表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/17

黒の集団の始動




振り払えない、彼らの影。

振り払えない、思い出。

振り払えない、憎悪。

振り払えない、闘争心

振り払えない、自己嫌悪。

振り払えない、逃走心。

振り払えない、殺意。

振り払えない、死。






「やぁ、おはよう。朝食食べたかい? まだだったら一緒に食べたいな」

「…………帰れ」


 色々突っ込みたかったが一言だけ言うことにした。

太陽ものぼっていない時間にやってきて、朝食を食べたわけないだろうが。

つうか朝食を食いに来たのか、お前は。そして抱えてる花束は一体なんなんだ。

早朝と言うべきか深夜と言うべきか。

 一日経ってコクウがまた部屋を訪ねてきた。紅い薔薇の花束を抱えて。

聞くまでもなくあたしへのプレゼントで、何も言わず持たされた。そして許可を得たような顔でずかずかと部屋に入る黒の殺戮者。


「出てけって言ってるのよ、コクウ。つうかパスポートを返しなさい」

「どうして? 姿を眩まさない約束だから必要ないだろう?」


 ソファにどっかりと座ってニコーと笑いかける抜け目ない奴。

くそう、ひねくれた策略家め。こうやって罠に填めていく気だな。


「姿は眩まさない。アンタのケー番は知ってんだから、気が向いたら連絡してやる。だから返せ」

「でも俺は知らない。それに椿は携帯電話を持ってないじゃん。せっかく苦労して見付けたのにまた隠れられちゃうとねぇ。俺一ヶ月半で世界一周しちゃったんだぜ」

「知るか。アンタが勝手に行ったんだろ。あたしは師匠にチクられたくないから姿を眩まさない。さっさと返せ」


 このひねくれた策略家から取り返すのは苦労しそうだ。つうか盗んだんだから素直に返せっつーの。

掌を出せば冷たい手で握られた。


「君が俺の誘いを断る理由には(はく)がいるよね」

「…………だから?」

「君は(はく)の弟子と言うより……女?」


 思わず掌を振り払う。

それで伝わってしまったらしく、にんやりと楽しげな笑みを向けられた。


「白瑠とそぉゆー関係なんだぁ?」

「……違うわよ。師弟の関係」

「ふぅん、肉体の関係なんだ」

「……言ってねーよ」

「ふふぅん、こりゃあ面白い。白瑠が愛した女を俺が横取りしたら俺はますます嫌われちゃうな、くひゃひゃ」


 ………………。

なんだろう、この違い。


「……貴方は、嫌いじゃないの? 白瑠さんのこと」


 白瑠さんは名前さえ口にせずあからさまに不機嫌になるのに対して、コクウは親しげにそして楽しげに名前を出して笑う。

この違いは大きい。


「嫌いだったら、もうとっくの昔に殺してるよ」


 満面の笑みで、コクウはそう答えた。

……ふぅん、そうか。


「じゃあパスポート返せ」

「お腹空いたな」


 無理矢理話題を戻したら妙な言葉を言われた。露骨に嫌な顔をする。

吸血鬼の空腹は血を欲しているということだ。


「あ、椿の血じゃなくていいよ。人間の朝食でいいから。そしたらパスポート返すよ。あっ、血をくれるならありがたぁくもらう」

「……………………絶対に返せよ」


 血を吸われてたまるか。いくら吸血鬼が大好きだからって血をやるほど自虐にはなれない。

仕方なくキッチンに立った。

……あれ、吸血鬼って普通の料理食えたの?


「さっきさ」


 思わずビクリと震え上がる。忽然とコクウは寄り添うようにあたしの背後に立っていた。


「俺のこと、“貴方”って言ったよね? 電話の時と一緒。機嫌治った?」

「……鬱陶しい」


 あたしは掌を振ってコクウを退ける。

コクウは掌を避けて反対側の肩に顎を乗せてあたしの腰に腕を回した。


「何作るの?」

「っ鬱陶しい!!」


 蹴り上げようとしたが避けられる。

ちっ! おしい!


「あ、そっか。日本人ってスキンシップはしないんだっけ? ごめんごめん。花は花瓶に入れとくね」

「………………」

「なんか新婚みたいだね、椿」


 殺意が芽生えた。

キッチンに立って勝手に花を花瓶というかコップに入れているコクウ。

疲れるだけだから構うのはやめてフレンチトーストをさっさと作った。

そう言えばこのキッチンは初めて使うな。

 ペロリ。頬をざらついた舌で舐められた。

…………ぶちギレたいんですけど。

冷ややかに睨み付ければ、頬を舐めた位置のままコクウは見つめてきた。

クンクンと鼻をひくつかせて匂いを嗅いでいる。


「甘い匂いがする」


 その匂いを堪能するように目を閉じて微笑むコクウは、あたしの髪を掻き上げた。あたしのうなじと耳の裏を──────ゾワッとして肩を震わせる。


「匂いって、あたしは香水なんてつけてないわよ」


 これだけはバレないように自然な仕草でコクウの手を振り払う。

弱点がバレたら色々まずい。今後酷い目に遭う。学習したんだ。


「生き物はそれぞれのにおいを放ってるんだ。動物と一緒で吸血鬼も嗅ぎわけるんだよ。椿はね、甘い匂いがする。花みたいなあまぁい匂い。舐めたくなっちゃう」

「ああそう。だからって舐めるな、朝食が食べたいなら大人しく座れ」

「椿が食べたいならどうすればいい?」

「バラバラにして燃やす」


 ギロリと睨み付ければコクウはソファに大人しく座った。

 吸血鬼。

吸血鬼を生み出したのは悪魔だ。人間が願い悪魔が叶えた。

生き血を摂ることで命を半永久に絶えなくする、そんな呪いをかけたのだ。

願いを叶えた悪魔は自分より力を持たないように程よい(オプション)を与えた。

人間よりは強く、悪魔よりは弱い。

しかし第一世である最初の吸血鬼は悪魔の推定より強く、彼に噛まれて吸血鬼になった第二世達は強い能力を手にしていた。

第三世達も二世から能力を引き継いだ吸血鬼が多くはなかったがいたそうだ。

詳しいことは闇の中だが一世紀前に、悪魔と最初の吸血鬼が仲違いをし、悪魔と吸血鬼の戦争を始めて、残り少ない三世の吸血鬼が勝った。

 これはヴァッサーゴから聞いたことだ。

そんなヴァッサーゴは戦争にはまともに参加せず、ただ人間に封じられただけらしい。

だからヴァッサーゴは吸血鬼を殲滅するだとか復讐するだとかは考えていないと言う。

 例え、人間に助けを乞うと提案した吸血鬼が目の前にいても、ヴァッサーゴは何も言わないし何もしない。

 黒の殺戮者、コクウ。

吸血鬼を救った男。人間と交渉をし、残り少ない仲間の安全の為に自分の身体を売った吸血鬼。

何十年も、彼は人間に身体をいじり回された。

その事実を仲間の吸血鬼は解放された頃に知ったそうだ。

 これを話してくれたのは、ラトアさん。最後に会った時には磔にしたっけ。

ラトアさんは憎たらしそうに話していた。

何十年もいじり回されたにも関わらず、コクウは笑ってこう言ったそうだ。


「"────あれ、バレた?"」

「ん? 何か言った?」

「何でもない」


 あたしはフレンチトーストを乗せた皿をコクウに差し出す。

「ありがと」と笑顔で受け取るコクウ。

 根は悪い奴ではないのだろう。仲間の為なら身だって売る。黒の集団の一員であるレネメン・ジャルットを助けたお礼もきちんと言う。

目的の為に手段を選ばないだけ。


  じーっ。

  ムシャムシャ。


あたしを見上げながらコクウはトーストを食べていく。

彼の勧誘は恐らく悪くない話だろう。決して彼が裏切るようなことはないのだから。


  じーっ。


コクウはあたしをジロジロと見上げる。あたしは黙って見下ろす。一体何を視ているのだろう。

 彼が口を開くまで待つ。

コクウは食べ終えてから、口を開く。


「椿、その傷は誰にやられたの?」


 傷と問われても直ぐにはわからなかった。傷は大抵悪魔が残さずに消してしまう。

噛まれた傷を消してはコクウに気付かれる為、そのままにしているがそれはコクウがつけた傷だ。


  チリリン。


コクウが鈴のついたチョーカーを指で回すのを視て、やっと気付く。

首に残る傷のことだ。

今までチョーカーをつけて隠していた傷。

触れられた時にでもチョーカーを盗られたのだろう。

バリン! と皿が割れる音が響く。

ボタリと紅い血が滴る。

目に突き刺さった皿の破片をコクウは抜く。忽ち突き刺さって出来た傷は消えてなくなる。


「痛いなぁ。俺死なないけど痛みは感じるんだぜ」

「出てけっ!!!」


 あたしは怒鳴り声を上げた。

コクウは、あたしを見上げる。

激怒して睨み付けるあたしを見つめて、二回ほど瞬きをしてから立ち上がった。


「わかった」


 そう一言だけを残してあたしの部屋から出ていく。


  パタン。


あたしは奪い返したチョーカーを握り締めてソファに崩れ落ちた。

 首に触れればわかる傷の痕。

一番最初に、死にかけたあの時。

床に落ちている紅い滴を視て思い出す。

 目を閉じて、思い出す。

ガタンガタンと揺れる音。

真っ赤に染まる電車の中。


「…──────」


 胸が、痛い。





「みゃあ」と猫の鳴き声を聴いて、目を開く。

地下鉄で移動していて、居眠りしていたらいつの間にか目の前に黒猫がいた。

黒い猫が乗車していた。


「何処にいくの? 黒猫さん」


 あたしはそんな黒猫に話し掛ける。日本語だから周りにはわからないだろう。

組んでいた脚を直して膝を空ければ猫はあたしの膝に飛び乗った。

それから喉を鳴らして顔を擦り付ける。

指先で顎を撫でてやった。

人懐っこい猫だな。

きっと人間にご飯を恵んでもらっているのだろう。

だけどあたしはご飯を持ち合わせていない。

丁度降りる駅になったので猫を膝から下ろしてあたしは電車を降りた。


「みゃあ」

「…………何も持ってないけど」


 猫はあたしの後を追う。

何を望んでいるのか、チョロチョロとあたしの後ろを歩んでついてきた。

 ついてこられてもな……。

これから仕事なんですけど。

今日はヘマをして依頼人の怒りを買った殺し屋の始末。

パトスの件の金が入ればパスポートが買えてさっさとこの国を発てたのに。

これで足がついたらどうしよう。


「…………ハァ」


 妙なことになることだけはやめてほしい。

何があっても黒と白が衝突することは避けないと。あーやだやだ、めんどくせぇ。


「にゃあ」

「ん、ちょっと……邪魔しないでよ。退いて」


 黒猫が足にすがり付く。危うく蹴り飛ばすところだった。

ついてきたら死ぬぞ。

あたしは黒猫を飛び越えて、駆け出す。黒猫も駆け出して追い掛けてきた。

 しつこっ……! 黒猫しつこいっ!

本気でダッシュをしたが猫を振り払うことは出来なかった。

 結局、黒猫は標的のアパートまでついてきてしまう。

なんであたしは、人間以外の生き物にまで追われなきゃいけないんだ。

 なんで構ってほしくない時に限って付きまとう?


「……こっから先はついてくるな。わかったわね?」


 あたしは厳しい口調で黒猫に言う。伝わったのか黒猫はそこに座り込んだ。

 ふぅ。あたしは階段を上がって部屋に向かう。


  コンコン。


その部屋のドアをノックしてパグ・ナウの爪を出した。


  ────ズキッ。


頭痛が走る。これが意味するのは、“危険”。


  ドッカーンッ!


ドアをぶち破って散弾が飛び散る。間一髪避けれた。

発砲した殺し屋の男は直ぐ様中から出てきて階段を駆け上がる。

 ばかめ、階段を上がるなら逃げれないだろう。

あたしも立ち上がって階段を駆け上がる。狭い階段。手摺を掴み壁に足を付けて飛び、距離を詰めた。

そして呼び動作なしに爪で突く。


  ガヂャン!


殺し屋は散弾銃で防いだが、爪の方が強度が強く散弾銃を砕いた。

びゅっと顔目掛けて足を振られる。右手で防ぐ。左手の爪でその足を切りつけようとしたが避けられた。

殺し屋はまた階段を駆け上がる。

 だから上に行っても逃げ道はねーよ。

投擲ナイフを放ったが、壁に突き刺さるだけで空振り。ちっ。

階段を駆けてナイフを回収して追う。あー、また走ってるよあたし。

五階建てのアパート。

直ぐに屋上に出た。袋の鼠。

…と思ったが、殺し屋は隣の建物に飛び移った。


「おい、まじかよっ!」


 超めんどくせぇ!

標的を取り逃がすような失態はしたくない為にあたしは追跡を続けた。

建物から建物に飛び移っていく。

一ヶ月、数え切れない(数えてないだけ)仕事をやってきたが映画みたいに屋根での追跡をするのは初めてだ。


  パッリーン。


やっと飛び移る建物が無くなったかと思えば、殺し屋は隣の建物の窓に飛び込んだ。

 なんて諦めの悪い奴!

あたしも遅れて飛び込む。殺し屋はまた階段を上がろうとした。させるか。

足を狙ってナイフを放つ。直撃はしなかったものの、傷はつけれた。


「くそったれ!」

「!」


  バキュンッ!


殺し屋が拳銃を出して放った。

弾丸を避けたらズルッと段から手を滑らせて誤って階段から転がり落ちる。


「痛っ……ぁ……ぜってぇぶっ殺す!」


 ガバッと起き上がって五六段飛ばして階段を上がったら。


「にゃあ!」

「うお!? ……おまっ、まさかついてきたのか!?」


 飛び込んできた窓から黒猫が飛び込んできて咄嗟に受け止める。まさか一緒に屋上を飛び移ったようだ。

 この猫の執念は一体…。


「ここにいなさい!」


 怒鳴ってから黒猫を降ろしてあたしは標的を追った。

ナイフを投擲。腕に命中。それでも標的は走り続けて階段を上がる。


  ガチャガチャ。


屋上を開けることに、標的は手間取っていた。よし、追い詰めた。

カルドを取り出して、向かう。

ガチャガチャ、と標的はいつまでも開けようとしていた。

ガチャン。扉が開いたの同時にカルドが心臓を貫く。


「……ふぅ。あー、疲れたぁ」


 カルドを引き抜いてよろよろ歩いて座り込む。ノンストップで建物を飛び移ってへとへとだ。今更上がる息を整えようとする。

 これでパスポートが買えるな。うし、金を取りに行って、明日にでもこの国を発とう。


「みゃあ」

「……ん?」


 身体を起こして扉を視たが、黒猫はそこにいない。

あれ? 今確かに鳴き声がしたよな?


「んにゃあ」

「……」


 また聴こえた鳴き声に振り返れば、隅をてくてくと黒猫が歩んでいた。

際どい場所を、歩いている。

 落ちたら、死ぬぞ。

少なくともこの建物は五階建てではない。


「そこの黒猫。こっちおいで」

「にゃあ」


 黒猫は返事してあたしを振り返った。

ズルリ、そして足を踏み外して黒猫が────…落ちる。

慌てて飛び出した。


「にゃあ! みゃあにゃあ!」


 一階下の窓枠に黒猫が必死にしがみついて鳴いている。猫はペシャンと落ちずに済んでいた。

あたしは身を乗り出して手を伸ばす。猫の手を掴むしかなかったが、猫は暴れてあたしの手を引っ掻いた。

 思わず、手を離してしまう。

当然のように、黒猫は落ちる。

もう一度、身を乗りだして黒猫を掴んだ。が。

身を乗り出しすぎて、あたしまでが──…落ちた。

 落下する感覚。

あたしは黒猫を抱き締めて、地上に背を向けた。目を閉じて落下を待つ。

痛いだろうが、死なない。

悪魔がどうせ、治すのだから。


  ドッ。


背中に衝撃を感じて目を開く。

それから。


  がしゃん!!

 ピピピピピピピピピピピピ!


車の上に落ちた。衝撃を喰らって咳き込む。しかしあの建物から落ちたにしては、衝撃が軽すぎる。

そして背中にある感触が、車とは違う。胸の上には猫。腹には誰かの腕。


「ゴフッ……ん、あー内蔵やられちゃったなぁ。ま、いっか」

「コクウ!?」


 頭の上で聴こえた声は、間違いなくコクウだ。

飛び起きれば激痛が走った。


「っつあ! ……んんっ!」

「あはっ、椿の血だぁ」


 ぺしゃんこになった車のフロント硝子がブーツと右脹ら脛を貫いて血が流れ落ちている。起き上がったコクウはそれを手にとって啜った。


「痛っ……! お前、何して……」


 振り返ればコクウは血塗れだ。黒いジャケットの中のYシャツが真っ赤に染まっている。コクウの血だろうか。肋骨がYシャツを貫いた痕が見えた。


「何って……椿を助けた」


 唇から垂れている血を舌で舐めとってコクウはにっこりと笑う。

三日ぶりに顔を見せたかと思えば、なんなんだ。


「猫は無事みたいだね。にゃー」


 こしょこしょと黒猫の顎を撫でてコクウは笑う。


「なんで助けたのよ」

「猫を助けるべく自分で身を乗り出した少女を助けずにいられないだろ」

「…………」


 嫌なところを見られたらしい。

黒猫を助けようと落ちた紅色の黒猫。

頼むから口外しないでほしい。


「椿、抜くよ」

「え?ちょっと……痛い!!」


 コクウが硝子を引き抜いた。

流血を掌で押さえ込む。それから懐からハンカチを出して止血をした。

コクウがいるからヴァッサーゴが放置しやがってる。くそう。

あたしはコクウの上から、車から降りた。


「椿、何処行くの?」

「依頼人のとこよ」

「そんな足で? 血が勿体無いほど零れてるけど」

「関係ないでしょ」

「俺が無傷で助けられなかったから、ごめん」

「……助けてなんて言った覚えはないわよ」


 右足を庇って歩いたが、コクウが変なことを言ったので睨み付ける。


「助けるために勝手に飛び出したのは俺だけど、命の恩人にはかわりないぜ」

「ありがとう、この足以外は助けてくれて」


 そう吐き捨ててまた歩いたが、足が地上から離れた。


「手当てしなきゃ出血多量で死んじゃうぜ。俺の家近くだから」

「ちょっ、いいっ! 手当てしなくていい!」

「やだ。椿が死ぬなんて嫌だよ」


 死なねーよ。お前さえ離れれば死なねーんだよ。

コクウはあたしを抱えあげて逆方向を歩き出す。

どうやら潰したのはコクウの車だったらしい。だから徒歩。

片足が重傷なあたしは振り払えずに運ばれてしまう。


「……諦めてなかったわけ?」

「俺は諦め悪いんだ」

「……くそったれ」

「悪態つくと食べちゃうよぉ」


 こつん、と軽く頭で小突いてきた。三日すればあたしの怒りがおさまるとでも思っているのか? コイツ。

睨み付ければコクウは「言い忘れたけど、朝食美味しかったよ」と微笑んだ。


「……アンタが人間と同じ味覚を持ってるとは思えない」

「似たようなものさ。美味いものは人間の二倍美味く感じて不味いものは人間の二倍不味く感じる」


 ほんとかよ。


「猫なんて飼ってなかったよね、椿。なつかれたちゃった?」


 コクウは後ろをついて歩いてくる黒猫を振り返った。

まだついてくるようだ。

何が目的なんだろう。


「家って、この前のとこ?」

「いや、正しくはその上だ。椿を寝かせてた部屋は俺達のオフィス」

「オフィス? ……黒の集団の?」

「そ。椿が入る予定の俺達のオフィス」

「……やっぱり降ろして」

「そこにいかなきゃ手当てができない」

「拉致に等しい。さっさと降ろしなさい」

「やだぁ、椿が死んじゃう」

「人間を貧弱呼ばわりすんな!」


 あたしは拳でコクウの頭を殴った。2ヶ月前なら畏れ多い行為だが、もう怖くはない。

痛覚があるなら多少は効くだろう。


「ごめん。椿」


 黒の殺戮者の口から、謝罪の言葉が出た。


「女の子は傷を気にするよね。ごめん。俺ってば嫌がることしちゃった、ごめん」


 一瞬何のことかわからず、きょとんとしてしまう。

三日前にチョーカーをとったから怒鳴ってしまったことだろうか。

コクウは視られたくない傷と解釈したらしい。

確かに視られたくない傷でもあるが、あたしはチョーカーをとられたことに怒りを覚えた。

このチョーカーは、白瑠さんに貰ったものだ。

コクウにとられて、恐怖を感じた。壊されるんじゃないかと。


「……気にすることじゃないわ。別にあたしは……」

「そんな傷がついても、椿は可愛いよ」


 誤解を解こうとしたら、コクウは穏やかな微笑で言った。


「とびっきり魅惑的で可愛い娘だぜ」


 そう告げて、額に口付けを落とす。

嘘を言っているようには見えない顔。穏やかな微笑。

あたしは何も言えずに黙りこくった。

 結局、あたしは黒の集団のオフィスに運ばれてしまう。

電気がついていることに気付いたが今更逃れることも出来ず中に運ばれた。


「お客を連れてきたよぉ、紅色の黒猫の椿だ」


 入るなりコクウは部屋にいた一同にそう声をかける。……あたしはまた策略にハマったのかもしれない。

その場にいた者が静寂を作ってあたしを振り向く。


「おお! やっほー椿!」


 静寂を真っ先にぶち壊したのは、那拓遊太だった。


「うわっ、なんだよ。怪我したのか?」

「遊太……ちょっとね」

「あー、黒っち。手当てする? よな。火都ー、救急箱って何処だっけ?」

「……おれ知らない」


 座っていたソファから立ち上がりあたしに気さくに笑いかけ、それから救急箱を探し出す。火都もソファから退いた。

コクウはそのソファにあたしを降ろしてから救急箱探しに向かう。


「ハーイ、レネメン。元気そうね」

「……アンタのおかげで」


 向かいに机に腰掛けたレネメン・ジャルットと目があったので挨拶をすれば肩を竦められる。


「伝言を聞いて電話がくるのを待ってたんだが」

「伝言のあとに貴方のボスと賭けをするって決めちゃったもの。出来るわけないじゃない」


 あたしはしれっと返す。

「だよな」とレネメンは苦笑してみせた。

知った顔が三人────否、四人だ。

後ろから忍び寄る気配。

ザッと爪を出して突き付ける。


「おっと! 相変わらずだね、お嬢さん」

「……アイスピック?」


 そこにいたのはレネメンと一緒に会った殺し屋のアイスピック。名前は確か……ジェームズ。

レネメンと同じで瀕死だった彼を病院に送った。


「アンタも生きてたんだ。……しかも、黒の集団の一員?」

「お嬢さんは私のラッキーガールさ。ガトリングの罠から逃れ生還したし、かの有名な黒の集団の仲間になれたのさ」


 ふぅん。仲間に入ったのか。

それなりに名前が通っていたのだからその資格はあるのだろう。

とりあえず、近付くなと睨み付けた。


「椿、ブーツ脱げ」

「ん」


 救急箱探しから戻ってきた遊太に言われてあたしはブーツとニーソを脱ぐ。まだ血は垂れ落ちる。


「こりゃあ、縫わねーと」

「平気よ。きつく縛ればいいの。あたし、治りは速いから」


 ね? ヴァッサーゴ。


「そうか? まぁ……出血が酷いだけで神経は損傷してないみたいだから大丈夫か。黒っち、まだぁ?」


 どうやら救急箱探しはコクウと火都に任せたらしい。柱が邪魔で二人は見えないがちゃんと探しているようだ。


「やっと会えたな、椿。ちょー捜し回ったぜ? 逃げるの上手いな」

「負けず嫌いだから。……負けちゃったけど」


 褒められたので威張ってみたが、結局は負けてしまったのだから威張れない。

あー、負けた。悔しい。


「そんな落ち込むな。ほら、これでも飲んで元気出せ」


 レネメンはペンをあたしに差し出した。ペンを飲めというのか?

そう思っていればペンは一瞬で瓶へと変わった。おお、手品だ。

思わず笑みを溢してそれを受け取る。

丁度そこに救急箱を持ってコクウと火都が戻ってきた。


「────へっ。頭蓋破壊屋に並ぶ殺し屋だと聞いていたが……ただの小娘じゃねーか」


 初めて見る男が口を開く。

壁に置いてある机の上に一人座ってあたしを観察するように視ていた男だ

左目には切り傷があり、その周りに六つのピアスをつけ、派手な髪色をしている。手が隠れる程の長い袖のジャケットを着ていた。


「その小娘の何処が頭蓋破壊屋(スカルクラッチャー)に並ぶって言うんだ?」


 その口振りはあたしに訊いていない。

仕事以外であたしに会えば誰もがそう思うだろう。

なんせあたしは、見た目ただの少女の殺人鬼。

何もせずにいるあたしを、ベテラン刑事でも腕利きの殺し屋でも殺し屋に敏感な狩人にも、イカれた殺人鬼だって見抜けなかった。


「そりゃ頭蓋破壊屋(スカルクラッチャー)に劣らない殺しの才能さ」


 答えたのはアイスピック。


「てめーは頭蓋破壊屋(スカルクラッチャー)の殺しを見たことねーだろ。こんな小娘がアイツ程の殺しの才能があるとは思えないね」


 顔面ピアスはあたしを指差してそう吐き捨てる。だからあたしはシレッと肯定をした。


「えぇ、あたしはクラッチャー程の才能なんてないわ」


 そうすれば、その場がしんと静まり返った。


「なんなら、試してみる?」


 ニヤリと挑発的に笑いかける。

しかし数秒後に「んひゃあう!」と情けない奇声をあげた。怪我した脹ら脛をコクウに握られたからだ。


「なぁに言ってるの。この脚じゃあ武器職人に勝てやしないよ」

「うっ……ああ、じゃあ彼は武器職人のカロライね」


 武器職人のカロライ……なんとか。腕利きの武器職人。

どちらかと言えば殺し屋のようなナリだが、彼は武器職人だそうだ。


「そうだよ、天才的武器職人だぜ。椿も武器作ってもらえば?」

「誰が名だけの殺し屋如きに作らなきゃいけないんだ、くそったれ」

「頼まねーよ、顔面ピアス」

「土下座されても作らねーぞ、ちんちくりん小娘」

「わーあ、仲良くなってくれて嬉しいなぁ」

「黒っち、これどう見ても険悪だ」


 ギロリと睨み合う。

コクウはにこにこ楽しげに笑うがちゃんと遊太がツッコミを入れる。彼にしたら睨み合いなどじゃれてる程度にしかとらえてないのだろうか。頭蓋破壊屋の睨みなんて挨拶にしか思ってなかったりして。


「でも、椿の武器って中々いいものがあるよね」

「ほーう?見せてみろ」

「例えば、この短剣とか」


 足を掴んでくるコクウの外そうと格闘していればあたしの武器を褒めた。

それから、気付けば────…あたしの左腕にいれていた短剣が、コクウの手に。

刃に椿花が描かれた短剣。

それをコクウがカロライに投げ渡した。

その短剣は。その短剣は。


「────っ返せ!!!」


 あたしはコクウを踏み潰し、レネメンの腰掛ける机に飛び乗る。右足に痛みが走った。だけど痛みより怒りが勝ってカロライに向かう。

パグ・ナウの爪を出して、切りかかろうとした。

 しかし、カロライに届かない。

俊敏な吸血鬼のコクウが立ち塞がって、あたしを掴み、机に押し倒した。


「放せっ!!」

「暴れちゃ出血が酷くなる。……ほら……こんな、ハァ……もったいない……んっ」


 切り裂きたかったが、右手は固定され動けない。畜生!

コクウは笑っていたが怪我を見るなり恍惚とした顔をし、あたしの左足を上げて太ももまで垂れる血を舌で器用に舐めとり、それから傷口から吸いとる。

 あたしは上げた足でコクウの頭に踵落としを決めておく。倒れたコクウの頭にヒールを叩き落としてから、カロライを睨み付ける。

少なからず強張ったカロライは、短剣を差し出す。

あたしはそれを奪い返して短剣をしまう。

そのままこの場をあとにしようとしたが、コクウがあたしの腕を掴んで引き留めた。


「悪かった、椿。ごめん、ごめん。大事な物だったなんて知らなかったんだ」

「……」


 別に、大事な物なんかじゃあ……ないけど。


「椿……手当て。しなきゃ、死んじゃう」

「……うん」


 手招きをする火都が静かに言うため、あたしは大人しくソファに戻る。


「……。手当ては俺がする」


 遅れてコクウも戻ってきてあたしの手当てを再開させた。


「ほらほら、椿。飲めよ」

「……中身は何?」

「ジンだ」

「ごめんなさい、禁酒してるの」

「うわあ、椿、えらぁい」

「禁酒って……歳いくつだよ」


 先程レネメンが出した瓶を遊太に渡されたが、酒と聞いてレネメンに返す。

 ボソリ、とカロライが呟いた。あたしとは目を合わせない。恐怖を植え付けれたようだ。


「じゃあ……こっちでどうだ?」


 レネメンはズボンのポケットから出したハンカチで瓶を隠し、一秒もしない内に出す。瓶は変わった。コーラだ。

また手品。あは、ちょっと顔が緩む。

レネメンは微笑んであたしにそれを持たせた。


「………………」

「ありがとう、レネメン」

「…………」

「椿、お菓子もいる? あっ、つかさ! これから椿の歓迎会しね? いいよな、黒っち!」

「歓迎会なんてしなくていい。別にあたしは仲間になったわけじゃないわ」


 やっぱり勘違いしていたのか。

ノリノリな遊太には悪いがそこはきっぱりと言っておく。

一同は目を丸めた。とは言っても火都とコクウ以外の四人。


「え? お嬢さん、仲間に入るからここに来たんじゃないのかい?」

「コクウが手当てする為に連れてきただけよ」

「えぇ!? 椿入らないのかよ!? いいじゃん! 入ろうぜ!!」


 遊太がだだっ子になった。


「嫌。ほら、あたしって頭蓋破壊屋には劣るし? 仮にも師匠である彼と敵対するコクウの仲間にはなれないわ」


 カロライを見て言ってから手当てを終えたコクウを見る。


「…………」


 コクウは沈黙を返してあたしを見上げていた。そう言えばさっきから黙ってたなコイツ。


「コクウ、黙らないでくれる? 貴方が黙るときって何かを企んでるんでしょ」

「!」


 図星だったのか、コクウはにっこりと笑みを浮かべた。


「これから俺達大仕事をやるんだ、椿。それを見学してからでも返事を頂戴」

「大仕事?」


 大仕事を見学。見学、ねぇ。

それであたしを巻き込む策ならば、乗ってはいけない。


「はぁ? 馬鹿言ってんじゃねぇよ、黒。仲間どころか敵対の小娘に手の内を晒す気か」


 反対のカロライが口を挟んだ。コクウの背中を睨み付けて。

カロライの言う通り。大仕事が台無しになる可能性がある。あたしが情報を漏らしたりすれば。


「椿にも白瑠にも、手の内がバレたっていいじゃん。これで面白さが伝われば仲間に入ってくれるだろ? そしたら椿は仲間だ。どうだい、椿。見学する?」

「…………」


 しかし、そんなリスクなんてないみたいにコクウは笑って誘ってくる。


「……仕事の内容は?」


 問えば簡単にコクウは簡潔に話した。

カロライは苛立ちを隠さず大きな舌打ちをして「勝手にしろ!」とそっぽを向く。

黒の集団の大仕事を聞いてあたしは────俄然興味が沸いた。

見学どころじゃない。自分も参加してみたいと思う。

また策略家の罠に嵌まったらしい。

しかし、この好奇心は拭えない。

この久々の胸の高鳴りはいつ以来だろうか。

どっかの億万長者の美しすぎる政治家のボディーガードをやった時以来だろう。


「ほら、椿は怪我をしてて仕事は暫く出来ないだろうから、火都達と一緒に視ててよ」


 あ、そうだ。怪我で参加できない。うわ、最悪。

どうやら火都も参加しないようだ。内容が、内容だからな。

大仕事なんて言えるものではない。何せ依頼人など存在しないのだから。

あくまでこれは“黒の集団”の活動に過ぎない。

最強の殺し屋集団でなければ最強の狩人集団でもない。

黒の殺戮者率いる名の馳せた多士済済の集団。その結成の訳は、誰も知らない。本人(彼ら)しか知らない。


「────ねぇ、コクウ。何のために集団を作ったの?」


 あたしは訊いた。

きょとんとした顔をしたコクウは、やっぱり誰かを連想させる。

やがてにっこりとチェシャ猫のように口元を吊り上げて笑った。


「それは仲間に入ったら、教えてあげる」


 やっぱりあたしは、誰さんと同じように、誘われて────────ついていってしまう。






「治せ!」

「やだね!」

「治せ!」

「やだね!」

「治せ!」

「やだね!」

「治せ!」

「やだね!」


 このやりとりはかれこれ一時間やっている。

ヴァッサーゴがいくら言っても足を治してくれないのだ。


「治したら黒吸血鬼(ヴァンパイア)にバレるだろうが!」

「怪我したフリをすればいいんだろ! てめぇ吸血鬼(ヴァンパイア)にビビりすぎだ!」

「他人に頼む態度じゃねーな!」

「なによ! 頼まなくてもいつも治すくせに!」


 この一ヶ月も、その前も。ヴァッサーゴは許可なしに傷を治したが、今回コクウがつけた傷と目の前で負った傷は治さない。

まだコクウに存在をバレていないのに徹底的に隠れるつもりらしい。こんな臆病者だったとは知らなかった。


「臆病者だと? ハッ! 吸血鬼LOVEな椿は好かれてさぞ浮かれてやがるな。お前、吸血鬼に殺される立場だって忘れてんのか? オレがいるってわかるなり首が胴体からなくなんぞ。そうすりゃお前もオレもくたばんだ!」

「好かれても浮かれてもいねーし! どこが好かれてんだ、この野郎! ストーキングが好かれてると思って浮かれる女子が何処にいやがんだ! このチキン悪魔!」

「てめえを守ってやってんだよ! このド感女! メロメロになっててめえの血を飲んでたじゃねぇか! 何が女子だ、ちたぁ女の勘を磨いてから言いやがれ! 自称女子!」

「てめえこの引きこもり悪魔!! 出てきやがれっ! 首を撥ねてやる!!」

「オレの首を撥ねたらお前の首も飛ぶって言っただろうが!!」


 ヴァッサーゴまで声を荒げて口論するのはこれが初めてだったりする。

いつもは一方的だが余程“臆病者”が効いたらしい。

そう言えば前にあたしの前に現れたから、ぶっ殺そうとしたらそんなことを言ったっけ。またあたしの中に戻ったから試せなかったんだけど。


「試したら死ぬっつーの」


 ヴァッサーゴはあたしの心の声を聴いて突っ込んだ。


「ほんっと、お前って鈍感だよなぁ。奥手な奴らが哀れで俺泣きそうだぜ」

「血も涙もねーくせに」


 まじでコイツは血がない。悪魔の身体は煙状なのだから。涙は知らないけど。多分出ないだろ。悪魔だもん。


「お前贔屓しすぎだ。オレだって涙ぐらい出る」

「涙ぐらいって言ってる時点でお前の目から出てくるのはただの水と成り下がる。血も涙もない悪魔になりました、おめでとう(ヴイ)

「ハッハッハー、頭痛くしてやろうか?」

「じゃあ治せ!」

「お前、オレの話を聞いてないだろ」


 ちっ。この臆病者め。

仕方なくあたしは包帯を巻き、ジーンズを履く。仕事ではないので革ジャケットに武器を仕込んで腕を通して底の低いショートブーツにする。髪をポニーテールに結んで準備完了。


「仲間に入るって言うなら治してやってもいいぜ」

「は? はいんねーよ」

「興味が沸いてるくせに。クククッ、入れよ。仲間に入れば黒野郎だって手出ししねーだろ。なんてったって仲間想いの吸血鬼なんだからよ」


 もう調子が戻って、ヴァッサーゴは喉で笑う。

吸血鬼を嫌うくせに、なんでまた黒の集団に入れたがるんだ。

「そんなつもりはない」とあたしは返しておく。

今回はただ、見学するだけだ。

面白そうだから。

怪我したあたしが参加することはないのだから、成り行きで仲間になることはない。


「……おい? V?」


 ヴァッサーゴが沈黙をした。潔く諦めたのか?

そう思ったが違う。いつも同様に隠れただけだ。

 コンコンと目の前がドアにノックされた。それから聞き慣れた猫の声。

開けてみれば昨夜の黒猫を抱えたコクウが立っていた。


「Vって誰? 椿の視えない友達?」


 にこっと笑いかけコクウ。独り言を聞かれるのは二度目か。

その質問は聞き流して黒猫に挨拶する。昨晩はコクウが預かっていたがあたしのことを覚えているようだ。


「仕事に連れていく気なの?」

「椿が退屈しないようにと思って。待機するのは口下手なハッカーに火都とカロライだから」

「……退屈するようなものをあたしに視せるわけ?」


 冷ややかに見上げれば、ものともせずにコクウは微笑を返した。

 コクウがあたしの手を引っ張り、アパートの下へと連れて行く。別に痛くないんだけど、怪我は。

アパートの前には、悪目立ちする真っ暗の高級ベンツが在った。……長すぎる。

コクウは猫を片手で抱え、ドアを開いた。「どうぞ」と紳士に中へと促す。

 あたしは、乗り込んだ。

中は高級感溢れる匂いに満ちていた。かなり広々していて、十人乗車してもまだ広く感じる。

運転席側にはPCが置かれ、一人前に座っていた。彼がハッカーなのだろう。右側には画面が六つ。なんだか藍さんのバンを思い出すが、バンとベンツは違うだろ。


「おっすー! 椿!」


 気さくに遊太が挨拶してきたので手を振り返す。あとからアイスピックも手を振ってきたが気にせず席に座る。


「へー、これがかの有名な紅色の黒猫か。可愛い娘じゃないか」


 目の前に見覚えない男が腰掛けた。


「おれさんは、マイキー・ハウントンだ。ん? 蠍爆弾(スコーピオン)って言った方がわかるだろ」

「……爆弾使いの殺し屋、か」


 黒の集団の一員。

起爆装置を巧みに使い仕事を遂行する殺し屋の蠍爆弾(スコーピオン)

爆弾使い。嫌な奴だ。

あたしが冷ややかな殺気を放ったことは車内の誰もが気付いた。


「嫌われたみたいだな、マイキー。離れた方がいいぜ」


 それでもお茶らけて遊太が言う。

「マイキーも知り合い?」とコクウはあたしの膝に黒猫を乗せて、しゃがんだ。


「機嫌直してよ、椿」

「……あたしは猫じゃねえ」


 あたしの顎を撫でるから、右足で踵落としをする。黒の殺戮者、倒れたり。

「おー、怖い怖い」と蠍爆弾はさっさと離れて元の席に座る。その隣は目隠しされている男が一人。


「あ、彼はチクリ屋。彼には目隠しをさせておいたよ、ほらっ白にはまだバレたくないだろう?」


 チクリ屋。つまりは情報屋だ。名前はナヤ・リウン。

今期最も凄腕の情報屋だと謳われる男。何でも父も凄腕のチクリ屋だったとか。

 コクウなりに気を利かせたようだ。彼なら世界中に広め兼ねない。


「くそっ! 紅色の黒猫に会えたって言うのに、情報を流すなって……拷問だ! くそったれ!」


 何言ってやがる。拷問を受けたことがないやつがほざくな!

……なんて。拷問ならば、彼の方がよく知っているだろう。

不機嫌なチクリ屋から足元のコクウを見る。


「うおーい! 紅色の黒猫。一つ、確認させてくれよ。ポセイドンと交際してるって噂が一時期あったんだけどさー、そのネタ本物?」


 変な質問をするから車内が変な空気に変わってあたしに視線が注がれる。

顔が引きつった。てっきり狩人内での噂で留まったとばかり思っていたのにな。

 ポセイドン。狩人の鬼と呼ばれる狩人。

本名、秋川秀介。

鬼と呼ばれるにはあたしに甘過ぎる男。

あたしに、愛していると最初に告白した男だ。


「デマよ」

「へー、そっか。なぁんだ、残念だな。ポセイドンも蛙の子だと思ったのに」

「……何それ?」

「ポセイドンの両親も狩人と殺し屋の異色カップルだったんだよ」


 目を丸めてナヤを振り返る。

異色カップル。そう言えば秀介は生まれつき裏現実者だって前に聞いたな。

両親の話は初めて聞いた。

お互い、血の繋がった家族のことなんて話していなかったからだ。


 家族は嫌い?


 ……あ、でも。

 俺もおんなじ。


一度だけそんな質問をされたっけ。

家族は嫌い。あたし同様に両親は嫌いだったはず。

なのに、なんでまた…────。

異色カップルになってしまうあたしに愛していると言い続ける? 変な子だな。

やっぱり白瑠さんが絡んでいたから熱を上げていただけなんだろうな。うん。


「そう言えば、椿。椿は流星の如く現れたけど、両親は何やってる人?」


 コクウがそんなことを聞いてきた。

ああ、そっか。こいつらはあたしの素性を知らないのか。まぁ知ったところで何の役にも立たない。

どうせただの表の履歴。それも既に死んだことにされている。


「父親は警察。母親は水商売してた」

「まっじで? こりゃまた異色カップル! ね、これだけ流してもいい? 別にいいよね?」

「流したら殺す」

「何かネタを流させてっ!! 禁断症状起きるっ!! もう黒の集団なんて抜けて洗いざらい流したいーっ!!」


 チクリ中毒者を発見。一体精神科は彼の中毒をどう治療するのか。是非とも知りたい。


「くっひゃっひゃー。レネメン、手足縛っておいて」

「了解」


 コクウの指示でレネメンは腰を上げた。マジックに使いそうなハンカチを取り出してそれでナヤを縛る。ナヤは暴れながら愚痴を撒き散らした。

「いいネタがあるから集団に属したのに我慢ばっかだ! 有名人の赤裸々ゴシップは企業にバカ売れすんだぞ、このヤロー! 挙げ句にはブラックキャットも見れず目隠しで拘束っ! んだよ、まじでぇ。なんだよこの扱い。まじで情報流したい。嗚呼、流さないと死ぬー」と息もつかずに言い切るチクリ屋。なんかコイツのキャラ好きかも。ウケる。


「今回の仕事を終わったら流してよ。ほら、謎に集う集団の初仕事だぁ。いいネタだろ?」


 コクウがそう言えばナヤがピタリと暴れるのを止めた。

了承したのか一度だけ頷く。

扱いには慣れているのか、こいつ。あたしも手玉にとられないように気を付けなければ。今回の手には二度と乗らないと固く誓っておく。……神でもなく、悪魔でもなく……うし、お前に誓おう。

あたしは膝の上の黒猫の額を撫でた。

 それから、先程から気になる背中を見る。

背中から感じるのは、緊張。目を細めてその背中を射抜いた。


「そんな睨むなよ、椿。こいつは見ての通りただのハッカーだぜ。コミュニケーション苦手なんだから勘弁してやれ」


 視線に気付いて遊太がそう笑う。自分が睨まれていると知り、ハッカーは強張らせたが決して振り返らなかった。


「彼はハッカーのバリューだよ。口下手で臆病だから、苛めちゃだめだよ」


 コクウが紹介した。

バリュー? なんだか聞いたことがあるようなないような。


「ふぅん、じゃあ……このベンツに残るのは」

「火都、カロライ、バリュー、ナヤ。寂しい? 俺がいてあげようか」

「リーダーがサボってどうするんだ」


 足元にいるからまたもや蹴ってしまう。黒の殺戮者を黒の集団の目の前で、蹴るなんてあたしも大物になったものだ。


「殺し屋が四人と大泥棒が一人」

「遊太は怪盗だよ」

「ああ、ごめん、遊太。たった五人でどうやってあのビルをジャックする気?」


 黒の集団。初めての活動。

それは超高層ビルのジャック。

ジャック。それも真昼間に決行。

下手をすれば表で捕まるというなんとも間抜けな結果になりかねない。

何が目的なのかはわからないが、これが成功すれば大騒ぎになるだろう。

凄腕の情報屋のナヤが広げるならば、裏現実者全員に届いてしまうはすだ。


「五人じゃないさ、お嬢さん」

「下調べした。八十三人が今日いて、その全員が表現実者。邪魔者は無し。ハッカーに情報あげたしね」

「オレ様の作品だ」

「……火都は?」

「…………なんだっけ?」

「やだなぁ、火都。邪魔者を排除したじゃあん」


 ちゃんと集団に属しているだけあって一同が仕事をしたようだ。火都はビルにいた殺し屋を追い出したらしい。

あとはハッカーの手と殺し屋の腕で遂行するだけ。


「くひゃひゃ、まぁ楽しんで視てて」


 にんまり、とコクウは目を細めて口を吊り上げた。

 目的は教えてもらっていない。ただビルをジャックするとしか。何をするかも何をどうするかも聞いていない。

黒の集団の初見せ場の目撃者になるだけだ。

初なのは、黒の集団の活動だけじゃない。

裏現実者がジャックするにも関わらず、死者を一人も出さないそうだ。

これは大量殺戮するよりも歴史上に残る試み。

 しかし、そんな試みをして何になるのだろうか?

そもそもそんなのが成功するのだろうか?

 誰も逃がさず、外部に騒がれず、誰も殺さずにジャック。

黒の殺戮者と呼ばれる吸血鬼率いる集団が、死亡者零で動く。

見物だな。成功しなくても、失敗してしまっても。

黒の集団のスキルとコクウの策略をしっかり見定めてやろう。


「じゃあ始めようか」


 高層ビルに着いて、早速開始した。コクウの軽い掛け声に一同がそれぞれに返事をして車を降りる。

ハッカーはビルの監視カメラにハッキングした。

ビルに入る五人は通信機をつけて、こちらに自由に話せる。


「先ずは何するのかしら?コクウ」

〔先ずはジャック〕


 話し掛ければエレベーターに乗り込んだコクウが答える。遊太も一緒だ。

 ジャック、ねぇ。

無数に並ぶ画面を見る限り、コクウと遊太は上に向かっていて蠍爆弾は下に向かっている。

レネメンはフロアに留まって、アイスピックは見当たらない。

やることは決まっているのか。ひねくれた策略家の作戦だろう。

 何をするんだろうか。

身を乗りだし頬杖をつく。

居残りのナヤは縛られたままで座席に寝転んでいて、火都とカロライは黙って画面を見て、画面の隣でハッカーがキーボードを叩いている。


〔バリュー、準備できた?〕

「ま、まだです」


 コクウがハッカーに問う。初めてハッカーの声を聞いた。やけに焦った様子に見える。


〔こっちはついた〕

〔まだかかる? バリュー〕


 蠍爆弾は準備できたらしいが、バリューはまだ無理そうだ。


「何を待ってるの? コクウ」

〔システムのハッキングだ。監視カメラのデータをクラッキングして、シャッターを降ろせば誰も逃げられない。そこで蠍爆弾が電源を落としたらショーの始まりだぁ〕


 ハッカーのハッキング待ち。というかこれが終わらないと始まらないじゃないか。膝から猫を降ろして腰を上げる。


「邪魔をするな。ただでさえ臆病なんだぞ」


 ハッカーに近付くあたしにカロライが呼び止めたが、気にせずPCを覗く。


〔くひゃ、殺さないでよ、椿〕

〔なぁ、こっちも準備できちまったんだけど。せめてカメラを停めてくんね?〕


 コクウが笑ったあとに遊太も準備ができてハッカーを待つ。

振り返れば二人はまだエレベーター。エレベーターで足止めを喰らっているようだ。

ハッカーは大慌てして震えながらキーボードを押していく。そしてヘマをやらかした。

ハッキングがバレて追い回されている。ハッキングどころじゃない。

挙げ句にはコクウと遊太のいるエレベーターに会社員が乗り込んでしまい、二人が気絶させた。


〔バリュー。遅すぎるよ〕


 コクウが画面越しにバリューに笑いかければ震え上がった。

次にエレベーターに乗り込まれたら、騒ぎとなってしまう。顔を見られたなら殺さなくてはならない。

ジャックする前に、ミッションが終わる。

 そんな最悪な事態になりかねない。

そんなことはどうでもいいが(寧ろ見てみたい)、目の前でおたおたするハッカーを見ると苛々する。

こんな幼稚なシステムに捕まりそうになるハッカーを何故選んだんだ? コクウは。

嗚呼、もう!


「退け! のろま!」

「ひぃ!!」

「おいっ! 何やってんだ!」


 我慢できずに椅子からハッカーを蹴り落とす。カロライが声を上げ、コクウが問う。


〔なに? 何事?〕

「椿がバリューを蹴り飛ばして……代わりにハッキングしてるみたい」

〔え?〕


 コクウに火都が教える。


「ひゅー! ブラックキャットは殺すしか脳がないと思ってた!」


 目隠ししたままだがナヤが飛び起きた。

 嗚呼、うっせーな。

あたしは捕まえようとするシステムから逃げ切って、ハッキングを開始する。

んだよ、こんなの藍さん作のシステムに比べたら楽じゃねーか。何を手間取っていたんだか。

 カチャカチャとキーボードを押しながらあっけらかんとしているハッカーをチラッとみる。


「おい、コクウ。通知しないようにシャッターを降ろせばいんだな?」

〔くひゃ、君がいてよかったよ椿。合図したら降ろして〕


 いなかった至極傑作な噂が聞けただろうな、裏現実の皆は。

コクウの合図であたしはビルのシャッターを落とした。一階の玄関と防火シャッターが一斉に降りる。

それと同時に停電となり、画面は真っ暗になった。

視えないじゃない。

文句を言おうとすれば、レネメンの声が聴こえてきた。


〔紳士淑女の皆様。お静かに。たった今から、このビルは我々が占拠させていただきました〕


 演技かかった声で言う。

〔もしも外部に助けを乞いたり、騒いだのなら〕バァンッ!と銃声が轟き悲鳴が聴こえた。


〔射殺いたします。さぁ、皆様、床に寝転んでください〕


 おーこわいこわい。

真っ暗で見えないぜ。


「おい、退け。まだ仕事が残っているんだ」


 カロライがハッカーを無理矢理立たせてあたしに言う。

ふぅん。あたしは素直に退いて画面が一望できる席に戻る。

万が一の為に電波妨害もしてあるから外部に漏れることはないだろう。

あとは目的を達成するだけだ。

その目的はわからない。

視えないではないか。


「ちょっと、コクウ。視えないわよ」

〔音声だけでお楽しみください〕

「これ見学じゃない」


 文句を漏らして画面を視る。

やっぱり真っ暗で視えやしない。

カタカタと音が聴こえた。何してんだろう。やけにコクウの声にエコーがかかっている。

ん? エレベーターの外に出たのかな。


「ねぇ、コクウ。なんでこんなやわなハッカーなんかを仲間に入れたの?」

「ん、勧誘したかったのは別のハッカーなんだ。でも断られちゃって、代わりに寄越されたのがバリュー」

「あらあら、貴方をフるのはあたしだけじゃないのね」


 退屈しのぎにバリューの勧誘の訳を聞いた。なるほど。バリューは力不足だったというわけか。

それならば納得できる。


「それで、貴方をフッたハッカーは有名なの?」

「くひゃひゃ、有名もなにも、ハッカーの中じゃあ神に讃えられてる男だ。椿は知らない? I・CHIPって名前だけど」


 聞き覚えのある名前。


「アイ……チップ……」


 今。思い出した。

I・CHIPは、穀田藍乃介のコードネームだ。

そしてバリューは。藍さんが黒の集団の情報を集めさせている手下。

 まずい。

あたしは必死で作業をするバリューを見た。

────藍さんに居場所がバレる。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ