だ。


  ガッ、バシュッ!


爪で床に落ちる本を突き刺し、ぶん投げる。ページを裂き撒き散らす。

反対側に素早く飛び込み、こっちでも本を切り裂き撒き散らす。

刹那だけ、部屋中の空中に紙切れが舞う。

ドリップの死体の上に立つコクウはあたしの意図がわからず、きょとんと足を止めた。

そこにナイフを放つ。そこだけじゃない。コクウが向かうであろう方にも続けて放つ。

壁に貼り付いていたナヤとカロライの顔の横に突き刺さる。……当たってもあたしのせいじゃないんだから。


  カサカサカサ。


予想通り、コクウはナイフを放った方に避けていった。ナイフは突き刺さらない。それも予想通り。

そして予想通りならば、今だ。

後ろに向けて、カルドを振り上げる。


  ブシュッ!!!


血渋きが上がった。血があたしの顔に飛び散る。ニヤッとあたしはざまーみろと笑みを向けた。

狙いは首だったが、まぁいい。黒の殺戮者の右手首を切り落とせた。驚いている隙に、首を。

裂こうと左手を振り上げようとしたが、その腕をがしりと掴まれた。

目を向ければ、あの吸血鬼。


「フーン、アンタが紅色の黒猫? 仲間に入る予定のメス?」


 冷めた眼で吸血鬼はあたしの顔を品定めするかのように視る。


「せっかくのハーレムがぶち壊しじゃない」

「……は?」


 間抜けな声を出してその吸血鬼を見た。吸血鬼はどいつも人形みたいに整った顔立ちで、ぞっとするような美しさを持っている。彼も例外ではない。

 ハーレム? ハーレムって……黒の集団のこと? あ? どうゆう意味?


「ほら、コクウ」


 その吸血鬼は服を掴んであたしの肩を晒した。それだけでその意味はわかる。

コクウは当然のように顔を近付けて、牙を晒す。

怪我した吸血鬼は人間の血を飲めば、回復をするのだ。

 ふ・ざ・け・ん・なっ!!

あたしはコクウの顎に下から蹴りを喰らわせてやった。見事命中。


「ざけんなっ!! 次あたしを噛んだら、てめぇを噛み殺してやるからなっ!!!」

「……椿ならやりかねない」


 コクウはしょげた顔をして自分の右手を拾い、殺し屋三人に目を向けた。

三人はぎょっとして青ざめる。

それから目を逸らした。

黒の殺戮者、仲間に献血を断られる。


「……やる、やるよ、ほら」


 仲間に見捨てられたコクウが憐れに思い、左手を差し出す。

仲間に尽くすのに報われない。……憐れすぎる。

 パッとコクウは目を輝かせてあたしの左手首に噛み付いて血を飲んだ。

コロッと表情が極端に変わるのも、どうして似てるんだろうか。否、どうして同じなんだろう。


「…………もういいだろっ!」


 手首が完全にくっついても血を飲み続けるコクウの頭をぶん殴り離す。止血しようとポケットを探ったがハンカチ忘れた。


「ほら、貸せ」

「ん、ありがとう。レネメン」


 まぁいいや、と思ったがレネメンが後ろから来てハンカチを出して手首に巻いてくれる。このハンカチはマジックに使ったやつかなぁ。


「てめー黒すけ。あたしの獲物を殺して、情報が引き出せないじゃねぇかよ」

「聞いてたのと感じが違う」

「今機嫌が悪いから」

「あーなるほど」

「おい、聞いてんのかコクウ」


 青筋が立つ。

のほほんとコクウはもう一人の吸血鬼と話をする。殺したい。


「なんで吸血鬼にこんなにも腹が立たなくちゃいけないんだ……ラトアさんが恋しい」

「ん? ラトア?」


 ついつい心の声が漏れ、吸血鬼二人は反応した。


「今ラトアって言った?」

「……ええ、言ったけど」


 吸血鬼は数が少ない。知らない吸血鬼はいないだろう。反応しても可笑しくはない。身内なのだから。


「懐かしい……彼、元気?」

「ん……元気だと思う」

「ふぅん……次会ったら今度こそモノにしよう」

「………………」


 最後に会ったのは磔にした時。きっと元気でいるはずだろう。

適当に答えたら獲物を狙う猛獣の眼がギラリと光った。

……うわ。コイツゲイだ。今確信できた。

どうりで黒の集団をハーレムと呼ぶわけだ。

思わず好奇の目を向ける。


「……なんだよ、女に興味はない」

「……いや、初めて同性愛者に会うの」


 すげぇー。


「黒猫黒猫っ!!」

「んだよ……」


 コクウに怒ることを危うく忘れるところだった。話を戻そうとしたら、ナヤが声を上げる。かなり眼が輝かせていた。


「ポセイドンとはどんな関係!?」

「……。なんでもねぇって答えただろ」

「ポセイドンと熱い抱擁とキスをしたとの確かな筋の情報を掴んだっ!! 隠しても無駄だぞうっ!!」

「目撃者の証言だろ」


 ナヤが噂好きの女子高生みたいなノリになってる。


「ポセイドンのアソコはトライデントみたいなの?」

「いきなり下ネタ出すんじゃねぇ」


 吸血鬼が、名前はディフォ、があたしの肩に腕を置いて真顔で訊いた。こんな吸血鬼嫌だ。


「聞いた話では暴れん坊らしいじゃない、アレも暴れ馬なの?」

「アレの話はやめろ」

「やっぱり付き合っていた? 破局? セフレ?」

「付き合ってもねぇしセフレでもねぇよ」

「じゃあ抱擁とキスをしたんだ?」

「挨拶だっつーの。大体あたしが何しようが関係ねぇだろ、ポセイドンとの仲なんてどうでもいいだろうが。それより」

「どうでもよくない!!」


 ナヤとディフォはきっぱりと言い切った。


「いいのかなぁ、黒猫。しょーじきに答えなきゃパトスの遺産についての情報を教えてやらない!」

「はぁ?」


 ナヤはにやりと笑って告げる。信じられないと目を細めて睨み付けた。


「そうすれば情報は同等さ」

「……どこがだ」


 さっきやったあたしの本名も容易く手に入る情報だが、あたしと秀介の関係なんて価値があるとは思えない。表も裏もゴシップ大好きなのか? 低レベルだ。


「ポセイドンはトライデントなのかを教えろっ!!」

「なんでアンタにそんな情報をやらなくちゃいけねーんだ!」

「どうなの? どうなの? 恋人なのセフレなの?」

「なんでその二択なんだよ!!」

「お嬢」

「てめぇら質問したら息の根を止めてやる!!!」


 ナヤを挟んで吸血鬼二人が情報を引き出そうとした。吸血鬼にツッコミを入れるあたし。

どうしよう、悲しい。返して、あたしの理想の吸血鬼。気品ある吸血鬼。

ラトアさんに会いたい、ハウンくんに会いたい。

後ろから参加しようとアイスピックが挙手したからギロリと睨み付ける。今至極不機嫌なんだ。

くそっ、なんであたしが集団の相手しなきゃならねぇんだっ! 大人数なんて卑怯だ!


「あたしとポセイドンは親友なんだっ!! 親しい挨拶! これが真実よ!」

「嘘ね。男女の中に友情は存在しない」


 ゲイが冷めた眼で言い切りやがった。


「なんだっ! てめえらは恋人かセフレって言わなきゃ納得しねぇのかよっ!!」

「そう!!」

「──っ! ざけんなぁあ!!」


 ぶちギレて番犬の剣と短剣を手に暴れだす。非戦闘員は即座に離れて、吸血鬼二人を主に標的にする。さっきより一層に暴れ部屋を破壊した。

机もソファもカーペットも吸血鬼の代わりに切り裂いていく。

 カロライは痺れを切らして止めろと喚いたため、レネメン達が止めようと乗り出したがそれは蹴散らす。

蠍爆弾が接近戦であたしを止めようと隙をついて懐に入ったが、触れる前にあたしは左腕の肘を蠍爆弾の顎に喰らわせる。

次はレネメンが背後に現れた。

黒の集団に属しているだけあって連携には慣れているようだ。しかし、あたしだって大人数相手の戦いには慣れている。

床に手をつき、後ろに向けて蹴り飛ばす。蹴りはレネメンの腹に入った。

前転して体勢を直してから、コクウに向けて剣を振り上げるが、飛んできた三つのアイスピックに邪魔される。勿論、アイスピックの仕業だ。

あたしはお返しに投擲ナイフを放つ。

もう一度、蠍爆弾が向かってきた。真っ直ぐ、丸腰で。

あたしは顔面に向けて蹴りを飛ばす。蠍爆弾は両手をクロスさせて防ぐ。そして両手を開いた。

その手から二つの蠍の玩具が落ちる。それはチクタクと鳴っていた。

しまっ────────!


  バァアンッ。


蠍爆弾の十八番。爆弾だ。小さなボムと変わらない威力にあたしは床に叩き付けられるように倒れた。

グラリと感覚が歪む。

前にも味わったこの痛み、そして感覚が、あの時の感情も呼び覚ます。

怒りが沸々と煮えたぎる。情報の件なんかより、殺してやりたい情感に身体が突き動かされた。


「──ってめぇら!!」

「っ!! やべっ……」


 止めたと油断した蠍爆弾はあたしが飛び起きて剣を突き出しても受け身が取れなかった。

それを救ったのは、コクウ。

蠍爆弾の目頭に穴が開く前に、剣を掴んで止めた。


「落ち着いて、椿。先に始めたのは椿だぜ、なに怒ってるの?」

「──────っムカつくんだよ!!!!」


 先に始めたのはお前達だ。構うな、構うな。あたしに付きまとうな。ムカつく。ムカつく!

あたしは怒鳴り付けて、剣を引こうとしたがコクウは放さなかった。そして剣を取り上げる。

切り換えて短剣を振り回したが叩き落とされた。

殺す。殺す、殺してやる!!

 あたしは今所持している投擲ナイフ全てを両手に持つ。数打ちゃ当たる。吸血鬼は殺せなくても、人間なら殺せる。ダメージも十分に与えられるだろう。

机にディフォ。その奥の隅にナヤとカロライ。レネメンは本棚があった壁。コクウは蠍爆弾と部屋の中心。アイスピックは扉の隣で投擲ナイフで磔になっている。

コクウにもディフォにもたった一瞬でこの全てのナイフを叩き落とすのは不可能。全員を守るのだって不可能だ。

今てめえの目の前で仲間を殺してやる、黒の殺戮者!

それぞれがあたしの次の攻撃に気付き、自分の身を守ろうと動くが遅い。

あたしは今持っている限りの投擲ナイフを放つ──────────────────────としようとしたが邪魔された。


  スパパパパッ。


あたしの身体に何かが横切る。貸すかに見えたのは先端が尖った槍のような物。殺気がなく、全く気付けなかった。

ボウガンの矢だ。

その尾に糸がついていて、あたしの腕を止めた。ボウガンだけではなく、ブーメランか何かが部屋を回りあたしに糸を巻き付けたらしく拘束される。

扉の方に目を向ければ、やはり火都。隣に遊太も立っていた。


「やめろ、椿」


 火都はそういつもの落ち着いた呑気な声を出して言う。あたしはもがいて拘束を解こうとしたが、壁に突き刺さった武器は愚か、糸さえもびくともしなかった。拘束用の糸か、くそ。畜生っ!


「椿! 落ち着けって。大丈夫か?」


 遊太が近付き、あたしの顔を覗く。鼻がつきそうなくらい顔を近付けるのは兄弟共通の癖。弟とよく似た顔に顔をしかめる。

息が乱れて、心臓が肺を押し潰しそうだ。胸が焼けるように痛い。苦しい。息苦しい。

「おい……椿、大丈夫かよ」とそんなあたしを遊太が心配して問う。

あたしはただ睨み付けた。


「そんな怒るなって。俺ゃなにもしてないぜ?」


 ははっと笑って遊太はあたしの頭をくしゃくしゃと撫でた。余計に苦しくなる。気管に何か詰まったみたいに息が出来なくなった。胸が痛い。……痛い。


「椿……? ほらほら、深呼吸! 吸って、吐いて! 火都、お前締め付け過ぎじゃね?」

「……ごめん、椿。平気?」

「外してやれよ」

「それはだめ。……椿が暴れないって約束するなら」


 俯くあたしの頬を両手で持って遊太が慌てる。それにつられて近寄った火都が心配そうにあたしの顔を覗く。

ちゃんと息をしようと深呼吸。

段々落ち着いてきた。

あたしは深く息を吐いてから、火都に約束をする。暴れないって。

火都は直ぐに取り出したナイフで糸を取った。

解放されたあたしは足元に転がる投擲ナイフと番犬の剣に、短剣を拾う。

それからフラフラと出口に歩む。


「椿……?」

「ナヤ。パトスの遺族の全員の居場所を次会った時に教えろ。ふざけたら殺す」


 あたしは振り返らずにナヤに伝える。それからもう一つ。


「黒の殺戮者、あたしの獲物に次手ぇだしたら──────貴様の仲間、一人残らず殺してやる」


 あの時の殺意と似たものをコクウを睨み付けるとともに向けて言い放つ。

あたしの本気も殺意も伝わったはずだ。

その場をあとにして車を飛ばして、やっと見つけた公衆電話の近くで車を捨てて公衆電話に硬貨を入れて記憶に残る秀介の電話にかけた。

病院で電源を切っているのか、出ない。

だから留守電を入れておく。


「秀介、あたし。疲れたからあたしは帰る。ごめん、カトリーナについててくれない? 明日行くから。まだこの件、片付いてないの。お願い」


 疲れた溜め息とともにメッセージを入れて、受話器を置く。

本当に疲れて、その場にしゃがんで一息ついた。

あれ。これも前に味わったことがある。

なんだっけ。嗚呼、やっぱり思い出さなくていい。思い出したくない。

この付近にいる人間を殺戮したくなる。


「……ふふ……」


 笑いを溢す。

ここであの人が来ないかな。

そんなことを思ってしまった。

あの時(、、、)は、間に合わなかったから。

電話したら飛んでくるかな。

でも会ったら会ったでめんどくさい問題が起こるからごめんだ。現れないでくれ。再会ラッシュかよ。


「つぅばぁき」


 代わりのように、公衆ボックスの前にはコクウがしゃがんで現れた。

手を伸ばして指先であたしの頬を撫でる。


「う…………」

「椿?」

「うえっ……!」


 耐えきれず、嘔吐。酷い気分だ。ゲホゲホと朝食べた物を吐き出す。


「椿、大丈夫? あちゃー無理矢理胃に入れたんだ。それともストレス? ごめんごめん、俺のせいだね。ほら、吐けるだけ吐いちゃいな」


 コクウは眼を丸めたが、直ぐに背中を擦って言う。

「それともレネメンのカシスカクテルかなぁ」とのんびりとした口調で漏らす。

あたしはただひたすら吐いて気持ち悪いものに堪える。


「椿、落ち着いてきた? もう吐くものない?」

「うっ……うぅっ……」

「ほら、背中」


 あたしの顔を伺ってからコクウは背中を差し出す。散々殺しに飛び掛かったというのに、無防備な背中を晒すとは。

知らない振りをしてそっぽを向く。というか動けない。

そうしたら、コクウが手を伸ばしてあたしを背負った。

そして背負ったまま、歩き出す。

気のせいか、あまり震動を与えないようにゆっくりと歩いている。……全く。

 暫くコクウは黙ったままあたしを運んだ。

彼がただ無駄に黙っているはずはない。きっとまた勧誘やら脅迫やらの策略を練ってるに違いない。

そう気持ち悪さを紛らわそうと考える。


「ねぇ、椿」


 するとコクウが口を開いた。


「足、治ったんだね」


 …………。

昨日治った。そんな軽口を叩けないほど、喋れない状態だ。


「噂以上にいい動きだ。絶対に仲間になってほしいなぁ、ふふふ」


 ますます仲間に欲しがられた。

仲間の命を奪おうとしたと言うのに。


「ねぇ、椿。あの脅し文句はなぁに?」


 黒の殺戮者、あたしの獲物に次手ぇだしたら──────貴様の仲間、一人残らず殺してやる。

最後に吐き捨てた脅し文句。

脅しなんて、黒の殺戮者には通じないと思う。

何もかも笑ってしまう、黒も白も。

何にも動じない。

そう思うのは、あたしだけじゃない。

裏現実の常識。

でも、それは弱味がないと思っているからであって、脅す程に向き合える人間がいないだけである。

コクウの弱味は、“仲間の為ならなんでもする”ことだ。

人間でそれを知るのは、多分あたしだけだから。


「そりゃあ火都が止めなきゃ誰かしら死んじゃってたけど、君に全員を殺せるのかな?」


 そっちかよ。


「仲間に入れる君を殺す気はなかったから蠍爆弾もレネメンも本気を出さなかったって知らない? くひゃひゃ、有言実行は難しいぜ」


 有言実行していいのかよ。

つか、邪魔する気満々か。てめ。


「まるで俺が仲間を殺されるのが嫌みたいじゃん。そう思ってるの? 椿」


 そう思っている。

でも、答えてやらない。


「それとも、椿。──────君が仲間を失う気分を一番嫌だと思っているとか?」

「──────…」


 答えて、やらない。

コクウはそれ以上何も言わなかった。

頬を添えた背中は笑う素振りを感じさせない。笑ってはいないのか。

仲間を失う気分、か。仲間。失う。


「ねぇ、椿。あの黒猫の名前、何にしようか?」


 返事が出来ないというのに、コクウがそんな話題をふった。知るか。つか飼う気満々かよ。

一方的な会話はずっと続いた。あたしの部屋についても微笑を絶やさずコクウは話をする。


「ねぇ、椿。君は吸血鬼になりたいって言ったね。もしも君が吸血鬼になってたら、どうだったと思う?幸せだったかな?笑ってられたかな?もっと違う人格だったかな?想像したことくらいあるだろう?吸血鬼になった俺の予想だと、それはないと思う。きっと人間じゃなく吸血鬼という生き物になって血を啜るようになっただけの、そのまま紅色の黒猫になったはずだ。似たような経験をし、人格も今のままで。変わらなかったはずだよ」


そんなわけない。

吸血鬼になれたなら違う人生だったはずだ。

あたしの人格?それをお前は知っているのか?

言おうとして口を閉じた。喋りたくは、なかったんだ。


「でも君が吸血鬼になってたら、さぞかし今より美しかっただろうね。絶世の美女と言っても過言じゃないはずだ。悪魔だって君を殺すのは躊躇するだろう。あー見てみたい、噛むだけで君を吸血鬼に出来たらどんなによかったか」


シャワーを浴びて出てきても、コクウはあたしの部屋にいた。ちゃっかりお粥を作って待っていたのだ。


「あっ、今の君に不満があるわけじゃないぜ。君は十分魅力的で美しい。魅惑的なその睫毛の下のルビーに光る瞳も、煌めく黒髪も、噛みたくなる肌も、キスしたくなる唇も、美しいよ。病的な一面は可愛らしいのに、セクシーでクール。どんな女性も君には敵わないさ。嗚呼、なんて君は素敵なんだろう。美しいっと言葉だけじゃ物足りない、もっと椿の魅力的について褒め称えたい。まるで猫みたいに色っぽく気まぐれな君には目が離せなく」

「………貴方、あたしが口を開くまで喋り続けるつもりなの…?」

「追い出さないから話を聞いてくれるんじゃないの?」

「ごめん、忘れてた。出てけ」

「ほら椿、あーんしてぇ」


帰れと言っても居座る黒の殺戮者。

スプーンを差し出されたがあたしは体力の限界でベッドに横たわる。そうすればコクウがお粥を持って目の前に来てまたスプーンを差し出された。

白瑠さんにも、こうされたっけ。

そんなことを思い出したら、余計に気持ち悪くなって顔を逸らす。


「椿って本当に可愛いね。この世には椿に敵う可愛さなんてないと断言できる。君の可愛さにメロメロにならない男はいない、否、女性さえもメロメロにしちゃうだろう。君を目にしただけで気にして、一言話すだけでも惹かれて、一緒の時間を過ごす度に愛が膨れ上がる」


………………。

なんだ。誉め殺し作戦なのか?ひねくれた策略家ともあろう方が、そんな幼稚な策で攻めてきたのか?

とりあえずうざかったので、起き上がって口を開ける。そうすればコクウはニコッと笑ってあたしの口にスプーンを運んだ。

口の中で味を確認するとまた吐きそうだった為、すぐに飲み込む。

あーさすがに酷い生活習慣で身体にガタが出たのだろうか。ヴァッサーゴがいるなら大丈夫とばかり思ってしまったのがいけなかった。

臆病悪魔はちっとも使えないんだ。


「…あたしと貴方…似てると思う?」


こうやって看病されて、白瑠さんを思い出して、あたしはコクウにそう訊いた。

白瑠さんに、訊いたことがある質問。

あたしのことを、自分のようにわかっていたあの人。

あの人と同類であるコクウは、なんて答えるのか。好奇心が湧いた。


「思わないよ。共通点なんて、ないじゃないかい?外見だって似てないし、人格だって似てない。どうして?」

「…別に」


コクウはきっぱりと微笑んで答えた。また差し出されたお粥を、一口飲み込む。

あたしも。そう思う。

白瑠さんとは似てると思うのに、どうしてだか。コクウとは似ていると思ったことはなかった。

白瑠さんを見ると自分に似ていると思うのに。

コクウを見ると白瑠さんに似ていると思うのに。

コクウはあたしに似ているとは思えなかった。


「じゃああたしと白瑠さんは?似てると思う?」


その問いには、コクウは眼を丸めてきょとんとあたしを見上げる。


「…んー……そうだなぁ」


少し悩んだ末に白瑠さんのそっくりさんが出した答えは。


「似てないよ」


…そう、とあたしは眼を閉じる。

お粥はもう要らないと布団に潜り込んだ。

湿った髪も気にせず眼を閉じる。

気持ち悪さは渦を巻いて消えてはくれない。

きっと一眠りすれば、忘却できる。

そう思い、眠りに落ちるのを待った。




 朝日で目を覚ました翌朝。コクウはそこにはいなかった。

代わりにテーブルの上にはチーズバーガーが一つ。

あたしはそれを手にして、一口食べた。


「……似てるのは、何処だっけ……?」


 自分に問うが、答えはわからない。

答えは思い出せなかった。

紅いコートを着て、あたしはカトリーナのいる病院に向かう。秀介はちゃんとそこにいた。


「椿! おはよっ!」

「……おはよ、秀介」


 パッと向けられた笑顔に、あたしは微笑みを返す。


「遅かったな、手こずったのか?」

「……留守電にいれたはずだけど」

「え!? まじで!? 永久保存しなきゃ!」

「…………」


 どうやら本当に気付かなかったらしい。携帯電話を開いて直ぐ様彼は保存しようとしている。

先ずは伝言を聞けよ。

あたしはパイプ椅子を出してそこに腰を降ろした。


「具合はどう? カトリーナ」

「ええ、大丈夫」


 カトリーナに問えば彼女は微笑んで答える。

なんだか昨日より表情が柔らかい。


「昨日はドリップを始末した。でもまだ安心はできない、パトスの身内が貴女を狙っているかどうかを調べているところ」

「は、はあ……」

「あれ、まだ終わってなかったんだ? てっきりまとめて片付けに行ったのかと……」

「……邪魔がいてね」


 意外だと眼を丸めた秀介に肩を竦めて答える。

邪魔者のせいで体調崩してぶっ倒れたんだけど。それをクライアントの前では話せない。


「!」


 気付いたら秀介が携帯電話を耳に当てている。何しているか直ぐにわかって慌て手を伸ばしたが遅かった。


「なにこれ……超元気ねぇー声」


 伸ばした手は宙を切る。

秀介が立ち上がって怪訝そうにあたしを視た。

相手の出方を待って黙っていれば、宙に留まったあたしの手を秀介が掴んだ。


「椿、ちょっと食いにいこうぜ」

「え?」

「じゃあカトリーナ、少し開けるな」

「はい、いってらっしゃい」

「は? ちょっと、なに言ってんの?」

「大丈夫、留守の間はコイツがいるから」


 あたしの手を引いて病室を出ようとする秀介。

カトリーナとかなり仲良くなったようだ。

病室には長身のネックウォーマをつけた男が立っていて、秀介が「少しの間頼む」と一言を告げただけですれ違う。

男は「へい」とだけ返事して病室に入った。


「誰……?」

「狩人。大丈夫、夜も殺し屋一匹も来てねーんだしすぐに済ませばいいって」

「……あたし、もう食べたんだけど」


 手を引かれたままぐだぐだと秀介の後ろを歩きながら、そう言う。

寧ろ食べたらまた吐いてしまう気がする。


「椿。なんかあったろ」


 振り向かないまま秀介はあたしに訊いた。


「椿のその顔に、その声は────────頭蓋破壊屋が原因だろ」


 見透かした、声音。

静まっている廊下を、歩いていく。

あたしの手を握る力が、強まった。


「あのイカれ野郎、次は椿に何しやがったんだ?」

「──────」

「また無神経なこと言いやがったのか? 今度は椿を殺すとか? ハンッ! ぜってぇ潰す! ……何があったんだよ、椿。他殺志願の話をしてた時以上に……椿、危うい感じだぜ」


  カタンコトン。

思い出す、あの電車の中。いつもの真っ赤な電車じゃない。

ゆったり走る電車。ドアに寄り掛かってて、目の前に蓮真君がいて、後ろには秀介がいたんだ。

あの時はなんだっけ?

嗚呼、そうだ。


 この鼓動。

 俺。

 止めるつもりなんて、

 ない。


……って言われたからだっけ。

本当に、あそこは。

あたしの最後の居場所じゃなかった。


「────う」

「……?」


 秀介が微かに聞こえたあたしの声に足を止めて振り返る。


「……違う」


 あたしは呟く。


「何もされてない」


 もう一度、呟く。


「何もされてないんだ(、、、、、、、、、)」


 何も、されてない。

それが。それがそもそもの──…。

視線の先にある廊下を視ていて、ふと気付く。

静かすぎではないか?

いくら朝でも、患者も医者も廊下を通らないなんて。

そして感じ取った。

異常な空気に。

秀介も廊下の先を睨み付けた。

────殺し屋だ。

 どこにいる?

いつでも武器がとれるように手を構えて、敵の居所を探す。身も気配も隠している。

一歩、秀介が下がった。

眼をあわせる。

病室に戻るぞ、と秀介が目で云った。

病院であろうがお構いなしに廊下を二人で走り出す。

その途端に殺し屋が姿を表して追い掛けてきた。病室に隠れていたよう。

確認するやいなやあたしと秀介は受けて立つと武器を構える。

あたしは剣、秀介はトライデント。

殺し屋の男が二つの剣を振り上げて向かってきた。

トライデントがその二つを防いでがら空きの腹に剣を振り上げる。

ガキン! とブーツの底から出てきたナイフで防がれた。その衝撃で男は回転してあたし達を飛び越えて背後に降り立つ。

あたしと秀介は攻撃される前に彼に蹴りを入れた。食らっても男は踏みとどまり、剣を構えて剣を振るう。

それを避けて、秀介がトライデントで叩き潰した。

男は倒れる。

秀介は留めの一発を喰らわせて男を捕らえた。


「へっ! ポセイドンと紅色の黒猫のコンビは最強だぜ!」


 えへん! と胸を張る秀介。

そう言えば以前も共同線をやったこともあったっけ。今回のように仲良くではなかったが。

不意に秀介があたしを振り返った。


「……」

「……なに?」

「……いや……前みたいに、殺さないのかなぁと」

「……ああ、殺したら雇い主がわからないじゃない」

「あ、そっか。冷静なんだ」


 以前は飛び掛かった人間は容赦なく殺してたっけ。殺す元気がないとは言わないが、正直そんな気分ではない。ここは病院だし。雇い主を吐いてもらわなくては。

武器をしまって彼の隠れた病室に運んで尋問。

ガッと胸に足を置いて壁に押し付けて問いただす。安易に答えを聞けた。

雇い主はパトスの妻。ジーナだ。

これは本格的にカトリーナが危ないみたい。


「おい、どうする? 大人しく引き下がるなら逃がしてやる。もう一度来たから殺すぞ」


 秀介がそう言えば殺し屋は頷いた。自分の命を張る殺し屋はそうはいない。


「あっ、ごめん……椿、勝手に逃がして」

「いいよ、約束は守るべきだわ」

「なんだ、毎日殺すってわけじゃねぇのか」

「毎日ってわけじゃないわ……これから殺しにいくけど」

「あーそっか。今日も殺しに行くんだ?」


 …………。

昨日は一人も殺せていないが。

病室から出たが、秀介はまだ病室に立ち尽くしている。


「椿、他のやつに頼めば?」

「……何故?」


 そんなことを言われてあたしは首を傾げた。


「椿、具合悪そうだし」

「……秀介、さっきの動きじゃあ仕事が出来ないと思うの?」

「……んーまー、平気そうだな」


 少し具合が悪い気もするが、それはこの一ヶ月と同じだ。先程のようにちゃんと動ける。


「でも精神的に」

「それも……」


 この一ヶ月と、同じだ。

「仕事に支障はない」と告げてからカトリーナの病室に戻ろうとしたら、秀介に腕を掴まれて引き留められた。


「何があったんだ? クラッチャーと。なに言われたんだ?」

「……何もされてないってば」

「何かなきゃ椿がんな暗い顔をするわけないだろ」


 険しい顔で彼はあたしを鋭く射抜く。

あたしはただ見つめ返す。

じっと秀介は動かない。

あたしは溜め息をついて視線を落とす。

それから一歩、踏み出して彼の肩に顔を埋めた。


「由亜さんが死んだの」


 静かにあたしは答える。


「あたしのせいで」


 顔を見なくとも秀介が驚いた反応をしたのがわかった。


「まいちゃって」


 あたしは囁く。


「今、彼らと距離を置いてるの」


 懐かしい名前。

感じるのは空虚。

悲しくはない。

彼女が死んだことは、一つの原因だ。

彼女の死にずっと悲しんでいたわけではない。

ただ。

そう。

ヴァッサーゴの言う通り。


「……椿」


 そっと秀介の腕があたしを抱き締めた。


「なんで早く言わなかったんだよ……俺のとこに来ればよかったのに。俺を頼れよ、いつだって受け止めるから」


 ギュッときつく抱き締める。

あの時は秀介に頼るなんて選択肢は浮かばなかった。

愛しているという彼を、利用する余裕なんてなかったんだ。


「……ねぇ、まだ……あたしを……」

「──────愛してる」

「──…」


 まだ愛しているのか。


「愛している、椿」

「……うん」

「ずっと、愛している」

「……うん」


 わかってる。何度も聴いた。

何度も云ってくれたでしょ。

あたしはいい加減、秀介から離れる。

そしたら、秀介があたしに顔を近付けて唇を重ねてきた。


「……」

「……? 昨日も……椿、変な反応したよな。どうかした?」

「……いや、別に」

「こうさ……ちゅ……ほら、戸惑った反応」


 またもやキスされてあたしは後退りをする。追い詰められて壁と挟まれた。

それほどあたしの反応が気に入らないのか、あたしの顔を怪訝に見る秀介。

それが数秒続いたかと思えば、にんまりと楽しげな笑みを浮かべた。


「つばきゃん。今日も明日もカトリーナの護衛をするから、お礼のキスして」

「お礼はねだるものじゃないでしょ」

「じゃあ報酬頂戴」

「……別のにして」

「なんで? キスが駄目な理由でもあるの?」

「付き合ってもいない人としたくないのよ」

「え……椿、恋人が!?」

「いないわよ、いないけど」

「隙あり!」


 キスが駄目なんて常識でわかるだろう。壁に挟まれたまま説教しようとしたら、秀介があたしの頭を両手で固定して口付けをした。

さっきのフレンチキスではなく強引に吸い付くキス。深く深い口付け。

押し退けようとしたが、出来ない。男女不平等。


「んっ、んん!」


 秀介は身体を密着させてあたしの耳を撫でてキスしながら笑う。あたしの反応に気を良くしているようだ。こんにゃろ。


「美味しかったぁ」


 にっとはにかんで秀介は言う。あたしはムカッとして睨み付ける。何をにやにやしているんだ。


「椿、愛してる」

「……離れなきゃその口引き裂くわよ。それとも屋上行ってロープなしパンジーやる?」

「それただの飛び込み!」


 やっと解放されてあたしは肩を竦める。秀介だけは至極機嫌が良くなったみたいだ。

ふと、あたしは廊下の向こうに眼をやった。遅れて秀介も眼を向ける。


「……殺し屋?」

「いや……視線を感じたけど……気のせいみたい」

「殺気もないし、気のせいだろ」


 患者が行き交う廊下。多分患者が見てただけだろう。


「これから行く? この件片付けたら椿が今住んでるところに転がってい?」


 なんでそうなるんだ。


「この件が終わったら食事に行こう、なっ?」

「……うん」


 それなら、いい。

軽く挨拶を交わしてからあたしは病院を出た。

殺そう。

あたしはストレッチしてからお預けにされていた殺しをする。

パトスの妻であるジーナを始末しておいた。

何故カトリーナを狙ったのかを問い詰めれば、やはり遺産はカトリーナのものになると書かれていたようだ。それが動機。

ならば他の遺族も狙うだろう。

それだけわかれば十分だ。

アパートに戻って見ればテーブルの上には、更に盛られた料理が置いてあった。


「…………」


 料理から部屋に目を向けたが、荒らされた形跡はない。荒らされた形跡があるならば料理が置いてあるわけないだろう。

そっと触れてみれば、冷めていた。

摘まんで口に入れてみる。

何も起こらない。毒はないようだ。

椅子に腰を降ろして、置かれたフォークで食べる。

料理、出来るんだ。

なんて思いながらゆっくり食べる。

あたし以外にここを出入りするのはコクウだけ。恐らくコクウが作って置いていったものだ。

本当に悪いと思ってくれたのだろうか。それともまた罠か?

どうでもいいか。

 明日にでもナヤに会いに行ってパトスの遺族全員を教えてもらって姿を眩まそう。


  ──────コンコンコン。


もう眠ろうとベッドに入ろうとしたら、ドアがノックされた。

またコクウだろう。どうせ黙って入るならノックをするな、めんどくさいな。

あたしはめんどくさがりながらもドアを開けに向かう。

 しかし。

ドアの前に居たのは、コクウではなかった。


「──────つ」


 そこにいたのは、一ヶ月ぶりに会うあの人。


「椿お嬢っ!!!!」


 藍色のYシャツとズボンだけというラフな格好で黒縁眼鏡をかけた男────穀田藍乃介が、目を見開いてそこに立っていた。

回転の速い頭があたしだと理解した途端、飛び付くように抱き着く。

危うくあたしは倒れそうになったが踏みとどまる。

痛いほどの抱擁。

ドクドクと心臓が張り裂けそうなほど高鳴る。


「お嬢!? お嬢!? 本物だよね!? 椿お嬢ぉお! 会いたかったっ!!」

「……藍、さん」

「嗚呼! すごくその声聴きたかった!! もっと聴かせて! お嬢!」

「……何故、ここが……わかったんです?」


 目に涙を浮かべてあたしの肩を掴んで放さない藍さんにあたしは問う。


「すっごく捜したんだ……! 音信不通だし、追えば逃げるし! 僕の部下がここの住所を突き止めたんだ!」


 ────バリューの野郎。

死ぬ間際にでも連絡したのか。だからあんな妙な死にかただったのか。

くそっ……。

藍さんに知られたなら……。


「白くん達は捜すのやめちゃったし、確信があったわけじゃないから、二人には言わずに来たんだよ」

「──────」

「椿お嬢、帰ろう。二人とも、怒ってないからさ。皆、君の帰りを待ってるんだよ。僕達の家に帰ろう(、、、、、、、、)!」


  ばっ!

と、藍さんの手を振り払った。


「……お、嬢?」

「────…ないっ、帰らない!」

「えっ?」

「帰らない! あそこはっ……もうあたしの帰る場所なんかじゃない!」

「な、なにいっ……違う! 帰る場所なんだ!」

「あの家には、戻らない!!」


 藍さんを睨み付けて、あたしは吐き捨てる。

気圧されて藍さんは固まった。

次第に苦しそうに顔が歪む。


「な……なんで……そんなことを言うんだよっ!! な、なにが、嫌なんだ!? 指鼠はいないし! 由亜はお嬢のせいじゃないし! ラトアも怒ってないしっ……それにっ……白瑠の言葉だって本気じゃなくって……僕だって怒ってないからっ!!」


 藍さんは声をあらげで言った。

彼がこんな風に言葉を詰まらせて声を上げるのは、多分初めて見る。

言葉を探しながら藍さんは、何かを堪えようと自分の前髪を握った。


「……違いますよ、藍さん。怒られるから戻らないわけじゃない。由亜さんが殺されたことに後ろめたさがないとは言えませんが、それも理由でもないんです」

「……じゃあ……なんで……?」

「────さよなら」

「え……」

「さよならと、言ったはずです」


 あたしは静かに告げる。

倒れそうだったから、壁に手をついて伝えた。


「もう、終わりです。もう終わりなんですよ。家族ごっこは終わり。あたしは駄目なんですよ、戻ったとこでまた壊す。もう、構わないでください、忘れてください。もう、嫌なんです。さよなら、なんですよ」


 帰らないから、終わり。

戻らないから、終わりなんだ。

もう、嫌なんだ。

温かい場所から突き落とされるのは。もう、御免なんだ。


「……なに……いって、るんだ……おじょ……」


 蒼白な顔の藍さん。


「終わりって……」

「……関係」

「……家族ごっこって……」

「……もう、うんざりなんです」

「……どうして……?」


 足元に視線を落とした僅かな時間で、藍さんは涙を流していた。


「……どうして、そんなことを……言うんだっ……!」


 辛そうに、弱々しく、紡ぐ声。

それがまた胸を、きつく締め付ける。

堪えろ。

奥歯を噛み締める。込み上げたものを飲み込んだ。


「どうしてっ……さよならなんて……酷いことを言うんだっ……! ずっと……ずっと……! 探してきたのにっ……帰ってきてほしいのにっ……!!」


 ボロボロと落ちていく藍さんの涙は、あたしをズタズタに引き裂く。お互い様か。

あたしもまた。さっきの言葉で藍さんを切りつけた。

藍さんの両手があたしの肩を掴む。


「……帰ってきて……帰ってきて、お嬢っ……」


 苦しくもがくようなすがる声は、あたしの胸を引き裂いていく。

血が流れても可笑しくないのに、流血はない。血も涙もない。


  トンッ。


軽く押しただけなのに、藍さんは簡単に後ろによろめいた。部屋の外。


「もう来ないでください」


 冷めた声で言う。

前に言った時は、藍さんを抱き締めたっけ。そんなことを思い出して、もう一度告げる。


「さよなら」


 バタンとドアを乱暴に閉めた。

最後に見えた藍さんの表情(かお)が脳裏に焼き付く。

悲しみと苦しみと──絶望に満ちた表情。

ドアの向こう側に、暫く藍さんの気配を感じた。

でもやがて気配は消えてなくなる。

 あたしの顔が歪む。

目に涙が浮かんだが真上を向いて堪えた。

フラ、フラ、と歩き回っても込み上げた情感が収まらなくってバスルームに駆け込む。

 自分の吐いた言葉が何度も頭の中で回る。藍さんの戸惑った罵声。泣き顔。落ちる涙。あんな風に泣ける人だったんだ。ふざけた曲者の、一面。

それでも冷酷にさよならを告げたあたし。最後の藍さんの表情。

声にならない叫びを上げる。

 鏡に映るのは、自分の顔を押さえて、紅い目を涙目にしてる少女。

込み上げるのは、ナニ?

悲しい? 苦しい? 怒り?


  パリンッ!!


鏡に拳をぶつけて叩き割った。洗面所にばらまく鏡の破片。

それでも情感が収まらない。

胸が苦しくて息も出来ない。

苦しくて、苦しくて、苦しくてしょうがない。


 白くん達は捜すのやめちゃったし。


その言葉を聞いて、痛かった。

それでいいんだと思う反面悲しくてしょうがない。

何もされてない。

何もされていないからこそ。

きっかけはなんだっけ?

由亜さんの復讐。殺戮者のあたしが復讐という矛盾。無感情に殺戮する血も涙もない殺し屋。

欠けた鏡て右手を切り裂く。血は。血は出る。紅い紅い紅い、血だ。

でもすぐに傷口は塞がる。悪魔の力によってだ。

ぐちゅ。とまた切り裂く。


 帰って来てほしいのにっ……。


ぐさり。と掌に突き刺す。


「っ…!!」


 駄目なんだ。もう、嫌なんだ。御免なんだ。こんな思いはもう嫌なんだ。

失くした痛みなんて味わいたくない。

もう少しで忘れるから。もう少しで空虚に変わるから。


「……違う……」


 そんなの。無理だ。

忘れるなんて、不可能。

生きている限り。あの半年はあまりにもあたしの人生の中で大きすぎた。

生きてる、限り。

イキテル、カギリ。

────嗚呼、どうしてこんな簡単なことを忘れてたんだろう。

死ねばいいんだ。

もう嫌だから。死ねばいい。

手を見た。切りつけた傷痕しかない。

嗚呼、この悪魔が邪魔だった。

自殺は効果ない。他殺だ、他殺しかない。

 一番に思い浮かべたのは、白瑠さんだった。

今ならあの人は、あたしを殺してくれるだろうか。でも今近くにはいない。

その辺の殺し屋。弾丸が頭にきても跳ね返るなら並の殺し屋なんかじゃだめだ。


「……コクウ」


 口にする名前の主ならば。

悪魔の天敵、吸血鬼ならば悪魔ごと殺せる。

ヴァッサーゴが存在を明かさぬよう黙るくらいだ。吸血鬼は悪魔を殺せる。

殺してもらおう。

簡単だ。

自分の中に悪魔がいる、そう言えば殺してもらえる。

吸血鬼に殺される。

なんていい最期なんだろう。

バスルームから出て、部屋を出る。階段を降りずに上がり、屋根からコクウの家である黒のオフィスに向かう。これなら藍さんの尾行なんてないはずだ。


「あれ、椿じゃん」


 そこにいたのは、遊太一人だけだった。


「一緒に飲もうぜ」


 そう言ってあたしに缶ビールを投げ渡す。反射で受け止めてしまったあたしは沈黙して手の中の缶ビールを見る。


「あ、そーいやぁ、禁酒中だっけか? 悪ぃ悪ぃ。そうだ、蓮真とは連絡とってるか?」


 窓枠にどっかり座った遊太は弟の話題を出した。黙って前から姿を消したあの子。心配、してるのかな。

してるだろうな、あの子は優しい子だもの。


「ケータイ、日本に置いてきちゃったから」

「ふぅん、じゃあ今どーしてるかはわからないんかぁ。帰国したら一緒に遊ぼうぜ」


 缶ビールを開けてグビッと一口飲む遊太。

帰国したら。

蓮真君を思い浮かべて、そっと目を閉じる。

先ずは死ぬことを諦めろ。

鼻がついてしまうほど顔を近付けて言ったあの時を思い出す。

嗚呼そうだった。白瑠さんも秀介も篠塚さんもそれから蓮真君も、死ぬことを許さなかったんだっけ。

今さっき死にに来たというのに、思わず吹き出して笑ってしまった。


「なんだよ? 急に笑って」


 遊太は首を傾げながらも笑って問う。


「いえ……ちょっと思い出して、笑っちゃっただけ。蓮真君は面白いこと言うんだもの」

「ははっ、どんなこと?」

「秘密」

「ずりー」


 先程の高ぶる感情は落ち着いてあたしは声を洩らして笑う。

そうだったな。

もう振り返してはいけない。

殺してもらうことは、諦めよう。死ぬことを、諦めよう。

もうちょっとだけ。

生きてみよう。

秀介も、篠塚さんも、蓮真君も、あたしが死んだときに怒ってほしくない。


「なーなー、帰国したらよ、三人で強盗しね?」

「強盗? 怪盗の美学と反するんじゃなくて?」

「うん、まぁ、でも二人は素人だから銀行強盗がいいっしょ。猫仮面強盗団!」

「なにそれ」

「歴史に残す強盗団になろうぜ」

「かっこよくないよ」


 机に腰掛けて飲みながら指を立てて格好つける遊太と笑って話す。


「蓮真君が銀行強盗なんてやると思う?」

「えー、椿の話じゃ誘えば何でもやってくれそうだけど」

「そうね……好奇心をくすぐってやれば喜んで参加すると思うわ。彼が強盗に興味を惹かれるとは思えないけど」

「椿がセクシー衣装でやるって言ったら?」

「彼はそんなんじゃ釣れないわよ、女の子嫌いだって知らないの?」

「女の子嫌いだって? オレの弟はゲイだったのか……!」

「そうじゃないわ、古い人なのよ。逆ナン嫌い」

「えぇーもったいねー! ナンパでも出逢いは出逢いなんだからデートの一つや二つしてやりゃいいのに」

「貴方って……本当に那拓家の人間?」


 首を傾けてあたしは問う。

那拓家の人間である蓮真君ならあのお堅い考えに納得いくが、遊太はチャラい。格好から言動まで。

自由奔放な彼が、交際にも厳しい那拓家で本当に育ったのかは疑わしい。


「……あー、でも神奈(かんだい)も女癖悪かったっけ」

「あれ、神奈に会ったんだ?」

「えぇ、弟の恋人にまで手を出そうとしてた」

「うえー、相変わらずだなぁ。小学生の高学年からああなんだぜ」


 六人兄弟である那拓家。

女癖の悪い神奈。彼の影響かと思えば遊太は嫌そうに顔を歪めた。

嫌っているのか。無理もないか、あんな兄貴。

そんな遊太は爽乃(そうだい)に嫌われていたりする。

遊太は別に女癖が悪いわけじゃない。どちらかと言えば基準。


「なに? 貴方もお兄ちゃんに寝盗られたの?」

「まさかっ! ぜってぇ彼女(恋人)は隠し通したし! ……あれ、も? もって……なんそれ」

「ん、ああ、別に。あたしもアイツが兄だったら家出するなぁと思うわ」

「椿が妹だったら性奴隷にしてるぜ、あの変態」


 うわ、それ超嫌だ。

……兄か。兄。脳裏に浮かぶのは白瑠さんに幸樹さんに泣き顔の藍さん。

そこにはいないのに、つい後ろを振り返った。


「そーいやぁ、椿。今日は誰に用?」


 それを黒の集団の誰かを待っている素振りととった遊太が訊く。


「ああ、コクウよ。……コクウに用があってきたの」

「黒っちなら上だぜ」


 コクウに殺してもらいに来た。なんて言ったら遊太はどんな反応を示すのだろうか。

すぐに遊太はコクウの居場所を教えてくれた。

 真上。コクウの部屋だ。

なんだ、いるのか。てっきり出掛けているとばかり思った。

夜だから起きてるはずだし、吸血鬼ならばあたしの訪問に気づいているはず。


「でも今日はやめておいた方がいいぜ」と遊太は窓枠から降りてこちらに歩み寄る。


「何故?」

「たまぁに不機嫌な時があんだよ、黒っちはさ。その時は部屋から出てこないし、話だってしてくれないぜ」


 コクウが、不機嫌。

想像できなくって眉毛を片方上げて首を傾げる。


「昼間に帰ってから部屋に閉じ籠ってる、挨拶無視されちったよ。不機嫌つーか、なんて言えばいいのか……何か考え込んでトリップしてる感じ。そんときはマジ無理、ディフォ相手でさえ無反応なんだ。試しにストリッパーを送ったらさ、二秒で追い出したんだぜ。なんか話があるなら明日にした方がいい。喧嘩は相手してくれねーと思う」

「ストリッパーを送るって、誰が思い付いた案?」

「蠍爆弾」

「下品ね」

「オレって言ったらなんて言った?」

「ハーレムにしたら効いたんじゃないかしら」

「送ったのは五人」


 ……おやおや、殺戮者はあまり興味ないのか。

確か白瑠さんも大して女に関心を持たなかったっけ。多分白瑠さんにも効かないはずだ。機嫌が悪ければ、ハーレムは真っ赤な残骸になって部屋に散らばるだろう。


「…………ふぅん」


 不機嫌な黒の殺戮者。

とても、とっても、興味がある。

あたしは机から降りて上に繋がるドアに歩み寄った。


「人の話を聞けって。今日はやめとけよ」

「あら……彼が不機嫌だから不味いことがあるの?」

「何があるかわかんねーぜ、勧誘してるから甘いけど……あれでもかの有名な黒の殺戮者だ」

「大丈夫よ、あたしは不機嫌な人の相手は慣れてる」


 遊太が引き留めるが気にせずドアを開く。

「特にかの有名な殺戮者と謳われる人の、ね」と悪戯に笑いかけながら付け加えて閉じた。

入ってすぐに木製の階段。軋むそれを踏んで上がる。

昼間に帰ってから、と言うことはあたしの部屋に料理を置いてからか。

その間に何か不機嫌になる出来事があったのだろう。

白瑠さんが不機嫌になる主な原因は、コクウに認めたくないがあたし。

 じゃあコクウは何だろう?

部屋をノックしても返事はしないだろうから、ノックして返事を待たずにドアを開けた。

出迎えたのは、あの黒猫。

あたしの足にすりよって甘えた声を出す。

黒猫から視線を外し、部屋の中にいるコクウを探した。

吸血鬼の住みかは生活感のない部屋だとばかり思い込んでいたが違うようだ。

小さな吸血鬼の住みかはコンクリートの部屋でテレビとソファーぐらいしか家具はなかった。

テレビとソファーはなかったもののコクウの部屋は、ベッドがありタンスがありテーブルがあり絵画もある。キッチンだってあるし、奥にバスルームも見えた。

そして部屋の主はベッドの上。

無表情で冷たい目であたしを視たが、何も言わない。

いつもの笑みは跡形もなく、なんとも近寄りがたい雰囲気を放っていた。

白瑠さんとは種類の違う不機嫌だ。

 白瑠さんならば、そう。八つ当たりをする。不機嫌な笑みを浮かべて怒るが、コクウの場合はその逆で無表情に黙りこむ。

これは不機嫌というよりなんと言えばいいかわからないな。遊太の言った通りだ。


「こんばんわ、コクウ」

「……なに?」


 でもコクウは口をきいた。

会話、出来るじゃないか。


「明日にして」


 そう言ってコクウは目を閉じる。

それを眺めながら彼の不機嫌な理由を推測してみた。がわからない。

かの有名な殺戮者の地雷はイマイチわからない。

 ふと、目にはいるのは黒いワイシャツから覗くコクウの肌。傷痕一つない腹が見えた。

 遥か昔、悪魔と吸血鬼の戦争に終止符を打った一匹の吸血鬼は、人間が手を貸す見返りに身体中をいじくり回された。

そっとコクウの右手が腹を撫でる仕草をする。

例え目的の達成の為ならば手段を選ばない吸血鬼でも、身体をいじくり回されたことを何とも思わないわけはない。

死なない人間。血を啜る強靭な生き物。

それを調べる方法は何かはわからないが、あらゆる臓器を抜かれたりしたのだろう。何年も、何年も。

全ては数少ない生き残った吸血鬼の為に。仲間想いだから、悪いやつではない。そう、思うからこそ。

 あたしは何も言わずにコクウに歩みより、空いている枕元の方に腰を降ろした。その行為を目で追っていたコクウは無表情のまま「何してるの?」と問う。


「貴方が不機嫌だと誰も近付かないんでしょ? 静かでいいわ、下に居たらナヤとアイスピックが煩いしここにいるわ」


 あたしはしれっとそう返す。

コクウは下の階に目を向ける。静寂の中、内容は聞き取れなかったが話し声が聞こえた。誰かが来たようだ。

コクウには誰の声で何を話しているかもわかっているだろう。


「一晩中ここにいるつもりなら襲っちゃうよ」

「いいわよ、別に」

「…………」


 コクウの何とも感情の入っていない冗談に頷いたら、コクウは少しだけ目を見開いてあたしを見上げた。

少しの間黙っていたが漸く口を開く。


「君は機嫌がいいんだね」


 ぷいっ、とそっぽを向いた。

数秒考えて出た台詞がそれか。ふむ、かなり不機嫌だとみた。


「いえ、さっきまで至極不機嫌だった」

「……ふぅん」


 チッ、理由を訊けよ。ここから話をもっていって不機嫌な理由を訊こうと思ったのに。

かなり口数が少ない。昨日は雄弁に喋っていたくせに。

 ポン、と弾く音が聴こえた。音の出所を探せば、先程はドアで見えなかったがオルガンピアノがあり、鍵盤の上にあの黒猫が座っている。


「ピアノ、弾くんだ」


 これには返答はない。


「貴方っていい身体してるのね」

「…………。すっごく機嫌がいいんだね」

「見せてよ、コクウ」


 反応した、反応した。

なんかこの台詞、前にも誰かに言った気がする。

コクウは起き上がってワイシャツのボタンを外して、本当に見せてくれた。

うわお、まじでいい身体。

月光で白さがわかり大理石みたいなしなやかな光を放つ。細い括れでも適度に引き締まった筋肉があり、鎖骨は出てて色っぽい。

思わず手を伸ばして触る。

体温のない肌。それでも人間の肌だ。

心臓は動いていて、呼吸をしている。


「……俺のこと……誘ってる?」


 コクウがあたしに向けてそう言う。

さっきの発言といい、ベッドの上で、そして男の身体を触っている。これは誘っているようにしか見えないのだろう。


「…………あはっ」


 あたしはそこで吹き出して笑った。


「バーカ、誘ってたら押し倒してるわよ。残念でしたぁ」


 笑いながら胸板を叩く。硬い。

コクウは叩かれても何の反応も示さなかったが、あたしを目を丸めて見ていた。


「椿が……笑った」


 そしてやっと発した台詞がそれ。


「は? なにそれ、前から笑ってるわよ」

「違うよ……初めて……」


 失礼だな、と思い首を傾げる。

何度も笑みを向けたはずだ。覚えてはいないが。

何かを言いかけてやめたコクウは、やがてにんまりと笑みを浮かべた。


「機嫌がいいんだね、椿」


 そう言うコクウの方が、機嫌が良さそうに見える。

あれ? いつものコクウじゃね?


「えーと、なんだっけ? 襲っていいんだよね」

「冗句よ」


 だめだ、コイツ。完全にいつものコクウだ。

立ち上がって部屋を出ようとすると、手首を掴まれた。見ればコクウが心底驚いた顔であたしを見上げている。


「何処行くの? 一晩中いるんじゃないの……?」

「…………いや、帰る」


 機嫌が良くなった途端に引き留めるのか。意味がわからないやつだ。

そう言ったら、呆気なくコクウは手を離してまた無表情の仮面になって「……そう」と呟く。

……なんなんだ?

あたしは超難問を与えられたのだろうか。

パタン、とベッドに横たわり片腕で顔を隠すコクウ。あたしは難問を解こうと少しの間そこに留まる。

 というか、あたしはなにがしたいんだろうか。

死なないことにしたが、藍さんはどうしよう。

だからと言って帰るつもりも、戻るつもりもない。

嫌なんだ。冷えてしまった場所に引き返すのは。

怖いんだ。あたしのせいで変わった日常を目の当たりにするのが。


「──────ユアって誰」


 それは。

一瞬空耳かと思った。

コクウの口から出たのは、確かに由亜さんの名前。

どうして彼が、彼女の名前を知っているのか。

焦りが刹那だけ走り、やがて冷静を取り戻す。あの時感じた視線は、コクウだったんだ。

吸血鬼は耳が優れている。

今日あたしが口にした名前を聞き取っていたんだ。


「……あたしが殺した人」

「……ふぅん」


 あたしは答えた。コクウはあたしを見ずに、一拍置いてから「なにで?」と訊く。

殺害方法。彼女の最期は爆死。

あの笑顔が木っ端微塵に吹き飛ばされたという事実を思い出すとゾッと震え上がってしまう。


「……あたしのヘマ」

「……ふぅん」


 またコクウは興味ないような反応を返す。

訊きたいのはそれだけか。

コクウはそれ以上訊くことはしなかった。

苛立ちが戻って煮えたぎる。余計なことしたな、黒の殺戮者。


「腹を抉られるって、痛いわよね」

「……?」

「ナイフで何度か刺され、抉られたことあるの。腹の中掻き回された、あの感覚は二度と味わいたくないわね」


 ギリ、と歯を噛み締めて怒りを堪える。その音を聴いて腕を退かしたコクウにはあたしのしかめた顔がよく見えただろう。


「それは可笑しい、君のお腹にはそんな傷はなかった」

「……バッチリ視たのね、貴方」


 まぁ、それは今更怒ってもしかたあるまい。

傷痕がなくて当然だ。ヴァッサーゴが跡形もなく治したのだから。


「貴方はどうなの? 何年も何年も────身体をいじくりまわされ調べられた吸血鬼の救世主さん」


 あたしは怒りを煽る言い方で、それを口にした。

ぴくり、とコクウは反応して目を細める。

あたしはただ見下す笑みを向けて、彼の次のリアクションを待った。

コクウは少しの間、思考をしながらあたしを観察したと思えば、にんまりと笑みを浮かべる。チェシャ猫の笑み。


「何の話?」

「あら、吸血鬼は嘘をつかないと聞いたけれど」

「嘘はつかない、そうだね、基本は」


 とぼけるコクウにあたしは問い詰める。コクウは、普段以上にムカつく態度だ。


「吸血鬼の救世主? なぁにそれ、一体誰がそんなことを君に吹き込んだんだい? そんな大昔の話、ほとんど知らないと思ったのになぁ」


 そう言ってひょいっと立ち上がるコクウは笑みを貼り付けたままあたしの隣に立つ。


「特に貴方が身体を売った、てところ?」

「……おっかしぃなぁ、そこらへんは吸血鬼しか知らないと思ってた。……嗚呼、吸血鬼の友達がいるんだっけ? それって、誰?」

「…………」


 そう問うコクウの感情は読めなかった。

もしも名前を出したら、一体どうするつもりなのだろう。


「珍しいこともあるもんだ、少ない故に仲間意識が高い吸血鬼が話すなんて。よっぽど信頼されてるんだ、椿」


 聞き出して八つ裂きにでもするかと思えば、ニコニコしたままあたしの目の前にベッドに腰掛けた。

「それがどうしたの?」と首を傾げるところを見ると、不機嫌な原因はコレではないようだ。チッ。また機嫌を直してしまった。


「痛かったでしょ、って訊いてるのよ」


 あたしはブーツでコクウの胸を踏み、押し倒した。きっとダメージはないのだろう。

がしっ。と足首をコクウが掴む。


「押し倒したね? てことはぁ、誘ってるんだぁ」

「あ? ……わっ」


 ニヤリ、と不吉な笑みを浮かべたかと思えば、引っ張られあたしはベッドにダイブ。

ベッドではなくコクウの上だった為、それなりに痛かった。


「なにす……」

「これ、自傷行為の跡?」


 怒ろうとした、その前に。

コクウがあたしの手をとって、見ていた。

微かに見える、先程の傷痕。

 何故だ。

いつもはこんな傷痕さえも消すと言うのに。何を考えている? ヴァッサーゴ。

手を振り払おうとしたが前回同様それは無理だった。その行為で肯定ととったコクウは「ふぅん」と頷く。


「するなら俺が吸うのに、勿体ないじゃん」


 そう言ってあたしの指を舐めるコクウ。

あたしはその舌を詰まんで握ってやった。


「あら、じゃあ貴方の自傷行為の流血は一体誰が吸うのかしら?」


 そう問うがコクウの舌をしっかり掴んでいるのでまともな返答はない。答えは求めていない為、好都合だ。


「自己犠牲なのは生まれつき? それとも吸血鬼になってからかしら?」


 今日はあたしが一方的に喋らせてもらう。


「貴方はあたしは吸血鬼に向いてないと言ったけど、あたしはそうじゃないと言うわ。吸血鬼に慣れてた自分の性格なんて想像出来ないけど、きっと冷酷で殺す度愉快に笑う吸血鬼になるんじゃないかしら。あたしも貴方も、仮定の話でしかないけれどね。でもね、コクウ。吸血鬼じゃない今のままのあたしを“吸血鬼みたい”だと言った人がいるのよ。それは吸血鬼。貴方の事を話してくれた吸血鬼よ」


 間抜けな感じに口を開いたままのコクウは何かを喋るが舌が動かないため言葉になってない。


「仲間を殺せば貴方が何かしらアクションをすると思ったのは、貴方の自己犠牲武勇伝を知ってたから。仲間を傷つけられるとダメージはあったけど、昔の話よ。仲間なんていないもの、クラッチャーとももう仲間なんかじゃないわ。だから告げ口したって意味ないし、クラッチャーと喧嘩する理由にもならない。カトリーナの件が終わればまたいなくなるわ。今日はさよならを言いに」


 あたしが話す間もコクウは何かを言うがあたしに通じない。

するとコクウはあたしの指に牙を降ろした。チクリとしてあたしは放し、溢れる血をコクウに舐めさせないで自分で舐める。


「君が吸血鬼に向いてないなんて言ってないぜ。それに(はく)に喧嘩売るために君がほしいんじゃない。仲間がいないなら仲間になろうよ、椿」


 微笑んでコクウはそう勧誘の言葉を口にした。

仲間がいないなら、仲間になろう。

何を言っているのかわからない。

そんな口説き文句が訊くわけないだろう。

────嗚呼、でも。

あたしは迷った。

───どうせ帰れないなら、違う場所に居ようか。

馴れ合わず、心を開かず、一定の距離を離して、違う場所に居てしまえば。

命を絶ちたい思いに駆られることもなく、生きていけるのかもしれない。


「仲間に入ってくれるなら、どんな条件も呑む。ねぇ、仲間になろう」

「……相変わらずの自己犠牲ね、何年経っても直さないつもり? それ」


 軽蔑の眼差しを送ってからその条件を考えてみた。……ニヤリ。


「そうね。条件を呑むなら……入ってあげてもいいわ」

「ほんとっ?」

「一つ目、あたしが黒の集団の一員になった情報は流さないこと」

「うん、呑むよ。二つ目は?」

「二つ目、貴方があたしの言いなりになること」


 ぱあっと笑顔のコクウの顎を親指と人差し指で掴み上げて告げた。

 きょとん。

コクウは笑みが消えた顔で数秒固まってから目をぱちくりさせる。その間に理解が終わったようだ。


「うん、呑んだ」


 そう頷く。

至極自己犠牲心が旺盛だ。


「貴方の指示は、聞きたくなければ聞かないわ。それでもいいの?」

「ああ、いいぜ」


 ニコッとコクウは無邪気な笑みで頷く。こうあっさり承諾されるとかえってつまらない。何かこの綺麗な顔を歪まず発言がしたくなる。

嗚呼、あれがあるじゃない。


「コクウ。もうあたしは仲間よね?」

「そうだね、椿」

「貴方は仲間を傷付けないわよね?」

「うん、俺は味方を傷つけない」

「ふぅん────あたしの中に悪魔が居ても?」


 目を細めて猫のような笑みを浮かべてコクウを見下ろす。

それだけで十分のはずだ。

紅い瞳が妖しく煌めくだけで彼は解る。

あたしの下にいるコクウは黙って見上げていた。

 次の瞬間、浮遊感を味わい体勢が逆になる。コクウが真上に、下のあたしの両手を押さえ付けていた。


「へぇ────知らなかった。全然気付かなかったよ、綺麗すぎる眼だと思ったら……悪魔の眼だったのかぁ」


 顔を近付け今度はコクウがあたしを見下ろして、妖艶な微笑で覗き込む。


「血を啜ったみたいにいい紅だから、椿に似合いすぎて気付かなかった」


 長い舌が頬を舐める。

それから額を重ねて、あたしの頭の中にいるヴァッサーゴに呼び掛けた。


「出てきなよ、椿の中の悪魔(デビル)


 しかし、呼び掛けても返答はない。

あたしはちらりと自分の指に嵌めている指輪に目を向けた。これでヴァッサーゴは喋れない。

例え外したとしても、ヴァッサーゴが喋るとは思えないな。

だがあたしの視線で気付いたコクウが指をパクリと加えて指輪を外した。

 ────刹那の沈黙。

喉の奥で笑う声が響き渡る。


「初めまして! ヴァンパイア野郎!」


 そしてコクウに、挨拶をする。

これでコクウはあたしの中の悪魔の実在を知った。

どう出る?


「やあ、悪魔。会うのは久しいな、まだ生き残ってたんだ? 頑張ってるねぇ」


 普段通り、コクウは微笑んであたしの中の悪魔に言う。


「頑張ってねーよ、オレは自由気ままにやってんだ。そっちこそ長生きしてんじゃねーか、御苦労なこった」


 対するヴァッサーゴも笑いを含んで言葉を返す。

宿敵同士のわりには、かなり平穏な空気が流れている気がするのは気のせいだろうか。


「聞いてたと思うけど椿は俺の仲間になった。別に構わないよね? 君が何の為にソコにいるかは知らないけど、攻撃する気がないなら敵意はないんだろう?」

「敵意だぁ? んなもんてめぇら吸血鬼に最初から持っちゃいねーよ。そもそもオレは戦争に参加してねぇ悪魔だ。好きにしろよ、椿の下僕」

「ああ、そうなんだぁ。それなら問題ないね。正し君の命令じゃなく椿の命令しか聞かないよ、俺は椿の下僕だから」


 なんとも穏やかに会話が進んでいる。


「……ねぇ、なんでそんなに冷静なの? 貴方達」

「え? どうして? 俺は椿が昔男だったってカミングアウトされても驚かないよ」

「それは驚け、つか他に例えがなかったのか」

「クククッ! 残念だったな、椿。黒の吸血鬼の歪んだ顔がみれなくって」

「歪んだ顔が見たかったの? 命令すればするのに」

「もういい。指輪を返せ」


 つまらない結果になってあたしはコクウを押し退けて起き上がる。


  ゴクリ。


ずっと指輪を唇にくわえていたコクウが、飲み込んだ。蓮の花をモチーフにした銀色の指輪をゴクリと飲んだ。

 あ……。

と眼をパチクリさせるコクウ。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 沈黙したが、やがてコクウはにこりとだけ笑った。


「このっ……バカーッ!」


 怒鳴り付けてラリアットを食らわせる。

このバカ! おバカ! おバカ!!

そのままコクウの首に腕を回してベッドから降りて、下の階へと向かう。乱暴にドアを蹴り破ってオフィスに来てみれば、ディフォとアイスピック以外の黒のメンバーが揃っていた。

 一同がギョッとした顔でこちらを向いたがお構いなしにあたしはレネメンの元にいく。


「レネメン! コイツが指輪を飲み込みやがった! マジックで出して!」

「へ? は? ……マジックにはタネがあるんだ、無理だ」

「ええっ!!」


 手品師のレネメンに泣きついたがやはり無理らしい。


「自然に出るのをまちゃいーじゃねぇか」

「んなもん指につけれねぇだろ」


 軽口を叩く蠍爆弾を睨み付ける。


「新しいの、買ってあげるからさ」

「お前の腹にある指輪じゃなきゃだめなんだよっ!!」


 もう一度コクウにラリアットを食らわせてやった。


「大事な指輪?」

「……蓮真君にもらった指輪なの」

「蓮真に? あの蓮真が指輪を?」


 遊太は驚いた顔をする。

蓮真にもらったクリスマスプレゼント。お気に入りの指輪。好きな花の指輪。

大事な指輪を、汚されてたまるか。


  ツンツン。


肩をつつかれ、振り返ってみればにんまりと笑ったコクウ。


「タネも仕掛けもありませぇん」


 そう言ってからコクウは体内に自分の右手を突き刺して、腹の中の指輪を抜き取った。

そしてあたしにそれを差し出す。


「はい」

「…………」


 本当にタネも仕掛けもない。自分の身体に手を突っ込み、胃から取り出した。

勿論、コクウの手も指輪もどす黒い血に染まっている。自然に出てくるよりはましなんだろうけど、受け取るのに躊躇してしまう。

あーあ……血塗れの指輪になっちゃった。


「貸せ」


 自分の手の中にある指輪を見つめていれば、カロライが手を差し伸べる。それをあたしはじとっと睨む。


「壊さねーよ、拭き取って磨いてやる」


 早く寄越せと手を振るカロライに、一応信じて渡す。武器職人なのだから指輪を磨くぐらい出来るのだろう。壊したらただじゃおかない。


「なんでまた蓮真が指輪をくれたんだ?」

「クリスマスプレゼントよ」

「クリスマスプレゼントだって? そんなの習慣にしてないはずだぜ」

「彼は祖ないもののつもりで買ったそうよ、あたしを死んだと勘違いして」

「ははっ、なにそれ」


 遊太が納得したように頷いて笑う。

あたしはカロライから眼を放さない。


「ほらよ」

「! ありがとっ!」

「……」


 少し経ってからカロライが投げ渡してきた。指輪は血を拭かれて前よりきらびやかな銀色の光を放つ。

素直に礼を言えば、沈黙を返された。


「……黒猫……キャラ違うじゃん」


 ナヤが珍獣を見るような目であたしを見る。


「なにが?」

「年相応に見える……。て、あれ? 黒猫、歳いくつ?」

「十八」

「若っ!!!」


 ほぼ全員から驚かれツッコミを入れられた。


「若っ! ピチピチじゃんか! せいぜい二十歳だと思ってたぜ……」

「こんな子供を持て囃すなんて世も末だな」

「小さいからそれなりに若いと思ってたけど未成年だったんだ」

「雰囲気に騙されたな」

「あーよくよく見ればみえるな、年相応に」

「年相応な娘なんだね」

「年相応な娘なんだ、うん」


 言いたい放題な黒の集団。

るせー、精神年齢=年齢じゃ駄目なのかよ。


「今の笑顔、キュートだし。ポセイドンがちやほやするのもわかるなー」

「なるほどな、ポセイドンが黒猫に骨抜きにされたのか」

「可愛い顔した殺し屋ってギャップが萌えなんだ! なんでクールでやってるの? キュートにやったら面白くなるんじゃない? こう可愛い女の子らしい面を全面的にだして」

「何故キャラをキュート系に直さなきゃいけないの」


 暴走気味のナヤを止めて一息つく。

振り返ってみれば、コクウが黙ったまま立ち尽くしていた。


「コクウ?」

「……ん?」

「仲間に言わなくていいの?」

「あ、そっか」


 ただ足元を見つめていたコクウは顔を上げてニパッと笑う。


「コクウはあたしの下僕になりました」

「くひゃ!? そっち!?」


 ナイスな反応をしたコクウだった。


「皆、新しい仲間を紹介する」


 あたしの肩に両手を乗せて、コクウはあたしを紹介する。


「紅色の黒猫、椿は今日から俺達黒の集団に属することになった」




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