第21話 カロリーナの恋 後編
連れていかれたのは、王の居室に近い王宮の奥にあるひっそりとした小さな応接室であった。
ゆったりとした座り心地の良いソファにティーテーブル、壁側にはキャビネットに洒落た酒器と酒の瓶が並べられていた。
「寛いでくれ、ここはわしの私的な部屋でな。ここに来客が入ることは無い。家族でも限られた者しか招かない秘密の小部屋だ。あ、身の安全は保証するから肩の力を抜いておくれ。帝国の巫女姫に無体を働くような情熱は持ち合わせていないのでね」
フリード王はソファに腰掛け、向かいの席をカロリーナに勧めた。
侍従が二人にお茶を出すと、そっと部屋から退出した。カロリーナの侍女も護衛も扉の外で待機していて扉は少し開けられていた。
それでも部屋で肉親以外二人きりになるというのは初めてのことで、少なからずカロリーナは緊張していた。
一口お茶に口をつけると、フリード王が口を開いた。
「王女殿下、いや名呼びの許可は以前取ったな。カロリーナ、ああ、わしのこともマリーのように気軽に叔父様とでも呼んでおくれ」
「はい。あの、では、フリード様、どうぞわたくしのことは、マリーのようにリーナとお呼び下さい」
カロリーナは少し恥ずかしくなって、俯き加減でそう答えた。
(マリーったら叔父様って呼んでいるのね、本当に甘え上手な末っ子なんだから)
マリアンナにはいつ頃からかおじ様おじ様と呼ばれるようになって懐かれているが、カロリーナは流石にそんなことはしないマナーを守った淑女の佇まいであったため、少し距離を縮めようと呼び名を変えることにした。
フリード王はルイーゼも嫁ぎ帝国との関係改善が行われたのだから、マリアンナもカロリーナも概ね、娘か姪みたいなものだと考えていた。
その上、帝国の麗しの下の姫君たちと仲良くすると、あの食えない皇帝カールヨハンの、常に動かぬ能面みたいな顔が面白いくらいに歪むのだ、それを見るだけで愉快愉快、と、そう思ってついた軽口だったが、おじ様ならぬ名前呼びとは、少しばかりこそばゆい気分になった。
「ん、ではカロリーナ、いやリーナ。ん、ん、こほん」
フリード王を名呼びする人物など滅多に居ないので戸惑いを感じたし、女性の名をあだ名で呼んだことなど、亡くなった妻以来のことで、照れくささもあったが、そんなことより聞かねばならぬことがあると、些細事は脇に置いて、予てよりの疑問を口にした。
「リーナ、君はどうしてそんなに追い詰められたような悲壮感を纏っているの?フランツの色ではあるが、あの母親に似て可憐な少女であるのに」
フリード王は少しの気恥ずかしさを空咳で誤魔化しながらカロリーナに問いかけた。
「まあ、フリード様、まさか、まさかのフリード様も、このわたくしが、あの、あの母のようだ!と仰いますの!!!
わたくしが、母のようにあんな傲慢で、視野が狭く、独善的に見えますの?
わたくしは自身の身の丈を理解しております。あの、あの母のように、慣習を無視して自分の欲望に忠実で、その結果、神聖帝国を割るようなそんな愚かで、厚顔無恥な性根ではございません。いえ、そのようにならぬように自身を律していると自負しておりますのに」
カロリーナはフリードの言葉に、驚きと悲しみを浮かべた表情を見せ、この短時間に本日二度目の激昂をした。何気に喧嘩早いカロリーナであった。
「リーナ、落ち着いてくれ、わかっている。いや、言い方に誤解があったな。わしが似ていると言ったのは顔立ちや容姿のことだ。あれはオフィーリアだけが似ていると思っているようだが、わしから言わせてもらえばリーナが一番似ていると思ってな、その、帝国の天使と詠われていた可憐な容姿がね。
でも、君はそれが不満のようだな。マリーもだが、君たちは上の姉弟以上に学ぶことに貪欲だ。いっそう強迫観念のようにも思えるな。ねえ、リーナ、君たち下の姉妹はどうしてそんなに気を張っているんだろうか。今や、皇帝のカールだって、父親のフランツだって君とマリーを政略の駒になどしないだろう?
むしろカールなぞ、君たち二人を未来永劫、後宮の奥の奥深くに大切に仕舞いこんで、世間から遮断したいみたいだろう。あの顔から想像も出来ぬほどの、狂気のようなシスコンぶりだ。
それなのに、どうして君はそんなに不安げなんだろう。マリーの方は朗らかにその状況を受け入れて、兄皇帝の思惑通り、奥に隠って出ようとしないが、リーナ君は何を掴もうと足掻いているんだろう。君の答えは最近完成させた、君渾身の新しい武器と関係があるのかな?」
フリード王はゆっくりとした口調で、真っ直ぐに見つめ、その瞳に憐憫と親愛とほんの少し好奇心を乗せて、カロリーナに聞いてきた。
カロリーナもまた、真っ直ぐにフリードの瞳を見つめた。
ジーっと、ジーっと。
言葉の真意を考えながら。
自分の胸に問いかけていた。
(わたくしが掴みたいと足掻いている何か、ってなんだろう。足掻いているのかしら?何の為に?)
そして深く思考を巡らせて気がついた。
(わたくしをどんな困難な未来からも守ってくれるもの、それを求めているのかしら。それが、知恵だったり、武器だったり、他者に侮られない自分の価値だったり、するのだけれど。目の前に全てを兼ね揃えている人がいる。もしかすると、ここが、わたくしの分岐点かもしれない。帝国の分岐点になるかもしれない。伸るか反るか、決して、間違えられないわ)
突如、カロリーナは自分のドレスのスカートを捲った。
淑女が足を見せるなど、裸で改札を出るほどの痴態である。
「な!何を、」
焦って声を上げるフリードの声に被せて
「フリード様、」
声をかけると腿のホルダーから抜いた物をテーブルにゴトンと置いた。
「これは、ピストルかい?随分小さい」
フリード王がそれを手に持って聞いた。
「はい。護身用です。それとは別に戦闘用は改良しております」
カロリーナが答えた。
「ああ聞いている。色々と戦闘スタイルに合わせてこの武器を改造して配備するのだろう?素晴らしい見解だ。熟練の騎士がお互いの頭をかち割る戦いから、距離を保って自軍の安全を確保しながら、相手を削るのだ、戦法そのものが新しい。して、それが、どこに関係しているのかな?」
フリード王は手に持ったピストルをテーブルに置いて、目を細めて聞いた。
「それをお聞きになるというのなら、フリード様。フリード様は戻れぬ道を進んで下さいますか、わたくしと手を携えて」
カロリーナは質問に質問で返した。
「んー、それはどういう意味?勿論、わしは、リンネ王国は、帝国と共に歩むと同盟を誓ったが、そういうことでは、」
「ええ、ございませんね。フリード様とわたくし二人の、ということです」
カロリーナはスンとした顔を向けて、口許にうっすらと微笑みを湛えて、二人のに力を込めて答えた。
「それは、どういうことだろう。わしは君の父親フランツと同じ年なのだが。わしの養女にでもなる気かな?」
先ほどまでの余裕な仕草は鳴りを潜めて、養女の下りなど蚊の鳴くような小さな声になっていた。
「フリード様、ご冗談を。わたくしの、いえ。帝国の巫女姫の、と言えば宜しいのでしょうか。秘密を知る御覚悟がおありなら、わたくしを娶られませ。それでこそ血の同盟となりましょう」
カロリーナは悠然と話しながら意味深に微笑みかけた。
先ほどまでの初々しさは何処へやら、蝋燭の揺らめく灯りの下、見たことの無い女の顔を見せた。
「待ちなさい。冗談でもそんなことは言ってはいけない。よく落ち着いて考えて、リーナ。だいたい君は別に親ほど年の離れた男が好きな質では無いだろう?わしは今まで君から男女の熱を向けられた覚えが無いのだが。いや、では、こうしよう。話は終いだ、帝国の巫女姫の秘密はそのままにした方が、」
「フリード様。あなた様は、そのままにお出来にならないでしょう。それが世界の為だと聞いた後ならば」
「なに、それほどか」
「ええ、それほどでございます。一国の事ではございません。大陸の、いや世界の、でございます」
フリード王は顔を両手で覆って天を仰いだ。
「リーナ、君は本当にあの二人の娘か。手練手管の何処ぞの国のやり手夫人のようだ。そこまで聞き及んでしまったら、もう戻る選択肢は無いではないか」
「勿論にございます。わたくし、幼少より、良い人生を全うするために、人生を賭けておりますのよ。ここでフリード様に負ける訳には参りませんわ」
「…カールとフランツを宥めるのは手伝ってもらうぞ」
「勿論にございます」
にっこりと笑う可憐な少女がフリード王の瞳に映っていた。
するとフリード王は立ち上がりカロリーナの前に膝を突いた。
「カロリーナ・アプスブルゴどうか私と結婚してほしい。私は君と同盟を生涯守るとここに誓う」
カロリーナはその前に立ち、そっと右手をフリード王の掌に乗せた。
「フリード様、ぜひわたくしと世界をお守り下さい。喜んで、結婚の申し入れをお受けいたしますわ」
そうしてそのまま、フリード王に手を引かれてカロリーナは王の寝室へと消えて行った。
閨の間に間に、カロリーナはマリアンナの悪夢の話を語った。
今しがたは、自分が北ウエス王国の国王の後妻となり、折檻の末、牢に入れられ非業の死を迎える話を話したところだった。
カロリーナの汗に濡れた前髪を優しく梳き頬を撫でるとギュッと抱きしめたフリード王は、言い難そうに小声で疑問を口にした。
「後妻として嫁がされ非情な仕打ちをされる運命を変えたくて今までやって来たのなら、何を好き好んでこんな爺に嫁いだ。わし、北ウエスの国王とほぼ同年代ぞ」
「年ではございませんわ。元々、わたくしフリード様を敬愛しておりましたのはご存知でしょう。そこにお互い、男女の欲が乗っただけでございます。わたくしとこんな大きな秘密を共有して、わたくしを守って下さる方など、世界で、旦那様以外にどなたがございましょう」
上掛けからそっと手を伸ばして、フリード王の指先を掴みながら、上目使いで旦那様と呼ぶカロリーナにフリード王がウッと息を飲んだ。
「ああ、愛しの嫁ご殿。わしの残りの人生全てをかけてリーナを守ると誓おう」
そうして口付けが一つ二つと落ちてきて、それはまた段々と深いものへと変わっていったのだった。
そんなことが夜空が白んで行く頃まで続き、カロリーナがまだ寝ている最中、フリード王は『既に婚姻を結んだ』とカロリーナとの結婚を告げる親書を帝国の皇帝宛へと早馬で届けさせた。
これは婚姻の打診ではなく、式は3ヶ月後に執り行うとの出欠を伺うものであった。
王族の、帝国の王女の婚姻がこんなに最短である理由など、カロリーナにつけている帝国の影からどうせ聞かされるだろうと想定しての物言いであった。
受け取った親書を読んだ兄皇帝カールヨハンが、元王配の父フランツと共に帝国軍の精鋭部隊を引き連れて、瞬く間にリンネ王国へとカチコミをかけたのは、ほんの数日後のことであった。
フリード王情熱を取り戻し冒頭のフラグを回収




