C h a p t e r 1 - (1)
音、というには捉えようのないが、音波とすればしっくりとおさまる。そんな耳の奥深くをヤスリでこすり上げている耳障りなノイズを生み出す目覚まし時計のスイッチへと手を伸ばす。
3、4度ほど空振り、サイドテーブルのうえに積み重ねていたままの高濃度アルコール飲料───製造手法的にはウイスキー、あるいは蒸留酒としてカテゴライズされるものであるが、あいにくとここにあるのはそれのパチモンで、それっぽい色とこれでもかと散々に燻した匂いを擦りつけた安酒の、その空瓶をはたき落とした末にようやくアタリを見つけることができた。
午前の6時を示す時計を、重いまぶたをこじ開けるように目をを擦りながら数度ほど見つめるも、何度繰り返しても時間が変わることはない。吐き出したため息のなかに混じるアルコール臭が鼻についた。
昨晩夜更けまで飲み明かし、挙句の果てにはあちこちに注ぎ損ねた酒を床やら壁やらにぶちまけたというのに、アルコールの残り香の欠片ひとつない。さっぱりとした大気が天井の四隅に埋め込まれた換気扇を通じて送り込まれて洗い流してくれたお陰で、せっかくの朝が台無しである。かぎたくもない鼻の奥を突き刺すような消毒薬のぎすぎすとした匂いに顔をしかめる。
180cmに届きかけている身長を悠々と受け止めるベッドと、ベッド横と壁のわずかな隙間に押し込まれた申し話程度の天板しかないサイドテーブル。それから玄関までの通路に押し込まれたシャワールームとトイレ、その向かい側の壁からのびる衣類掛けのレール。
最低限の生活設備だけはタダで工面してくれているのはコロニー・ギドの数少ない良いところであるとレイは胸を張って言える。少なくとも、ほかのコロニーがどうかは知らないが、自分のいるところからひとつ下の階層じゃあ何もないがらんどうの部屋ひとつぽんと渡されるだけなのだ。部屋というよりも独房か───いや、むしろベッドが最初からある分そっちのほうがマシかもしれない。
レールにはうっすらとホコリが積もり始めたパイロットスーツ用のジャケットが無造作にかけられていて、袖に腕を通したのはいつが最後であったのかレイは覚えてすらいない。
まだアルコールの残滓が頭の回路をちかちかと明滅させていて、ほんのわずかに視界の端々がゆらゆらと蜃気楼のように揺れ動く。物心ついたときからアルコールへの耐性がそれなりにあったレイにとって、どうやら先日買い込んだ酒は大当たりの部類だったようだ。
酔ったうちにも入らない、意識していなければ気づくことはないであろうわずかな思考の浮遊感に、レイは気分を良くする。そこらのブルー・マーケットで売られているのよりも1.5倍ほどクレジットの値が張ったが、たしかにそれだけの価値はあったようで、にんまりと口を歪めながらサイドテーブルから払いのけた空瓶を拾い上げる。たしか空瓶を渡せばその分の瓶代は値段から引いてもらえたはずだ。
また給料が振り込まれたときにでも注ぎ足してもらいにいこう。
のそのそとベッドのフチから身体を起こしながら凝り固まった背中の関節を伸ばしていく。こきこきと身体中の関節の凝りをほぐし伸ばしながら肩につもっていたジャケットのホコリを払い落とす。
仕事道具は全部ひっくるめて企業サマが用意してくれているのだから、実質的な身支度はこれひとつあれば十分である。慣れた手つきでパイロットスーツに腕を通しながら、今日の仕事場所を思い出す。
火星のすぐ真横に位置する資源衛星E-302。ターミナルの点呼まであと三〇分だった。