第37話 ドプラー教授 後編
アンドレ·ドプラーはモンスト公国と国境線を少しばかり接した領土を持つ子爵家の次男であった。
地方貴族のスペアであり体も小さく継ぐ爵位もない、そんなアンドレは自分の身の置場所を考え倦ねていた。特筆すべき事と言えば、隣の公子フランツと同じ年に生まれたこと位だろうか。
帝都はアンドレの住む領地から遥か遠く、公国の首都の方が近い。
アンドレは公国の王宮で働く文官に成れたら良いな、将来の見通しなどそんな程度であった。
幼い時に自己分析できる、それだけで彼の能力の高さが窺えると言うもので、子爵である父親も次男の非凡さを前に唸るほど。なんせ、複雑な納税計算を今目の前でやっているのは、来月10才になる次男なのだから。
「アンドレ、お前ここで何をしている」
「兄上が文章を書いている間、計算は私がお手伝いしているのです。見直しは兄上と家令にしてもらっております故、問題無いと思いますが」
最近仕事が捗っている理由がバレてしまい、青い顔で俯いている長男と家令を睨み付け、次男の書類を見直した子爵は、脳内で次男の出仕先を瞬時に探した。
「父上、もし私の出仕先を探して下さるのなら、モンスト公国の公子様の侍従見習いでお願いします」
親より先に、適切な所属先を言い出す次男を黙って見つめ、
「そうだな、帝国の王宮より公子様のお付きの方が良いかもしれん。公子様と同じ年でもあるしな」
そんなやり取りの後、子爵は公国への細い縁を紡いで繋げて、無事アンドレを公子の側仕えの末端へと押し込んだのだった。
公国でのアンドレは、フランツの身の周りの世話をするだけでなく、共に学び共に剣の修行をした。
勿論、公国の貴族子息が幼い時から側近として侍っているので、アンドレの出る幕などほとんど無いのだが、学問の場では下位貴族のアンドレの独壇場であった。
「アンドレ、お前賢いな。いつからそんなに頭が良くなった」
気さくな性格のフランツは、出自など気にせずアンドレに目をかけてくれた。
「いつからといわれても、寧ろ私自身が賢いかどうかはよく分かりませんが、本は見たら覚えますね」
「見たら全部覚えているのか」
「はい。でも他言語は読めて書けても話せません。書物で発音までは分かりませんから」
「はっ!お前に苦手な勉強など無いのか、羨ましい。私は勉強は苦痛だ、剣の修行の方がよっぽどいい」
「剣の修行は苦手です」
「だろうな、いやお前は剣は良いから、好きなことを学んだ方がよっぽど国の為になる。父上に進言しておくからお前は好きな学問を極めろよ」
「好きな、学問っ」
「あるだろ、得意な科目が。無いのか、お前は満遍なくどの科目も出来るのか」
「好きなもの、有ります。数式が美しくて好きです」
このやり取りの後、大公に謁見すると公国の大学校へ最年少で入学を許され、そこを卒業すると、帝国大学への官費入学の栄誉をも受け、研究者としてのその後の人生を歩むことになったのである。
「まあ、ドプラー教授のサクセスストーリーにお父様が関わっていたのですわね」
マリアンナが楽しそうに、目の前の学者の昔話を聞いていると、
「関わるも何も、私が今学者として存在しているのは、全てフランツ様のおかげです。公子様の侍従見習いとして王宮に出仕した私は、本来ならそのまま公国の侍従として一生を終えるはずでしたから」
アンドレは一瞬遠い目をしてそう言った。
「お父様は人を見る目が全く無いと思っておりましたけれど、幼い時はそうではありませんでしたのね」
マリアンナの何の気なしの呟きに、
「いいえ、それは違いますな。フランツ様はいつもその者の本質をキチンと見分け、本人の適正に合わせてしまう。帝国の王宮に必要な人物でも、本人の求める最適な場へとやってしまう。だから、」
「ええ、だからあんなに無能な取り巻きだけが残ってしまうんですの!」
マリアンナが驚愕の声をあげた。
「これは決して自惚れでは無いのですが、実際、私が侍従としてフランツ様の側に仕えていたら、王配時代の取り巻きなど一人も残しておりませんでしたよ。王宮に侍る取り巻き貴族たちは、その出自を鼻にかけるだけ、本当に優秀な者を排除する害虫以外の何者でもありませんでした。私のような帝国の下位貴族の次男など迫害されるだけの存在を能力を認めて助け出して下さった。私だけではありませんよ。そういう者が数多くいるのです」
アンドレが嫌味ったらしくそう答えた。
「でもそれじゃあ帝国の運営って、」
「ええ、とっても大変でしたでしょう。しかもマリア様はお子も自ら生まねばならない」
「そうね、王子誕生にこだわっておられたから」
マリアンナが少し自虐的な響きを含んだ声で言った。
「っつ、なんとお子様たちにはお伝えされておらんとみえる。男継についての話はお知りで無い?」
「え、男継の話とは、慣習を曲げて女帝になったお母様の我が儘についてのお話ですわね」
マリアンナが口を尖らせてそう答えた。
「いいえ、それは意図的に流された、主にフリード王とバジガン聖国から流された噂です」
「えええ」
マリアンナは意図的に流された噂話によって1度目の世界で処刑された。
噂話と侮るなかれ、流された方は心身共に大きなダメージを受けることを知っていた。
そしてアンドレから女帝マリアが誕生するに至った経緯を聞くことになった。
長い話の中、母の胸中を想像して自然に涙が溢れた。
最後は嗚咽するほど泣いてしまって、侍女のメリーが応接室の中に飛び込んで来たほど。
「ううっく、フリードおじ様思っていた以上に腹黒ですわ」
マリアンナはジト目でそう呟いた。
「これは想像ですが、長い先を視ることが出来る賢王は、バジガンの干渉避けと同盟国の掌握の為にわざと帝国を割ったのでしょうな。マリア様は大公夫人になるべく育てられた淑女であられた。どれ程抵抗しようとも、為政者となるべく清濁飲み込むように育ったフリード王に権謀で勝てる訳もございません。しかも、後押ししたバジガンが女帝マリアを認可するという発表をしないのだから、梯子を外された感も否めません。せめて殿下たちお子様たちには知っていて欲しいのです」
アンドレが静かな声でそう言った。
「でもなぜドプラー教授はそれを知ったのですか」
「勿論、私も他のフランツ様に恩義を感じている各場所にいる本当の支援者は当時、マリア様とフランツ様をお支えするためにお二人の下へと集まりましたよ。ですが、王宮の中にさえ権謀渦巻いていて、外野が口を出したら帝国が更に割れてしまう状況で。お二人は全てを飲み込んで、軟着陸を目指すとお決めになったのです。我らには各場所で自分の本望を遂げよとお命じになられて。ですから、本当の意味での側仕えを自負している我々はマリア様とフランツ様の苦悩を忸怩たる思いで見続けておりました。今、その者たちの多くは公国の離宮で侍っております。私も教授を辞したい所ですが、マリア様との約束が有ります故その地位にしがみついているのです」
マリアンナは両親のことを思うと胸が張り裂けそうな痛みを感じた。
「お兄様はご存じではないのかしら」
「いいえ。陛下にも、女王陛下にも、戴冠の後、我らの某がお伝えしたと聞き及んでおります。カロリーナ王妃殿下、オフィーリア夫人はご存じないかもしれませんが」
「そうですのね、両親とはわたくし達、疎遠ですの」
マリアンナが悲しげに言った。
「ええ、失礼ながらオフィーリア夫人は陛下の影、他の兄姉たちは為政者ですから、おいそれと態度を変えることは難しいことでしょう。マリアンナ様は今、自由なお立場ですからと期待を込めて老婆心ながらもお話させて頂きました。まして、今、マリア様がされている研究、乳幼児の死亡率を下げるという普遍的な問題の解決を目指した研究はマリアンナ様の為さりたいことと志は同じと感じました。一度お話に行かれたらどうですか」
アンドレの言葉に、マリアンナは直ぐには言葉が出なかった。
しばらく反芻しているとふと気づいたことがあった。
「ドプラー教授はお母様ともお知り合いですの?」
「ああ、言い忘れておりましたが、帝国大学校で研究していた、波の発生源(音源)または観測者が移動すると観測される波の周波数が変化する、と言うものに注目してくれたのは当時皇太子になったばかりのマリア様でしたから。『この原理を用いて腹の子の状態を診るような機械が作れないか』と言われて、其のおかげで最優先の予算が組まれ、国家事業として取り組ませてもらっております。未だ途中でありますが」
「まあ」
「始めに出した報告書は、ほれそこのオーグの報告書のような物でした。しかしマリア様は殿下のように理解する為に数式を学ぶ時間もございませんでしたので、『結局出来るのか出来ないのか』『どう利用できるのか』と端的に説明する癖がつきました。おかげ様で、今や大学では学生に解りやすく話してくれる教授として人気なんですよ。ははは」
アンドレの笑い声にマリアンナも自然と笑顔になった。
そうして、マリアンナは初めて王宮を出て、モンスト公国へと旅立つことになったのであった。
勿論シスコン兄皇帝カールが邪魔をしてきましたが、アンドレの話をマリアンナは教えられていないとジト目で睨まれて、渋々承諾したのでした。
「グヌヌ、アンドレ余分な話をしおって!」
「では陛下、私もお暇を願いたく」
「ならん」
アンドレは研究者としてだけでなく、兄皇帝の相談役でもありフランツとのパイプ役でもあります。
女帝マリアとの約束『腹の子を診る機械』医療用のエコーの開発をしていたら、防衛ソナーへの転用も出来ることがわかり、今やドプラー教授は帝国では一目置かれる重鎮です。




