第69話:観測者の恍惚、扉の隙間の聖域
スタジオの分厚い遮音壁の向こう側。廊下の薄暗い影に潜む優美那は、今、人生で指折りの「至高の瞬間」を迎えていた。
わずかに開いた扉の隙間から見えるのは、エイトの肩を強く掴み、至近距離で熱く語りかける悠真の姿。
「……僕が、君の歌を『感情』に変えてやる!」
その台詞が響いた瞬間、優美那は音も立てずに悶絶し、壁に頭を打ち付けそうになった。
(……きた、きました……! 圧倒的光属性の『兄貴分』悠さんと、影を抱えた『弟分』エイトくん……! この身長差、そして悠さんのあの強引なまでの救済の手……。これです、これこそが私が求めていた『新たな世界の扉』……!)
優美那の瞳は、もはやSランクアイドルのそれではない。獲物を見定めた捕食者、あるいは神話を記録する司書の輝きを帯びていた。
彼女の手元の端末に表示されていたのは、エイトのデータなどではなかった。猛烈な勢いで入力されている「カップリング考察メモ」である。
「……悠闇(ドマ悠)も捨てがたいですが、この『悠エイ』という新たな可能性……。献身的な光が、無機質な少年を塗り替えていく背徳感……。っ、ああ! エイトくん、そこで少しだけ俯いて、悠さんのシャツの裾を掴むのです……! 占いの結果通り、悠さんを翻弄して……!」
優美那は、あまりの「尊さ」に呼吸を整えるのが精一杯だった。 彼女にとって、この特訓はエイトを救うためのものではなく、悠真という存在が放つ「男同士の絆(概念)」をより深めるための聖なる儀式に他ならない。
(エイトくん……。あなたの歌で、悠さんの『内面』を剥き出しにしてください。私には見えます……。悠さんの余裕が崩れ、困惑し、それでもエイトくんを見捨てられないという、あの最高の表情が……!)
その時、スタジオ内でエイトが大きく息を吸い込んだ。 嵐の予感。優美那は、これから放たれる「真実の旋律」によって、二人の関係がどれほどドラマチックに(そして婦女子的に)加速するかを想像し、恍惚とした表情でスマホの録音ボタンを押し込んだ。
扉の向こう側で、ついに「劇薬」とも言える歌声が放たれようとしていた。




