過去への謝罪
その日の放課後、俺は一人で帰路についていた。
葵は委員会があるとかで、先に帰っている。
田村たちの言葉が、頭の中でぐるぐると回っていた。
「軽い感じの人」
「男の人とよく話してる」
みんな、葵の過去のことを知っている。
そして、勝手に想像して、勝手に決めつけている。
でも、俺も最初はそうだった。
葵が俺の前で他の男とキスをした時。
他の男と体の関係になっているのを見た時。
俺は、葵のことを理解しようとしなかった。
ただ裏切られたと思って、傷ついて、怒って。
でも今なら、少しだけわかる。
葵は、恋がどういうものなのか、本当にわからなかったんだ。
スマホが鳴った。葵からのメッセージ。
『委員会終わった。ヒロはもう帰った?』
『ああ』
『今度、一緒に帰りたいな』
『なんで?』
『理由はいる?』
俺は、歩きながらスマホの画面を見つめた。
こんな何気ないやりとりも、葵にとっては「恋人らしいこと」の一つなのかもしれない。
『明日から一緒に帰るか』
『本当? 嬉しい!』
葵の返事に、俺の口元が少し緩んだ。
※
翌日の夕方、俺と葵は並んで歩いていた。
「今日は何も言われなかったね」
葵がほっとしたような声で言う。
「田村たちのこと?」
「うん。朝、ヒロが怖い顔してたから、みんなビビってるのかも」
「怖い顔してたか?」
「してた。でも、かっこよかった」
葵がそう言って、少し照れた表情を見せる。
「守ってもらえてるって感じがして、嬉しかった」
俺は、葵の横顔を見た。
素直に嬉しいと言える葵が、なんだか眩しく見える。
「……葵」
「何?」
「昔のこと、まだ気にしてるか?」
葵の足が、少し止まった。
「昔のことって?」
「俺の前で、他の男と……」
「あー、あのこと」
葵が苦笑いを浮かべる。
「時々思い出すよ。ヒロの顔、すごく怖かったから」
「そりゃそうだろ」
「でも、今ならヒロの気持ちがわかる」
「わかる?」
「うん。もし今、ヒロが私の前で他の女の人とキスしたら……」
葵の表情が、ぱっと暗くなった。
「考えただけで、胸がぎゅーってなる」
「それが嫉妬だよ」
「嫉妬か……」
葵が自分の胸に手を当てる。
「こんなに苦しいものなんだね」
「お前、やっとわかったのか」
「うん。あの時のヒロも、こんな気持ちだったのかな」
俺は、答えに困った。
確かに嫉妬もあった。でも、それ以上に信頼を裏切られたショックの方が大きかった。
「……まあ、そんなところかな」
「ごめん」
葵が立ち止まって、俺の方を向いた。
「あの時は、本当にごめん」
「もういいって」
「でも、ちゃんと謝りたかったの」
葵の目が、真剣な光を帯びている。
「私、ヒロの気持ちを全然考えてなかった」
「昔の話だろ」
「昔の話だけど、大事な話」
葵が一歩、俺に近づく。
「もう二度と、ヒロを傷つけるようなことはしない」
「……わかった」
「約束する」
葵が小指を差し出す。
「指切りしよう」
「子供かよ」
「いいじゃん」
俺は、葵の小指に自分の小指を絡めた。
「指切りげんまん、嘘ついたら針千本飲ます」
葵が真剣な顔で呪文を唱える。
「飲ませる、だろ」
「細かいこと気にしない」
俺たちは、夕日の中で小さく笑い合った。
過去は変えられない。
でも、未来は俺たちで作っていける。
そんな気がした。