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気儘悪魔と心臓



ドクン、ドクン、ドクン。

自分自身の鼓動を感じる。

ドクン、ドクン、ドクン。

自分自身の鼓動が聴こえる。

ドクン、ドクン。

止めてもらえない鼓動。

ドクン、ドクン。

生きている証の鼓動。

ドクン、ドクン。

生きている。

ドクン。








理解することを頭が拒否してぐちゃぐちゃと混乱する。


「つーちゃぁん?だじょぶ?」

「…しーのちゃんって…」

「篠塚刑事くん。」

「……篠塚さんが」

「番犬」


俯いて確認をすれば、心配そうに顔を覗く白瑠さんはさらりと答えていく。

篠塚さんが。篠塚さんが。

篠塚さんが番犬?

あの番犬?

コクウが捜す番犬?

歴史上最強の狩人?

その番犬が、篠塚さん?


「つ」

「なんで早く言わなかったんですかっ!!!」


顔を近付けた白瑠さんの顎にあたしはアッパーを喰らわせた。


「んひゃ…暴力的だね…SMプレイでもしてたのかな」

「いい加減にしてくださいっ白瑠さん!────このバカ悪魔!!出てこいっお前知ってただろっ!!」


顎を擦りつつも怒ってない白瑠さん。あたしじゃなきゃ殺されていただろうが気にしない。

あたしはヴァッサーゴを呼んだ。


「クククッ。んだよ、面白くねーな。白野郎が暴露しなきゃもっとたのし、ぐ!?」


黒い煙と共に実体で現れたヴァッサーゴが言い終わる前に、首を掴んで壁に叩き付けた。


「篠塚さんを見たときから知ってたのね!初めから知ってた!知ってて教えなかった!篠塚さんだと!てんめぇ!」

「へっ、調べりゃすぐわかることだった。つか気付けよ。ボケ刑事が記憶をなくしたのは五年前、犬っころが消えたのも五年前、白野郎がボケ刑事を助けた、犬っころの剣を白野郎は持っていた。辻褄が合うだろ」

「ヴァッサーゴ…!!」


へらへらとするヴァッサーゴにあたしは怒鳴り散らす。

ヴァッサーゴは篠塚さんを人目見た時から知っていたんだ。篠塚さんがなくした記憶。過去の彼。番犬だったことを知っていた。

"お前を知っている"

番犬だと知っているという意味だったんだ。

過去の映像でみた別人に見えた篠塚さん。あれが番犬だった。


「番犬が誰だか知っててコクウの手伝いを勧めたの!?てんめぇはっ」

「なにを怒ってやがんだよ?大事な偽善刑事が恋人に殺されるのがそんなに怖いのよ。頼めばいいだろ、お前にメロメロさ、標的を犬っころから白野郎にかえるもしれない」

「ざっ、けんじゃなっ!」


コイツは本当にあたしで楽しんでやがる。遊んでやがる。ふざけんな。

怒りが込み上げたせいか、胸に詰まるものを感じて言葉に詰まる。


「っ、う」

「椿?」

「おい、椿。オレに怒鳴ってないで早く小僧を捜したらどうなんだ?」


詰まったものを取り除こうと胸を叩く。そうすればヴァッサーゴの首を掴んだ手が外された。

あたしはキッと彼を睨み付ける。

しかしヴァッサーゴが黒い煙になって消え失せた。


「蓮真はどこなのよっ!!」


叫んであたしは地面を踏みつける。


「生きてる。自分の頭で考えろ。簡単に推理できんだろ。ほら思い出せ、小僧とやった探偵ごっこをな」


頭の中でヴァッサーゴが言った。ムカつく!あたしは頭を抱えて呻いた。


「大丈夫?椿」

「大丈夫じゃないっ!この悪魔ムカつくっ!」

「まぁまぁ、椿。落ち着いて。えと、指輪をつけて、ゆっくり考えよう」


またあたしを心配そうに覗いた白瑠さんは微笑んであたしを宥める。

そうね。そうよね。ええ。

あたしは指輪を嵌めて深呼吸する。


「篠塚さんに会わなきゃ」

「どうして?」

「コクウが狙ってる!」

「そうだけど、まだしーのちゃんには届いてないでしょ?」

「だめっ、コクウはアメリカにいて篠塚さんも秀介とアメリカにいるんですっ!この前は鉢合わせしそうにもなった…!だめですっ篠塚さんを隠さなきゃ!」


白瑠さんの手を掴んであたしは握り締める。篠塚さんが番犬だと知ってるのはあたしと白瑠さんだけ。だけど安心できない。

コクウが篠塚さんを殺すなんて。


「…わかった。じゃあしぃーのちゃんとこに行こうか」

「……はいっ!」


白瑠さんは優しくそう言ってくれた。

だがはいじゃあ行きましょう、とは行けない。蓮真君。彼も命の危機に晒されている。あたしのせいで。


「容疑者リストをたどっちに渡してぇやってもらえばぁ?もしかしたらさぁ、学生服君は人質で椿を誘き出す餌なんじゃん?餌なら生かされると思うよぉ」

「…………」

「ねっ、いこ」


あたしの手を握り、遊太達を追い掛ける。


「あたし」


戸惑いながら口を開く。


「嫌なんです。蓮真君が、あたしのせいで、死ぬかもしれない…」


白瑠さんは足を止めて振り返る。


「由亜さんのように」


誰かの大切な人を殺しておきながら、こんなことを矛盾を言うのは可笑しいとはわかっている。

だけどあたしは。

数少ない大切な人を死なせたくない。

守りたいんだ。


「大丈夫だ、椿。死なないよ」


あたしの髪を撫でて白瑠さんは言う。

「死んだらそれは殺した奴のせいだよぉ。椿のせいじゃない」と冗談のように言ってあたしを笑わせようとした。


「嬉しいな、椿がそぉゆぅこと。言うようになってくれ。前はぁ恥ずかしくて口にしてなかったよねぇ」


歩き出してあたしを見ずに白瑠さんは嬉しそうに呟く。

そうだっけ…。あたしは今までの自分を振り返る。

よく、わからないな。









「本当にごめんなさい、遊太」

「いいよ、椿。俺達で探してみるから」


 ファミレスで待っていた遊太にどうしてもアメリカに戻らなくてはならなくなったと話した。勿論、番犬のことは話さない。

白瑠さんは笑顔で多度倉さんを脅迫している。


「蓮真は椿の大切な友達の前に、おれの大切な弟だ。でーじょうぶ、行ってこい」

「遊太…」


にかっ、と笑みで遊太は背中を押す。


「ごめん、行ってくる。これ、クラッチャーの連絡先。何かあったらここに」

「クラッチャーのかぁ…おう」


容疑者リストと白瑠さんのケー番を渡せば遊太は苦笑した。


「クラッチャー曰く、蓮真君はあたしを誘き出す人質にしてるかもって…だから犯人からあたしに要求があったらすぐに教えて」

「クラッチャーが言うなら間違いないかもな。あぁ、すぐ連絡する」

「…なるべく早く戻るわ」


気さくに笑って遊太はあたしを笑わせる。心配かけまいと。

あたしはまだ迷いつつも、ファミレスを後にした。

早く篠塚さんに会おう。

会わなくちゃ。

 白瑠さんのコネでジェット機を使ってアメリカに飛んだ。

篠塚さんがまだあのアパートにいる可能性は低いから、連絡をとってみたが繋がらない。


「まぁーまぁー、つぅーちゃんっ!そんな焦んなくてもぉアイツには見付からないって」

「あたしは蓮真君の件でも焦ってるんですよ。彼は二週間以上行方不明なのに…やっぱり捜してからにするべきだったかな」


悠長にポテトチップスを頬張っている白瑠さんはあたしの気持ちなんて微塵もわかってない。頭を抱える。


「つばちゃんはぁ二ヶ月家出してたよぉ」

「彼は家出はありません……あぁ、一体誰が犯人なの?鼠は確かに殺したのに…」

「うん、鼠はずったずったのぉぐっちゃぐちゃにしたから、ちゃんと死んだよぉ」

「…あとあたしを恨むような奴なんて…」

「恨んでるとは限らないよぉ?」


バリバリと食べながら白瑠さんは言う。


「椿と遊びたいだけかもしれないよぉ」

「遊びたい?」

「恨みだけの犯行とは限らないってことっ」


ぱんっ、と袋を畳んで笑った。

…これ以上混乱させないでほしい。

ただでさえ篠塚さんが番犬だっていう衝撃の事実を知って大いに混乱してるんだ。


「…何故、篠塚さんに話さなかったんですか?記憶を取り戻そうと狩人に戻った彼に、何故教えなかったんです?」


やきもきしててもジェット機はアメリカに着かない。あたしは番犬の件を訊いてみた。


「話したじゃぁん、前のしーのちゃんは自殺しようとしてたんだ」


あ、そうか…。


「んでぇ、自殺は成功。自分を殺した。前のしーのちゃんである番犬はぁ死ぃんだぁ」


ぺろ、と自分の指を舐める白瑠さんの眼は、冷たくも見えた。

自殺。自分殺し。

確かに篠塚さんは死んだ。

以前の記憶とともに人格だけではなく、番犬という狩人の自分まで消し去った。

だから白瑠さんは秀介に断言したのだ。

番犬は死んだ。


「…白瑠さん、前に言いましたよね。番犬に殺されたかったって」


あたしは真っ直ぐ白瑠さんを見つめる。


「篠塚さんを助けた理由は、殺してもらうため?」


篠塚さんは飛び降り自殺だったと白瑠さんから聞いた。ビルから落下。


「言ったろ?諦めたってさ。こっちが殺されるの諦めたのに目の前で自殺してるんだぁ、助けてやりたくなるだろぉ?」


白瑠さんは笑みを浮かべて答えた。

にんやりと、惑わすチェシャ猫みたいな笑み。


「記憶をなくしたのはざぁんねんだったなぁ、飛び降りたのに助かったって知ったら番犬はどぉおんな顔をするか楽しみだったのになぁ」


…すげぇひねくれた人だ。

面白そうならそんなことまでするのか。

面白い顔を見たいがために自殺で死にかけた人を助けたなんて。

ひきつる顔は隠さない。


「番犬の時と、記憶なくしたしぃのちゃんが違いすぎてさぁ笑ったぁ」

「……白瑠さん」


面白がって生かした。

なんて人なんだ。

まぁ、怒っても仕方ない。

白瑠さんが篠塚さんを生かさなければ、あたしは篠塚さんに会えなかった。


「生かして正解だったねぇ、なんだか楽しくなってきたぁ」


……お、怒りたい。

楽しんでやがる。この人。


「じゃあこの剣や、番犬の武器はどうしたんです?」

「俺がもらったりぃ売りさばいたぁ」


ど、泥棒ぉおおおっ!


「だってぇ、裏を忘れた警察官が持ってるなんて不自然でしょお」


記憶をなくした篠塚さんへの気遣いなのか、それとも自分の私欲のための行為だったのか。真顔で言われてはどっちかわからない。


「しゅーくんには連絡したぁ?しーのちゃんは無理でもしゅーちゃんには繋がるっしょ」

「…………ケー番を、忘れました」

「……ふぅん」

「………」

「………」


ガクリとあたしは俯いた。

秀介のケー番なら、思い出せると思う。

しかしなるべく彼を避けたい。

コクウとの交際が知れ渡ってから、秀介とは会っていないし喋っていないんだ。

これから会わなくてはならない。気が重いが、いずれ会わなくてはならないんだ。今から会おう。

番犬について話してから、それからちゃんと言わなくちゃ。


「それでコクウとの」

「まだ言いますか…」

「椿のハジメテを奪った俺としては知りた」

「やめてくださいってば!」


またその話を持ち出した白瑠さんからあたしはバッと離れて向かいの座席に戻る。顔は熱がまとう。

白瑠さんはやめてはくれなかった。


「幸樹には椿が戸惑ってるから話すなって言われたけど、もういいでしょ?椿はあの時酔ってたけどぉ、覚えてるよね?」

「…っ」

「俺がどんな風に触ったのか、椿がどんな風に俺を誘ったのか、どう愛したのか、覚えてるよね?」

「っ!やめてくださいってば!もうっ!あの時は酔ってたし!今はあたし恋人がいますからっ!」


目の前にきて、あたしの頬に触れる白瑠さんは告げる。


「忘れちゃった?俺の告白。俺は今でもこれからも、椿を愛するし、触るし独り占めする」


あの時と同じ。

鈍感なあたしに伝えた告白。

真面目な顔で真っ直ぐに見据える眼。

あたしの熱が爆発的に上がる。

伝えられるまで白瑠さんがあたしに恋愛感情を抱いているなんて微塵も気付かなかった。激しいスキンシップは白瑠さんが奇人故だと思い込んでいたのだ。

恥ずかしくて顔を伏せる。


「ねぇ、椿」

「んっ…」


耳に甘く囁かれた。


「教えて」


太股に手が置かれ、短パンの中に指が入り込む。さっきと違う意味で身体が強張って動けなかった。

その時、ジェット機が大きく揺れてあたしの目の前に立っていた白瑠さんはよろめいて─────バタンッゴロドンッ。

白瑠さんは倒れて転がって反対側の壁にぶつかってしまった。


「あーすまない。暫く揺れるからくれぐれも立たないでくれ」


雇った裏現実者のパイロットの声が機内に流れる。遅いですよ…。

白瑠さんに目を向ける。

白瑠さんは俯せてしまい動かなくなった。……拗ねた。

あたしは聴こえないように溜め息をつく。

これってやばくない?

白瑠さんはまだあたしに恋愛感情を抱いている。そんなあたしには恋人がいて、その恋人が白瑠さんの最も嫌うコクウ。

鉢合わせたら、どうなることやら。

問題山積みだ。

 連絡が取れなかった為、直接あたし達はアパートに向かった。いなかったら秀介に連絡を取ろう。

呼び鈴を鳴らして住人を呼ぶ。

それでも返事がなくて、ドアを叩いた。返ってくるのは沈黙。

でも中に人の気配がする。

白瑠さんと顔を合わせれば、バキッと白瑠さんは鍵を壊して開けた。

中に入れば、すぐに篠塚さんを見付けられた。


「篠塚さんっ!」


倒れている篠塚さんに駆け寄ってあたしは見る。気を失っていた。外傷はない。ただ気を失っているようだ。


「篠塚さん!」


起こそうと揺らすが、反応はない。

「しぃーのちゃん」と白瑠さんもつつくが篠塚さんは目を開かなかった。


「きゅ、救急車?」

「大丈夫だぁよぉ、気絶してるだけだってぇ」


救急車を呼ぶべきかと白瑠さんの顔を見れば、いつものように笑って白瑠さんは篠塚さんを抱えあげる。

そして寝室のベッドに運んだ。


「なんで気絶してるんですか?」

「んぅとぉ……さぁ?」


あたしはベッドのそばに座り込んで、篠塚さんの顔を見つめる。

争った形跡はない。

どうゆうことだろう。


「あ、秀介を捜してください。近くにいるかもしれません」

「うん、わかったぁ。…しぃーのちゃんを襲っちゃだめだよ?」

「いってください!」


すんなり引き受けたかと思えば余計な一言。声を上げても篠塚さんは起きなかった。

二人きりになった寝室。

篠塚さんの寝顔は、病室以来だ。今は気絶してるけど。

癖のついた黒髪。人差し指でそれを退かす。

初めて会った病室とは真逆だ。少し笑う。病室ではベッドで眠るあたしを見守っていた篠塚さん。今はあたしが見つめている。

指先でそっと額を、鼻筋を、頬を撫でた。

そしたら、篠塚さんの瞼が開いて、あたしに目を。瞳を向けた。

ぼんやりとした黒い瞳。

あたしは名前を呼ぼうとした。

だけど篠塚さんの方が早かった。

─────ガチャ。

取り出された拳銃があたしの額に突き付けられる。冷たい銃口。そして冷たい眼差しに、あたしは目を丸めた。


「貴様、誰だ!」


発した声は、あたしの知る篠塚さんの温もりある声ではなかった。

優しさの欠片なんてない、棘のあるドスの効いた声と言葉。

あ。

この人は。

あたしの知らない篠塚さんだ。

そう悟った。


「あっれぇ、しぃーのちゃんおっはよお」

「誰だ」

「んぅ?あれ、番犬の方?」

「あぁん?」


戻ってきた白瑠さんに銃口が向けられる。それだけで、白瑠さんも気付いた。

白瑠さんは会ったことがあるんだ。

あたしにだって、目の前にいるのが篠塚さんではないことはわかる。


「ここ─────何処だ?」


眉間に深く寄せられたシワと、睨むような目付き。発する声音まで違う。篠塚さんじゃない。別人だ。







「記憶喪失ですか…」


 白瑠さんの携帯電話であたしは幸樹さんに電話した。外科医である彼に外傷による記憶喪失について訊いてみた。


「外傷による記憶障害の場合、記憶を失っていた間の記憶を失うこともあります」

「忘れていたことを、忘れて…記憶を取り戻すんですか」

「はい。この場合、記憶喪失の間の記憶は…二度と思い出さないでしょう」

「………そうですか」


あたしは寝室で白瑠さんと話す篠塚さんに目をやる。


「大丈夫ですか?椿さん。元気ない声ですよ」

「…大丈夫です。お忙しいのに時間を取らせてしまいすみません」

「構いませんよ。妹の電話なら、いつでも出ます。オペ中でも」

「それはいけませんよ」


冗談を言ってあたしを笑わせようとしてくれる幸樹さんの声に、少しだけ気が楽になった。

電話を切って、深呼吸。

もうあの篠塚さんじゃない。

これは仕方ないことだ。


「俺は警察官だ、デカじゃねぇ!」

「だぁかぁらぁ、君が記憶なくしてから刑事に昇進したんだよぉ」

「意味わかんねぇんだよ、貴様の話は」


白瑠さんが説明するも銃口を向けたまま、篠塚さんは聞き入れない。


「医者に聞いたところ、外傷による記憶障害は記憶をなくした間の記憶は失われる場合があるそうです」

「はぁ?」

「へぇーそぉなんだぁ」


感心する白瑠さんの隣に座ってあたしは記憶を取り戻した篠塚さんと向き合う。


「貴方は五年前、ビルから落ちて重傷を負いました。見付けて病院に運んだのは彼です。貴方は命をとりとめましたが、記憶障害で過去の記憶をなくしてしまったんです」


カチャ。白瑠さんに向けられていた銃口があたしに再び向けられる。


「信じられるかよ、小娘。記憶喪失の間の記憶はなくなっただぁ?騙すならもっと上手い嘘を作れ!」

「ねぇ、しぃのちゃん。銃口は俺に向けてよ」

「貴様は黙ってやがれ」


…どうして。

こうも、違うのだろう。

全く別人。似ても似つかない。


「これは事実ですよ、篠塚さん。覚えてませんか?ビルから落ちた時」

「ほら、俺はぁ?頭蓋破壊屋だよ」

「ビル?スカルクラッチャー?」


銃口を突き付けつつ、篠塚さんは眉を潜めて首を傾げた。

白瑠さん、殺し屋の名前を言っちゃっていいのか…。

最強の狩人だぞ。


「だめだぁ、直前の記憶さえないみたいだよぉ。番犬、生き返っちゃったね」


白瑠さんはあたしに顔を向けて、さらりと言った。

生き返っちゃったね。

そうですね。

代わりにあたしの知る篠塚さんは死んでしまったけれど。


「篠塚さん、最後の記憶は?」

「最後?んなの、仕事中で……」


五年前で止まったままの記憶を篠塚さんは探る。途中、顔を歪ませた。

頭痛でも起きたのか、額を押さえる。


「大丈夫ですか?篠塚さん」

「近付くな!」


手を伸ばそうとしたが振り払われた。


「クラッチャー!あの時の小僧だな!」

「うひゃひゃひゃあ、思い出したぁ?」

「っ、お前に会って…それから…」

「うん。それからぁ?」

「それから…」

「落っこちた!」


また白瑠さんに銃口を向ける篠塚さんは頭痛に耐えながら記憶を取り出そうとする。

白瑠さんの言葉に、ビクリと震え上がった。

どうやら。

自分が落ちたことを思い出したらしい。


「……んな…ばかな…」


驚愕したまま片手で頭を押さえ込む篠塚さん。


「あの、篠塚さん…」


あたしは顔を覗き込む。

見知らぬ目付きをした彼の瞳と目が合う。それはまた驚きに見開かれた。


「貴様っ!悪魔持ちだな!!」

「えっ」


その単語がすんなり頭に入らず、反応に遅れる。

ガウン。雷のような銃声が轟く。

だけどあたしに銃弾は届かず、悪魔の力によって跳ね返り、二段ベッドの向こうの窓ガラスを貫いた。

ガウン。ガウン。

また発砲。

一つの弾丸があたしの頬をかする。

あたしは動けなかった。

篠塚さんに、撃たれた。

その事実にショックが隠せない。

あたしのことを忘れたのは、嬉しいことだ。もうあたしのために無茶をしなくなる。だから喜ばしいことだ。あたしを忘れて生きてほしいと願った。

だけど、銃を向けられるのは嬉しくない。死ぬことを諦めたのに。今、彼に殺されたくはない。死ねないんだ。まだやらなくてはならないことがある。

蓮真君を見付けなきゃ。藍さんに謝らなきゃ。コクウに番犬は諦めろと言わなきゃ。色々。色々ある。

お願いだから、あたしを殺さないで。篠塚さん。

 ガッチャン。

音がして俯いたあたしは篠塚さんに視線を戻す。篠塚さんの手から、銃が落ちていた。

銃を握っていた手は、指は、震えている。


「お前は─────…誰だ?」


篠塚さんは戸惑ったような表情であたしに問い掛ける。


「…紅色の黒猫…」


あたしは静かに名乗った。


「殺し屋の、紅色の黒猫。篠塚さんには……椿と呼ばれていました」


殺し屋の名前、それから本名を名乗る。


「つ…ばき…?っう!」

「!」

「くそっ!なんなんだ!!」


頭痛が酷いのか、篠塚さんは頭を抱えた。


「身体は覚えてるみたいだねぇ」


白瑠さんは立ち上がり、あたしの頬に伝う血を拭う。

もう傷は悪魔によって治された。


「悪魔くんは悪い奴じゃないよ。俺と会ってアイツの目的を話せば知ることだったんだ。そう怒らないで」


頭を撫でてもう片方の手で銀色の指輪を外す白瑠さんはヴァッサーゴを庇う。傷を治すからって、いい奴とは限りません。悪魔ですよ。


「落ち着きましたか?」


 コーヒーを差し出してあたしは篠塚さんに訊く。少しして頭痛がおさまったようだ。


「…あぁ」

「なんとなく、自分が記憶をなくしていたと理解しましたか?あとは今が五年後だという証拠と、刑事だという証拠を」

「もうわかった。…クラッチャーが俺を気まぐれに救った。んで?お前はなんなんだ?」


銃口はもう向けられなかった。

篠塚さんはじとっと睨んでくる。

「あたしは…」と最初から話すと長くなるため、簡潔にまとめて答えようと考えた。


「しぃーのちゃんが守りたかった女の子さ」


先に一言でまとめた白瑠さんが答えてしまう。


「守りたかった…?」

「椿は殺戮中毒者。突然発症して殺し屋になった椿を、裏を忘れて表で刑事をやってたぁ君が、救おうとしたんだぁよっ」


 俺が止める!!お前の中毒を治す!俺が治るまで側にいて君を助ける!

最後に会ったあたしの知る篠塚さんは、まだそんなことを言っていたっけ。


「記憶を取り戻そうと狩人に戻って、ゼウスって名前で裏に復帰したんだ。相棒はポセイドンだから君はゼウスぅ。椿に過去の自分も知らないくせに!なんて言われて助けを拒まれちゃったからぁ記憶を取り戻そうとしてたんだぁけぇど、その様子じゃあもう椿を知らないから、救うつもりはないみたいだねぇ?ばぁんけぇんくぅん」


ペラペラと雄弁に話す言葉は皮肉が混じっていて、吊り上げ笑みは嘲笑っているが眼が笑ってなんかいない。

そんな白瑠さんの眼なんて、篠塚さんは気にしてなかった。

篠塚さんはあたしを視ている。

ただ、信じられないといった様子で見張るようにあたしを視た。

そこで携帯電話の着信音が鳴り響く。

聞き覚えがある。その音はあたしがいじって設定したものだ。白瑠さんの携帯電話。


「はぁい?うーん、かわるぅ。椿ぃ、怪盗くんから」

「遊太?」


白瑠さんから携帯電話を差し出されて慌てて出る。


「もしもし?遊太?何かあったの?」

「あ、いや、蓮の件は進展なしだ。黒から連絡あってさ、アメリカに戻ってるなら会いたいって」

「…なんだ、そんなことか」


あたしは落胆して肩を落とす。てっきり蓮真君の件で進展があったのかと思ったのに。


「そんなことかって、黒の奴なんかすげぇ会いたがってたぜ?一応クラッチャーと居るってことは伏せたけど。早く会いに行かなきゃそっちに出向くかもしれないぜ」

「……それは嫌ね」


コクウと白瑠さんが会うなんて、それは絶対避けるべきだ。

今は彼の狙う番犬もオマケに付いている今、こちらに来られては困る。


「オフィスに行けばいいかしら?」

「あー、椿から来るなら刺客を大返り討ちしたとこに来てくれって言ってた」


あの廃墟?なんでまたそんなとこに…。


「わかったわ。二時間ぐらいでそっちに着くと伝えておいて」

「りょーかい」

「あぁ、あと。コクウに会ったら日本に戻るわ」

「うん、りょーかい。待ってる」

「えぇ…」


髪を掻き上げてで携帯電話を閉じる。


「コクウのところに行ってきます。行かないとこちらに来てしまいますから」

「ん……。そぉだねぇ」

「篠塚さんを連れて先に日本に戻ってもらえますか?」

「りょおかぁい」


携帯電話を返して言えば、白瑠さんはすんなり頷いて腰をあげた。

記憶を取り戻した篠塚さんにはもう用がないとばかり思ったが、白瑠さんは助けてくれるようだ。


「あ?日本だと?」

「後にしてください、とりあえずクラッチャーと日本へ。暫くはあたし達と居てもらいます」

「ああ?」

「行くよぉ、しぃのちゃん」

「その呼び方やめやがれ!おい、待て小娘!小娘!」


秀介宛に書き置きを残してあたしは先にアパートを出た。

バイクを盗んで、飛ばす。


「こりゃあ、驚きな展開だな。ククク!」

「黙んなさい、ヴァッサーゴ」

「まだ怒ってんのかよ」

「怒ってるわよ。こうなるって知ってた?」

「まさか。オレはあの犬っころが記憶を取り戻すなんて思いもしなかったぜ。奇しくも黒野郎の思惑通りになっちまったなぁ」


ムカつく悪魔の声を振り払うようにスピードを上げるが、振り払うことなんて出来ない。重々承知。

 いや、生きてる。だって誰も番犬を殺したという人間が名乗り出てないからね。地上最強だぜ?くく、そんな人間が殺されるわけがない。殺したら誰かしら自慢する。忽然と消えたのは意図的さ。番犬は生きてるよ、多分表にいるんじゃないのかなぁ。俺達は彼を見付け出して裏に引きずり戻して息の根を止める

コクウの推測は当たっていた。全く嫌な奴だな、コクウは。

全てはお見通し。

本当、敵に回ると面倒な奴だ。

彼が策略を巡らせなくても、番犬は再び復活した。そしてゼウスという名で、裏に舞い戻っている。

番犬を狙うなと言えば、怪しまれるだろう。篠塚さんを隠して、諦めさせる方法を何か考えなきゃ。


「犬っころ殺す気なら嫌いになるぅ、なんて言えば諦めるさ」


アンタはコクウをなんだと思ってるのよ。


「お前に全てを捧げるアホ吸血鬼」

「アンタは何もない悪魔じゃない」


ケッ!とヴァッサーゴは鼻で笑った。

 一時間と三十分程度で、待ち合わせ場所に着いた。早すぎたかしら?

まぁ急いでも直ぐ様、日本には行けない。

白瑠さん達はもうアメリカを発っただろうか?


「ふぅ…」


あたしが無意識に殺戮をした場所。

死体は綺麗に片付いている。血の一滴も残っていない。

天井は壊れて、月の光を中へ洩らす。そこから夜の冷たい風が吹く。


「コクウ」


気付けばコクウが目の前に立っていた。

座ったばかりだったが、あたしは腰を上げて歩み寄る。


「やぁ、椿。会いたかったよ…俺から離れちゃだめだって言っただろ?」

「貴方が黙って離れたんじゃない」


微笑んであたしの頬に触れるコクウ。

コクウ以外の吸血鬼の気配に気付いてあたしは周りに目を向けた。

この気配は、ラトアさんにハウン君。それからジェスタ。

なんで隠れているんだ?


「椿…」


両手で脆い物を扱うように頬を包むコクウは向き合わせて、唇をそっと重ねた。

吸い付くような深い口付け。くちゃと舌を絡めてコクウはあたしを抱き寄せる。


「おい、何企んでやがる。黒野郎」


肩に腕が置かれ、実体のヴァッサーゴが凭れるように現れる。


「お前を引き離す企みさ」


 どっ。

そう言い放って、コクウはヴァッサーゴを突き飛ばした。

思いもしなかったのか、ヴァッサーゴはよろめく。

一瞬でジェスタがあたしの背後に立ち、ヴァッサーゴを蹴り飛ばした。


「くっ…!てめぇらっ」


背中から倒れたがヴァッサーゴは受け身をとって立ち上がり、ジェスタに向かおうとしたが、更にラトアさんとハウン君が現れ立ち塞がる。


「なっ」

「これで邪魔されないな」


あたしの頭にジェスタの手が置かれた。


「やめろっ!!やめやがれ!!」


ヴァッサーゴが声を上げるが、ジェスタは聞き取れない言葉を口にして唱える。


「椿が死ぬ!オレを引き離したらっ椿が死ぬんだ!聞け!椿を殺す気か!黒野郎ぉ!!」


ラトアさんとハウン君に突っ込むも、ヴァッサーゴは弾き返された。


「椿を殺すなっ!!おいっ!」


ヴァッサーゴは自分の命が危ないみたいに必死に叫ぶ。

 オレを引き剥がしてみろ……椿が死ぬぞ。

コクウに向けたあの脅し文句。

今じゃああたしが死んでしまうみたいに聴こえる。ヴァッサーゴが引き離されただけで、あたしが死ぬみたい。

ふと、気付いた。

ヴァッサーゴは一度も。

一度もあたし以外の人間も吸血鬼も、名前で呼んだことがない。今だって、あたしの名前しか呼ばない。

ずっとあたしの名前しか呼んでいない。

 ──寝てんじゃねぇ!!────起きろ!起きろ!────起きやがれ!椿!────起きろ!────おい!起きやがれ!────椿!────椿!椿!!────起きろ!椿!────バカヤロッ!────目を開け!────息をしろ!!椿!────起きやがれ!────死ぬんじゃねぇ!!────てめぇっ椿!────許さねぇぞ!!────おい!椿!────死ぬな!!椿!

この胸の鼓動が止まっていた時に、遠くから聴こえていたヴァッサーゴの声。

あたしを生かそうと、必死だった。今もそうだ。


「やめろぉおおおおぉおっ!!!」


悪魔(ヴァッサーゴ)の悲鳴のような叫びは虚しく響くだけだった。

ジェスタが掌を振れば、あたしと繋がっていたヴァッサーゴの影が──────ブツリ、と切られる。

引き離された。

ヴァッサーゴが、あたしから出た。

 ズキン。


「!!」


胸に、痛みが走った。

押さえてあたしは俯く。

コクウの服を握り締めるが、それ以外何も出来ない。


「あっ…っ!」

「椿?」


鼓動を打つ度に、痛みがしてそれは徐々に酷くなる。

ズキン。ズキン。ズキン。ズキンズキンズキン。

やがて立てなくなり、その場に崩れる。痛い。


「お前、何をした!?」


ラトアさんの声。

強烈な痛みに耐えられない。心臓に何かが突き刺さってるみたいだ。鼓動を打つために動く度、傷口が広がっているよう。

意識が遠退く。

コクウがあたしの名前を呼ぶ。ヴァッサーゴが叫ぶ。ハウン君の声。ジェスタの声。

どれも遠退いていく。

落ちる感覚。

鼓動がない。

ぽつん、と。

暗闇に──────────────────────────────落っこちた。








 ピ、ピ、ピ、ピ、ピ。

耳障りな音にあたしは目を開く。

死んだと思った。

毎度のこと生きてる。

生きているが、最悪なことにあたしは嫌いな病室にいた。

真っ白な部屋。天井。白いベッドにそばには機械。そのモニターにはあたしの心臓が動いていることを示す心拍数が映っていた。

心臓は正常に動いている?

医者に治されたのか?それとも。

鬱陶しい呼吸を助けるマスクを、あたしは外した。


「椿、おはよう」


ベッドのそばに座るコクウは微笑んであたしの髪を撫でる。


「気分は?」

「病室よ…最低…。一体なにが起きたの?」


出した声はあまりにも小さいがコクウは聞き取れたらしい。


「ごめん…椿」


申し訳なさそうにコクウは微笑む。「本当にごめんよ…」と謝った。


「なにが?」

「……」


コクウはあたしの足元に目を向ける。話してくれないため、起き上がってあたしは見てみた。

あたしの足元には、人間の姿のヴァッサーゴが丸まって眠っていた。

コクウが握っているとばかり思っていた右手は、ヴァッサーゴの左手が握っている。

引き剥がしたはずのヴァッサーゴがまだ生きてる?

退治するために引き剥がしたはずではないのか?


「起きろ」

「痛っ!てんめぇ!…椿っ!」


コクウに頭を叩かれ、ヴァッサーゴは飛び起きた。そしてあたしを見て目を丸め、右手を握り締める。


「おいっ、大丈夫か?」

「……どうかしたの?」

「どうかしたのじゃねぇだろっ!バカヤロ!」


ヴァッサーゴの右手があたしの肩を掴む。心配した顔。初めて、ヴァッサーゴのそんな表情を見た。


「てめぇは聞かねぇから!死ぬって言っただろうが!このわからず屋!」

「………」

「ポカーンって顔をしてんじゃねぇよ!お前何も知らないうちに死ぬとこだったんだぞ!!ふざけんじゃねぇよ!」

「………」


ヴァッサーゴが声を荒げている。

怒鳴ってあたしを怒る。


「このバカ猫がっ…!」


怒って、ヴァッサーゴが泣きそうになった。

なんなのよ?ヴァッサーゴ。

一体どうしたわけ?

喋るのが面倒であたしは言葉を発しずに問う。しかしヴァッサーゴは無反応。

おい、ヴァッサーゴ?


「なんとか言えよ!」

「…いや、V…さっきから…聴こえないの?」

「はぁ…?…あぁ、今はお前と完全に引き剥がされてるから。お前の心の声は聴こえねーよ」

「そうなの?」


完全に切り離されたのか。

ならあたしの眼も、今は赤ではないのか。


「全然理解できてないから、ちゃんと説明して」

「…お前はほんと、バカだな」


呆れるヴァッサーゴをあたしの代わりにコクウは頭を殴った。


「椿を殺しかけたくせに!」


ヴァッサーゴはギロッとコクウを睨み付ける。コクウは顔を曇らせた。あたしはヴァッサーゴの胸を叩いて説明を急かす。


「…お前は心臓の病気なんだよ。余命秒読みってくらい…手遅れなほど重症でボロボロだった」


重たい口を開いて、ヴァッサーゴが告げる。


「心臓の奥底の欠陥までオレは治せない。…だが心臓を正常に動かすことはできる、死ぬことは防げた」


胸に手を置いて心臓を確かめる。心臓は動いていた。

胸元になにかあることに気付いて見てみれば、手術跡。


「オレを引き離したことで持たなくなった。幸い優秀な心臓外科医がいる病院の近くだったから…命をとりとめたが、お前は長くない」


手術をしたから、この病室に寝ていたのか。

もう長くない。

だから。

心臓を撃たれた時。

治すのに手こずっていたのか?

ヴァッサーゴはずっと。

この心臓を守っていたのか?


「……いつから?」


口を閉じてしまったヴァッサーゴと何も言わないコクウ。静まり返った病室にピピピッという煩い音だけがして不快だった。

あたしはヴァッサーゴに問う。


「最初から?」


ヴァッサーゴは答えようとはせず、目を背けた。


「いつから知ってたのかって訊いてるのよ!」

「そうだ!」


顔を覗いて問い詰めれば、ヴァッサーゴは諦めて答える。


「お前をおちょくってやった時に気付いた!もう死期が間近に迫ってた!心当たりはあんだろ!?不整脈に胸の痛み!無理してた!ただでさえ心臓が爆発寸前だったのに無茶な殺しの仕事をやって自ら寿命を縮めてたんだよ!お前は!!」


始めから、ヴァッサーゴは知っていた。

あたしの心臓が、あたしが死ぬ寸前だと知ってて、あたしの中に入り込んで心臓を動かしていたんだ。

ヴァッサーゴはずっと、四六時中あたしを守っていた。あたしを生かしてたんだ。


「なんで言わなかったのよっ!?」


それをダシにすればいつまでもあたしの中に居れた。自分が生かしているから、追い出せないぞ。そう言えば、ジェスタやコクウだってこんな強引な手で引き剥がさなかった。


「死にたがり屋のお前に言っても、ああそうですかって聞き流してた!」

「決めつけないでよ!」

「あの時のお前はそうなんだよ!」


ぐっ、あたしは押し黙る。

ヴァッサーゴは未来も見える。

どの時のあたしかは知らないが、確かにあたしなら聞き流しそうだ。

心臓病で死ぬ?ああそう。

平然と受け入れて死ぬだろうな。


「でもアンタ、話してれば引き剥がされずに済んだじゃないっ!」

「何度も言っただろう!椿が死ぬって!」

「脅しにしか聴こえないのよ!バカ!」

「バカはてめぇだアホ!」

「いつっ」

「椿!?」

「椿、無理しちゃだめだ…」


口論していれば胸に痛みが走り押さえ込む。ヴァッサーゴはギョッとして、コクウはそっと背中に手を置く。


「なんであたしを生かしたの?ヴァッサーゴ」

「……気紛れだ」

「全く素直じゃないね、ヴァッサーゴ。椿が好きだから、お前は椿を生かしてたんだろ?」


肝心な動機を訊いた。

コクウは呆れてそう暴露。ギ!とヴァッサーゴはコクウを睨み上げた。


「はぁ?」


あたしは首を傾げる。


「椿が好きだから、生かしたかったんだろ。わかるよ、椿の可愛さにメロメロにならない男はいない、否、悪魔さえもメロメロにしちゃうだろう。椿を目にしただけで気になって、一言話すだけでも惹かれて、一緒の時間を過ごす度に愛が膨れ上がったんだろ」

「どっかで聴いた台詞だ」

「椿が心臓止めて血塗れで倒れた時、ヴァッサーゴは必死こいて椿の名前を呼んでた。死ぬな死ぬなって何度も叫んでた。それでわかったよ。ヴァッサーゴは椿が好きで椿の中に居るってね。好きな女を自分の手で救えるならそうするさ、命の危機なら尚更」


生かしたかった理由は好きだからさ。

そうコクウはヴァッサーゴの代わりにあたしに答える。

あたしはヴァッサーゴに目をやった。

ヴァッサーゴは頬を赤く染めて顔を伏せている。

え?

図星なのか?


「ヴァッサーゴ……あたしが好きだから助けてくれたの?」

「………」

「あたしを生かすためだけに?」

「うるせぇ!気紛れだって言ってんだろ!」


ヴァッサーゴは吐き捨ててふいっとそっぽを向く。…図星か。


「てめえで遊んでるだけだっ!このまま死なれたらオレが退屈なんだよ!気紛れだ!!」


そう言いつつも、顔は真っ赤だ。説得力の欠片もない。

そんな悪魔が可愛くて、あたしは笑ってしまう。

「本題だけど」とコクウは口火を切る。


「椿をこのまま死なせるなんてごめんだ。お前もだろ?ヴァッサーゴ。だから、これからも椿の命を繋ぎ止めてほしい」


コクウはヴァッサーゴに頼む。

このままではあたしの心臓は止まるが、悪魔が宿ればまた心臓は正常に動く。

ヴァッサーゴがいないと、あたしは死ぬんだ。


「殺しかけたてめえが言うんじゃねーよ。…椿が決めることだ」


まだ根に持っているのか恨みがましくコクウを睨み付けるヴァッサーゴは、あたしに答えを求めた。


「あたしが決めたことに従うの?」

「ああ。生きたいか、死にたいか。どっちだ。オレから解放されたいなら死を選べ、生きたいならオレと生きなきゃなんねぇぞ。お前が選べ」


死ぬか生きるかはあたしの選択次第。

髪と一緒にあたしの頬を、コクウが撫でる。

 あの映画の中の吸血鬼と同じだ。君より長く生きるつもりはないよ。きっと君がいなくなった世界なんて、全て何もかもなんの価値もなくなる 出来るなら、君が死ぬ前に俺を殺してくれるといいな。吸血鬼って自殺するの苦労するんだよね

 ………殺すのだって苦労するでしょ

 そうだな、焼死で心中しないとね

あたしが死んだらどうするか、そんなバカなことを訊いたらコクウはそう答えた。

 まぁ

 椿のことは、死なせないけどな

死を選べば、コクウが心中してくれるのか。

どうしよう。

少し迷う。

コクウと心中すれば、篠塚さんは助かる。

そんなバカなことを考えたが、残念ながらそれは選べない。

あたしは死ねないんだ。

幸樹さんがいる、白瑠さんが篠塚さんがいる、藍さんに謝ってない、蓮真君を見付けてない。

あたしが選択するのは一つだ。


「答えはわかってるでしょ」


心の声が聴こえなくても。


「さっさと戻りなさいよ」

「……命令すんな」


両手を広げれば、ヴァッサーゴはあたしを抱き締めるようにして、やがてすっと消えた。


「……ごめん、椿。君を殺しかけた」

「いいわよ。生きてるし。知らなかったんだから」

「よくないよ」


ベッドに腰を下ろして、コクウがまた謝る。胸の痛みが取り除かれてあたしはホッと息をついて壁に寄り掛かり言うがコクウは首を振った。


「椿はわかってないね。本当に大変な手術だったんだぜ?優秀なドクターがいたのは不幸中の幸い。椿が死ぬかもって手術室の前で立ち尽くす俺の気持ちなんてわからないよな。愛する人を死に追い込んでしまった俺の気持ちなんて」

「煩いわね、生きてるんだからいいじゃない。そうよ、貴方の自業自得だわ。なんの罰を与えれば気が済むのよ?」


コクウは完全に自分自身を責めていた。全ては自分のせいだと思っている。

許す、とあう言葉ではきかないのなら、償わせるために罰を与えた方が楽になるだろう。

それをきいてコクウは嬉しそうに笑みを浮かべて、あたしに顔を近付けて唇を重ねる。


「椿が下す罰なら、なんでも受けるよ」


罰さえも嬉しそうに受けるドMな恋人は甘えてあたしに抱きつく。

そのまま押し倒されて、コクウの両手が身体をなで回す。

おい、罰はどうしたのよ?

引き剥がそうとしたら、コクウが忽然と上から消えた。

見てみれば、コクウの足を掴んでいるハウン君が。

コクウはベッドの下。どうやらハウン君に引っ張られてベッドから落ちたらしい。

コクウの足を放り投げてベッドに飛び乗ったハウン君はあたしに抱きついた。


「ハウン君…おはよ」

「おはよう、つばき」


白銀の髪を撫でて微笑む。

「ハウン…」と起き上がったコクウが笑みをひきつらせる。ハウンはつーんとそっぽを向いてあたしから離れない。


「いやいや、よかった。このまま目を覚まさなかったら私は姿を眩ませようとしてたよ、よかったよかった」

「ふざけるな、ジェスタ」

「いや、本気だった…。三日目も覚めなかったら墓場に隠れようと目論んだよ」


個室の病室に、ジェスタも入ってきた。そんなジェスタの逃亡を阻止するためにラトアさんがジェスタの首根を握り締めている。


「切り離しただけじゃあ椿は死なないってジェスタが断言するから、計画して実行したらこの通りだ」

「悪魔が少女に惚れててとり憑いてたのは少女を生かすためだったなんて今まで例外がなかったんだ」


コクウにチクリ言われてジェスタは疲れたように笑って言い訳をした。


「ねぇジェスタ」

「私を責めないでくれ!私は救おうとしただけで」

「今三日目って言った!?」

「へ…?」


きょとんとするジェスタ。


「あたし、何日寝てたの!?」

「夜に倒れて朝まで手術…それから丸二日眠ってたけど」

「丸二日!?なんで起こさなかったのよ!V!」

「心臓止まったのに手術直後に叩き起こせるわきゃねぇだろ」


コクウの胸ぐらを掴めば、衝撃な事実を知らされる。心臓病より驚いた。

ヴァッサーゴは再び現れてベッドの上で頬杖をつく。


「もうお嬢サンを生かしてこの悪魔を退治する方法がない…お手上げだ」


そんなヴァッサーゴに目をやり、ジェスタは肩を落とす。ヴァッサーゴはジェスタを鼻で笑ってやった。


「どうしたの?椿。急ぎの用事?」

「そうよ!ジェット機!ジェット機用意できない!?」

「まぁ、手配できるけどぉ。どこいくの?」

「日本よ!あたしの着替えは!?」

「ここだよ。俺以外の男がいる前で脱いじゃだめだよ、椿」


ベッドから降りて着替えを探しながら脱いだら、ベッドに乗っているハウン君とヴァッサーゴの下からシーツを抜き取り、コクウはそれで吸血鬼と悪魔から隠す。

「貴方も見るな」とあたしは脱いだ服をコクウの顔に乗せる。


「遊太から連絡は?」

「あー、なんだっけなぁ、進展なしって伝えてくれって言われたなぁ。なんのこと?」

「あとで話すわ。まだ進展ないのか…大丈夫かしら…」

「けーたいでんわ」


ヴァッサーゴの声。ベッドの上にだらしなく寝そべっているヴァッサーゴは左足を揺らしながら言う。


「お前の携帯電話は小僧が持ってんだ。調べてみろ」

「そうか!その手があった!電源がついてれば場所がわかるわっ。コクウ、オフィスのパソコン持っていくわね」

「椿、手伝うよ」

「貴方はいいの。帰りを待ってて」


気付かなかったあたしのバカ。

コクウの肩を叩けば、コクウはシーツごとあたしを抱き締めた。

あたしはするりとかわして軽くキスをする。


「え、でも椿」

「ヴァッサーゴ、行くわよ。あ、ラトアさん。幸樹さんが探してました、一緒に戻りましょう」

「は?おいっ」

「椿ぃ、せめて一晩二人っきりで過ごそうよぉ」

「帰ったらね」


コートを羽織ってヴァッサーゴを呼ぶ。目に入ったラトアさんにも手伝ってもらおうと腕を掴む。コクウが引き留めようとするがあたしはニコッと返す。

病室を出ようとしたが、思い出して顔を戻してジェスタに言う。


「ヴァッサーゴのこと、説明しといてね。吸血鬼達に。それぐらいやってくれるわよね?あたしを殺しかけたんだもの」


皮肉混じりにあたしはそうジェスタに頼む。ジェスタは顔をひきつらせつつ頷いた。


「バァイ、ハウン君」

「……」


ハウン君に手を振るが沈黙を返される。別れの挨拶は嫌いなのかな。


「コクウ」

「ん?」

「あたしの帰りを待っててね」

「…うん」





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