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再愛の抱擁



懐かしい空気。懐かしい風。懐かしい空。懐かしい風景。────懐かしいその家。

もう何も解らなくて。

もう何も判らなくて。

真意が知りたくて。

あたしは確かめに来た。

久しいその家を見上げる。

2ヶ月ぶりだ。







「そうなの。あたしは貴方と違って血の繋がった家族は嫌いだからなんとも思わないわ」


 やっと声を出せて、あたしはコクウから目を逸らしてマフユを撫でる。

困惑していた。


「何故貴方がそんな情報を知ってるの?紅色の黒猫の家族が殺されたって情報が流れるわけないわよね」


いくら噂の的の紅色の黒猫(あたし)の家族だからって、表の人間だぞ。白の殺戮者に殺されたからって裏現実の情報として流れるわけない。


「君の家族を知りたくてね、ナヤに調べさせたんだ。勿論ナヤはチクらないよ。先週らしい…表の警察も頭蓋破壊屋が犯人だと思ってる。椿の家族、全員が殺された」


詮索されたことに少しムッとなったがそんなことより、この困惑をどうにかしたい。


「あたしの血の繋がった身内を頭蓋破壊屋がたまたま殺しただけでしょ。なにをそんな深刻そうな顔をしてるのよ」

「…椿」

「気にしないわ」


あたしは腰をあげて屋根を滑り落ちて黒の部屋に戻り、オフィスへと降りる。

オフィスには火都がいた。


「火都」

「ん…?」

「あたし、嫌いな家族が殺されたんだけどなにも感じない。貴方も何も感じなかったの?矢都が殺された時」


火都の弟・矢都も白瑠さんに殺された。机にだらけたように頬杖をしていた火都は少し考えてから答える。


「矢都が嫌いだったわけじゃない……仕事上のあいぼー…って認識だったし…いつ、誰かに殺されるかわからない世界だから」


ぼんやりやる気のない口調。

割り切れている、のか。


「そう……」


復讐をした結果を知っているからなのか、嫌いだっただけなのか、何も感じないのはどちらが原因なのだろう。

そんなことより、この困惑をなんとかしよう。

 何故、白瑠さんは殺した?

あたしの家族を殺せと依頼がくるはずはない。白瑠さんは未だに仕事を再開させていないようだし。

怒りや憎しみならば矛先が違う。白瑠さんはあたしが家族嫌いなことを知っている。家族を殺したところであたしは傷付かない。そもそもコクウが調べさせなければ家族が殺された事実を知らずにいただろう。

あたしとコクウに怒っているのならば飛行機に乗り込んでこのオフィスを見付け出して直接殺しに来るはず。

何故、白瑠さんはあたしの家族を殺したんだ?

動機がわからない。動機がわからないから混乱してしまう。

白瑠さんの気まぐれ?あり得なくもない。いや、あり得ない。あの人はそんなことしない。

いや、どうだろう。憎しみを抱いているのなら、殺るか?いや、だから、憎しみを抱いているのなら直接あたしに来る。あたしの家族を殺したところであたしは痛くも痒くもないのを知っているはず。

ぐるぐると混乱して気持ち悪くなる。

はっきりしてくれ。あたしには無関心なのか?怒っているのか?どっちなんだ?苛々する。

全然眠れない。夜中で日付が変わった時間でも混乱が眠気を粉砕する。

 だめだ。

あたしは隣にいるコクウを起こさないようにベッドから降りた。

ベッドの下に置いたあたしの荷物を音を立てずに注意して取り出し、パスポートと金だけを取る。

オフィスに降りて、そこで着替えて赤いコートを着た。

そしてコクウにはなにも言わずに、アメリカを発った。





 そして今に至る。

懐かしい二階建ての一軒家。表札には笹野と名が書かれている。

駐車スペースにはシルバーのクラウンとバイク。いつも新車のように綺麗だったクラウンは、タイヤには泥がついていてガラスは汚れていた。バイクは埃を被っている。…変だな、そう思いつつドアの前に立つ。

合鍵はこの家の部屋に置いてきた。例え持っていても鍵を使って入るような真似はしないだろう。もうここの住人ではないのだから。

クラウンとバイクがあるのなら────二人とも居る。

まさかこんな再会になるなんて…。

正直、白瑠さんが殺しに来ることを覚悟していたのに、あたしがこの家に再び入ることになるなんて夢にも思わなかった。

あたしは深呼吸する。

悪魔は何も言わない。

呼び鈴に手を伸ばして、押す。

住人に訪問者を報せる音が響く。

誰もいなさそうな笹野さんの家は不気味に静寂を返す。

あれ、誰もいないのか?

あたしはクラウンとバイクに目をやりドアを見つめる。誰も出てこない。ドアに近付く足音も気配もしない。

…変だな。あたしはまた思う。

あたしは立ち尽くしてどうするか考えた。

いないならば、藍さんの車で何処かに行ったのだろうか。

直接白瑠さんに訊いて真意を知りたかったのに、これでは二日かけて飛んできた意味がない。

先に家族を殺された事実を確認しにいこうか。ガセかもしれない。

最後の足掻きでドアノブを掴んだ。すると、開いた。あれ、鍵を閉めてない。

あたしは開いて玄関を覗いた。

中に足を踏み入れたら、その異様に気付く。

廊下に少し埃が募っていた。掃除していない?忙しくなければ掃除をしていたのに。

玄関で暫く立ち尽くして、あたしは踏み入ろうとしたが土足ではいけないと思い出して、ブーツを脱ぐ。

変だ。三度目。

別の家に感じる。暗い雰囲気。数ヶ月、誰も住んでいないみたいだ。

ニーソで廊下を歩いていく。自分のだった部屋を通り過ぎて、あたしはリビングに向かう。白い息が出る。暖房がついてないみたい。

警戒して右手にカルドを握る。

リビングは。

カーテンが半分閉められていて、暗かった。

キッチンには光が差しているが、ソファーは陰になっている。

よく並んで座って談話していたソファーに一人、居た。

死んだように眠っている。


「……白瑠さん…」


あたしは彼の名を呼んだ。

それでも白瑠さんは反応せず、眠ったまま。

脱色した髪はボサボサで、白のYシャツもくしゃくしゃ。黒のブーツを履いたまま、そのソファーに横たわっている。

一回呼んだだけじゃ起きないのは白瑠さんらしい。

あたしはカルドをしまい、白瑠さんに近付く。


「白瑠さん」


もう一度呼んだがピクリともしない。

静かに呼吸してるのはわかった。ちゃんと生きてる。当然だ。


「あの、白瑠さん」


揺らして起こそうと手を伸ばしたが、戸惑ってあたしは触れることをやめた。ただ呼んで、起こす。

起きてあたしを見た彼がどんな反応をするのか、予想もせずに。


「白瑠さん、起きてください」


あたしは呼ぶ。

こんな風に白瑠さんの寝顔をまた見るなんて。


「ねぇ、白瑠さん」


滲み出る涙が落とさないように瞼を閉じて、呼ぶ。


「っ白瑠さん」


目を開けたら、白瑠さんも瞳を開いていた。ぼんやりと、あたしを見上げる。

まだ覚醒しきれていないみたい。

細めた瞳が閉じられそうだったが、開いてあたしを見つめる。

やがて白瑠さんはあたしを認識したのか、唇を吊り上げて笑みを浮かべた。


「つぅーちゃぁん」


手を伸ばして、あたしを呼ぶ。

前みたいに、笑って、懐かしい声で。

伸ばした両手はあたしの顔──────────────を横切って首に回される。

白瑠さんは起き上がってあたしを抱き締めた。

え?

引き寄せられたあたしは白瑠さんの膝の上に乗るはめとなる。


「つぅーちゃぁん、だーぁ」


眠気たっぷりの声を出して頬擦りしてくる。くすぐったい。


「つばぁちゃん」


ギュッと痛いくらいに抱き締められる。痛い痛い。

あたしの髪の中で大きく吸い込んで白瑠さんは息を吐く。


「椿ぃ」


きゅうぅ、とまた更に締め付けられる。すりすりと猫のように頬擦りしてあたしの首筋を擽った。


「もぅ…どこにもぉ」


名前以外に白瑠さんがやっと他の言葉を発する。


「いかないで」


あたしの肩に頬を乗せて、白瑠さんは静かになった。

彼の呼吸を聴きながら、今の状況を整理する。あたしは混乱を解消しようとここに戻ってきたのに、余計に混乱した。

ここまできて、白瑠さんが、そんなこと言うなんて。

一体どうゆうことなんだ?


「あの…」


説明をしてもらおうとしたら、バッと勢いよく剥がされる。

両手で肩を掴まれ、押し退けられた。

目を丸めた白瑠さんがパチクリと瞬きする。

ばちん、と頬に白瑠さんの両手が当てられた。痛い…。

両手で押さえ付けられて、凝視される。


「………椿?」


確認するように、問われた。

まるで疑っているみたいだ。


「…はい…?」


どうしたんだ、いきなり。

これ以上あたしを混乱させないでくれ、どれだけあたしを混乱させるんだ。


「椿なの?」

「…はい」

「夢じゃないの?」


夢?この人夢だと思ってあたしを抱き締めたのか?

頬に指が食い込むくらい掴んでいるくせに、夢だと思っているのか。痛いくらい抱き締めたくせに。すりよってきたくせに。匂いを吸い込んだくせに。

寝惚けてたの?

 白瑠さんは。

白瑠さんは泣きそうな顔をした。眉毛を下げて眉間にシワを寄せて、あたしの頬を触れる手を震わせる。


「夢じゃっわ!?」

「椿!椿!椿椿!!椿椿椿椿椿っ椿っ!!」


またあたしを抱き締めた。先程よりも強く強く抱き締めて、強くあたしの名前を何度も呼んだ。


「あぁ、椿」

「…白瑠さん」

「椿ぃ」

「痛いです」

「椿ぃ」


何度もあたしを呼ぶ。

嬉しそうに、楽しそうに、懐かしそうに。

ホッとしたみたいに息をつく。


「椿の髪、椿の匂い、椿の首、椿の肩、椿の温もり、椿の鼓動。椿だぁ」


あたしの髪に指を通して、匂いを吸い込んで、首と肩に鼻をすり付けて、胸に耳を当てた。

そしてまた抱き締めてくる。

あれ、どうしてだろう。

どうして、白瑠さんは。

どうして白瑠さんは、変わっていないの?

変わってない。

向けられてるのは、怒りでも憎しみでもない。

 カタン。

音がして白瑠さんに抱き締められたまま振り返る。

買い物にでも行っていたのか、買い物袋を抱えてそこには幸樹さんが立っていた。

あたしを見て、目を丸めている。


「椿さん……」

「幸樹さん…えっと」


白瑠さんが解放してくれなくて、まともに振り返ることができない。ちゃんと挨拶できないじゃないか。


「椿さんっ」


買い物袋を落として幸樹さんは駆け寄ってあたしを抱き締める。白瑠さんより痛い抱擁だった。


「あの、痛いです」

「本物の椿さんですよね?夢じゃないですよね?」

「あの…二人して夢夢、言わないでください…。これは現実ですけど」

「うひゃ、椿だぁ椿ぃ椿ぃ」

「現実なんですね」

「……痛いってば」


二人はきつく抱き締めてくる。

何度言えばわかるんだ。痛いってば。


「椿、おかえりぃ」

「おかえりなさい、椿さん」


あたしは絶句した。

少し呼吸が乱れたが悟られないように必死に自分に落ち着かせようとする。

何も返せなくて、あたしは口を固く閉じた。


「おかえりなさい」

「おかぁえり」


何かを口にしたら、抑えているものを全て出てしまいそうだから堪える。


「おかえり」


懐かしい声。

懐かしい温もり。

何も、変わっていない。

向けられたのは、怒りでも憎しみでもなく。

あたしをあたたかく包み込む無償の愛だった。

必死に嗚咽を飲み込んで、涙を堪えて、声を絞り出す。


「───────ただいま」









 落ち着いてきたあたしは漸く切り出す。


「白瑠さん、臭いです」

「…………」

「…白瑠はもう数日体を洗っていませんでしたね」


正直言って我慢していたが、白瑠さんの体臭がやばい。数日もかよ。


「一緒にお風呂入ろう」

「嫌です」

「早く入ってきなさい、白瑠」

「えぇーつぅちゃんから離れたくないぃ」

「臭いから離れてください」

「ぶぅ…まだ居るよね?つぅちゃん」

「……はい」


口を尖らせた白瑠さんは離れた。

 まだ居るよね?

その問いにあたしは少し戸惑ったが頷く。そうすれば白瑠さんはにっこり笑って、Yシャツを脱ぎ捨てて風呂場に向かった。

幸樹さんの片腕はまだあたしに回されたまま。

振り返り、幸樹さんの顔を見上げる。

幸樹さんは微笑んであたしを見つめ返した。


「掃除、しましょう」

「…そうですね」


あたしの頭を撫でて幸樹さんは立ち上がる。

コートを脱いでから掃除機を持って、あたしは廊下に向かう。あたしのだった部屋の前に止まって、好奇心でドアを開く。

部屋は綺麗に片付いていた。

武器を詰めていた空のトランクはベッドの横に並べられて置かれていて、開きっぱなしだったはずの棚の引き出しは閉まってある。

あとは、あたしが出ていった時と同じだった。カーテンも、棚の上のアクセサリーも、何一つ変わっていない。廊下と違って埃は募っていなく、まるでここだけ掃除してたみたいだ。だけどベッドは誰かが使ったみたいに乱れている。


「つぅちゃんっ」

「きゃっ」


後ろから抱き締められて震え上がる。忍び寄る気配に気付いていたから抱き締められるとわかっていたが、白瑠さんがずぶ濡れだとは思いもしなかった。


「…白瑠さん。濡れた犬みたいな臭いです」

「………」

「椿さんは白瑠を掃除してください」


あたしから掃除機を奪って幸樹さんは言った。…仕方ないな。

あたしはぱぁと笑顔を輝かせた白瑠さんの手を引いて風呂場に行く。

 腰にバスタオルを巻いてもらって白瑠さんの髪を洗う。ちゃんと頭皮も念入りに洗った。…マフユの身体を洗うみたいに。


「んひゃひゃひゃ、身体も洗ってぇ」

「それくらい自分でやってくださいよ、洗い流しますよ」


シャンプーを洗い流せば、白瑠さんの髪が長くなっていることに気付く。くしゃくしゃだったから気付かなかったが、随分延びてる。


「髪、伸びましたね」

「んーつぅちゃん切って」


ああ、そう言えば白瑠さんも美容室に行かないんだっけ。

切ってあげようか。


「いつもは誰に切ってもらうんですか?」

「んぅとね、自分で切ったりぃあとてっちゃんに切ってもらったりぃ」


てっちゃん?知らないな。

後ろの髪を整えつつ切っていく。すると白瑠さんが振り返った。うお、危ないじゃないか。


「つぅちゃんも伸びたね、切る?」

「いえ、あたしはいいです」

「そっか」


あたしをじっと見上げた白瑠さんに切ってやると言われたが首を振る。白瑠さんは前を向いたが、また振り返った。


「綺麗だね、その赤い目も髪も。似合ってる」


にっこり、それだけを言ってまた前を向く。

あたしは黙って髪を切った。


「おや、長いと思ったら散髪ですか。椿さん、それが終えたらこちらを手伝ってください」


顔を出した幸樹さんに頼まれたので、後片付けは白瑠さんに任せて夕飯の用意を手伝う。

作っている間、白瑠さんはソファーの背凭れに座ってあたし達を見つつ、あたしのコートの中の武器をいじっていた。

あたしが外したパグ・ナウも興味津々に見ていたが、やがてソファーに全て投げ込んでキッチンに来てあたしにべっとりくっつく。

「白瑠、邪魔ですよ」と幸樹さんが苦情を言うが白瑠さんは聞き流した。

ふと、気付く。

あれ、あたし、なにしてんだろう。


「…………」


目的を忘れてあたしは掃除したり髪を切ったり料理手伝ったり。あたしはなにしてんだろう。流されたのかな。


「ほら、椿さん。座ってください」

「あ、はい」


背中を押されてダイニングテーブルにつく。目の前にはあたしの好きなハヤシライス。

右隣には白瑠さん、向かいには幸樹さん。


「いっただっきまぁす」

「いただきます」

「……いただきます」


あれ、やっぱり流されている?

あたしは目的を果たすタイミングを完全に見失っていた。

ハヤシライス美味い…。

幸樹さんの料理、本当に美味しいな。


「美味しいです」

「ありがとうございます。食事はちゃんと摂っていますか?」

「はい」

「ファーストフードではなくて?」

「レストランだったり手料理だったり…ちゃんと食べてますよ」


最初の1ヶ月はまともに食べていなかったこととしょっちゅうお酒を飲んでいることは伏せておこう。食事を摂らなくても大丈夫だけど、それもまだ話さないでおくか。


「無事で何よりです」

「……」


あたしは返す言葉がなくて俯きつつハヤシライスを食べる。

そうだ、あたしは、謝らなくちゃ。

謝るべき?あたしが悪いならあたしが謝るべきだろう。


「そうだっ」


既に二杯食べ終えた白瑠さんはスプーンを加えたまま立ち上がり、自分の部屋に向かった。

すぐに戻ってきた白瑠さんの手にしたのは、白い刃のナイフ。

テーブルに置かれたそれを見て、心底驚いた。


「あそこに、行ったんですかっ?」


椿花が描かれたそれは、白瑠さんからプレゼントにもらった白のナイフ。

間違いなく、あの場所に忘れてきたナイフだ。あの鼠の死体のそば。


「うん。俺が着いた時には、椿はいなかったけど」


あたしの隣でしゃがんむ白瑠さんは頷いて答えた。


「迎えに来て…くれたんですか?」

「うん。遅れちゃったけど」

「………っ」


あの日を思い出す。あの日は、凄く痛かった。殴られて蹴られて刺されて、叫んだ。

悲鳴のように叫んだ。

助けを求めるように叫んだ。

何度も白瑠さんの名前を呼んだ。

喉が痛くて呼吸が出来なかった。胸が痛くて痛くて痛くて仕方なかった。

いつもなら、死にかけた時に駆け付けてくれた白瑠さんが助けに来なくて。冷たいコンクリートの上で泣いていた。泣き喚いていた。

 もうあの家には帰って来れないと思え

そう言ってたから、来ないとばかり思っていた。


「助けに…きて…くれたんですか?」


喉の奥が熱くなって、勝手に涙がポロリと落ちて、あたしは慌てて拭う。


「遅れて、ごめん」


白瑠さんはあたしの髪を撫でた。

嗚咽を堪えて、涙を止めようと堪える。

謝るのはあたしの方なのに。

どうして、白瑠さんが謝るの?


「ごめん、椿」


違う。

謝るのはあたしなんだ。


「君が居てほしい時に、居てやれなくてごめん。痛かっただろ?辛かっただろ?苦しかっただろ?─────独りにしてごめん」


肩が震え上がる。

ごめんだなんて、そんな。

あたしが悪いのに、なんで。

優しい言葉をかけるの?


「ごめん…独りにするんじゃなかった。部屋に閉じ込めるんじゃなかった。側にいるべきだった。椿は由亜っちが大好きだもんね、愛してたんだよな。どうしても許せなかったんだよな」

「…っ」

「私も自分のことだけで、椿さんの気持ちに気付きませんでした。すみません。由亜が大事だったんですよね。貴女は仲間想いで、傷付ける者は許せなかった、優しい人です」


二人の口から出された名前にあたしはビクッと震える。違う。違うよ。あたしはただ、あたしはただ怒り任せに突っ走って殺しにいったんだ。あたしに喧嘩を売ったあの鼠を殺しに行った。ただそれだけ。


「捜しましたよ。あっちこっち、貴女の噂がするところに飛び回って見つけようとしました。きっとボロボロに心を痛めて自暴自棄になってると思って…すぐに見付けて帰ってきてくださいと頼むつもりでした」

「椿ちゃんが俺達の迎えを待ってるんだって…そう思って捜したんだけど…。徹底的に避けるし、逃げるし、隠れるからさ…。一人になりたいのかなって」

「今は一人になりたい、そうゆう意味なのかと思って私達は捜すのを止めました。藍乃介は反対しましたが…椿さんが自分から帰ってくるのを待つべきだと思ったんです。この家でちゃんと、おかえりなさい、と言うべきだとね」

「ごめんね…"もうあの家には帰って来れないと思え"なんて言って。ごめん、椿」


嗚呼、そうゆうことだったんだ。

あたしの思ってることも考えてることもお見通しだったんだ。あたしがボロボロだってことも、迎えにきてほしいと思っていたことも、そして一人にしてほしかったことも。

藍さんの言う通り探すのは止めた。だけどちゃんと、帰ってくるのを待ってくれていたんだ。

ずっと。

信じて。

待ってくれていた。


「帰ってきてくれて、ありがとうございます。椿」


涙が止まらなくて顔を上げられない。みっともなく嗚咽が溢れてしまう。


「ごめん──なさい───…。ごめんなさいっごめんなさいっ」


泣きじゃくって謝る。

女々しくて情けないけどこれが精一杯で他の言葉が出なかった。

謝るしか出来なかった。


「もういいんだよ、椿」


かけられる優しいから涙が止まってくれない。喉が熱い。あたしは泣いた。

 涙が止まるまで時間がかかった。

手で拭ったがきっと酷い顔になっているだろう。

するとずっと目の前にしゃがんでいた白瑠さんが顔を隠す両手を掴んで退けた。


「それでね、つーちゃん」


両手首を掴んであたしを見つめて目を細めて笑う白瑠さんが顔を近付ける。顔面が悲惨なことになっているあたしは思わず仰け反った。


「中にいるオトモダチをしょーかい、してくれるぅ?」

「えっ?」

「つばちゃんの中にいる、悪魔を紹介してよ」


白瑠さんはあたしの赤い目を覗き込む。仰け反ったあたしは後ろに倒れて、椅子に頭をぶつけ横たわる。


「つばちゃんの怪我を治したりしてるのはぁかぁんしゃするけどぉ、うひゃひゃひゃひゃっ、悪魔を殺すのは初めてだぁなぁ」

「白瑠さ」


ぶわあぁ、黒い煙があたしの頭上に現れて形を成していく。

このバカっ!


「────なんで知ってんだ?」


ビュ。椅子に横たわっているあたしには見えなかったが多分幸樹さんがナイフを投げた。が煙に刺さるわけもなく、壁に突き刺さる。

次は白瑠さんが動いた。

右手を煙の中へと突っ込んだ。

当然、ただ貫通するだけだ。


「無駄ですよ、煙の状態じゃあ攻撃は効きません」

「ん、そぉなぁんだぁ」


攻撃が効かないことを別に気にしていないかのように白瑠さんはにっこり笑う。あたしの上に馬乗りになっていることを忘れていないだろうか?


「なんで悪魔があたしの中にいるってわかったんです?」

「ラトアから聞いていましたから」

「あー、あのスマシ野郎か。磔にされたあとにチクったのか」


起き上がって訊けば、幸樹さんが答えてくれた。


「いえ、貴方の存在を知らせてくれたのは五日前です。ラトアが訪ねてきて椿さんに会ったことを話に来ました」

「ラトアさん、来たんですか」


…ジェスタがチクらないでくれと頼んだのを聞いていなかったのかな、ラトアさんは。


「クククッ…初めまして、てめえらの愛する椿を一人にしなかった悪魔だ。このシスコン共」


喉の奥で笑い、ヴァッサーゴは相変わらずの口調で二人に挨拶した。


「あぁそれはありがぁとぉ」

「唆したのは貴方だろ?違いますか?」


白瑠さんは悪魔相手にもにこぉと笑いかけて、幸樹さんは鋭く問い詰める。


「白瑠が折った椿さんの腕を治して復讐するように唆した」

「折ってごめんね!椿!」

「幸樹さんの言う通りです。白瑠さんは話の腰を折ろうとしないでください、気にしてませんから」

「契約内容はなんですか?」


幸樹さんがあたしとヴァッサーゴに厳しく追及してくる。


「あーあ、るせーなぁ。どいつもこいつも。契約契約…ケッ。心配しなくたってなぁ、てめえの恋人の復讐のために契約なんかしてねぇよ」

「てめえは黙ってろ」


蓮真君からもらった指輪を嵌めれば煙は消えて不快な笑い声も聴こえなくなった。


「銀の指輪を嵌めれば黙ります。契約はしていません。ラトアさんから全て聞いたならコイツは敵にならないって聞きましたよね?コイツはあたしに住み着いて遊んでるだけらしいですけど…今のとこ身体の怪我が治されても身体を乗っ取られてはいませんから。この前は心臓を撃たれましたが、ほら治ってます」


一息ついてあたしは幸樹さんに話す。とりあえず落ち着いてもらうために、ヴァッサーゴが余計なことを言ったから。

「心臓を撃たれた?」と幸樹さんの気が移る。あ、これも余計なことか…。


「ねぇ、つぅちゃん。煙の状態とか言ったけど他の状態にもなるのぉ?」

「はい、人の姿にもなります。殺すならその時がいいですよ、効くらしいです」

「へぇえ。ちょっと人の姿を見せてよ、殺さないからさぁ。アクマ君」


白瑠さんがつついて頼むからあたしは怪訝に思いつつ、指輪を外した。

忽ち黒い煙が現れて、隣に赤い目の男が登場する。

あたしの食べ掛けのハヤシライスをスプーンで勝手に食べた。


「うん、まぁまぁだな。人殺しの医者が作ったにしちゃ」


幸樹さんの眉間にシワが寄る。

ニヤリ、ヴァッサーゴが幸樹さんに挑発の笑みを向けたその顔にあたしは裏拳を決めた。


「ぶっ!何しやがるっ!このくそアマ!」

「居候のくせに生意気なのよ!」

「誰のおかげで長生きしてっと思ってんだ!」

「頼んでねぇよっ!」


ガンっとヴァッサーゴの首を掴んで、キッチンの壁に叩き付ける。悪魔と少女の取っ組み合い。

それを止めたのは、白瑠さん。

あたしの右手の人差し指を立てたかと思えば指輪を嵌めた。

ヴァッサーゴは瞬時に煙になり消えてなくなる。


「ふぅん、そっかぁそっかぁ」


うんうん、と頷いて白瑠さんはあたしが座っていた椅子に座った。

「大丈夫だ」と言う。

…今の取っ組み合いの何処を見て、納得したのだろうか。

幸樹さんの顔を見てみれば、幸樹さんも怪訝にしかめていたがやがて諦めて息をつく。


「あの…藍さんは?」

「電話したんですけどね…忙しいみたいです」

「そうですか…」


藍さんは来ないのか。

早く会って、酷いことを言ったのを謝りたいのに。許してくれるだろうか。


「ああ、そうだ…あたし、確かめたいことがあって……か、帰ってきたんです」


残りのハヤシライスを食べてあたしは本題を切り出す。帰ってきた、なんて気はずくて言いずらかった。

あたしは白瑠さんに向き直る。

きょとん、と白瑠さんは首を傾げた。


「あたしの血の繋がった身内を殺しましたか?」

「殺してないよ」


さらり、とあたしの質問に白瑠さんは間いれず答える。


「…白瑠さんは殺ってないんですか?」

「うん。殺ってないよ。俺は1ヶ月殺しやってないもん」


コクりと頷いて白瑠さんは言う。


「ニュースでやっていましたね、レッドトレインの唯一の生存者で未だに遺体の見付からない被害者の家族が惨殺されたと」


幸樹さんが会話に加わる。

日本ではニュースに出たのか。


「なんで俺がやったと?」

「コクウが…」


あたしはその名前を口にしてすぐに口を閉じた。

白瑠さんが目を丸める。

あたしのばか。コクウの名前や話はタブーだって忘れていた。


「コクウ?」

「…あの、黒の殺戮者が……あたしの身内が頭を粉砕されて殺されたって情報を掴んで、それで彼が白瑠さんだと……」


ああ…、と幸樹さんは声を漏らす。


「頭を粉砕して殺害されたという情報が正しかったのならば恐らく模倣犯でしょう」

「模倣犯……ああそうか、その可能性が全然でなかった」


それを聞いてあたしは自分に呆れて額を押さえた。

コクウが白瑠さんだと言うから、白瑠さんが殺ったと思い込んでしまった。頭を粉砕されただけで。死体もみていないのに。…見ないけど。

白瑠さんには熱狂的なファンがいて、そいつが模倣犯になったりする。あまりにも恐ろしすぎる頭蓋破壊屋のファン。

一人、会ったことあるがあれは本当に気色悪かった。


「ごめんなさい…。あたしてっきり、白瑠さんに嫌われて…怒ってるのかと……思い込んでしまいました、ごめんなさい」

「やっだなぁー。嫌いにならないよぉ?だって俺はぁ椿を愛してるもん」


俯いたあたしの顔を覗いて、白瑠さんは云う。

愛してる。

どうしてこうも、簡単に、云ってくれるのだろうか。


「私も愛していますよ、もう私には貴女しかいませんから」

「お、重いです…幸樹さん……ずしりときました…」

「おや?くすくす」


本当にその台詞には重みがあった。怖いっす。


「それで、そのコクウとはどうなのですか?付き合っているんでしょう?」


直球の質問にギクリとする。

噂はしっかり、届いていたか。

そうだよな。

だって白瑠さんはさっき"まだ居る?"と訊いた。あたしがコクウの元に戻ると知っているんだ。


「もう寝たんですか?」

「……………………………」


交際を肯定する前に問われて頷くのに躊躇した。うん、怒らないぞ。怒らないわ。

あたしは頬を赤らめつつも頷いた。


「だよね、椿からアイツのニオイがしたもん」


隣で白瑠さんがポツリ呟いた。

顔を上げて白瑠さんの顔色を伺う。怒っている様子は微塵も感じなかった。

あれ…意外…。


「出会いはどこで?告白はどちらから?初キスはいつです?」

「質問攻めはやめてくださいっ!」

「ここは兄として事細かに知るべきかと…」

「実の兄でもそこまで知らないですよ!」

「でも出会いと告白くらい訊いても構わないでしょう?」

「…………」


うっ…。

冗談はさておき、と幸樹さんはにこやかに真剣に訊いてきた。


「…アメリカで仕事中…いえ、仕事が完了した直後に…彼に見付かって捕まったんです。それが出会いです」


あたしは観念して答える。


「それで勧誘されました、チームに。彼に言われるまで勧誘する為に追われてたなんて知りもしませんでした」


じとり、と問い詰めるように睨み付ける。幸樹さんは涼しい顔で紅茶を啜った。あたしは標的を変えて白瑠さんを睨む。


「だって会わせたくなかったもんっ!!!」


白瑠さんは大きな声を張り上げた。あたしは吃驚して肩を震え上がらせ、身を引く。


「白瑠…」

「……ごめん」


幸樹さんに促されたように白瑠さんは謝罪してテーブルに顎をのせてプクーと頬を膨らませた。


「それで貴女は入ることにした」

「いえ、断って逃げました。だけど先手を打たれてパスポート、奪われちゃったんですよ…その時金欠で…逃げるに逃げられなくて。コクウはしつこく勧誘してきましてね……んー、ああそうだ。黒の集団が死者を出さずにビルジャックしたのは聞きましたか?」

「えぇ、黒の集団が初めてまとまって動いてやらかした事件ですよね。白昼堂々と死者を出さずにビルジャック、裏現実者がジャックしておいて死者を一人も出さずに成功させたのは歴史に残るでしょう」

「その時、あたしもいたんです。見学して面白かったら入ってくれと言われたんで、一部始終を見てました」

「そうだったんですか」

「正直面白かったので、入ることにしたんです。チームに」


チームに不利な情報は出さないように考えながら幸樹さんに話していく。白瑠さんは聞いているのかいないのかわからない。


「なるほど。私達がいつまでも迎えに来ないから怒って反発心で黒の集団に入ったわけじゃないんですね」


………。

実はそれも動機に入っているような…ないような……。これは黙っておこう。

ていうか、白瑠さんの前で黒の集団の話をしていいのか?

前は追い掛けられているから徹底的に逃げる為の策を練るために話し合っていたが、今はその必要はないのだし寧ろ今こそ白瑠さんの怒りが爆発してしまうのではないかとひやひやしてしまう。

あたしの目配せに気付いた幸樹さんは、わかってくれたのか話題を変えた。


「仕事は順調ですか?」

「はい。白瑠さんと幸樹さんは?…あ、白瑠さんは殺っていないんでしたっけ」

「私も仕事はしていませんでした」

「つーちゃんはちゃんと殺らないと誰かまわず殺っちゃうもんねぇ」

「あ、ついこの間1週間くらい殺り忘れてしまって暴走しました。ほら、黒の集団が大量の刺客を返り討ちにした件はご存知ですか?」

「ええ、聞きました」

「あたしと蠍爆弾、コクウに差し向けられた37人だっけな…それをあたし一人で殺りました。割れたガラスの破片で。その際あたしは記憶がなくて、味方まで切りつけてました」


…あれ。

結局コクウ関連の話になってしまった。せっかく幸樹さんが逸らしてくれたのに。


「悪魔の仕業ではないんですか?」

「いえ、指輪を嵌めていたのでそれはないかと。…それに確かに同じだったんです。あたしが初めて大量殺戮をした時と、酷似してたんです」

「レッドトレインと酷似ですか」

「禁断症状だねぇ、なんで1週間も我慢してたの?」

「我慢してたんじゃなくてめんどくさくってサボってたんですよ」


「めんどくさくって?」と白瑠さんは目を少し見開いて聞き返した。


「はい」

「殺したくならなかった?」

「はい」

「…ふぅん」


頬杖をついて白瑠さんはあたしを見つめる。意味深な彼に首を傾げたら、顔にかかる髪を指先で退かされてそっと撫でられた。人差し指で頬をぷにぷにと上げるように触る白瑠さん。…なにがしたい。

こうゆう意図のわからない行動、白瑠さんらしいな。

何も変わっていなくて、懐かしくて、まるで何事もなかったみたいに戻れて、嬉しく思う。

あの時、もう少し泣きじゃくっていれば、白瑠さんが来るまでそこにいれば、彼らに苦労や心配をかけることもあたしがあんな痛い目をみることもなかったんだろう。


「あたしってトラブルメーカーですよね…」


迷惑ばかりかけてしまっている。

この家に転がり込んでから、ずっと。


「手のかかる愛しい妹です」

「そんな椿も愛してる」

「愛してます」


あたしも、愛してます。

なんて言えなくて、頬を赤らめて俯くしか出来なかった。





「あのぅ…必要ないですよ」

「いいから脱いでください」


 笹野ドクターが診察をすると言い出した為、あたしは致し方なく上着を脱いだ。


「おや、キスマークが」

「っ!?」


脱いだセーターのせいで髪がバチバチと鳴って乱れたから治していればソファーで向かい合うように座る幸樹さんが指を指す。咄嗟にセーターで隠した。


「……嘘ですよ。ほら、診せてください」

「…!」


カマをかけられた。

これでコクウと何処まで進んだかバレた。くっ…その為の診察か。

聴診器を使って幸樹さんは診察を始めた。

その様子を白瑠さんは背凭れに顎を乗せて凝視。ブラジャー一枚のあたしの胸を見ていたから、セーターを投げ付ける。


「じっとしてください」

「…はい」

「……どこを撃たれたんですか?」

「傷も治されました、あとは残りません。鼠に刺された傷も心臓を撃たれた傷も悪魔が治した怪我は残ってません」

「どこを刺されたんです?」


あ…くそ…。

また余計なことを言っちまった。

ペラペラと喋ってしまう。

あたしは自分のお腹に手を当てる。


「一突きですか?」

「………」


あたしは口を閉じたまま視線を落とす。「傷痕、ありませんね」と幸樹さんは確認であたしの腹を触る。


「血痕があまりにも多かったので…貴女も怪我していることはわかってました。何をされたのか、話してください。一刺しではないのでしょう?」


幸樹さんはあたしを真っ直ぐに見つめて静かにだけど強く言う。


「…数えていません。何度か刺されて抉られました」


ぎり、と背凭れを白瑠さんは握り潰した。顔は見えなかったが、怒ってる。言ったところで彼らが行き場のない怒りを感じるだけ。


「すみません」

「謝らないでください」


幸樹さんは白瑠さんの頭をコツンと叩いて首を振った。

「健康ですね、よかったです」と幸樹さんは頭を撫でる。

診察終わり。

セーターを着ようとすれば、白瑠さんがあたしに服を差し出した。あ、あたしが使っていた寝巻きだ。

臭いからとシャワーに入るよう言われたので、シャワーを浴びてから寝巻きに着替えた。

 あたしの部屋のベッドで、雑魚寝。

これまた懐かしい。

右隣には白瑠さん。左隣には幸樹さん。あたしのベッドで三人は窮屈。なんて毎回のこと。


「夢みたいですね」


幸樹さんが呟く。


「貴女がいなかった時間が酷く長く感じます」

「…幸樹さん」

「何度も貴女の夢を見ました。その度に…起きる度に貴女が本当に帰ってきたのではないかと、家を探し回りました」


だから…。

だから夢か現実かを確認したんだ。

白瑠さんも夢だと思ってあたしを抱き締めた。夢だとわかりつつ。どうせ覚めてしまうと知りつつ抱き締めた。

あたしは腹に腕を回している白瑠さんの顔を見てみる。目を閉じていた。


「本物の貴女が隣にいる……ぐっすり眠れそうです」

「………あたしもです」


安心感とあたたかさに眠気がくる。まともに眠っていなかったからでもあるかも。

本当に懐かしい。このベッドの感触に匂い。この温もり。

この温もりが安心感を与える。

あたしの愛する温もりだ。

あたしは気付かれないように幸樹さんと白瑠さんの裾を握り締めた。







 目が覚めたら、幸樹さんや白瑠さんがベッドにいなかった。

家を探したが、どこにもいなくて。クラウンとバイクもなくて、駐車スペースは空だった。

テーブルには朝食と書き置き。

"表の仕事があるので朝食は二人で食べてください。白瑠に送ってもらってくださいね、見送れなくてすみません。幸樹"

幸樹さんの字。

その下にはあとから書き加えたのか、白瑠さんの字が書いてあった。

"俺も出掛けてくるーごめんね?カギはちゃーんとかけてね"

それを見てから、あたしは椅子に腰を落として朝食を摂る。

それから白瑠さんが使って置きっぱなしのペンで書き置きの裏にあたしもメッセージを書く。


"いってきます 椿より"


ただそれだけ。

それからPSと書き加える。

"藍さん、ごめんなさい"

藍さんに直接会って謝りたいが、もう住みかを変えただろう。探し出す暇はない。時間かかるし。

コクウが心配するからアメリカに戻らなきゃ。

蓮真君に会いにいって無事だと伝えたいがそれも次回にしよう。

 あたしはしっかり鍵を閉めてその家を後にした。タクシーを捕まえて空港に向かう。

長いフライトになる、溜め息をつく。

 こつん。

吸血鬼の気配に気付いて顔をあげる。

その先には────コクウ。

にこ、とコクウはあたしに微笑みを向ける。


「おかえり、椿」

「…コクウ」


なんで?あたしはポカーンとコクウを見上げた。


「長いフライトになるだろうから、一緒に帰ろうと思って」

「……こうなるように差し向けたの?白瑠さんが犯人だってあたしに吹き込んで」

「白瑠が犯人じゃなかったの?そうなんだ」

「…行きましょう」


コクウはどっちでもよさそうに頷く。別に嘘を吹き込んだわけじゃないようだ。

あたしは肩を落としてコクウの手を握る。指を絡めて、キュッと握った。







「うぉあぁあああぁー…。あ、黒猫おかえり、葬式はもう終わったの?」

「…葬式にはでなかったけど」

「え!?何しに日本戻ったの!?」


 黒のオフィスに戻れば、ナヤが机の上にへばりついていた。ナヤは身内の葬式に出たと勘違いしたらしい。


「え?日本に戻ったのか?椿。おれも誘ってくれよー、蓮には会った?」

「そんな暇なかったの」

「ざんねーん」


遊太もそこにいて残念そうに頭の後ろに腕を組んだ。


「まだウルフの件、進展ないの?」

「なぁあぁあぁああ゛ぁ゛い゛」


ウルフが漏らした番犬の情報は何一つ見付からないようだ。

情報のスペシャリストがここまで手こずるなら他の手で番犬の情報をかき集めるべきではないか?

あー他に手掛かりがないんだった。


「このままじゃあ計画倒れよ?」

「えー?大丈夫だよぉ」

「はぁ…ナヤ、明日はあたしも手伝うわ」


お気楽だ、コイツ。

あたしは溜め息をついてナヤに言う。


「嬉しいけどボクは休むよ…ガクッ」

「………お大事に」

「お大事にぃ、ナヤ」


もう頑張れないらしくナヤは大袈裟に俯せた。本当に何も掴めないみたいだな。

こんなので打倒番犬は成功するのだろうか?

てかコクウは成功させる気があるのか?


「俺は仲間を信じてるんだ。優秀なんだぜ?大丈夫さ」


問えばコクウはそう言い退けた。

まぁ腕は確かだ。伊達に名を馳せていない実力ある者達ばかり。

信じているのか。

何度も歴史に残すようなことを仕出かした彼にとったら、きっと楽勝なのだろう。

仲間はコクウを信じてついてきている。

…なんとかなるか。

 翌朝。

ドアをノックする音が聴こえて目を開く。黒のメンバーに礼儀正しくノックする者なんていたっけ?

あたしは身体を起こして、ベッドから這うように降りた。寝惚けていて足取りはフラフラ。


「…あれ、幸樹さん…」


ドアを開けたら、予想外にもそこには幸樹さんが立っていた。

あまりにも意外過ぎて眠気が吹っ飛ぶ。あれ、ここアメリカのコクウの部屋だよね?とあたしは振り返った。ベッドにコクウがいる。

うん、ここアメリカだ。


「……わかっていても、少々…」

「どうかしたんですか…?」


一人でぼやいて幸樹さんはあたしを見下ろす。あたしは目を擦りながら用件を訊く。

わざわざここに来たなんて、よっぽどの用なのだろう。

そこで自分がコクウのYシャツ一枚だという事実に気付く。おや。


「少しだけ時間をください、話したいことがありまして」

「話したいこと?」

「椿さんをお借りしますね、黒の殺戮者」

「わっ」


幸樹さんは茶色のコートを脱いであたしにかける。そしてあたしを抱えあげた。

着替える暇もないのか。

抱えられてコクウに目を向ければ、コクウは起き上がっていた。だけど呼び止めることはしない。

了承を得たと捉えた幸樹さんはあたしを抱えてその場を後にした。

向かったのは近くのレストラン。


「なんです?話って。凄く重要ですか?」


幸樹さんのコートをしっかり着て防寒。

早速本題に入る。急いでるみたいだし。


「はい、簡潔に言いますね。椿さん、兄妹になりましょう」


紅茶を頼み終えた幸樹さんはあたしを真剣に見つめて、本当に簡潔に云った。


「…え?」


当然それだけでは理解できなくてあたしは瞬きをする。


「どうゆう意味ですか?」

「戸籍を作りましょう。笹野椿として、私の妹として、戸籍を作るんです」


戸籍。妹。苗字。

あたしはポカーンとした。


「あの、えっと、何故?」

「嫌ですか?」

「いや……ではない、ですよ?だけど、なんでまた?あたしは戸籍上死亡してますし、それになんの意味が?」


戸籍上は山本椿は死亡している。戸籍はないものだと割りきっていた。今後もなくても裏現実で生きていられるのだから、必要ないのに。


「…由亜さんと話していたんですよ。逃亡中の藍乃介さえも偽の戸籍を持っているので、椿さんにも用意しないかとね」

「由亜…さんと…?」


由亜さんの名前が出て、あたしは息を飲む。その名前を口に出した本人は眉間を寄せて切なそうに微笑んだ。


「椿さんは家族ですからね。彼女の提案に私も賛成で、あとは貴女に話すだけでした」


その前に死んだ。


「これは由亜の願いでもあるんです」


由亜さんの願い。


「表でも家族になりたかったんでしょう。両親にもいつか私達を紹介したかったと言ってましたからね。最後に会った日も…椿さんと自由に海外旅行する為には必要だと言ってました」


光に照らされて笑う由亜さん。

いつもそうだ。由亜さんは眩しかった。

あたしを照らしてくれたんだ。

由亜さんはあたしを光の中に入れようといつも手を握ってくれていた。


「椿さん」


幸樹さんはあたしの手を握って、もう一度云う。


「私と家族に…兄妹になってください」


ぽろ、と涙が落ちる。

涙脆すぎて嫌だな…全く。


「勿論です。妹にしてください、お兄ちゃん」


あたしは精一杯笑って答えた。






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