空き缶の星
夜の河川敷は静かだった。
橋の下に張った青いビニールシートへ戻る前、男はリアカーを押しながら最後のゴミ集積所へ向かった。
週に二度、夜から朝まで空き缶を集める。
週に一度だけ銭湯へ行く。
スーパーで8枚切りの食パンを買い、朝夕1枚ずつ食べる。
それ以上は望まなかった。
幼い頃、母は家を出た。
高校までは義父と暮らしたが、殆ど言葉を交わした事もなく、食事を共にした記憶は1度だけ。
高校卒業後、寮のある会社へ就職したが、人間関係につまずき退職した。
その後も転職を繰り返し、気づけば住所も仕事も失っていた。
人が怖かった。
炊き出しのある公園でさえ、人間関係が苦しくなり、一人で眠れる橋の下を住みかに選んだ。
その夜、男は思わず立ち止まった。
ゴミ集積所に、洗われたアルミ缶がきれいに積み上げられていた。
潰されてもいない。
まるで誰かが展示した作品のようだった。
「……ありがたいな」
思わず声が漏れた。
翌週、再び訪れる。
今度は缶が星形に並べられていた。
その次の週には、小さな塔になっていた。
誰かが遊んでいる。
いや、自分のことを知っていて作って見せている。
やがて、その集積所へ行くのが楽しみになった。
ある晩、回収を終えたあと、束ねるための針金で小さな鳥を作った。
昔、図工の時間だけは好きだったことを思い出した。
鳥を缶が置いてあった場所へそっと残す。
返事の代わりだった。
翌週、鳥はなくなっていた。
代わりに缶で作られた小さな花が置いてあった。
男は笑った。
何年ぶりだったか、自分でも覚えていない。
それから一度も顔を合わせることなく、缶と小さな作品を交換し続けた。
ある朝、缶の山の上に白い封筒が置かれていた。
『いつもアルミ缶を回収してくれてありがとうございます。
あなたのオブジェに励まされています。
今度、小さな個展を開きます。
もしよろしければお越しください。』
中にはチケットが一枚入っていた。
男は迷った。
向こうはこちらがホームレスだと知らないのかもしれない。
それとも、知った上でからかっているのかもしれない。
真に受けて行ってみたら、惨めな思いをするかもしれない。
結局、前日はいつもの銭湯へ行き、汚いシャツを出来るだけ綺麗に洗って乾かした。
ギャラリーの前まで来ると、足が止まる。
車道の向こう側の歩道から遠巻きにそっと覗いてみる。
中へ入る勇気はない。
ショーウィンドウに、小さな針金の鳥が飾られていた。
『名前も知らない友人からの贈り物』
そう書かれた札が添えられていた。
ガラス越しに若い女性が来場者に笑顔で説明している後ろ姿が見える。
ふと、女性の顔がこちらを振り向く。
女性と男の目が合う。
男は、耐えきれず、その場から走って逃げ出した。
翌朝。
男は市役所の福祉相談窓口の前に立っていた。
自動ドアが開く。
「ご相談ですか?」
受付の声に、男は深く息を吸う。
「……はい。」
その一言は、何年も閉ざしていた心が、社会へ返した最初の返事だった。




