姉のふりで、恋が動き出す。
「んぁっ……。」
微睡みから目が覚める。
今日は朝から体調が悪かった。
無理を押し、学校へ登校したが、二時間目で早退した。
昼前に帰宅し、途中のコンビニで買った栄養ゼリーを飲んで、自室のベッドに倒れ込む。
誰にも、何も言わずに帰ってきてしまった。
あの人は、私がいなくなったことに気づいてくれただろうか。
「……どうしようかな」
ベッドサイドテーブルに目をやると、時刻は午後五時を少し過ぎていた。
窓から差し込む夕陽が、部屋の端までじわりと茜色に染めている。
夕飯まで、もう一眠りしようか。
そう思って寝返りを打ち、壁側へ顔を向けた、その時だった。
「あっ……。駄目っ……。」
甘く切ない声が、壁の向こうから微かに聞こえた。
思わず目をギョッと見開く。
「妹が帰ってくるから、駄目だって……。」
聞き間違いじゃなかった。
壁の向こうから、私と同じ声がする。
双子の姉だ。
気づけば、壁に耳を当てていた。
心臓の音が、やけにうるさい。
「もうっ……。一回だけだよ?」
姉以外の声は聞こえない。
けれど、一人で話しているはずがない。
壁の向こうに、誰かがいる。
その会話の意味を、理解してしまう。
心臓が、さっきよりも強く鳴った。
「んんっ……。
……いいよ。して……。」
声が、途中で小さく途切れた。
それが、自分の声にしか聞こえなくて。
どうしても、重なってしまう。
「あっ……。んぁっ……。
もうっ……優しく、して……」
駄目だと、分かっていた。
それでも私は、耳を壁に押し当てたまま、衝動を抑えきれずにいる。
左手で口元を強く抑える。
これで、私の声は聞こえない。
******
「はぁーー……。」
ベッドから足を下ろし、顔を両手で覆う。
さっきまでの自分を思い出して、言い訳のひとつも浮かばない。
「私ってば、何を……。」
私は十六歳、高校一年生だ。
表では平然としていても、恋愛に無関心なわけじゃない。
気になる相手くらい、ちゃんといる。
でも、あんなことをするのは滅多にない。
月に一度か、二度。
どうしても寝付けない夜の、自分なりの『処方箋』みたいなものだ。
「そろそろ、妹が帰ってくるから……。」
壁越しの声に、身体がビクッと反応する。
何も悪いことはしていないはずなのに、なぜか落ち着かない。
「……また明日、学校でね」
ドアの向こうを歩く音と、階段を下りる音が遠ざかっていく。
気づけば床に這いつくばり、耳を絨毯に押し当てていた。
しかし、姉の彼氏と思しき声は聞こえない。
「誰なんだろう?」
思わず、小さく呟いた。
私と姉は一卵性双生児。
顔も同じなら、胸もサイズもぴたりと一致する。
幼い頃は何をするにしても、一緒だった。
だが、小学高学年の頃から、少しずつ違いが生まれ始めた。
姉は他者と関わることを好み、朗らかで明るい。
それに対して私は、本を読むことを好み、いつしか人付き合いを避けるようになっていった。
そのため、姉は男子にモテる。
告白された、という相談を何度も受けた。
一方で、私はそうではない。
比べられることには慣れている。
けれど、慣れただけで、平気になったわけじゃない。
男子たちが『本当に双子かよ?』と話しているのを、何度も耳にしたことがある。
その中に、あの人の声が混じっていたことも、あった気がする。
それがどこか悔しくて、髪を姉と同じロングにしてみたが、結果は変わらなかった。
「……えっ!?」
窓の横に立ち、玄関先を見て、思考が一瞬止まった。
何度か振り返りながら、名残惜しそうに我が家を離れていくその男子は、私が片思いしている、あの人だった。
「ど、どうして……。」
膝の力が抜け、その場にへたり込む。
自分の性格は、自分が一番よく分かっている。
彼と付き合いたいなんて、高望みはしていない。
自分には無理だと、どこかで諦めていた。
だが、よりにもよって、どうして姉なのか。
この想いは、誰にも話したことがない。
姉にだけは、ほんの少しだけ打ち明けたことがある。
彼の話をしたとき、姉は『頑張れ』と言ってくれたはずだ。
しかし、その時の苦笑い。
今になって、ようやく分かった。
そういう意味だったのか。
「……酷いよ。姉さん」
胸の奥に、どす黒いものがゆっくりと沈んでいった。
******
「えっ!?」
彼は目を見開き、呼吸すら忘れたようにその場で動きを止めた。
だが、もう遅い。
そこには、隠しようのない事実があった。
報われた。
一ヶ月もの間、悩み抜いた末に姉のふりをした甲斐があった。
彼に『姉からの伝言だ』と告げ、自宅へ呼び出した。
そして、姉の部屋へと招き入れた。
姉とは色の好みが違う。
だから、姉のものを借りた。
今の今まで、彼は疑うこともなく、受け入れていた。
「どうしたの? 顔は一緒でしょ?」
私は彼との距離を詰め、視線を絡めながら妖しく嗤った。
私は悪くない。姉さんが悪いんだ。
奪ったから、奪い返した。
そう、自分に言い聞かせた。




