世界は止まるが僕は動く
不思議な体験をしたのは、そう昨日のことだった。
彼女と行った遊園地、最後に定番の観覧車に乗った時だった。僕は「このまま時が止まらないかな」と思った。そう思った次の瞬間、彼女の動きが止まった。呼吸をしていなかった。僕は何が起きているのか理解ができなかったが、違和感があった。彼女は同じ体勢で固定されているようなのだ。なんとなく変な感覚を覚えたので周囲を見回すと観覧車が止まっていた。それだけではない。世界が止まっていたのだ、この僕自身を除いて。スマホを触ってみたが、つけていた画面のまま操作はできない。なるほど、僕がこの世界でできることは物の場所を動かすことだけらしい。これが時間が止まるということかと知った。時よ動き出せと僕が念じると、彼女は動き出した。
それから僕は何ができて何ができないのかを試した。
僕が止められる時間に制限はどうやらなかった。だが、僕自身に飽きという限界が来る。というのもどうやら止まった時間の中で僕が動かせるものは僕が直接的に関与できるものだけらしいのだ。例えば水や空気は摂取できた。跳ねた水滴を手に取ってみて確認したし、呼吸ができているからそうなのだろう。だが電子機器は扱えなかった。内部の電子の動きは僕が直接関与できない。なので止めた時間の中で僕が出来る娯楽はそれほど多くはなかった。
僕はバイトの翌日やバイトの前にこの能力を使った。休養していたのだ。眠ることによって。使った時間がわからないから何時間寝ていたかは分からないが十分に休養を取れたと思うまで休んでいた。
止めた時間の中での過ごし方を考えた。僕は本を読むことにした。ずっと積読していた本を読んだ。本を読むのは楽しかった。家の本を読み尽くしてしまうと図書館に行くようになった。毎度閉館ギリギリに行って興味の赴くままに様々な本を読んだ。
そうした日々を1年ほど過ごすとある変化に気づいた。僕自身は至って健康なのだが、なんとなく老けた気がする。高校の同期と久しぶりに会ったとき「何か苦労でもあるのか?」と直球で聞かれた。僕は自分の能力に満足していたし、悩みなどもなかったから「どうしてそう思った?」と聞き返すと「失礼を承知で言うが、うーん、お前1年会ってないくらいなのに少し老けたように見えてな。何か勉強が忙しいとかバイトが忙しいとか悩みでもあるんじゃないかと思ったんだが。大丈夫そうなら良かった」と言われた。
家に帰って気になったので鏡と1年前の自分の写真を見比べた。なるほど確かに老けこんでいる。今まで止めた時間の中で自分が何時間過ごしてきたかなんて考えたことがなかった。一体何時間使ったんだろう。読んだ本の数を数えてみることにした。すると覚えてるだけで1000冊はくだらなかった。そしてこのとき、ようやく僕はこの能力の恐ろしさに気付かされた。これは現代版竜宮城なのだ。僕以外の生物的時間は進んでいない中僕の生物的時間は進む。使えば使うほど同年代より老化が進むわけだ。
だがこの能力のおかげで寝て休むことがかなりやりやすくなったから、僕はどうしても寝坊できないが休みたいという時に寝るためだけにこの能力を使うようになった。可能な限り使う回数も減らした。
そうして30年が経った。僕は52歳を迎えた。感覚的にだが、僕は周囲より10歳ほど歳をとっているような見た目だ。