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バタフライ・スケイルズ

作者: 西順

 とある国に、カインとアベルと言う双子の天才がいた。兄のカインは生物工学の、弟のアベルは機械工学の天才であった。


 二人が世界に齎した恩恵は、人類のこれまでの価値観をひっくり返すようなもので、兄の生物工学により、老化した細胞も、欠損した手足や臓器なども、新品に代替可能となり、医療は新たな地平へ進み、健康寿命はほぼ永遠となり、弟の機械工学により、食料生産を始め、人間が担う仕事の99%が自動化され、人間は仕事から解放され、自由に文化を謳歌していた。


「…………」


 暗い研究室で、それだけが淡く光を放っていた。ガラス製の円柱形の容器は、半透明の液体で埋められ、その中では灰色の林檎が浮かび、その林檎に一つのケーブルが茎のように繋がっている。アベルが見詰めるその林檎は、有機製記憶記録装置『知恵の実』。そのものずばり人間の記憶を保存する装置であり、アベルとカインが共同で作り上げた装置でもあった。


 人間の脳は細胞分裂しない為、その細胞が死ねば記憶も失われる。そのバックアップの為に作った装置だ。この『知恵の実』のお陰で、現代の人間は、記憶を失う恐怖から解放され、長い人生も満足に謳歌出来ている。


 眼前にあるのはアベルの記憶が詰まった『知恵の実』であり、これまで何日かに一度記憶を『知恵の実』にアップデートしてきているので、アベルのこれまでの人生の全てが記憶されている……はずである。


 しかしアベルにはそれがどうにも信用ならなかった。アベルが本物の脳で記憶を思い返す度に、人生のところどころで欠損があるからだ。兄のカインに尋ねても、自分だって、これまでの人生で思い出せない記憶はあると言う。他の友人や学者らに尋ねても同意見であった。だから、それは普通の事で、特段気にする事ではない。そう思い込もうとする度に、直感のようなものがそれを否定する。アベルには、これがどうにも不快であった。


 なので、アベルはこの『知恵の実』を使って、欠損している記憶を今日初めて思い出そうと試みようとしていた。アベルは研究室の椅子に座り、『知恵の実』と繋がったヘッドギアを被り、自分の記憶へとアクセスする。思い出す先は、記憶の中で最初に欠損が発生したあの日だ。


 ◯◯◯◯.✕✕.△△


 夜━━。降ってきそうな満天の星の下、兄とキャンプ地の草原で焚き火を囲っている。そして二人の横には、『知恵の実』の第1号があった。


「漸く完成したね」


 科学者と言う職から見ると意外かも知れないが、二人の共通の趣味はキャンプだった。機材に囲まれた研究室から離れ、自然の中でゆったりするのが、二人のリフレッシュの仕方だったのだ。この日は、『知恵の実』の完成を祝い、二人だけで人気のないキャンプ地でのんびりしていた。


「ああ。これで人間は老化による物忘れや、事故による障害で記憶を失う恐怖から解放された」


 カインは手元のバタフライナイフをカシャンカシャンと開いたり閉じたりしながら、焚き火を見詰めていた。バタフライナイフとは、折り畳み式のナイフの一種で、二つの柄で刃を仕舞う姿が、まるで蝶の羽ばたきのように見える為に、そのように名付けられたナイフだ。国によっては所持が禁止されていたりする。


 カインは手持ち無沙汰かのように、そのバタフライナイフを開いたり閉じたりしていた。これはカインの癖で、バタフライナイフを持ってこれない研究室などでは、ペン回しをひたすらしている。この癖は、カインが考える事に集中しているサインでもあった。


「アベル、人間は、この先どのようになると考える」


 ぼそりと、弟へ尋ねると言うよりも、自省するかのように、カインは言葉をこぼした。


「え、そうだねえ、幸か不幸か、僕たちのお陰で、人間は永遠に生きる事が出来るようになったからねえ。ただ享楽だけを興じるようになるんじゃないかな」


 アベルの視線は自然と『知恵の実』へと向けられていた。


「そうだ。『幸か不幸か』、正にそれだ。俺の生物工学により、使えなくなった肉体を入れ替える事も可能。お前の機械工学により、脳以外の身体を『サイボーグ』に移し替える事だって可能になった。人間はその存在が曖昧となり、『人間』と言うアイデンティティはどこへ行くのか」


 じっと焚き火を見詰めるカイン。その手に持たれたバタフライナイフは、いつの間にやら開閉を忘れ、刃が剥き出しの状態のままになっていた。


「哲学的テーマを出されても、僕は門外漢だからなあ」


「門外漢……か。なら当事者になれば、その答えに辿り着けるか?」


「え?」


 徐に立ち上がった兄カインの目は、焚き火に照らされ、赤く揺らいでいた。そしてアベルへ近付いてきたかと思えば、肩を抑えて動けないようにして、夜闇の中、兄の目と同じく焚き火に照らされたバタフライナイフの刃が、アベルの心臓を貫いた。


 ◯◯◯◯.✕✕.△△


「……ぶはっ!?」


 心臓を刺された驚きで、アベルは椅子から転げ落ち、はずみでヘッドギアが外れる。そんな事を気にする余裕もなく、アベルは己の心臓のある胸に手を添える。その鼓動は速く、しかし確かに脈動していた。


「今のは……?」


 本当の記憶なのか? まるで悪い夢でも見せられたかのようだと、アベルは『知恵の実』が見せた記憶を信じる事が出来ず、『知恵の実』睨むも、『知恵の実』が何か返事をするはずもなく、ただ液体の中で浮いているだけだ。


「僕は……殺されたのか?」


 では今ここにいる僕は? 兄カインの得意分野を考えれば、自ずと答えが導き出される。『クローン体』。精巧なもう一人のアベルを作り出し、そこへ『知恵の実』から生前のアベルの記憶を移植したのだ。


「僕は……、本当の僕じゃない?」


「それを定義する時間だ」


 唐突に後ろから声を掛けられ、振り返れば、兄カインが入口に立っていた。その手には、あの日と同じくバタフライナイフが握られている。


「アベル、お前の記憶には、何度か欠損があるだろう?」


 兄からそう言われてアベルはゾッとする。そして理解する。これまでも自分は『知恵の実』にアクセスして、今日と同じ体験をしてきたのだ。そして、その度に兄に殺されてきた。何故? それは兄カインが求める、『人間』と言うアイデンティティの答えを出せなかったからだと推察は容易だった。


「さて、今回こそ、『人間』とは何なのか、その世界最高の頭脳を用いて、答えを導き出してくれ」


 バタフライナイフを開閉させながら、ゆっくりと近付いてくるカインの姿に恐怖しながら、アベルは必死に考える。『人間』とは何なのか。『クローン体』は『人間』か? 『サイボーグ』は『人間』か? 『人間』と言うアイデンティティはどのように定義するのが正解なのか?


「アベル、『人間』とは何だ?」


 刃を剥き出しにしたバタフライナイフをアベルに突き付けるカイン。


「兄さん、くだらないよ」


「それが答えか?」


「違う」


 バタフライナイフを突き付けられながらも、アベルは首を横へ振る。


「『人間』なんてものは、既に過去の存在だと言う事さ」


「過去?」


 アベルの答えにカインは眉間に皺を寄せる。


「ネアンデルタール人が絶滅し、しかし一部がクロマニョン人と混血して、今日存在する現生人類の中にその遺伝子が残ったように、現行、ホモ・サピエンスと言う現生人類は過去のものとなりつつある。僕たちはその過渡期にいる。いや、過渡期を作り出してしまったんだ。『人間』は過去の遺物となり、新人類、いや、『人間』と言う定義から外れる存在へ、僕たちは移行している最中だ。『人間』は過去となる」


 これを聞いて暫し黙るカインだったが、その明晰な頭脳は、すぐにカインの解を導き出した。


「そうか。そうかも知れない。しかしそれでは、その答えでは、まだ結論への時間が足りなかったようだ」


 そう、あの夜のようにぼそりと呟き、カインはアベルの心臓を、もう何度となく繰り返してきた時と同じく、バタフライナイフで突き刺したのだった。


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