第14話 アレス王国の王子様
濃い黄金色の髪に紺碧の瞳、色白なつるりとした肌の少しぽっちゃりした少年は、後のアレス王国王クローヴィス6世となるオーギュストだった。
「あ、」
マリアンナはここで邂逅するとは全く少しも思っていなかった、元夫からの挨拶に、喉が詰まって言葉が出て来ない。
「初めまして、わたくしは第三王女カロリーナ、そして隣が妹の第四王女マリアンナです。今日はお出掛けくださいましてありがとう。楽しんで下さいまし」
横からカロリーナが鷹揚な仕草で返事を返してくれた。
「お招き頂いて光栄です。今、神童との連弾を聞かせて頂いて、とても感動致しました。その為無礼を承知でお声をかけさせて頂いた次第です。とても素晴らしい演奏でした」
オーギュストは目をキラキラと輝かせて、そう感想を述べた。
(こんな屈託の無い人だったかしら?)
マリアンナは記憶の中の幼い夫の姿を思い出す。
(いや、初めて会った彼はどんよりとした雰囲気で目も合わさず。言葉は吃りがちでわたくしのピアノなぞ聞いたことも無かったわ)
1度目の世界で嫁いだ先に居た夫は、11才で今より幾分体も大きかったし顔はシュッとしていた。
しかしその雰囲気は暗くどんよりとしていて、目に力も輝きも無く、マリアンナを一方的に拒絶していた。家族として関わるようになったのは婚姻後10年も経ってからである。
正直、会いたい人物では無かった。
マリアンナとしては、アレス王国との関わりが、断頭台への道のりであると思っていた。
そんな思いとは裏腹に、不意打ちで会ってしまった幼い夫、マリアンナは激しい動悸に見舞われていた。
しかし、そこは王女としての矜持もある。
激しい胸中を知られぬように、淑女の仮面を被った。
「お褒め下さって光栄ですわ。連弾相手があの神童ですから、特別上手に聞こえたのだと思いますわ。まだまだ会を楽しんで行って下さいまし」
そう答えると、ちょんとスカートを摘まんで略式の礼をし、カロリーナへ視線を向けた。
「では、これで」
カロリーナがその視線を正しく受け取ってくれて、オーギュストから無事に立ち去ることが出来た。
「は、は、は、はぁあ。お、驚いたわ。まだ心臓がドキドキいってる」
マリアンナは過呼吸ぎみに息を吐くと、胸を手で押さえて小声でそう呟いた。
その様子を見て、カロリーナがマリアンナの手を握る。
「大丈夫よ、マリアンナ。落ち着いて。動悸が治まるまで奥で休んでなさいな。マリアンナを奥へ」
カロリーナが後ろに侍る侍女に指示を出すと、マリアンナはお茶会の席から奥の休憩所へと誘われた。
王宮の庭園でのお茶会会場とは別に、幕が張られた救護や荷物の一時置き場とされる場所があり、その一番奥外から見えないように配置された席は、マリアンナとカロリーナが休憩を取れる場所とされていた。
幕の内側に、ゆったりと休めるソファが置かれており、そこにマリアンナは倒れ込むように座り込んだ。
(はあー、驚いた。今日会うなんて思ってもなかったわ。でもそうよね、帝国とリンネ王国の継承戦争が終結したのだから、リンネ王国側に加勢するという理由のアレス王国との戦争は回避されたのね。寧ろ、隣接する公爵領主がエリザヴェータ姉様の王配になるのだもの、友好関係を築くべく婚姻式にやって来るわよね)
侍女の淹れてくれたお茶を飲みながらぼんやりと思考を巡らす。
暫くそうしていると、
「気分が優れないのかい、マリアンナ」
そう声がかけられ、掛けられていた何枚もの布を抜って、父フランツが幕内へとやって来た。
「まあ、お父様。どうなさったの?」
マリアンナはソファに沈んでいた姿勢を正して、父を見た。
「いや、幼い王女が主催するお茶会の様子を観に来たのだけれど、カロリーナから君が調子を崩して幕内で休んでいると聞いてね。心配で見に来たのさ」
そう言いながら、マリアンナのソファの横に腰掛けると頭を撫でた。
「先ほどのヨハンネスとの連弾も素晴らしかったよ。多くの子女達が歓声を上げていた。君はまだこんな多くの人にこんなに近くで囲まれることは稀だから、人混みに酔ってしまったのかな?」
そう言って、マリアンナと同じ色の瞳で顔を覗き込んできた。
マリアンナはこの優しい父フランツを決して嫌いでは無い。母の女帝マリアに比べたら段違いに好きに傾く。父親としてのフランツはどの子にも平等に愛情を与えてくれ、気遣ってくれる良き父であると思っている。
ただ残念なことに、父フランツには人を見る目が欠けていた。
父の人事は致命的に仕事の出来ない口だけな腰巾着が周りに侍っていた。
しかし、それも兄の御代になると発表されるや否や虫の子を散らすように居なくなった。
「少し休んだので、もう平気です」
頭を優しく撫でる父の大きな手の感触に、マリアンナは目を細めてそう答えると、
「もう少しゆっくりしていなさい。1度目の世界の元凶に会ってしまったのだ、それは気分も悪くなるさ」
父フランツは哀憐の目を向けて言った。
「えっ、」
マリアンナは目を見開いて父フランツを凝視した。
「君が3つの時から悪夢で苦しんでいるということはカールから聞いている。悪夢のような未来へしないために、私も少なからず尽力してきたのだよ。私の娘達が非業の死を遂げる未来など到底受け入れられないからね」
父フランツはそう言うと、パチンとウインクをした。
「まあ、では。だからエリザヴェータ姉様の時もお母様にああ言って。カール兄様の即位と共にお母様の退位もお父様が?それともお母様も知っているの?」
マリアンナは小首を傾げて父の顔を見上げた。
「マリアとオフィは知らないんだ。カールが男同士の話だと言うのでね。私はどんな小さな約束も守るのだよ。だから君とカロリーナが恐ろしい目に遇うような真似はさせないと誓うよ。君たちの未来は私が護るから安心しなさい。もう暫くここに居るといい、私はカロリーナの様子を見てくるよ」
そう告げると、もう一度頭を撫でて、幕から出ていったのだった。
その晩、後宮の奥宮の自室でカロリーナと向き合っていた。
「リーナ姉様、お父様のこと知っていたの?」
「ええ、勿論よ。だって、わたくしのデビュタントの前年にお父様が亡くなるってマリーが言ったんじゃない」
カロリーナは然も当然という顔で答えた。
「ええ、確かに。帝都の街中で暴漢に刺されてしまうの。あら、それって確かお兄様の即位の時」
マリアンナが惚けた声を上げた。
「そうよ、貴女そう言ってたわ。それで半狂乱になったお母様が誰の助言も受け付けなくなって行くのでしょ?お兄様が即位されても、喪服を着たまま共同統治を掲げていたとか。わたくし達の婚姻も独りで決めて。それって、お父様が亡くなって枷が外れてしまったのでしょ?お父様には長く生きて居て貰わないとならないじゃない。だから、お兄様が早い段階でお話しになったのよ。それより、」
カロリーナがオーギュストに会ってどう思ったかとワクワクした顔で問いかけてきた。
「まあ、リーナ姉様悪趣味ね。わたくし、心臓が壊れるのかと思うほど、ドキドキしたわ」
マリアンナが眉間にシワを寄せて言う。
「それって、恋に落ちてもするらしいわよ」
カロリーナが悪戯な目を向けてそう言う。
「もう、全くそんな感じでは無かったわよ。リーナ姉様だって北ウエス国王に会ったら解るわよ」
マリアンナが口を尖らせて、そう言った。
「あら、会ったわよ」
「え?いつ」
「貴女が幕内で休んでいる時よ。ご自分の孫を連れて参加されていたようで、ご挨拶したわ。『こいつが色ボケ折檻野郎か』って思ったわ。普通にご挨拶したけれど、お父様がササッと疾風のようにやって来て牽制してくれたわ。ふふ、向こうはなぜ牽制されるのか訳がわからなかったでしょうね。お父様ったら、『孫の居る貴殿がうちの娘を娶るなど不埒な考えは持たないように』なんて唐突に言うのだもの、周りの人もギョッとしていたわ。国王は『私には幼女趣味はありません』って苦虫を噛み潰したような顔をして答えていたわ」
カロリーナはふふふと可笑しそうに笑った。
「ええ、その場で見たかったわ」
マリアンナが残念そうに呟くと、
「居なくて良かったわよ。お父様ったら、オーギュスト王子に『君には私の末娘王女が悪役王女に見えるかい?』なんて聞くのだもの、ビックリして思わず言葉が出なかったわ」
「え?」
マリアンナも言葉を失った。
「オーギュスト王子は『王女殿下は私には音楽の妖精のように見えました』なんて答えていたけれども、ね」
カロリーナは声をあげてアハハと笑っていたが、マリアンナはどういう顔をしたらいいかわからず、真っ赤に染まった顔にしかめっ面を浮かべ、口をへの字に結んだ。
どうやら、2度目の世界のアレス王国王子は、随分朗らかな性格らしいと、マリアンナは思うのだった。