あたしの負け
白と黒。
白あっての黒。黒あっての白。
白あっての黒。黒あっての白。
光と影のように、対象でありながら繋がる存在。
けれども決して交わらない。
交わることなんて、溶け合うことなんて、ない色だ。
主張しあって、灰色にはならない。
互いを塗り潰す。
白の殺戮者。黒の殺戮者。
鏡のようにそっくりなくせに対象になって対立する存在。
裏現実で今最も恐れられている殺し屋。
このどちらかに狙われても最期。二人に狙われても最期。いい死に方はしない。
対立する白と黒。
殺し合いを始めれば誰も止められない。
白と黒の衝突。
終わらない殺し合い。
決着のつかないぶつかり合い。
紅い血が、舞い散る。
紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い紅い。
この色が好きだ。
白よりも、黒よりも。
爪で掻き裂き、刃で切り裂く。
逃げ惑っていた人間が暗い部屋で息絶える。
壁も床も彼らの返り血で血塗れだ。
あたしも、そう。
紅色のコートも、ブーツも、手も手にするカルドも、髪も顔も血塗れだ。
紅に塗れる紅色の黒猫。
ポタポタと紅い血が滴る音に耳をすます。
ポタン、ポタン、ポタン、ポタン。
立ち尽くしてその音を聴く。
殺した人間のことなんて無機物にしか思わずにただぼんやりとした。
「くひゃあ、真っ赤だぁ」
唐突に、背後から声。
後ろに、生きている人間がいた。
あたしはバッと振り返って首筋にカルドを突き刺す。
後ろに居たのは、黒髪で黒い上着に黒いズボン。黒づくめの若い男だった。
この場にいたスーツに身を包んだマフィアの幹部とは違う。誰だコイツ。
「!」
「くく……」
男はカルドを掴むあたしの手を握って、笑いを洩らす。そして深々に刺したカルドを引き抜いた。
手を振り払い距離をとる。
カラン、とそれは床に落とされた。
「やっと会えたね、紅色の黒猫」
「────黒の、殺戮者……!」
にっこり、血に濡れた笑みを向けられてやっと気付く。
刺しても平然と立っているのは────吸血鬼。声には聞き覚えがある。
黒づくめの吸血鬼。
黒の殺戮者。
見付かった。逃げなくては。
パグ・ナウを振り上げて身体を裂く。返り血を浴びる。
しかし、吸血鬼はそれだけでは死なない。足留めにもならない。
血飛沫だけして傷はもう塞がったようだ。猫のように眼を細めて口元を吊り上げる顔は、誰かを連想させた。
「血がこびりついた匂いで甘い匂いが消えてる。血の匂いしかしない。これは洗っても」
投擲ナイフをコートの中から出して頭に突き刺す。黒の殺戮者はすぐに顔を起こし、額からナイフを抜き取った。
「中々とれないよ。こびりついてる」
ナイフについた血を、ペロペロと舐める。
駄目だ。首をはねないと逃げ切れない。カルドは黒の殺戮者の後ろだ。代わりになるのは短剣か。
「!」
「つーかぁまえた」
「くっ!」
短剣を抜き取る前に、爪を出す左手を掴まれる。短剣は両腕の袖の中だ。これではとれない。
パグ・ナウで足掻こうとしたが、黒の殺戮者が先手を打つ。
ガシッと首を掴まれて、壁に叩き付けられる。
しまっ…!
咬まれた。肉に突き刺さる痛みがする。
「っ……う!」
振り払えなかった。吸血鬼の腕力がどれくらいなのかは知らないが、本当にビクともしない。
ゴクリと彼があたしの血を飲み込む音が聴こえた。
このまま血を飲み尽くされてしまう。
けれども、抵抗が効かない。
ゴクン、ゴクン。
体内の血液が吸いとられるのを感じる。
「ぅ…………ぁ……あ」
力まで吸いとられているようだ。
意識が、身体が、沈む感覚がする。まるで落ちるような感覚。足元がなく、落ちるような感覚だ。
前にも味わった感覚。
いつだっけ?
嗚呼、そうだ。死にかけた時だ。
嗚呼、いいか。このまま死んでも。もう死んでしまおう。
どうせ────独りだ。
瞼が落ちる。
意識も、落ちた。
暗い闇の中に、落ちていく。堕ちていった。
夢を見る。
白い部屋は暗くて、黒い影が白を塗り潰していく。
全てが黒になる前に、いつも目が覚める。
「…………」
瞼を開けば、見慣れない天井。
次に目に入るのは点滴。ポタポタと滴が垂れている。
だけど病院の病室ではない。
カーテンの隙間から差す光で見えたのは、散らかったオフィスのような広々とした部屋。
机がいくつか並んであって、資料のような紙が散乱している。椅子は無造作に置かれていて、人の気配はしない。
あたしが横たわっているのはベッドじゃなく、背凭れのないソファが二つ合わせているだけだ。
「おはよぅ、気分はどう?」
それから、黒の殺戮者が一人。
椅子を持ってきて背凭れをあたしに向けて向き合って座った。
笑みは保ったまま、にっこりとあたしを見つめる。
今まで見てきた吸血鬼と同じ、綺麗な顔立ちをしていた。
「ごめんね、ついつい飲みすぎちゃった。あんまりにも美味しいから、まぁ君が俺を切りすぎたせいでもあるけどさ」
首に触れると絆創膏が貼られていた。この点滴もどうやらこの為のようだ。
悪いと思っているようだが、反省の色は微塵も見えない。睨み付けた。
「怒ってる? 俺は勝負に勝った、勝ったら君の血を飲む約束だ」
……くそ。首から額に手を置いて舌打ちをする。
負けた。勝負に負けた。
負けた、クソッ、悔しい。
露骨に顔に出たらしく「くひゃ」と笑いを溢す黒の殺戮者。
「君、栄養失調だよ。人間なんだから、食べなきゃだめだ。何が好き? 食べ物買ってくるよ」
前後に動いて椅子をギコギコと揺らしながら黒の殺戮者は訊く。
栄養失調。
この一ヶ月は大したものは食べていない。気が向けばフード店に行ったが、週に一二回程度だ。至極空腹のまま、今まで仕事をしてきた。
「なんでてめぇがそんなことをするんだよ。関係ないだろ。血を吸い付くして殺せば」
「ありゃ? 空腹で不機嫌だねー。殺しちゃ意味ないじゃん」
「なにか企んでも無駄だ。てめえと誰かさんの戦争なんかに関わるつもりはない」
背凭れに肘を置いて暢気に笑っていた黒の殺戮者は、そこできょとんとした表情を見せた。
その表情も、誰かさんを連想させる。
「あれ……もしかして……白から聞いてない?」
「は?何が?」
「まぁーたく、白状な奴だなぁ」
呆れて肩を竦めたが、黒の殺戮者は気を取り直して笑いかけた。
「仲間にならない? 紅色の黒猫────の椿」
黒の殺戮者はにっこりと気軽に言う。
なんだかそっちの名前を呼ばれるのは久しく感じる。
その名前を名乗らずに一ヶ月を過ごしてきたからだ。
あたしの名前を知っている者に会うこと自体久しい。
……そんなことを考えてる場合じゃないか。
「は? 何言ってんだ」
「仲間に入って、そう言ってるんだよ」
「……仲間って……。レネメンや遊太や火都と一緒にアンタの率いる集団の一員に入れと?」
「そぉゆうこと。……あれ、火都とも知り合いだったの。縁があるんだね、椿」
楽しげにクスクスと笑う黒の殺戮者。
ぽかーんとする。あまりにも唐突なことに理解が出来ない。
「黒の殺戮者……あたしは、白瑠さんの弟子だって知ってるの?」
「知ってるよ、白が自慢したもん。白の弟子だからって俺が君を誘っちゃだめなのかい?」
「いや……駄目だろ……」
白。親しそうに呼ぶのに、仲が悪いんだろう。
仲が悪いからこそ駄目に決まっている。
彼の名前も、口にするのは久しい。
「それとも師匠が俺の仲間にはなるなって言ったのかい?」
「……言ってないけど……」
黒の殺戮者があたしを勧誘しようとしていることさえ、教えてくれなかった。
白瑠さんが知っていたかどうかはわからないが、否知っていたからこそあたしに会わせないようにしていたのだろう。
きっと知っていて皆で隠していたに決まってる。……みんな。
嗚呼、そっか。レネメンの伝言は、この勧誘のことだったのか。
「……断る」
「!」
「断る。黒の殺戮者、お前の仲間にならない」
あたしはきっぱりと断って、点滴の針を抜く。
「そんなこと言わずにさ、一緒に楽しもうよ。椿」
黒の殺戮者はちっとも動揺せずにそう言う。
「お前とつるむ気はない。この話は終わりだ。もう用はねぇだろ」
床に足をついて脱がされたコートを掴む。袖を通して立ち上がる。少しクラッとした。
「駄目だ、病み上がりだぜ。腹に何か入れないと」
冷たい手があたしの手を掴んだ。反射的にあたしはその腕にナイフを突き立てた。
「おっと」
「触るんじゃねぇ……。あたしに関わるな」
睨み吐き捨ててあたしはその部屋を後にした。
少しフラフラするがあたしはゆっくりと歩んだ。
何が食べたいと問われて考えたら空腹を感じてしまった。何か買っていこう。
先週見付けたチーズバーガーの美味しい店に寄った。
「チーズバーガー……十個に、ポテトとドリンク二つ」
「十個……ですか」
可愛い顔の店員さんは顔をひきつらせたがあたしは頬杖をついて待つ。
チーズバーガーが詰み込まれた紙袋を抱え一つ食べながら、寝泊まりしている部屋へと戻る。
アメリカのアリゾナ州のある街。
今はここに滞在している。
この一ヶ月、あちこちとしていた。
海外に行くために、武器職人の松平兎無さんに頼み込んだ。
最初はアメリカのニューヨーク。生活費を稼ぐために仕事をやったら、忽ち噂が広がって黒の殺戮者がニューヨークに現れたと情報を掴んだ。直ぐにアメリカを発って、ロシアに。ロシアでも滞在がバレ、今度は白の殺戮者も現れたと聞いてロシアも発った。
それだけで一ヶ月経ったと思えたが、まだ五日も経っていない。
次はイタリア。マフィアの殲滅で忽ち噂が広がったため、PCを使ってガセネタを広げた。
ギリシャやブラジルにも行って、またイタリア。韓国に中国。日本に一度戻ってはまたイタリア、フランス。そしてアメリカ。
たまに藍さんの追手もきたがそれも振り払ってきたが、今回は黒の殺戮者に捕まってしまった。
「はぁ……次は何処に行くか」
螺旋階段のあるアパートの狭い部屋に入ってソファに荷物を置いて、コートやブーツを脱ぎながら浴室に向かう。
シャワーを浴びて適当に拭いてからブラウスに短パンを着て、チーズバーガーをもう一つ食べてコーラを飲む。
「なんでお前はまた沈黙してやがんだよ、V」
食べ終えてゴミ箱に放り投げる。返事はない。
ちっ、と舌打ちをしてからまたチーズバーガーに手を伸ばす。
「へぇ、チーズバーガーが好きなんだ?」
チーズバーガーを置いたソファの背凭れに頬杖をついた黒の殺戮者が洩らした。
ギョッとしたが、直ぐにソファの下に隠したショットガンを出して銃口を向ける。
「おっと」と黒の殺戮者は銃口先をずらし、引き金に指を挟んで発砲を阻止した。
「血はたっぷり飲んだんだからもう危害は加えないよ。殺し屋としてはいい反応だけど、俺だって痛いんだぜ」
「……吸血鬼のクセに昼間の街を歩いてんじゃねぇよ」
「苦手は克服する努力をしないと」
油断した。
陽を苦手とする吸血鬼だから太陽がギラギラ差した昼間で尾行が出来るとは思わなかった。畜生、寝床までバレた。
さっさとここを離れないと。
ギギギギイ。
なんとか銃口を黒の殺戮者の頭に突き付けて引き金を引きたかったが無理だ。
笑いながら黒の殺戮者はショットガンを動かさないように固定する。くそ、吸血鬼の腕力強。
こうなったら。
あたしは右足を横から振り上げて頭を蹴り飛ばそうとした。
パシッと銃を掴む手で黒の殺戮者は受け止める。
その掴まれた膝で銃口を額に突き付けてトリガーを引いた。が、まだ黒の殺戮者が指を挟んでいて発砲ができない。
「きゃっ」
足首を引っ張られてバランスを崩して床に倒れた。その際にショットガンを取られる。
「そんな警戒しないでってば、椿。危害は加えないって言ってるだろう?」
バキッとショットガンをへし折って黒の殺戮者はソファに腰を下ろした。
「……あのね、黒の殺戮者。あたしは白瑠さんの弟子だ、敵対するお前の仲間になるのはあり得ない」
「他人行儀だなぁ、椿。電話の時みたいに俺の名前を呼んでよ」
話を聞いていない。
そっくりだな、本当に。
疲れを感じて息をついてから起き上がる。
「出てけよ、吸血鬼を招いた覚えはない。出てけ」
「出ていったらまた姿を眩ましちゃうだろう?」
「……関係ねぇだろ、もう勧誘は断ったはずだ」
「俺は諦めが悪いんだ」
だろうな。
ニコニコと黒の殺戮者は笑みを貼り付けたままであたしを見下す。
全く、妙な者に目をつけられた。
「なんであたしを誘うんだ?黒の殺戮者」
「………………」
「…………」
「………………」
「…………」
「………………」
「…………なんであたしを誘うのよ、コクウ」
黒の殺戮者───コクウ。
子供のように無視をしたので、致し方無く名前を呼べばパッと振り返った。
疲れる。へとへとの時に誰かさんの相手をしているようだ。
「名前を馳せてる皆を集めてるんだ。君もその一人だろ? 丁度結成したのと君が流星の如く現れたのは同じ時期だ。運命感じない?」
「……ああ、そうか。そうだったな、お前のチームは有名人だらけ。……だがあたしはそこには入らないって言ってんだ、さっさと諦めて出ていけ」
「諦めないけど、君が行方を眩まさないと約束すれば出ていくよ」
黒の集団。
黒の殺戮者率いる集団。
名を馳せる裏現実者が異例の数で集まり群れをなしている。
「わかった、約束するから出てけ」
「ふふ、約束を守らなかったら俺は日本に行って白瑠に会う。それで君に会ったことを話し、仲間になるように説得してと頼みに」
「約束する!! 守る!!」
さっさと出ていってもらおうと適当に追い払おうと嘘の約束をしたら、それは見透かされて脅しを出された。
慌てて言ったが、そうされた白瑠さんは一体どうするのだろうか。
どうするんだろう。
…わからない。
彼が今どう思っているかさえわからないんだ。
「ん、じゃーね。また後で」
しっかり約束が出来、満足気な笑みでコクウはあたしの部屋を後にした。
「…………疲れた」
バタンとベッドに倒れ込む。
紅色の黒猫。
あたしが裏現実に姿を現した時期と黒の集団が結成した時期は確かに重なっている。
師匠である白瑠さん、白の殺戮者或いは頭蓋破壊屋に並ぶ存在と謳われるあたしと同様にこの時代で名を馳せる裏現実者が集っている。
その理由は未だ謎。
とんでもなく大きな仕事をやるだとか、国一つを滅ぼすとか、誰かに喧嘩を売るとか。どれも信憑性がない。
「知りたいか? あの黒野郎ヴァンパイアが何を企んでるか」
頭の中から声が響く。
「仲間になればいい。わかるだろーよ」
「仲間にはならない。アンタ、吸血鬼の前だからって沈黙すんな。アンタが喚けば逃げ切れたのに」
文句を吐いてチーズバーガーをとってまたベッドに倒れる。
頭の中の悪魔は「ククッ」と喉で笑った。
「ラトアっつー吸血鬼を足止めしてやったのはお前を殺さない吸血鬼だからだ。お前が吸血鬼に殺されたらオレまでくたばる」
「殺されたらどうするつもりだったのさ。……ヴァッサーゴ、知ってたのか? コクウが殺さないって」
「声音と殺気でわかるさ。黒野郎はお前を殺す気なんてないぜ」
だから大人しくしていたのか。
死ぬのは御免だからと今まで助けてきたそうだ。
あたしの中に住み着いた悪魔。何を言っても出ていかないの一点張りの悪魔の名前はヴァッサーゴ。面倒臭いから普段はVと呼んでいる。
吸血鬼を滅ぼすとかいう野望は持っていないらしいのでそのままだ。
あちこちしても、悪魔退治のジェスタには会えないでいる。
「なんで断る? 今フリーなんだから入りゃいーじゃねぇか、椿」
答えを知っているくせにヴァッサーゴはわざと問う。
答えたくない時は銀色の指輪を嵌める。そうすればヴァッサーゴはいつものように沈黙。
黒の集団の一員である那拓遊太の弟である那拓蓮真からもらったものだ。
彼とも一ヶ月会っていないし、連絡もとっていない。連絡手段である携帯電話は彼の部屋に置いてきてしまったのだから当然だ。
仲間になりたくない理由は一つだけ。
黒の殺戮者と居れば、必ず白瑠さんに会う。
「…………」
食べ掛けのチーズバーガーを握り潰してゴミ箱に投げる。視なくともスポッと入った。
本当に疲れた…。
この一ヶ月も、昨夜に続く今日も。本当に疲れた。
枕に顔を埋めて目を閉じる。ベッドに沈んだ身体は鉛のように重い。
海に沈むように眠りに落ちた。
気だるい眠気を引き摺って目を開く。ボヤけた視線の先には、ベッドの隅に腰を下ろすコクウがいた。
手には紙────…じゃなくて写真。連想するのは。
「何してる!?」
咄嗟にあたしはその写真を取り上げる。だけど写真に写っているのは、あたしだった。
ベッドで眠っているあたし。
「昨日撮ったんだ。ちゃんとノックしたから、怒るなよ。君が丸二日眠るほど気付かないのが悪いんだぜ」
「二日!?」
あたしはギョッとする。
写真はどうやら昨日撮ったもの。あたしは丸二日寝込んだらしい。
念のためにコクウが突き付けた携帯電話を視たが、二日経っていた。
「嗚呼、畜生! 今日は仕事じゃねーかっ!」
ベッドから飛び降りて慌ててニーソを履いてブーツを履く。ブラウスの上に面倒だからコートを着た。
「仕事? 手伝う」
「必要ない! あたしの仕事だ!」
「…………」
沈黙を返されたから、振り返ってみればベッドに寝そべったコクウがにっこりと笑いかける。
「じゃあ獲物を横取りする」
「はぁ!?」
「暇なんだ。今夜は君の寝顔を眺めて過ごすつもりだったから」
「てめっ……! あたしの許可なしに部屋に二度と入るな!!」
怒鳴ってパタパタと支度をする。
獲物を今夜仕留めないといけない約束なんだ。遅刻したら仕留め損なう。
部屋を飛び出してからも、コクウはついてきた。
「ついてくるな、コクウ」
「今夜の予定は君と過ごすって決めたから。車ないなら送るよ」
アパートの前で睨み付ければ、ニコッと返された。
そして黒いRXの助手席に座るようドアを開けられる。
丁重にお断りをしたいが、時間は迫っていた。
「じゃあ、借りる」
「え?」
助手席に座ると見せかけ、鍵を奪い取って車を盗んだ。エンジンをかけてアクセル全開で走り去る。
借りるだけだもん。
吹っ飛ばして来たが、現場は最悪だった。
マフィアかギャングの抗争、或いはテロリストの自爆テロのような有り様。
完全に遅刻した。
今回の標的は億万長者のパトスという男を殺すこと。
彼の遺産が欲しい身内が殺し屋を雇った。それを知りパトスは暫く身を潜んでいたが、愛人の誕生日である今日にレストランを貸し切りにするという情報を掴んで今日を狙っていたんだ。
だが、身内が皆殺し屋を雇った為に、殺し屋同士の殺し合いになってしまっていた。
貸し切りのレストランの中で数人が喧嘩中。店の外でも数人。パトスの首を巡って殺し合いをする様は滑稽だ。
金の為に家族全員に殺し屋を差し向けられたパトスも至極哀れな男だな。
全く失笑してしまう。
暫く車の中でそれを眺めた。
一人になるまで待って、その一人を殺せばいい。
待っていたが殺し屋達の実力は互角のようで決着が中々つかない。一人も減っていない。
もうこの仕事から降りようかと思ったら、二人が同時に倒れた。
それからもう一人が倒れる。
撃たれた? にしては銃声が聴こえなかった。
身を乗り出して確認しようとしたら、プッ! とクラックションを押してしまう。
残りの殺し屋も殺し屋を射った奴もあたしの方に振り返った。
幸いスモークガラスのため、彼らには視えないはず。
ひらひら。
ボウガンを持った男が手を振ってきた。勿論、あたしに。
「……弥太部火都……」
手を振るのは、弥太部火都だった。狩人で、飛び道具の名人。
黒の集団の一人だ。
きっとあたしにではなく、コクウに手を振っているつもりなんだろう。
この車は、コクウのだ。
んー、どうしようかな。
車は返さないと。逃げたら追われそう。
だけど彼は狩人。あたしは殺し屋。
火都はボウガンでレストランの殺し屋を射抜いた。百発百中。
火都と殺し合うのは骨が折れる。疲れたくはない。
話せばわかるかな。
一応指輪を外してから、あたしは車から降りた。
「……椿……?あれ……これ……黒の車じゃあ……」
「久しぶり、火都。借りたのよ、貴方のボスにね。返しておいて」
「うん」
歩いて近付けば、火都はきょとんと首を傾げた。やる気のない頷きをして車のキーを受け取る。良かった、殺されないみたいだ。
視てみれば射たれた殺し屋は息があるのがほとんどだった。あまり殺しをしない狩人だったっけ。
「あそこに死んでる奴の首を貰っても構わないかしら? ターゲットなんだけど」
「ん、ああ、いいけど。おーれはたまたま通りかかっただけだし」
よし、楽して大金ゲット。仕事が被っていたらどうなっていたことやら。
あたしは扉が吹っ飛ばされた出口に入ってから愛人を庇うように倒れたパトスの首をカルドで切り落とす。
愛人を愛したせいか。
それても命を狙われてもう愛人しかいなかったせいなのか。
最期は愛人とともにくたば……。
「ゴホッ……ゴホッ……」
「……あら、生きてる」
パトスが死守したからだろう。多少の怪我はしているものの、愛人の女は生きている。
「火都。彼女を病院に送ってくれない? 掃除屋を呼ぶから」
「ん、わかった」
訳も聞かず火都はすぐに引き受けた。
あたしはオーナーらしき男の背広で首を包んでから女を死体の下から出す。
「大丈夫ですか? お姉さん」
「うぅ……あの人は……?パトスは?」
「貴女を庇って死にました。これから彼が貴女を病院に連れていきます」
それだけを伝え、火都に任せた。
「椿」
「ん?」
「仲間に入ったの?」
「……いいえ」
「ふーん、そっか」
「……断ったって聞いてないの?」
「おーれ、空港についたばっかだから」
「……そう。じゃあまたね」
「また」
あたしは生首を片手にその場から離れて依頼人の元に行く。
火都は引き受けるだけでそれ以上引き留めも勧誘もしなかった。
この国に来たばかりとは、召集でもかかっているのだろうか。
そろそろ動く気か?
それともあたしを引き込むためにコクウが何かを企んでるのか。
どっちだろうとあたしはこの国を離れることにしよう。
「愛人は生きてるだって!?」
確認の為に生首を見せて説明をすれば、依頼人であるパトスの息子は声を上げた。
「なんで女を殺さなかったんだ!?」
「……あたしはパトスを殺せとしか言われていない」
「お前はその場にいる全員を皆殺しにする紅色の黒猫だろ!? なのに、あの女を見逃すなんてっ!!」
パトスの息子は喚き散らした。
あたしはただ黙ってソファで寛いで終わるのを待つ。
どうやら女も殺して欲しかったらしい。しかし仕事内容はパトスを殺すだけ。あたしが彼女を殺す理由は何もない。
「あの男が愛人に遺産を渡すと遺書を残してたらどうしてくれるんだ!? あの女を消せなかったら金なんて払えないからな!!」
ドガッ!
頭を鷲掴みにしてソファに押し潰し、短剣の刃を首に突き付ける。その途端に依頼人は凍り付いて大人しくなった。
「引き受けた仕事の内容は貴様の父親を殺す。それだけのはずだろう? 殺してほしけりゃ初めからそう言えよ、父親殺し」
「っ……!!」
「愛人の生死より、他の身内に遺産をぶんとられないようにせいぜい弁護士と相談しろ。────次は誰が死ぬか、わかってんだろ?」
耳元に囁く。金が払えないならば、あたしがお前を殺すだけだ。
「わわ、わかった!」と依頼人は頷いた。
あたしはさっさとその部屋を後にする。収入なし。
やべーな。国を出るにはベッドの下の金では足りない。
イタリアとフランスに、あとはロシアだったかな。そこに借りっぱなしの部屋に金を置いてある。
どれかに戻ればなんとかやっていけるか。ここでまた仕事をやるには足がついてしまう。
ガセネタを流すと藍さんに捕まる。
穀田藍乃介。通称I。
依頼人と殺し屋を繋ぐ仲介人であり、天才的なハッカー。
ガセネタを流す方法はその藍さんに教わったものだから、あたしだとバレてしまい居場所を探ろうとしてくる。
以前ギリギリで逃げ切って、只今PCをいじれない状態だ。
そして身動きとれない状態。
「…………あれ」
アパートの前に来たが、コクウの姿は見当たらなかった。追い掛けていったのか。まぁいっか。
部屋に入るなり、クスクスと笑い声が響いた。
「お前が出てくるってことはコクウは近くに居ないんだな」
「ククッ、居ねーよ」
「あっそ。今のうちに支度をするか」
ベッドの下からトランクを取ろうとしゃがんだが、そこには何もない。
「……アイツ、パスポートを盗みやがったのか?」
「そうみたいだな」
「そうみたいって……。なんだよ! 気付いてたならあたしを起こせよ! 偽造パスポートがいくらするか知ってんだろ!!」
「起こそうとしたらバレちまう。だいたい、姿を眩ましたら師匠にチクられるだろーが」
このくそ悪魔…!
寝てる間に物色されてパスポートが盗られた。これであたしが簡単にはこの国を発てないと把握されただろう。
「これでイタリアとフランス、ロシアに行く選択肢は消えたなぁ。椿。クククッ、黒ヴァンパイアの仲間になるか。あとは……そうだな。白野郎に電話して迎えに来てもらうって選択しもある」
「…────あぁ?」
目を細めて低い声で聞き返す。ヴァッサーゴは毅然としてもう一度言った。
「白野郎に迎えに来てもらう。もう一人でやりつくして飽きただろ。心配しなくともお前をちゃーんと捜してるじゃねーか、そろそろ帰ってやれよ」
「…………ほざくなよ、ヴァッサーゴ」
あたしは強く吐き捨てた。
それでも悪魔は喋り続ける。
沈黙が多い分、お喋りな奴なんだ。
「ロリコン野郎は特技でお前の居場所を突き止めようとして、白野郎は全く仕事をやらずにフラフラしてる。微笑野郎の情報はねーが白野郎と一緒にフラフラしてるはずだな」
「黙ってろ!」
「お前は拗ねて家出をしてる餓鬼でしかねぇよ、椿。ちゃんと飯を食わねぇとオレが身体を乗っ取るぞ」
全く腹立たしい悪魔だ。
乗っ取るつもりならもうやってるはずだろう。そのつもりはない。或いは出来ない。
煩い奴だ。
本当に煩い奴。
「あそこはもうあたしの帰る場所なんかじゃない」
吐き捨てて、あたしは指輪をもう一度嵌めた。
もう。
ただいまなんて。
言えないんだ。
「…………くそう」
腹立たしくなって髪を握り締めた。
あれやこれやと思い出す。
嗚呼、もう。忘却してしまいたい。
そう思う度に記憶の奥にしまい込めたのに、その夜は延々とあの日々が蘇った。
「…………今何してるんだろ……」
胸が、苦しい。
裏現実紅殺戮。
前回から読んでくださっている方も初めての方も、観覧ありがとうございます。
ダークな話のくせにたまに面白おかしくふざけてしまう妙な物語です。
やっとコクウと絡ませることができて嬉しいです、待ち遠しかった。
一応恋愛要素がありますが、主人公の椿ちゃんのお相手は決まっておりません。
暫く師匠である白瑠は出てきず、コクウが椿を独占する…と思われます。
感想をくださると喜んで執筆を急ぎますが残念ながらお返事が出来ません。ご了承ください。
「愛情は狂言」に引き続き
「白と黒と紅」を楽しんでくださいませ。