第54話 2度目の世界線 マリアンナの結婚前夜 前編
マリアンナとオーギュストの婚姻が執り行われたのは、マリアンナ20歳の誕生日であった。
その式は、おおよそ神聖帝国の姫の婚姻式とは思えない、ひっそりとした式であった。
それと言うのも、2度目の世界線でも隣国アレス王国で前年に革命が起こったのだ。
マリアンナのデビュタントの時に次姉オフィーリアから持たらされた情報では、あと数年で内乱になるだろうと聞いていたが、正に4年で革命が起きてしまった。
兄皇帝から、その一報を告げられた時のマリアンナは、
(とうとうその時がやってきましたのね)
そんな冷めたものであった。
今回も革命の狼煙は政治犯収容所から上がった。
革命軍が、満杯の政治犯収容所を、国に対して絶望していた平民を中心とした義勇兵が襲い、収容所の中で捕えられていた囚人たちが、貴族もブルジョワジーも平民も、みな一致団結して反乱を起こしたのだった。
その義勇兵の中には、新大陸の独立戦争に参戦し、独立戦争が終結したのでやっと故郷へと帰国した、アレス王国軍の一部も加わっていたのだ。
いや、一部が王族側につき、大部分は革命軍側についたのだ、将軍ラファイエット侯爵が、革命軍に正義ありと宣言したのだから、アレス王国軍の多くは革命軍となったのだ。
そうすると収容所などすぐに制圧され、そのままの勢いで王宮を取り囲んだのだった。
革命軍側から、国王シャルルへ降伏を受け入れるよう申し入れが為され、それが決裂した場合は、王宮へと突入すると最後通牒が行われた。
そんな騒動の最中に、修道院へと入ることを希望していた、長く軟禁状態にあった王妃が国王と愛人と側近たちの悪事を告発するという知らせを、断髪した王妃の髪を持った侍女がもたらした。
一部の革命側の軍人とラファイエット将軍が王宮へ入り、王妃を保護し、そのことを直接国王シャルルへと告げた、王妃の切られた髪を見せながら。
それによって、もう逃げ場が無いことを悟った国王が降伏を受け入れたのである。
そして、国王とその愛人、側近の取り調べ、裁判を経て、処刑を終えたのが、マリアンナとオーギュストの婚姻式の1ヶ月前だった。
元より亡命しているアレス王国の王族の結婚を大々的にするのも憚られていたので、家族と側近だけのささやかな式を王宮内にある教会で挙げることになっていた。
世間へのお披露目は、アレス王国に暫定政府が出来たと広報され、アレス元王太子妃と王子たちが各々自身の言葉で語った後に、控えめにお知らせをすることに決まったのだった。
マリアンナの婚礼が執り行われるという日の前夜。
アレス王宮に、両親、長姉夫妻、次姉夫妻、三姉夫妻とそれぞれの子供たち、オーギュストの母と次兄が揃っていた。
和やかな晩餐を終えた後、後宮の皇帝の建屋にある、比較的広めな応接室に席を移した。
建屋には、近衛兵が数多く配置され、応接室へと続く廊下も遥か前で、立ち入り禁止区域とされていた。
子供たちは、もう王宮の客室で乳母たちに寝かされ、その場には、皇帝と皇后、両親とマリアンナ、そしてそれぞれ姉妹たちとその配偶者、オーギュストと母と次兄が集められた。
お茶が侍従からサーブされると、固くドアが閉じられた。
ドアから少し離れて、近衛兵が槍を持ち構えて警護をしていた。
室内には、神聖帝国の一族と、それに加わるアレス王家の生き残りだけであった。
「夜も更けて、明日は帝国の末姫の婚礼の式である。本来は、早く休ませねばならないだろう。しかし、今この時に、伝えなければならないことがある」
皇帝カールヨハン1世が、その場に重々しい言葉を落とし始めた。
「これから話すことは、神聖帝国の秘密である。墓場までその胸に秘めて持っていけ。これは厳命である」
みな一様に、固唾を飲んで黙って皇帝の話に耳を傾けていた。
先程までの和やかな晩餐の席と同日であるとは思えない、一転して厳しい空気であった。
とても、明日結婚するマリアンナを祝うような雰囲気では一切無い。
「では、この話はまず、わしから、リンネ国王フリードから聞かせるとしよう」
いつもの苦虫を噛み潰したような顔で、チラリと母マリアに目配せをしたフリード王が口火を切った。
フリード王は、両手に古い神聖典を持って、
「これは、神聖帝国の皇帝がバジガン聖国に皇帝と認められる時に、その正統性の証として使われる『始まりの聖典』と『終末の聖典』である。始まりの聖典は、女帝マリアを経てカールヨハン1世陛下へと渡されたが、終末の聖典は先々代の皇帝、わしの立場であれば伯父皇帝から渡されたものだ」
そうして、掲げて見せた聖典を机に並べて置いた。
「この聖典には、神が地上へと降りられたその時、羊飼いの青年に邂逅し、地上の神の代行者とした、まあ皆の方がわしより余程良く知っているだろう、そんな話が書いてある。
この聖典が正統性の証足りえるのは、単に、人が人生を終えた最期の時、もしその死が間違っていると神に訴えねばならない状況になった時、神から与えられた代行権を羊飼いの末裔、正当なる継承者が、正しい祭祀を行えば、『時の扉』が開く、と記載されていることであろう。
『始まりの聖典』には、祭祀で使う祭具について記載され、『終末の聖典』にはその祭祀の執り行い方が書かれている。
本来は、皇帝が両方持ってこそ、その真実が皇帝にのみ証されるのだろうが、ワシと先代女帝の関係性のせいで皇帝カールヨハン1世は、片方だけを相続したのだ」
先程より、更に険しい顔をして、フリード王は言葉を切った。
「それには、少し語弊がありますわ」
母マリアがチラリと冷たい目をフリード王に向けて口を挟んだ。
「信じられないと思うのだけれど、わたくしが父より継承したのは『始まりの聖典』ともう1つあったはずなのよ。
聖典に記載されている『魔法の鍵』という物よ。
そして、カールが戴冠する時、確かに、その『魔法の鍵』を首から下げ、神聖典に宣誓したの」
母マリアが言っているかつての式をそこにいる皆が思い出していた。
「確かに、冠を乗せられたわたくしが宣誓した後、隣のカールは、先ず首からネックレスのようなものをかけられ、冠を乗せられ、聖典に宣誓していたわ」
長姉エリザヴェータがそう答えた。
マリアンナも親族として最前列でその状況をカロリーナと並んで見ていた。
首からかけられたのが、『魔法の鍵』とは思わなかったけれど、代々皇帝に継承されるクロスかなにかだと思っていた。
「私も、当事者としてその鍵を首にかけられた覚えが今はある。
しかし、母から言われるまで、継承したのは神聖典ただ1つだと思い込んでいた。
『魔法の鍵』があった記憶が覆われていて、意図的に隠されていたようだった」
兄皇帝は、いつもの表情の無い顔つきで、抑揚の無い声でそう言った。
「わたくしも。同じ状況だったわ。父から確かに神聖典と『魔法の鍵』を受け継いだ記憶があるのに、肌身離さず身に付けていたのに、今はどんな形状の鍵だったかさえ、覚えていないの。そこだけ靄がかかっているよう」
それに被せるように、母マリアも同じことを言うと、
「つまり、『魔法の鍵』があったのに、無かったように記憶が改竄されている状況のようだ。そして、それはつまり、魔法の鍵を使用した、その可能性が大いに有る」
フリード王がまた、眉間に深いシワを浮かべて答えた。
「それは、どうしてそう結論つけたのかしら?」
フリードに挑発的な微笑みを見せなが王妃カロリーナが問いかけた。
「はあ、」
と、大きなため息を溢して、フリード王が『始まりの聖典』の真ん中辺りを開くと、そこは破けていて、明らかに切り取られたのがわかった。
「ここには、時の扉を出現させる時の扉の鍵穴、錠前の作り方が書かれていたと、前後のページで想像できる。そうして、ここのページの切れ端を持っていたのが、オーギュストだ」
それまで、なぜ神聖帝国の秘密を聞かされるのかと、不思議そうにしていたオーギュストの母と次兄は、ここにオーギュストの名前が出てきて、仰け反って驚いた。




