第17話 じゃがいも革命
「マリー様、そろそろお戻り下さい」
小高い丘の上に建った素朴な邸。その下を流れる小川。その先には畑が耕され、周囲には多くの果樹が植栽されている。
簡素なワンピースにエプロンをかけた女たちの中、一回り小さい娘に、場に似つかわない侍女服姿の女が声をかけた。
「あら、メリー今日は呼びに来るのが早くないかしら?」
声をかけられた娘は少しむくれた顔をして口答えする。
「いつもより長いくらいですよ。さあ、邸へとお戻り下さい」
「そう?ねえメリー。今日は馬鈴薯の収穫なのよ。もうすぐ終わるから、もうちょっとだけ、ね?」
娘は手に持った拳より大きなジャガイモを侍女服の女に掲げてみせて、甘えた声でねだった。
「はは、マリアンナ。すごい豊作じゃないか!」
大きな声が遠くから聞こえた。
「まあ、フリード大叔父様!いらしてたの?」
娘は両手に馬鈴薯を持って、声の主の元へ駆け出した。
カールヨハン1世の婚姻と戴冠式の翌年、アレス王国の戦争王が崩御した。
その半年後、続けて王太子も不慮の事故で亡くなると、フリード王はカールヨハン1世に恭順の姿勢を示し、神聖帝国の再統一が広く大陸各国に知れ渡った。
同時期にカールヨハンとの深夜の密談の通り、シロスク地方の共同開発事業を本格稼働し始めたのだった。
その翌年には、カールヨハン1世とフリード王の姪で養女のアンナ・ルイーゼに待望の王子マクシミリアンが生まれ、帝国の未来は明るいと喜びに包まれた。
先だってからフリード王は、リンネ王国の王宮に優秀な学者を広く集めた学術サロンを開いていたが、この時から更にサロンを拡大し、知識の蓄積を早急に進めた。その上、周辺国の貴族や王族の子弟を受け入れ、若年者教育にも力を注ぐようになっていた。
1度目の世界、マリアンナの命を奪う革命の前、大陸全土を飢饉が襲った。
その飢饉であっても、テルス=ハデス帝国とリンネ王国は戦争を繰り返していた為、戦乱だけでなく飢えによっても多くの無辜の民が大勢亡くなった。
そんな中リンネ王国のフリード王は、王の名の下、王国の農業学者の進言に従い馬鈴薯の栽培を大規模に敢行した。始め、冷涼な痩せた土地でも収穫できる優秀な作物である馬鈴薯栽培を農民たちは拒んだ。もちろんその上の、領主である貴族も拒んだ。
黄金に輝く小麦が最も価値のある作物であり、地の下に付く実など食べるに値しないという共通の価値観をみな有していた。
初めて他の大陸からもたらされた馬鈴薯は、単なる紫の小花を楽しむ観賞用であった。
しかし、小麦の穂が黒くなって枯れる病気のまん延により大陸に飢饉が起き、民は空腹に喘ぐ。
フリード王は王命として馬鈴薯を各領地で栽培することを命じた。命令を聞かない領主は王国軍が逮捕し、その土地を接収してまで、馬鈴薯を植えさせた。
結果、リンネ王国の飢饉は他国に先んじて終息したことにより、フリード王には馬鈴薯王と言う新たな二つ名が追加されることになった。
マリアンナがその話を聞いたのは、アレス王国へ嫁いだ後、離宮に引きこもった頃であった。
慰問に行った先の教会にある孤児院で、シスターと子供たちが馬鈴薯を育てているのを見たり、神父から隣国の馬鈴薯王の話を聞き感銘を受けると、離宮の庭を畑として耕し馬鈴薯を植え、育てた。
フリード王のジャガイモ革命から凡そ10年後のことである。
民が空腹で苦しむ中、アレス王家は的確な対応を取ることが出来ていなかった。
申請のあったどこぞの貴族家に幾ばくかの食料を融通した、税金を割り引きした、そんな場当たり的な対応に終始しており、ましてや領主次第で、その施しが末端の国民へと届いているかの確認すらしていなかった。革命に至るほど国民の不満が溜まるのも致し方無いとも言える。
その世界線でのマリアンナは国王である夫に庭の畑や孤児院の畑を見せてその有意性を訴えた。
国王はマリアンナの提案に理解を示し、議会で飢饉対策として各領地へ馬鈴薯の栽培の推奨を提言したが、やはり小麦至上主義の貴族たちの拒否感は強く、またフリード王のように王命を出し強権で推し進めるほどの強さもオーギュストにもなく、掛け声倒れとなってしまった。
そして議会の貴族たちは、離宮に引きこもるばかりで社交の場にも出てこないくせに口だけ介入した我が儘王妃だとマリアンナを強く批判し牽制、マリアンナの発言を捏造されて流布され、自身の立場をより悪くしただけだった。
「パンがないなら、ケーキを食べれば良いじゃない」
マリアンナの発言として、アレス王国の社交界で広められた不名誉なフレーズは国民の憎悪を生んだのだが、実際にマリアンナが言ったのは、
「小麦がダメなら馬鈴薯を植えたらいいじゃない」
であった。
小麦が病気で穫れないならば、別の作物を植えて、国民を飢えから救わねばならない。
そう訴えたマリアンナの言葉は、アレス王国の国民には届かなかったのである。
さて、2度目の世界でもマリアンナは早々に後宮の土地を耕して馬鈴薯を植えた。
兄皇帝の義父となったフリード王が、ちょくちょくと帝国の王宮に滞在するようになったからだ。
馬鈴薯王から直々に、馬鈴薯の有用性の講義を聞き、またある時はリンネ王国で指折りな農業学者もわざわざ連れてきてくれて、マリアンナに農学の学ぶ機会を与えてくれたのだった。
そうして王宮の奥に、一度目の世界での離宮の趣をなぞるように、小さな農村風な邸を設けてマリアンナはそこに入り浸るようになっていった。
長姉エリザヴェータを尊敬し、姉と同じことを学ぶことを至上命題としていたカロリーナが、知識を求めてリンネ王国のフリード王のサロンへとデビュタントを終えた翌日に旅立ってしまった。
これには一悶着あって、フリード王は薄々、二人の王女のどちらかが神託を受ける姫巫女であろうと思っている節があった。そんな中、カロリーナのデビュタントの祝いにわざわざフリード王が王宮へとやって来て、カロリーナにリンネ王国のサロンへと誘いをかけたのだ。
「皇帝陛下、わしの責任に於てカロリーナ王女の安全を誓おう。そうして帝国へ知識の還元となるよう多くの学びの場を与えよう。カロリーナ王女殿下、いや、従姉妹姪なのだから、カロリーナと名呼びをしよう。わしのことも大叔父と頼ってくれて構わぬ。貴女に最高の学びを与えよう」
大陸一の賢王と呼ばれるフリード王に、推しに公式の場でこうまで言われたカロリーナは、即答寧ろ被せ気味で「お願いします!!!」と返事をし、隣で珍しく苦虫を噛み潰したように顔を歪めた兄皇帝が、しぶしぶ、しぶしぶ、なんとも微妙な許可のような返事をした。
「カロリーナ、大陸一の賢王のサロンへなど嫁ぎ先を探しに行くと思われるが、それでも良いなら好きにしろ」
後ろに控えていた兄皇帝の側近たち、護衛騎士たちには、無言の『行けるものなら行ってみろ(決して行かせない)』という圧力を感じ涙目で震えていたのだが。
禍々しいオーラを纏いフリード王を睨み付けあからさまに皇帝が不機嫌になってしまったので、華やかなデビュタントの席が一転お通夜のようになってしまい、その年のデビュタントの子らには可哀想なことだと、自室の部屋に戻ってきて当事者のカロリーナがマリアンナにため息混じりに囁いたのだった。
まあ、そんな訳で、カロリーナも居なくなり、後宮の奥、王女の建物はマリアンナだけになってしまった。
マリアンナは同室一緒に過ごした姉王女の旅立ちを涙を堪えて見送ったのである。
すっかり気落ちして寂しげなマリアンナを慰めるべく、兄皇帝はマリアンナが望むような農村を造り贈ってくれたのだった。
ところが、そこにまたフリード王がちょくちょくと訪ねて来ては、マリアンナの興味を引くので、カールヨハンはとても面白くない思いをすることになるのだが、それはまた別のお話。
「叔父様、馬鈴薯って塩ゆでして食べるばかりじゃなくて、油で揚げてお塩を振るととても美味ですのよ。すぐにご用意しますから、邸で召し上がってみてくださる?」
マリアンナが手に持った馬鈴薯を見せながらフリード王に気安く話しかけた。
「それは素敵なお誘いだね、マリアンナ。ぜひにご相伴に預かろう。しかし、収穫直ぐの芋より、少し寝かした方がより美味しいのだけどね」
フリード王も慣れた様子で答えた。
「ええ、早生の実の収穫はもうとっくに終えましてね、以前教えていただいたように暗所で寝かしてありますからそちらを召し上がって頂きたいですわ」
マリアンナはそう言うと、フリード王にエスコートされながら邸へと向かうのだった。