人々が言う『奇跡』は紐解けば必ず合理的に紐解ける。ただし、『魔法』以外は。
月明かりもない夜の闇の中で、少女は目を慣らしながら顔を上げた。
街灯の細い光が彼女を照らし出す。
真っ白なワンピースに、雲ひとつない青空を描いたような美しい瞳がよく映える。
その眼を持ってこちらを一瞥すると、少女は一言、
「あなた…名前、トモキ?」
ミーティアと呼ばれた少女は問いかける。とっさの出来事だったのでトモキは慌てて、
「あ…ああ!そうだ、そう。」
ミーティアは理解したのか、コクリとうなずいた。
そして、トモキの全身をさっと見ると、
「到底…周りの人間とは違うみたい…」
ばれている。トモキがここにいてはいけない人間だということがバレている。
当然、トモキにはTPOというものを意識できるほどの余裕はないし、あったとしてもスーツなどは持っていない。
仮面舞踏会に仮面をつけず参加し、飲みゲーを一人でする程度にはわかりやすくトモキは貧乏だった。
「いやぁ…ハハハ。なんというか、お恥ずかしい。俺みたいなのがここにいる理由は、俺の横にいるこの、大地くんのせいなんだ。新世界とか言う一部のリッチな人たちが集まるリゾート地に連れてってくれるなんて、甘い話に乗った俺も悪いんだけど。」
肘で小突いてくる大地には、『ホントのことだ!』と眼力でもって訴える。
「違う…私が言いたいのは…」
ミーティアがなにか話そうとした途端、地面が轟音を持ってうなり始めた。
あまりの揺れに周りの参加者は何かに捕まってなんとか立つか、四つん這いになる他ない中で、車にしがみついて立っていた大地が目を見開く。
「おぃッ…!あれ…!」
海の方を向いて眼をガン開きしている大地。
海面の方を背にしていたトモキは、あまりの揺れで振り返ることもできないので何事かと、
「おい!大地、どうなってやがる!最近流行りのダブルミーニングだぞ!これ!」
「下らねぇこと言ってんじゃねぇぇぇ…モーセだよ!モーセ!」
もうせ?もーせ?頭の中での変換が追いつかない。
こうなっては自分の眼で見るしかない。揺れが収まってきたタイミングで倒れていた体をひねり、海を見る。
…ここは現実か?
大地が言っていたのはモーセだ。映像と脳の変換機能が追いついた。
そこに広がっていたのは真っ二つになった海―――ではなく、あくまで海面はそのままで、海の中身だけが斜面になって遥か底の方まで続いているのだ。
ざぁ…ざぁ…ざぁ…
波打ち際の音もどこか小さいように感じられる。
本当に細かいミストのような潮水が風に運ばれてトモキの鼻を小突いた。
「なんだこりゃぁ…」
モブAのような発言しかできないトモキであったが、斎藤はその屈強な体幹を持って揺れに耐えていたのか、
「おぉ…ついに、ついに私もここまで来たのか!」
そう言い残した斎藤。
トモキや大地、さらに娘であるミーティアまで残していち早く興奮して海の方へと歩き出していった。
ミーティアは腰が抜けているのか、まだ立ち上がることもできずに、小刻みに震えている。
「ほら。立って。大丈夫?」
差し出された手を大人しく掴んで立ち上がるミーティア。
「全く…酷い父親だな。娘をほったらかして、自分はどっか行っちまうなんて。」
「違う…お父さんはそういうのじゃ…ない。」
ワンピースについた砂を払い、ミーティアは斎藤の後を追っていった。
それを見届けると、今度は大地が、
「ま、色々な家族の形もあるもんだ。俺たちには縁のない話だけどな。」
二人して家族の形どころか、親の顔も知らない。ので、これ以上の詮索はよそう。
大地は無言ながら、目でもってトモキにそう伝えた。
「さて、俺たちも行くか。新世界。」
斜面の入り口をよく見ると、人だかりができていることに気がつく。
それは先程までいたスター達や官僚ではなく、どうやら海の方からやってきた人間、つまり『新世界』側の住民ということだ。
「各ペアに一人づつ、新世界側の人間がついてくれるみたいだな。」
大地の予想は当たっており、程なくして、顔を含めた全身を甲冑に包んだ人物がこちらにやってきた。
「はじめまして。私は『新世界』への案内人でございます。お名前を伺っても?」
相手の声はどこか機械的で、篭っている声から性別すら判別がつかない。
「俺の名前は大地、井上大地だ。」
「大地様ですね。お待ちしておりました。あっ!そうだ、『新世界』へ一緒に行かれるペアのお名前も一緒に聞かせていただいても?」
一人でも、三人でもなく、二人。二人でしか『新世界』へ行くことはできない。
最初に大地が話してくれたことだ。
「こいつ?こいつはトモキだ。神崎友樹。」
神崎友樹。俺の本名だ。
あまり名字で呼ばれるのは好きじゃない。『家族』というものへの帰属意識が希薄だからだ。
「はい。ありがとうございます。それではこちらへどうぞ。」
甲冑を着た案内人に促されるまま、大きな深淵がこちらを覗き込む海の縁へと歩を進める。
よくよく見てみると、他の案内人も全員甲冑に身を包んでおり、全員が暑苦しそうな装甲を頭から爪先までピッタリと着込んでいるではないか。
(大した世界観づくりだなぁ)
「では、ここでお待ち下さい。」
案内人が止めた場所は、本来なら海面まで数メートルほどある海底だった。
「――――――――ぁ。」
しかし、今ではその場所は四囲を海に囲まれている『新世界』の入り口に豹変していた。
近くに立ってわかる。これは超常現象だ。科学や物理などでは到底説明の付かない奇跡だ、と。
それが、トモキ、そして大地が初めて『魔法』というものに出会った瞬間だった。