第43話 オーギュストの葛藤
遅れてしまって、すみません。
「マリーがどうやらお見合いをするようよ」
その日、リンネ王国の王立研究所で作業をしているオーグを研究所の応接室に呼び出し、わざわざ人払いまでした王妃様が、挨拶をする間も与えず、そう言ってきた。
「っ、」
突然のことに言葉が出て来ず、息を飲んで黙り込んでしまった。
「昨年、お兄様が悪戯に外交をマリーに頼んだことで、周辺諸国のマリーを見る目が変わったわ。今では帝国とのパイプだけでなく、国の代表として、つまり王妃としての資質が見えるとかなんとか。お母様が主だってマリーの配偶者選びが本格化するようよ」
王妃様は全く感情を見せぬ顔つきで、そんなことを独り言のように呟いた。
「マリアンナ王女殿下に相応しい方が選ばれるのでしょうね」
他に言いようが無くて、愛想笑いを浮かべながらつまらない話を言ったものだ。
そして、その後一言も無く、王妃様はその場から立ち去ったのだった。
それから暫くしたある日、今度はフリード王から王宮へと呼び出しがかかった。
私は王妃様からマリアンナ王女の見合いの話を聞いた時から、馬が引かない鉄の馬車の開発に身が入らない日が続いていたので、フリード王から直々に苦言を呈されるのだろうとため息をつきつつ、王の元へと赴いたのだった。
「オーグ、マリーの話はカロリーナから聞いたな」
叱責を覚悟して御前に出れば、フリード王からかけられたのはマリアンナ王女の見合いの話。
その話のせいで気も漫ろだと言うのに、と、内心苦々しく思いながらも、
「はい、賢明な王女殿下に相応しい方が選ばれることでしょう」
他に言いようが無く、王妃様に言った言葉と同じことを言った。
「して、お主の兄、シャルルフリッツはお前から見て、どんな男だ」
フリード王が上げた意識もしていなかった名前に、直ぐには返答が出来なかった。
「なに、周辺国で婚約者が居らず、血統の確かな者だと中々見つけるのが難しい。愚者など、婚約破棄をしてマリーに求婚をしようとしているがマリアンナがそんな不誠実なことを許す訳がない。そう思うと、年頃も近く王族という出自ではお主の兄以外、思いつかなんだ」
フリード王が食えない顔をして、そんなことを言ってきた。
「お、恐れながら申し上げます。今の兄は単なる亡命者であり、王女殿下の伴侶としては相応しくないかと」
オーギュストが額に冷や汗をかきながら、そう言った。
「なに、お前それは本心か。今のアレスの状況を何をか思わん」
フリード王が片方の眉を上げてジロリと睨んできた。
「むぅー、今のアレス王国は危うい空気が蔓延し、後少し何かのきっかけがあれば一気に破れ出てしまいそうだと、聞き及んでおります。その後、どのような暫定政府が出来てどのような統治が行われるかは、流動的で、兄や私も含めアレス王族は、この体に流れる血のせいで命を取られるやもしれません」
オーギュストは低い唸り声を上げた後、分かりやすく顔を歪めつつも、はっきりした声で故国の自分の知り得る状況を語った。
「そんな状況で王女殿下が我が兄の伴侶となって、なんの得がありましょうか。単に批判の矛先を王家から帝国へ、帝国王女マリアンナ様個人へと向けるだけ。火中に手を入れて拾った栗など意味が無いではありませんか。申し上げるなら、マリアンナ王女殿下の心根の柔らかさ、優しさは、アレス王国の社交界には似合いません。大変残念なことですが、我が故郷の王候貴族は随分と廃れ汚れて居ります故、他人の悪意に飲み込まれ、辛い思いを為されるでしょう」
オーギュストが絞り出すように話す言葉は、まるで1度目のマリアンナの歩んだアレス王国王妃としての日々を知っていて語っているような臨場感があった。
その事がフリード王は気になって、問うとは無く無意識に聞いてしまうのだった。
「お主、何を知っている。マリアンナの何を知っていて見てきたように話すのだ」
「も、申し訳ございません陛下。わ、私が知っていることで、王女殿下の何を知っているかと仰られるのならば、3枚のペチコート会談のことでございます。
あの場で、アレスの代表の夫人が帝国に王女を娶りたいと願い、その時の相手が私とマリアンナ王女殿下であったことくらいでしょうか。
但し、その直ぐ後に彼の夫人は急死し、国内貴族の強い批判でその話は立ち消えになったのです。
まだお互い幼児の頃、そんな時でさえ、王女への誹謗中傷が流されたと、カール皇帝陛下の婚姻式後のお茶会で、ご挨拶をさせて頂いた私に存命であった父王太子から聞かされた話でございます」
オーギュストは手を固く握り込んで、眉間に深い皺を寄せてそう答えた。
「私はその日、神童と呼ばれ持て囃されている平民が、帝国の姫と連弾する姿に驚愕しました。
二人はお互いに顔を寄せ合い仲良さげに何か話すと、息の合ったピアノ演奏をされていました。
その姿をこの目で確かに見た時、アレス王国で流されたという『気位ばかりが高い我儘王女』という噂が嘘であると直感で悟りました。況してや、そんな状況のアレス王国へと態々王女を嫁に出すほど、帝国は困窮していないことも理解したのです。
その後元王配殿下から『君はあの子が悪役王女に見えるかい』と直接聞かれた時には、帝国ではアレス王国の諜報活動が活発に行われており、しかも不快に思われているのだと思いました」
「現状は国内状況が非常に危ういアレス王国は、その後反動で国王のすげ替えを行うだろう。そうした時に帝国の後押しがあれば、君の兄と君を含んだ一族の復権は容易になり、より強固になるだろう」
フリード王が鷹抑な態度でそう答えた。
「それであれば、尚のこと。マリアンナ王女殿下にも帝国にも何の得も有りはしません。そんな話をあの皇帝陛下がお受けになるのでしょうか、いや、王女殿下も受けるはずがありません」
オーギュストがハッキリとそう答えた。
「なるほど、それがお前の答えか」
フリード王が顎を撫でながら、うっそりと嗤った。
「何のことでしょう」
オーギュストが訝しげにそう聞くと、
フリード王は懐から、封筒を出して何も言わずオーギュストへと差し出した。
「頂戴します」
そう言って、中の手紙を取り出して読めば、それはマリアンナからフリード王とカロリーナに対して出された、強いクレームの手紙だった。
「な、お前の兄の求婚への断りの返事は、お前が申したことと何分も違わないであろう。
さて、オーギュスト。それほど深くマリアンナのことを理解している者がこの大陸に何人居るかのう」
フリード王の言葉を受けて、ガバリと顔を上げ目を見開いて仰ぎ見る。
「他の者へも全ての求婚を拒絶し、末は修道院で神の手助けをして生きていくそうだ。世捨てを覚悟しているあの子に、お前は黙って見つめて居るだけで満足か」
そうとだけ言って、フリード王は部屋を出ていった。
残されたオーギュストの心は乱れに乱れた。
あの花の咲き誇るような麗しい姫が、生涯を清らかに終える。
それを思うと胸に苦いものが広がっていく気もするし、誰の物にも為らないという安心感も広がる。
一方で、なんと自分勝手な感情だと自嘲気味に嗤えば、ではどうしたいのだ、拐って自分が幸せにすると言えるのか、ともう一方の自分が憤怒の顔で怒鳴り付ける。
そんな葛藤の中、気がつけば馬に飛び乗って、モンスト公国へと走り出していたのだった。
その胸中は暴風雨の様相で、自分が何を以てマリアンナの元へと駆けているのかもわからない。
それでもマリアンナの元へと駆けずにはいられない、焦燥感があったのだった。




