先生、いつか話を聞いてくれますか?
手紙が届いた。
過去の自分からの手紙。
馬鹿みたいに明るかった。
暗いことも書いていたが、全体的に希望に満ちていた。
将来の自分についても明るく書かれていた。
今の自分とは大違いで笑ってしまった。思い描いた通りにはならなかった。なれなかった。
ひとしきり笑ったあとで、思いついた。
手紙を送ろう。
思い立ったが吉日、手紙を書くことにした。
まず、便箋だ。便箋便箋、ぶつぶつ唱えながら探す。確か、物置部屋に色んな種類のがあったはずだ。当たりをつけた段ボールをひっくり返すと出てきた。まだまだ記憶力は生きているらしい。
よくわからない外国語が書かれた便箋に、季節の花が描かれている雅な便箋。子供が使うようなキャラクター物のものや、真っ白のものもあった。一筆箋なんかもあって、昔の私はよく集めたものである。こうして使わずに仕舞いこむだけなのに。
そんな便箋の山から、良さげな花柄のものを選んだ。青い花をあしらったシンプルなもの。青い花が何なのかは私にはわからなかった。私はわからないことだらけだ。
よし、書こう。
***
それはとある日、一通の手紙がロッカーに入っていたことから始まる。
その手紙は宛先も差出人の名前も、何も書かれていなかった。
「あ? なんだ、これ」
見た感じは普通の封筒である。コンビニにも文房具屋にも、どこにでもある茶封筒。長形三号というよく使われるサイズのもの。中にはコピー用紙が三つ折りにされて入っていた。パソコンで打ち出したものらしい。文面はたった一文だけだった。
先生、人はなぜ争うのでしょうか。
「なんだこれ」
変ないたずらをされてしまったらしい。確かに、俺は一応「先生」と呼ばれる立場にいる。塾で働いていて、生徒を受け持っている。その生徒の誰かがしたのだろうか。しかし、こんないたずらをするような心当たりが全くない。
あいつらは良くも悪くも、教師というものに無関心だ。授業をして、点数をつければ、教師の役割は終わり。ここの生徒は元から頭が良く、ある程度自分というものをわかっている。教師に求めることは勉学以外に無いのだ。
大きく溜息を吐いた。面倒ごとは勘弁してほしい。ここの生徒はあまり手がかからなくて楽だったのに。一介の塾講師にこんなこと求めないでほしい。
適当に封筒を自分の机に放り出して、仕事を始める。授業に間に合わないと大変だ。仕事をこなさなければ給料は出ない。
キーボードを打って必要な資料を作り上げていくが、さっきの手紙が頭から離れない。なぜ争うのかなんてとんでもない質問である。そんなこと言われても考えたことがない。ここの生徒や教師も考えたことはないだろう。みんな目の前のことに精一杯で、他のことに割く余裕がない。
「なぜ争うのか……死ぬから?」
生きるために戦うというのが想像しやすい理由だ。ただ、最低限の生活が保障されても争う人は争うので、何か他にも理由はあるのだろう。より良い生活のため、誰かのため、つまりは欲のために争う。欲を満たさないと人間は死んでしまうのだ、なんて暴論過ぎて馬鹿らしい。
「……仕事しよう」
争いよりも目の前の仕事が重要だ。
教材を集めて、資料をコピーしていると、他の教師が出勤してきた。挨拶をして、仕事の話をして、適当な世間話で笑い合う。円滑な人間関係を築くことは大事だ。心の底では何を思っていても、表面は仲良くしているのが一番面倒が少ない。お互いわかっていることだ。
時間になって授業に行って、戻ってきたときには手紙は消えていた。
***
紙をぐじゃぐじゃに丸めて、ごみ箱に投げ入れる。もうごみ箱は一杯だ。中身は全て書きかけの便箋。
手紙が全く書けない。驚くほど書けない。
言葉がまとまらないのだ。言いたいことがとっちらかってしまって、意味がわからない文面になる。
書き直すたびに便箋は汚くなってしまって、新しい便箋を引っ張り出すこと数回。
便箋は無くなってしまった。あんなにあったのに、もう一枚も無い。
こんなにも自分が手紙を書けないとは思わなかった。
***
あれから手紙はほぼ毎日ロッカーに突っ込まれるようになった。
A4サイズの紙に一文だけの手紙は資源の無駄使いとしか思えない。全部まとめて一枚にすればいいのに、それをしないのは嫌がらせが目的だからだろうか。
手紙は出勤するとロッカーに入っていて、授業が終わって戻ってくると無くなっている。最初は書類の山に埋もれたと思っていたが、誰かが持ち去っているようだ。
「今日も入ってるのか」
溜息を吐きながら中を見ると、また一文だけの手紙が入っていた。
先生、大人は何ですか
「何でも理解した気になってる奴。今は俺もそんなやつになっちまったよ」
ぼやきながら手紙を机に放り投げる。
未就学児の頃や思春期の頃が懐かしい。あの頃は『今』を生きていた。生きることをしっかりとしていたように思う。今は、何というか適当だ。
明日も目がさめることを億劫に感じている。色んなことに対して興味を失っている。まだまだ知らないことがこの世にあるだろうに、退屈していて無気力だ。
こんな奴になってしまった。
「……これを書いてる奴は、そうじゃないのか」
毎日毎日質問してくる相手にようやく興味を持った。
***
手書きはやめた。
最初からそうすればよかった。変に凝る必要は全くなかったのに、そうしたかったのはどうしてだろう。
昔、便箋を集めた頃の名残だろうか。手書きの手紙に理想を抱いていたのだろうか。
もう昔過ぎてよくわからない。未来の自分宛に手紙を出すほどなのだから、強い思いだっただろうに空しいものだ。
昔の私には申し訳ないが、今の私はもう手書きは無理だ。そもそも手紙の文面が書けない。
なので、妥協することにした。割り切ってしまえば、手紙はあっという間にできてしまった。
理想というものは実現するものではないと、改めて学んだ。
さて、この手紙をどうやって送ろう。
ロッカーに入れておけばいいか。
***
手紙はまだ続いていた。最初の手紙から大体一ヶ月ほど経ったが、飽きもせずロッカーに突っ込まれている。
文面は変わらず、一文のみ。質問するばかりで、こちらの解答を求めているのかどうかもわからない。謎の手紙。
それでも、わかったこともある。
先生、赤ん坊はなぜ笑うのでしょうか
「庇護を受けるためだな」
先生、人はなぜ恋をするのでしょうか
「寂しいからとかだろ。恋する理由なんて自分勝手なもんだ」
先生、人はなぜ愛するのでしょうか
「恋の次は愛か……心があるから?」
先生、人はなぜ忘れてしまうのでしょうか
「生きるため。都合の悪いことを忘れてしまえば、生きやすいからな」
先生、人はなぜ生きるのでしょうか
「そういう風になってるからだな。基本的に生きるように設計されてる」
子どものように質問を何度もして、よく飽きないものだ。差出人は、生きていて不思議に思うことが多くあるのだろう。
疑問が尽きないのは何となく羨ましく思える。年齢を重ねてしまうと、答えを適当に出してその先を考えなくなるのだ。正解を求めなくなり、『そういうものだ』と思い込む。
手紙の質問に答えることができる俺のように。
「同じだと思ってたけどなあ」
俺と同じで淡々と生きているのだと思っていた。でもそうではないらしい。
差出人の、あの人は。
***
「ちょっといいですか」
彼に話しかけられた。嬉しいが、あの件ではないのだろうと思うと悲しい。きっと何でもない仕事の話だ。
彼はどういうわけか、あの手紙の話をしない。送り始めてからずっと待っていて、彼が話しかけてくる度に期待していた。しかし、彼はあの手紙を無いものとして扱って、話題にもあげなかった。今回もそうだろうと期待はしないでおく。
「はい、どうかしましたか」
「話をしようと思いまして。あの手紙についてです」
思わず彼の顔を見て固まってしまった。驚いた。彼はその話をしたくないのかと思っていた。
「やっとですか。いつになったら来るのかと思いました」
「……それは貴女が名前を書かないからでしょう」
彼は呆れたように溜息をついた。心外だ。これ以上ないくらいにわかりやすいはずなのに。
「名前がなくとも、あの手紙の差出人は私以外にいないでしょうに。何に時間かけていたのですか」
「確かに、貴女以外いませんけどね……」
当たり前だ。そんな風に馬鹿な子を見るような目で見られるとは思っていなかった。
そもそも教師のロッカーに手紙を入れられて、さらには個人の机の上から持っていけるなんて、教師でないと無理だ。ロッカーと机は、基本的に生徒の立ち入りが禁止されているところにあるのだから。生徒が入ってきていたら気づくはずだ。
そして、塾講師の出勤時間は日によって異なる。ある程度は決まっているが、授業の準備が間に合っていれば授業の十分前でも最低限大丈夫である。また、授業の無い日は来ないこともある。逆に言うと、業務が溜まっていれば朝早く来たり、出勤日以外に仕事をしに来たりすることもある。
彼がどの教師よりも早く来たときも、出勤日でない日に来たときも、あの手紙は必ずロッカーに入れていた。ということは、手紙を入れていた人物は毎日誰よりも早く塾に来ていた人である。
そんな人物は一人だけ。他ではどうか知らないが、この塾において毎朝鍵を開けるのは、塾の一番偉い人がする仕事だ。つまり、私である。
「差出人として当てはまるのは塾長の貴女以外いませんけどね、回りくどいことせずに名前くらい書いてください。貴女がこんなことするなんて、こっちは思っていないんですから」
「そうですか。それは申し訳ないですね?」
これ以上なくわかりやすいと思っていたが、何やら混乱させてしまったらしい。次のときは必ず署名をしよう。
「疑問形で言わないでくださいよ。こんな人だと思わなかったな……で、あの手紙なんですけど」
彼がやけに疲れた顔をしていて正直心配だったが、話が聞きたいので黙って聞く体制に入る。ここで変に口を挟むと、また馬鹿な子を見る目で見られそうだ。
彼は真っ直ぐ私を見た。
「あの手紙の質問に関して、俺は答えがわかりません。いや、適当な答えなら出せますが正解はわかりません。ですから、貴女と話をして答えを探したいと思います」
「私と、ですか」
「はい、答えがわからない者同士で。俺はあの手紙があるまで貴女を自分と同じだと思っていました。何というか、ただ惰性で生きているような人だと」
こんな彼は初めて見た。彼が誰かに対して真っ直ぐ向き合っているのは、これまで見たことがなかった。
彼は距離をとるのが上手かった。人に興味が無いからこそ、誰とでも卒なく親しくなり、自分を保っていた。そんな彼が私に興味を持ってくれたらしい。
「だから、貴女と話がしたいです。そうして貴女を知っていきたい」
照れ臭そうに笑う彼に、私は思わず笑顔を見せていた。
手紙は成功した。思ったようなものは書けなかったが、終わり良ければすべて良し。手紙に凝っていた昔の自分に感謝したい。おかげで私は彼に手紙を送ることを考えて、こうして彼と話せるようになった。
彼と友達になれそうでとても嬉しい。
「で、早速なんですけど、何を思ってあんな手紙を書いたんですか。意味不明過ぎて、最初はいたずらだと思ったんですよ」
「それはすみません。次はもっといい手紙を書きます」
「いや、あの手紙の文面なら普通に聞いてくださいよ。たった一文なんですから紙の無駄です。あと、手紙持ち去ったのも謎過ぎて困ったんですよ。あの手紙が現実のものなのか悩んだりもして、ああ、それから……」
一ヶ月送り続けたあの手紙に、かなり言いたいことが溜まっていたらしい。言っていることは確かにと思うことばかりで、私は割り切り過ぎたらしい。申し訳ない。
手紙の文句を聞きながら、彼と話したいことを色々考えてみた。自分のことを話しても大丈夫だろうか。
彼が言っていたことは事実だ。彼と同じように、私は毎日惰性で生きていた。やりたいことは全てやりきって、何も私に残っていなかった。楽しいことも何もなく、淡々と生活をしていた。
それが変わったのは、彼がこの塾にやって来てから。彼のおかげで、私は変われた。そのせいで変な手紙を送ってしまったのは申し訳ないが、今の自分に満足している。
そんな話を彼にするときが来るだろうか。
「聞いてますか?」
「はいはい、聞いてますよ。どうぞ全部吐き出してください」
来るといいなと子どものように願う。
今日はとりあえず手紙の文句で終わりそうだが、明日もまた話をするのが楽しみだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
この話について少しだけ。
これは私がずっと書きたいと思っている物語の前日譚です。
「私」が過去の自分からどんな手紙を貰ったのか、「私」と「俺」のこの先どうなるのかなど、いつか書けたらと思います。書きたい物語はこの塾が舞台ですので、生徒もいます。
最後に、二人とも名前はちゃんとあります。名前を出さなくてもなんとかなってしまいました。
ここまで読んでいただきありがとうございました!




