必要な5パーセントの天才、不必要な95パーセントの凡人
それはトモキにとって初めてのヘリコプターであったが、大緊張していたトモキは何がなんだかよく覚えていなかった。
いつもは見上げることしかできなかった東京の摩天楼が遥か下に見えた時点で、空いた口が塞がらなかったことだけは鮮明に覚えている。
どこかに着地し、ヘリのドアを開けた途端に、潮の香りが鼻にツンと入り込んでくる。
踏みしめた地面の感触は、サラサラとした砂。詳しい場所は不明だが、砂浜であることに間違いはなかった。
大地はヘリコプターの運転手に別れを告げると、あたりに誰もいないことに気がついてつぶやく。
「あれ?座標はあってるはずなんだけど…早く付きすぎたか?」
夜の八時を過ぎたあたりの海はとても静かで、太陽の光を反射しない海面は底の見えない深さを醸し出していた。
「なあ、本当に今日じゃないといけなかったのか?そういえば俺、明後日に日雇いバイト控えてる上に、結局洗濯物干せてないんだよ…」
トモキの言動にため息一つ、大地は、
「洗濯物は忘れろ!明後日の予定も、忘れろ。『新世界』からの迎えは新月の日にしか来ない。ほら、他の参加者もそろそろやってくるんじゃないか?」
数十メートル先の道路を顎で指す大地。見てみると、高そうな車がこちらに向かってやってくるではないか。
三台ほどがこちらにやってきて停車し、ぞろぞろと中から人が降りてくる。
「おい…あれって…」
トモキと大地の視線の先。下車してきたのは、誰もが知っているような芸能人、大物社長、スポーツ選手など各界の大物達だった。
薄暗い街灯がスポットライトに見えてしまうほどのスターたちが勢ぞろいしている様に驚きを隠せない。
「だから言っただろ。各国のごく一部が集うリゾート地。それが新世界だ…っと。今回の一番の大物がやってきたぞ?」
同じ方向からやってきたのは、砂浜に隣接する汚らしい道路に決して合わない大型のリムジンだった。
執事のような人間が出てきて、後部座席の扉を開ける。
「あの人って、夕方のニュースで出てた…」
そう。家から引っ張り出されるまえ、ニュースで取り上げられていた、
「ああ。先月就任した内閣総理大臣。日本のトップだな。」
なんてこった。業界を彩る芸能人、スポーツ選手に総理大臣まで。トモキの隣に居る大地だって総資産が数千億円とネットニュースで見た。
少なくとも、総資産数万円、ついでにただの一般人であるトモキがここにいると、周りの覇気に泡を吹いて倒れてしまいそうになる。
そんなトモキの不安など気にもかけない様子で、大地は有名人たちが集まっているスペースへと歩き出した。
大地はトモキがテレビで見たことのある人間を横目に、大柄で筋肉質、スーツをビシッと決めた人物のもとで立ち止まった。
2・3の会話を交わし、大地がトモキを呼ぶジェスチャーを見せる。
(まじかよ…)
正直、嫌だ。
話すのは嫌いではないが、それは知っている人間に限る。
見知らぬ人間と話すことに関しては、他人の地雷を踏み抜かないように地雷原を歩くことがトモキにとってとてもつかれるのだ。
「トモキ!紹介するよ。この人は斉藤さんだ。俺に株を教えてくれた恩師だよ。」
斉藤さんと紹介された人間は、一礼するでも、握手を交わすでもなくトモキをただ一瞥して、
「君がトモキくんか。話は聞いているよ。なんでも、日雇いで生計を立てているそうじゃないか。」
大地め、どこまで喋ってやがる。
ちらりと大地の方を見ると、わざとらしく目をそらして海の方を見た。
「ええ…どうですけど、なにか。」
明らかに敵意を持った視線に、斎藤は、
「ああ!別にバカにしているわけじゃないんだ。今日は私の娘に君を会わせようと思ってね。というのも、私の娘も会社をやりたいんだが、優秀な右腕を欲しているところでね。大地くんが君を会わせてはどうか、と。」
ここぞ、とばかりに大地が横から口をねじ込む。
「そう!そうなんだよ!お前は自分じゃ気づいていないかもしれんが、結構優秀だ。斎藤さんの娘さんの会社に雇ってもらえれば、今よりも良い暮らしができるぞ!」
大声で言ってから大地はトモキを近くに引き寄せ、小声で、
「新世界の招待権を得ることができたのも、全部斉藤さんのおかげなんだ…お前を娘さんに合わすって条件でな。でも嘘は言ってないぜ?お前は自分が思ってるより優秀だ。一足先に成功した俺が太鼓判を押してやる。」
(結局、俺は売られたってわけか…)
大地は俺のことを優秀というが、成績は中の下、日雇いでなんとか生計を立てている人間を世間一般では優秀とは言わないだろう。
心のなかにモヤがかかっていたが、ここまで来て会わないというわけにもいかない。
「で、娘さんはどこなんです?」
「そう急かすもんじゃない。おい!ミーティア!」
斎藤が後ろの高級車に向かって言い放つ。
…ミーティア?純ジャパじゃないのか?
「…まあ、幻滅せんでやってくれ。ちょっとクセのある娘なんだ。」
ポン、と斎藤に肩を叩かれる。
斎藤から視線を離し、車に目を向けると、件の娘が下車してきているところであった。
足元に気をとらわれていたのか、下をうつむいて出てきた少女は表情こそ伺えないが、小麦色の艷やかな髪を潮風になびかせていた。
その瞬間は、トモキにとって何故かとても印象深く心に刻まれたのだった。