第9話 皇太子カールヨハン1世と妹の密談1
場所を皇太子の自室へと移して、兄妹は向かい合ってお茶を飲んでいた。
広い王城には、表の政務を行う建物と、奥の王族が住まう後宮と呼ばれる建物があり、更に後宮には両親が住む建物と皇太子である兄が住む建物、王女が住む建物はそれぞれ別々に建てられていた。
もしも敵襲に遭った時、神聖な血が絶えぬようにという配慮からであった。
兄皇太子の部屋のある建物は、後宮の中では表に一番近く、表の執務室とは別に、後宮にも拘らず、広い執務室と応接室、貴賓室を兼ね揃えていた。
逆に、王女たちの建物は最奥に建てられており、建物をぐるりと囲むように高い塀で囲まれ、その内側には広い庭園が配置されていた。
その許された者しか立ち入ることの出来ない、秘密の花園を眼下に臨む2階に、仲の良い姉妹のマリアンナとカロリーナは同室で生活していた。
二人の生活するスペースには、ピアノやハープが置かれた、サロンコンサートができるような広い音楽室やバレエのレッスン室、地図や図鑑、歴史書だけではなく令嬢が好みそうな娯楽本なども多く置かれた図書室などが配置されていた。
長姉と次姉は、同じ建物の1階にそれぞれの部屋を与えられていた。
姉たちには、寝起きする部屋とは別に、各々に執務室と応接室も用意されていた。
長姉は母の女帝マリアの執務の補佐をしていた関係で、表にも執務室を与えられていたが、繁忙時期は自室の執務室へと仕事を持ち帰るのもしばしばであった。
逆に、次姉の執務室は応接室も鍵がかけられて使用されることはなかった。
長姉が婚約した当初にその婚約者であったアルベルトを後宮の次姉の応接室へとわざわざ招き入れたことが問題になったからだ。
その時は、忙しい長姉に代わってアルベルトをもてなしたのだと言い張ったが、王女の後宮に未婚の男性が立ち入るとは何事だと、父フランツが烈火のごとく怒り狂って叱ったため、次姉にだけ甘い母の女帝マリアも庇うことができず、以後、次姉は自室しか使用できくなった。
だいたい執務もせず、勉学にも励まない次姉は同じ建屋に住んでいたというのに、年の離れた妹王女たちの部屋を訪ねることも無かった。
2階へと上がり、妹王女を見舞い何くれと気遣ってくれるのは長姉エリザヴェータばかりだった。
さて、1度目も含め、正真正銘、マリアンナの人生で初めて入った兄皇太子の建屋の応接室。
侍従はお茶を二人にサーブすると、部屋から出ていった。
ドアの前で警護しているのだろうが、室内には護衛騎士の姿は無かった。
人払いがされた応接室で、兄と向かい合ってお茶を啜った。
「どうした、マリアンナ。いつもの良く回る口が随分大人しいじゃないか」
手に持ったカップに視線を向けた兄が、抑揚の無い声でそんなことを言った。
(えっと、こういう時どういう風に答えるのがベストなのかしら?)
マリアンナは、ひどく混乱していた。
実際。マリアンナはお喋りな質である。
同室のカロリーナとは顔を会わせればいつでもお喋りをしているし、部屋を訪ねてくれるエリザヴェータともよく話している。マリアンナの周りで世話をしてくれる侍女やメイドとも、警護の護衛騎士とも、何なら庭で見かけた庭師ともよく話している。
だがしかし、特に接点の無い兄とは挨拶以外で言葉を交わした覚えが無かった。
しかも八つ当たりではあるが、1度目の世界で、革命軍から逃れるために家族で亡命を決意し密偵を送って皇帝に就いていた兄に助力を願っていたにも関わらず、ハデス王国との国境線で入国を拒否され、捕縛されてそれから5年間、アレス王国の先代である戦争王がハーレムとして使っていた離宮に軟禁され、最期は断頭台で処刑されてしまったのだ。
正直、兄のことも恨んでいた。
直接は次姉の厄介事を持ち込まないでという言葉で拒否し敵に通報したのだったが、助けを求めたマリアンナに返事も出さず、妹の受け入れ拒否をした次姉を窘めなかった、兄のカールヨハンもどっちも好きではないのだ。
「なんだ、私とは話したくないか」
兄の鋭い視線にマリアンナはブルブルと震えた。
「あー、怯えるな。取って食ったりはしない。ううむ、難しいな。では私から幾つか質問しよう、わかる範囲で答えよ」
震える幼い妹の姿に、良心が咎めたのか、若干優しい声色に変えた。
「はい、お兄様」
(尋問?これから尋問が始まるのですか、お兄様!)
マリアンナの耳は、兄の声色の変化など聞き取ることはできなかった。
「あー・・・、お前が3つの時より繰り返し繰り返し見て魘されている悪夢だが、その内容をカロリーナに聞かせているな」
カチカチと持ったティーカップを鳴らしながらソーサーに置いて、まだ震えが収まらない妹に、困惑の表情を浮かべながらカールヨハンは聞いた。
「え、お兄様なぜそれを、」
「質問に答えよ」
「あ、はい。ええ、そうです。怖くて怖くてしかたないのだもの」
マリアンナは膝に置いてた手をギュッと握って、俯いた。
「ん、んー。あー、なんだ。怖がらないでくれ、マリアンナ」
兄の困ったような声にそうっと顔を上げ、怯えた目で見つめた。
「コホン。マリアンナ、私は怒っている訳ではない。そしてこれは尋問の場ではない。
私がお前を怖がらせていることはわかっている。表情の無い顔や抑揚の無い声が威圧的に感じるのであろうが、こればかりはどうしようもない。私の癖だと思って諦めてくれ。
だいたい、私こそお前と二人で話すのにとても緊張している。出来ることならカロリーナや姉上の同席を願いたい所だが、残念だがこればかりはお前と私、どうしても二人で話さねばならないのだ。マリアンナ良いか」
兄は眉間にシワを寄せ、口許をへの字に歪ませながらそう言った。
その厳しい顔は癖なのだそうだ、本人がそう言うのだから、きっとそうなのだろう。
「わかりました」
マリアンナは上目使いで下から兄の顔をおずおずと見上げて、そう返事をした。
「お前の悪夢の話を知りたい。私にも聞かせてくれ」
そう、不機嫌そうに言ったのだった。