第20話 カロリーナの恋 中編
「それで、今日もカロリーナ王女殿下はどちらへ?」
「現在、そのう、外に出ております。も、申し訳ございません」
王宮の侍女頭が悲壮感たっぷりに慌てふためきながら頭を下げ続けていた。
「ふう、まったく困った姫様だこと」
貴婦人は扇で口許を隠しながら、深いため息をついた。
リンネ王国の王宮には現在、王妃が居ない。
フリード国王は王太子だった時に婚姻し妃を得たが翌年に流行り病にかかると、あっという間に儚くなってしまった。
まだ後継も居ない時分だったので周囲は次の妃をと薦めたが、次の王太子に弟を、次の次には弟の嫡男に継がせば良いと公言し、再婚はしないと暗に示したのだった。
王太子に就いた弟はさておき、その嫡男はお世辞にも出来が良いとは言えず、王国貴族は元より、周辺国の王族も難色を示していた。
その思いを知るフリード王は最近では、
「王国内で、相続争いなどして何になる。後継の憂いがあるならば、帝国へ嫁いだルイーゼが多くの子を為したならその子に王位を譲れば問題なかろう。神聖皇帝の子だ、誰も不服ないな。まあ、甥のアウグストが一念発起すれば何も気にすることなど無いのだがな」
公式の場で度々そう言うに至り、自分の再婚に関しては長く煙に巻いていた。
王太子と王太子妃は王宮に居るが生活するのは隣接する別邸で、リンネ王国の王宮に招かれた周辺各国の子息たちはフリード王の客人として国王の間で生活しており、そこを采配するのは本来王妃であるが、現状居ないため、外交ということで宰相が取り仕切っていた。
しかし、神聖帝国の王女殿下が王宮に住まうとなれば、やはり女性の手が必要になる。
そこでフリード王に頼まれ王妹であり、兄皇帝の妻アンナルイーゼの母であるゾフィがカロリーナのお世話係をすることになっていた。
「イマエルはどこ?急いで、イマエルを呼んでちょうだい」
「は、ただいま」
ゾフィーはまた一つため息を溢した。
「お呼びと聞きまして、このイマエル飛んで参りました」
応接室で、お茶を飲みつつ待つこと、数時間。
帝国へ招聘されて行ったはずの優秀な学者は、カロリーナと一緒にリンネ王国へと戻ることになり、なぜか今は侍従のような立場になっている。
その学者兼侍従のイマエルが額に汗し、息を切らしてドアから転がるように入ってきた。
「ねえ、イマエル。貴方って確か学者よね。随分遠くからやってきたみたいだけれど、今日はどちらで講義だったのかしら?」
ゾフィがチクリと嫌味の矢を放つと、イマエルはウッと言葉に詰まりながら頭を下げた。
「今日は、実は、やんごとなき方々と機密の場所で機密事項の立ち会いがありまして」
イマエルはしどろもどろになりながら、要領を得ない言い訳を述べた。
「やんごとなき方々と機密の場所で機密事項の立ち会いに、なぜ一介の学者でしかないあなたが?あなた、わたくしの知らぬ間に、もしや姫付きの侍従になったのかしら?」
「いや、なんともその通りでございますが、」
しどろもどろに、しどろもどろが、しどろもどろで、イマエルの顔は滝のような汗が流れ目も泳ぎ、悲壮感たっぷりの様子。
「ゾフィ様、お待たせしてしまって申し訳ありませんでしたわ。イマエルはそのくらいで許して差し上げて下さいませ」
そこに落ち着いた所作で現したのは、問題の当人カロリーナ。
「ええ、ええ。カロリーナ王女殿下、殿下がいらっしゃれば、いつでもイマエルは解放しますわよ。さて、今日はどちらへお出掛けで?」
チラリと流し目をイマエルに向けて、席を外して良いと言外に告げると、助かったとばかりに頭をぶうんと下げて、退席していった。
「ふふ、余り人には言えませんのよ。国家の機密事項ですの」
ゾフィの前の席に腰かけて、小首を傾げてそう言った。
花も恥じらう16才、プラチナブロンドに薄い青い瞳、抜けるような白い肌に華奢な肢体の美しい王女の姿であった。
しかし、その見た目とは裏腹に、リンネ王国に来てから彼女が王宮のサロンで座学に出席するのは戦争学くらいで、それ以外の時は何やら騎士団やら武器工房やら、はたまた帝国と共同事業を行っている曰く付きの地方へ出掛けたりとおおよそ姫君らしい活動とは言えない。
「王女殿下、殿下の御身はかけがえの無いものでございます。もし、万が一にでも何かあったならば、あのシスコン皇帝が今度は一個師団を率いて攻め入りますよ、やっと和平が叶ったというのに全面戦争待った無しです。お分かりですの?婚姻まで後少し、御身をお大事になさって下さいませ」
ゾフィは丁寧な言葉とは裏腹に強い圧のこもった声で、視線でカロリーナに苦言を呈した。
「確かに、それはそうね。以後、気をつけますわ。でもまあ、わたくし、安心しておりますのよ。陛下が命に代えても守って下さると、そう言って下さいますし」
ポっと音がするように頬を赤らめる姿は、恋する乙女そのものである。
「そもそもそれも!王女殿下、あなたの兄皇帝は本心では決して認めてはおりませんわよ。虎視眈々と婚約破棄を願っておられるでしょう。私は、娘が夫と死別する悲しみも、兄を失う悲しみもどちらも持ちたくないのです。どうぞ無事婚姻が整うその日まで気を引き締めておいでください。
だいたい殿下、この際はっきり申し上げますけれど、兄は殿下のお父上と同じ年ですから、齢42才の老人一歩手前ですわ。見目形も乙女が頬を赤らめるような麗しの風貌でないことは、実の妹のわたくしが断言致します。今この王宮には、殿下と年の合う王族の子息も貴族の子息も多数おります。それこそ、彫刻かと見紛うほどの白眉の美男子も。それを差し置いて、なぜあんな常に苦虫を噛み潰したような顔の年増をお選びになったのか、わたくしにはとんと理解が及びませんわ。それこそ、殿下のお父上のフランツ様のようなダンディーイケメンでもありませんし」
ゾフィは妹とはいえ、ひどい言い草である。
「そうかしら?あの皺の一つ一つが国を思い、熟考を重ねた研鑽の証しではないですか!陛下の顏ならいつまでも見つめていられますし。麗しの美形など、顔だけならお兄様で十分ですけど、別段見つめていたいとも思いませんわ。白眉の美形王族などそれこそ将来的にどう転ぶかわからない危険物、わたくし、勝ち目の薄いギャンブルに手を出すほど人生にスリルも求めておりませんの」
ゾフィの苦言などなんのその、カロリーナは恋する乙女の瞳はキラキラと輝きつつも、底知れずほの暗さを感じさせる物言いであった。
カロリーナは帝国に来た当初、フリード王を推していたが別に恋しているわけでは無かった。
純然たる尊敬の気持ちと、カロリーナ自身が他人から必要とされる存在になるため、フリード王の知識を利用したいという打算的な考えを持っていた。
デビュタントでの会話も、きっと王宮サロンの適当な誰かと見合いでもしないか、と水を向けてくれたのだと言うことも知っていた。
だが、カロリーナは知ってしまった。適当な誰かの元へ嫁いで終わりではないのだ、適当に流された先で巻き込まれる自身に降りかかる不幸を。
この身に流れているアプスブルゴ家の血が、自分の手の届かない所で思いもよらぬ作用をするのだ、とマリアンナの悪夢から知っている。
だから、少々強引に話をねじ曲げて、大陸一の賢王のサロンで研鑽し、誰かの思惑に巻き込まれないほどの、確固たる価値を自分自身に附けようとかなり強引に押し掛けてきたのだ。
リンネ王国の王宮での学びのサロンは、多岐に渡っていたが、内容自体は帝国と大概同じでカロリーナは既に履修済みであった為、帝国でイマエルから教わっていた戦争学を続けて深く学ぶことにした。
それは、帝国とリンネ王国でこれから防衛の共同戦線を張ることを知っていたから。
そして、もし駒として嫁いだ先での政変に巻き込まれた時、何としても生き残る術を得るために、カロリーナが求めて止まない必須事項だったから。
過去の戦争を基にした兵を学び、新しい武器の考案をするカロリーナはフリードサロンの噂の的となった。
もちろん悪い意味でとても目立っていた、いや噂ばかりが大きくなっていて、その実カロリーナの姿を見かけることはほとんど無いことなのだけど。
「帝国の戦争姫か。あの女帝の血かねえ、兄皇帝を追い落として、帝位を狙ってたりして」
「うはー、それじゃ全く女帝と同じこった、女の癖に。恐ろしい」
「あの虫も殺さぬような顔で、武器を考案とか、げに恐ろしき女帝の血よ!」
噂は噂に上書きされて、王宮サロンでのカロリーナの評判は鰻下がりであったので、とても、キャハハウフフと恋のアバンチュールを楽しむような、そんな空気は霧散していた。
そして、その悪い噂はフリード王の耳にも勿論入っていたのである。
芸術に造詣が深いフリード王は、芸術サロンも主宰していた。
ある日、特別講義が音楽サロンで開催され、フリード王も列席するという話がカロリーナの元へと寄越された。
芸術サロンなど、普段は顔も出さなきゃ近寄りもしないカロリーナであったが、わざわざ事前に声をかけられた事を慮り、さすがにその日は芸術サロンでの講義に出席したのであった。
その講義は、帝国の誇るあの神童と王国一の楽帝の演奏の共演が行われた。
神童も楽帝も演奏はそれはそれは素晴らしいもので、カロリーナもその演奏に気分が高揚し、周囲に勧められ神童ヨハンネスが作曲したフルート協奏曲を、宮廷音楽家と共に演奏した。
「カロリーナ王女殿下、妖精のような貴女には血生臭い事より、このような美しいことがお似合いですよ」
たぶん悪気は無かったのだろう、どこぞの王子がそう言ってきた。
「そうですよ、これからもこの芸術サロンでご一緒しませんか?殿下のフルートは小鳥の囀りのように可憐でした」
別の者も気安く、そう声をかけてきた。
ただその者は、カロリーナがひどい折檻の末地下牢で餓死させられるとマリアンナの悪夢で名指しされていた北ウエス王国から遊学に来ていた末王子、夢の中では息子だった者からだったのだ。
(き、き、キャー!邂逅ですわ、いえ、悪夢の夫の息子ですから、ニア邂逅かしら!何近寄って気安く声かけてきてるのよ。ええ、ええ、小鳥のように囀り、妖精のように儚いと本当に尊厳を踏みにじられて儚くされてしまうのですわ!)
カロリーナはとたんにカッとなり、その王子たちを強く睨み付けて、
「結構よ。わたくしが何をしようと何を学ぼうと、貴殿方に、いえ誰にも口出しされる謂れは無いわ」
そう冷たく言い放ち、踵を返して足早にその場から立ち去ったのだった。
王宮の自分の居室までの道のりを重い足取りで歩いていると、後ろから徐に手を掴まれた。
護衛も侍女も後ろをしずしずと付き添って居たはずなのに!
「キャッ何を!?」
驚きの声を上げ振り返って手を振り払おうとすると、手を取ったのがフリード王であったため更に驚き、躊躇した。
「へ、へいか・・・」
「あ、すまない。カロリーナ王女、気を悪くしたならわしが謝ろう。だが、彼処に居た者たちに悪意があった訳ではないのだ」
掴んでいた手を放すと、フリードがそう言葉をかけてきた。
「あ、いえ、わ、わたくしこそ、陛下、陛下のサロンで騒ぎを起こしてしまいまして、申し訳ありません」
顔色を青から白へと変え、震える手を抑えながら謝罪の言葉を口にした。
「なあカロリーナ王女、貴女は何をそんなに恐れている、よければわしと少し話をしようか」
そう言うフリード王に即されて、王宮の奥、国王の間の応接室へと誘われたのだった。




