第18話 マリアンナとフリード王のお茶会
邸のティールームでフリード王を待たせること暫し、マリアンナはデイドレスに着替えて部屋へ急いだ。
「お待たせしてしまって、申し訳ございません」
マリアンナはちょんとスカートを摘まんで膝を曲げる略式の挨拶をして、向かいの席に座った。
「いやいや、勝手に訪ねてきたのはわしの方だよ、気にせんでいい。どうだい、最近は息災か?」
フリード王が鷹揚に尋ねた。
「ええ、今は馬鈴薯の他に豆も育てているんですの。乾燥させれば日持ちもするでしょうし、利用法をあれこれと考えておりますの」
マリアンナはそう言うと、呼び鈴を鳴らした。
すぐにワゴンを押したメイドが、フリード王にはスパークリングワインを、マリアンナにはペリエを渡し、テーブルの真ん中には、皿に山に盛った揚げたジャガイモが置かれた。
「これは?」
楽しそうな目を皿に向けてフリード王が聞いた。
「油で揚げたジャガイモに塩を振っただけのモノです。召し上がって見てくださいな」
マリアンナが先に拍子に切って揚げた湯気の出ているジャガイモにフォークを刺して口に入れた。
そうして徐に、ペリエをグッと飲んだ。
「まあ、美味しい。ぜひ叔父様にも」
「ああ、頂こう」
フリード王も同じようにジャガイモを口にして、スパークリングワインを煽った。
「んー、これは、旨いな。シンプルだが、とても旨い」
フリード王は目を見開いて山盛りの揚げた芋を見て唸った。
「これは何という料理だ?」
「ただ油で揚げただけで、料理名など無いでしょうけど」
「ではどうして、油で揚げた?油は高級なものだぞ。こんな食べ方聞いたことがない。馬鈴薯は平民の食べ物だ、普通は揚げたりはしない」
フリード王が楽しそうに目を細めてマリアンナを見る。
「ええ、馬鈴薯は塩で茹でてそのまま食べるか潰して牛乳と練ってマッシュポテトとして食べるか、スープの具として煮込むか、ですわね。
ええーと、神聖帝国ではカツレットを食べますでしょ?お肉をカラリと揚げて。あのようにジャガイモも揚げたら美味しいかしら?と思っただけなんですの。
でも、叔父様のおっしゃる通り油は非常に高価で、平民は気楽に使えるような物では今はありませんわね。
えっと、今、わたくし豆を作ってますの。それを乾燥させて、干して絞れば油が採れるとか。豆は土を良くすると、この前学者様に伺いました。小麦の次に豆を植えて、輪作することをリンネ王国では指導されているとか。ただ豆がたくさん採れても値段は余り付かないから領主方はあまり積極的じゃないそうで。
まあ畜産が主要産業な地区ではクローバーを植えてるそうですし、領地それぞれだとか。
でも豆を油にしてしまえばたくさん利用出来ますでしょ?油がたくさん出来れば安価になるでしょうし、絞りカスも肥料になると、良いことづくし。そうして、少しでも豊かになれば、揚げジャガイモ位食べれるようにならないかしら?とふと、思いつきまして。
調理はシンプルですし、屋台でエールと一緒に売る者が出てこないかしら?なんて。だってシュワシュワの飲み物に揚げたジャガイモって合いますでしょ?とても美味ですわ、わたくし最近これにハマってますの」
マリアンナは話しながらもフォークは忙しなく芋を刺し口に運ぶ。
「ああ、なるほどな。確かにエールにも合いそうだな。豆も油になるが、とても強く絞らねばならないぞ」
負けじとフリード王も芋を口に運ぶ。
「ええ、リーナ姉様がリンネ王国では何やら機械の実験に成功したとか手紙にありましたの。その力を使って絞り機をグイグイ回せば油もたくさん絞り取れるのではないかと思ってまして」
マリアンナはチラリと上目使いにフリード王を伺いながら言った。
「うーむ。なるほど、あれをそんなことにも使う気か」
フリード王が唸りながら、芋を口に運ぶ。
「だって叔父様、食べることってとても大事なことよ。安価で美味しい食べ物があれば、多くの人は幸せになれるわ。それを与えるのは王族の義務でしょ?」
マリアンナはチラリとまた上目使いに視線を投げて言ったのだった。
一度目の世界で、この揚げたジャガイモはアレスフライと呼ばれていた。馬鈴薯という底辺の食べ物を高価な油で揚げるという、如何にも貴族的な皮肉な食べ物で。
平民が飢饉に喘ぐ中、王都の仮面舞踏会では高価なシャンパンと共に貧民の命綱であるジャガイモをわざわざ揚げて食すアレスフライは、平民からは憎しみと非難の目を向けられ善良な貴族からは不謹慎だと眉を顰められる、そんな曰く付きの食べ物だった。
しかし、社交とは距離を取り離宮に隠っていたマリアンナ。
アレスフライにそんな曰くがあると露知らず、料理長がマリアンナの初収穫した芋で最近社交界で何かと噂のアレスフライとシャンパンをおやつに出したところ、とても気に入った。
そこで慰問に通っている教会での炊き出しに自分の育てた馬鈴薯を使ったアレスフライを大量に振るまったのだ。
もちろん世間は怒りに燃えた。
高慢ちきな意地悪悪女だと、悪役王妃が貧民をバカにしていると、アレス王国中で非難の声が上がり、大炎上してしまった。
夫である国王から大炎上を告げられ、マリアンナがアレスフライの曰くと自身が非難される理由を知った頃には、悪名が広がりすぎて打つ手もなく狼狽えるばかり。
マリアンナの無知な善意はただ悪戯に革命の火に油を注いただけだった、揚げ物だけに。
「この揚げた馬鈴薯、ポンフリット、か。これが屋台で国民みなが食べれるように、わしらは益々励まなくてはならないな。君主は国家第一の僕なのだから」
フリード王は、最後の芋をフォークに刺すとマリアンナへと向けて見せて、ニヤリと笑うと大きく開けた口に放り込むのだった。
ガヤガヤとしたざわめきがドアの外から聞こえてくると、ノックも無く扉が開いた。
「義父上、何をしておられる」
平素、端正な顔に能面のような何を考えているのかわからぬ表情しか見せない兄皇帝が、眉根にシワを寄せて苛立ちのこもった声でそう言いながら、ドカドカと部屋を進み、マリアンナの横に雑な感じで腰かけた。
「まあ、お兄様ごきげんよう。ノックも無く入っていらっしゃるなんて、どうなさったの?叔父様とのご予定がありましたの?知らずに足止めをしてしまって申し訳ございません」
兄の不機嫌さを隠さぬ様子に驚いたマリアンナは、眉を下げ困惑顔で謝罪した。
「いや、気にすることはないよ、マリー。皇帝陛下との約束事など一つも無い。わしはお主に会いに来たのだから」
フリード王は面白そうに目を細め、マリアンナと兄皇帝の顔両方を見て言った。
「マリアンナ気にするでない。私は義父上に言っている。カロリーナに続いてマリアンナにまで食指を伸ばすのを見過ごすわけにはいかない。大体、独身の男女がドアの閉まった一つ部屋に籠るとはどういうことか」
兄皇帝がおかしなことを言い出した。
「お、お兄様。決して食指を伸ばされておりませんわ。しかもこの部屋の中には侍女も護衛もメイドもたくさんおりますでしょ?わたくし側にも叔父様側にも。お兄様、この数が見えませんの?お兄様が何をご心配されておられるのか、わたくしちっとも解りませんわ」
マリアンナは混乱しながらも、兄に一目で解るはずの状況説明をした。
「ははは、皇帝陛下は思いの外偏狭だな。手中の珠を身内からも隠したいようだ」
フリード王は愉快そうに声をあげて笑っていたが、その目は決して笑っていなかった。
「偏狭上等。序でに申しておくが、カロリーナも後半年余りで帰国させるのでお忘れ無く。身内から隠すのは当然、私は母親からさえ宝は隠す性質だ。
さて、マリアンナ。何を義父上と話していた。なにか良い香りもするが兄には言えない秘密かな?」
言葉の軽さとは裏腹に不可解な重圧を感じる物言いを受けた。
「もうお兄様、別に大した話なぞしておりませんよ。先日お教えを受けた学者様のお話、主に叔父様がリンネ王国で採っている農業政策の話を、わたくしが育てた馬鈴薯を食べながらしただけですわ。少しお待ちくださればお兄様にもお出ししますわ。でも、馬鈴薯ですわよ?よろしくて?」
マリアンナは兄の不機嫌さの地雷を踏まぬように窺いながら、そう答えた。
話を終える前にメイドが数人部屋から出ていったので、厨房へは伝わっているはずだ。
「そうさ、皇帝陛下。マリーと、農業改革と先日成功した実験機械を使った新たな取り組みが国民の生活を豊かにし、幸福度を高め、延いては革命への防波堤になるという、非常に高度な議論を《ポンフリット》から見出していたのだよ。君、君との話し合いでこんな意見の飛躍があるかい?わしのサロンでさえ、サロンの学者でさえそんな楽しい展開を見せてくれはしない。マリーとの美味しい会談にわしは夢中なのだよ」
フリード王は口髭を撫でながらそんなことを言い、兄皇帝にチラチラと視線を送る。
「・・・義父上、再度申すが、マリアンナをリンネ王国のサロンへ遊学させる気は一切無い。カロリーナもあと半年で戻させる。その《ポンフリット》論とやらは、私とこの後話し合おうではないか。さあ、いつまでも乙女の邸に居ついでないで、王宮へとご一緒しよう。ああ、マリアンナ。その良い香りの《ポンフリット》は私の執務室へと運んでくれ。さあ、義父上、」
兄がこめかみをピクピク痙攣させながら、立ち上がるとフリード王にも即した。
さあさあと、言語化していない無言で追いたてる雰囲気に、フリード王はゆっくりと立ち上がり、
「マリーよ、せっかちで独善的な兄に窮屈さを覚えたら、いつでもリンネ王国のわしのサロンへおいで。リンネ王国は君をいつでも歓迎しているよ」
マリアンナの目を見て笑いながらそう言った。
「そうそう、最近の遊学に来た者に、色々と問題続きのアレス王国の第二、第三の王子たちが居るよ。第三王子は確かマリーと同じ年だったかな」
最後に大きな爆弾を落として、大陸一の賢王は兄皇帝に背中を押されるように追いたてられて、マリアンナの邸を後にするのだった。




