あいいろの木 冬麗の日に 後編
昔むかし、魔女の呪いがかかったお姫さまは、王子様の真実の愛の口づけで目を覚ましましたとさ、めでたしめでたし…………。
マーヤが幼い頃に、二人に話してくれた御伽の終わり。
カシオスの木、その樹液は薬になる、自分の瞳の色に近ければ近いほど効く、ただし神から贈られたその木はここの土地にしかない貴重なもの、なので樹皮を傷つける為に採取には、領主の許可がいる。
それは村の決まり事、もう言われてもわかる年になっているアシュリは、どうして藍色の木、どうしてと彼は思う、その木が生きていれば、彼女の病が治るのにと思う。
「このまま眠ったままで死んじゃうのかな………、ねぇリージア、なんかお祭りがあるんだよ、藍色の木が終わったから、それを切り出して…………」
アシュリは、彼女が居なくなるかもしれないと思うと、胸がキリキリと痛む。泣きたくなる、どうしようと思う、そんな事無いよねと悪い考えを首を振り追い出す。明るい声を出して外の話をする。できるだけ楽しい話を探して。
…………、ものすごく特別なお祭りなんだって、みんなその話ばかりだよ、広場で篝火焚くのかな、踊るのかな、新年の祭りみたいに、フリージア聞いてる?
アシュリは話を終えると、上から彼女を見下ろす。長いまつ毛は動かない、静かに胸の上下だけがある、目を覚まさない。不安が彼の中に再び膨れて大きくなる。
青い木じゃ駄目なの?混ぜても?君の色に合わせても?じゃ探すよ。探して来るから、どっかにあるかもしれない、ねぇフリージア、聞こえてる?アシュリの声だけが部屋に流れる。
返る言葉はない、話がまた終わる。アシュリは昨日迄はそれで帰っていたけれど、今日はなぜだか離れたくなかった。
…………じっと彼女を見つめる。王子様じゃなきゃだめかな、だめかな?フリージア、大好きだよ、心が動く、そろりと、彼女の頬を手で包む、ふわりと触れる。
息を止めた、野葡萄の赤色が閉じたアシュリの目に浮かぶ、離れる。目を覚ましてと、息をこらえて彼女の顔を見つめるアシュリ、しかし幸せそうに笑顔を浮かべている寝顔、長いまつ毛、閉じられた瞼は動かない。
「王子様じゃないとだめなのかな」
目が熱くなり、鼻が熱くツンと来る、泣きたくなった。それをぐっと堪えた。
☆☆☆☆
その翌日からアシュリは、彼女に会えなくなった、父親と兄が藍色の木を切り出す作業に、かかりっきりになったから。大木のそれを切り出して材に加工するのは、村中の男達の共同作業、男手が抜ける為、祭りの支度と来る冬支度、動ける者はやるべきことは山とあった。
「あれ?リージアの家に神父様と、明日が祭りだからかな?え?うわ!ご領主様だ、なんだろ?」
森に父親達の昼食を届けるよう、母親に言いつけられた彼は途中フリージアの家に寄ろうとして、見慣れない光景を目にした。家から出てきた貴人は、正装をしたフリージアの両親に頭を下げている、神父は神の言葉を唱えている様子。
なんだろう、ご領主様が頭を下げてた。黒い予感が湧き上がった。ダッと彼は駆け出す、寒い風がヒュウと吹く中、あちこちの家の側に植えられている果樹の落ち葉がカラカラ音立て転がる中を、包みをぎゅっと抱えて父親の元に走っていった。
「お!お前どうした?」
おいおい潰れてるぞ、父さんと俺の昼飯、とシャズが息切らせて転がり込んできた弟に話す、カシオスの木の実をポケットから取り出すと、弟に手渡した。切り出しも終わり、後片付けをしているそこはキンマに載せたそれが、あとは馬が引き森を出るだけになっている。
少し早いが昼にしようと、村長が言う、家に帰る者、そこで包を広げるもの、てんでに散らばる男達、アシュリはそれを齧る、パッと口に広がる甘さと水分、ごくんと飲み込み、見てきた事を父親に話した。
「……………、そうか、そうじゃないかなとは、思っていたが、ハンエルが作業免除になってるからな、お前と仲良しだし、そうでなけりゃいいと思ってたが」
「父さん?何がどうなってるの?教えて」
「そりゃだめだ、アッシュ、その事は、十五になったら教会で聞くんだ、決まりだ」
来年の祭りにはわかるんだから、今は何も聞くな、とシャズが後ろからアシュリの肩に手を置いて話す。普段なら何でも教えてくれる二人が、険しい顔をしている。ドキドキとする。その様子を目にした村長が近づいて来る。
「カズトスの息子か、ハンエルの娘と仲良しなのか?」
こくんと頷いた。怖くて返事が出来なかった。何か知らない大きな事が、フリージアに来ているのがわかったから。
父親達も目上の人にはきちんと挨拶をしろと、何時もなら言うのだが今は誰も何も言わない。ピンと張り詰めた冬の空気がよりいっそう冷たくなる。
「そうか、ガストス、今日は息子を連れて帰れ、作業は終わった、今宵は『宵の夜』明日は大祭だからな、乱さぬようにしておくんだ」
何が起こったのかわからぬまま、ひしゃげた包みを抱えたまま、アシュリは父親達に手を取られ家に帰った。
☆☆☆☆☆
―――― サクサク、サクサクサク、白い息をはずませる。本当なの、フリージア、雪は止んでいる。雲はない、薄墨色の夜明けの空が、ほのぼのと白んでくる、木々の隙間からそれが分かる。薄花色に変わる空。
家に帰った。アシュリは思い出す。ガキみたいに駄々をこねた、聞かせてほしいと泣いた、叫んだ、見かねたおばあが少し早いが、関わりがある、知っておいてもよかろと言う。
母親のカエラは止めた、アッシュが壊れてしまうと泣いて止める。ガストスは決まりは決まりだと、マーヤを突っぱねる。アシュリは知りたいと、教えろと暴れた。
「うるさい!男なら堪えろ!お前だけが辛いんじゃないぞ!それにもしかしたらお前だったかも、シャズだったかもしれないんだ!ワシやカエラや母さんだったかもしれないんだ!」
「そんなの知らない、何も教えないくせに、大人の都合なんか知らない!嫌いだ!大人なんて!」
口答えをした。カッとなった父親が手をあげた。頬をはり飛ばされた。床に音立て転がる彼のもとに、シャズが寄る、そして起き上がるのに手を貸しながら、耳元でこそりと彼が知りたい事を教えた。
「シャズ!何を弟に教えたの!」
カエラが叫ぶ、兄はどうせわかるんだから、大人になって知っても今知っても変わらない、それにコイツならフリージアの家に行く、行けば知っちまうだろう?知ったらなんとかしようと思うよ!俺の弟ならきっとそうする、震えるアシュリを抱えながら言葉を返す。
アシュリはゴクンと飲み込む、血の味がした。口の中が切れていた。ビリビリと頬が熱く身体が痛い、耳がキーンと鳴っている、フラフラとする頭の中、耳は詰まってザワザワとして、じんじん痺れて、兄の声が聞きにくかった。でもかろうじて聞こえたそれを、その言葉を繰り返しつぶやく。
「…………、う、うあわぁあぁぁん」
そして知った彼は突っ伏して泣いた。フリージアの名前を呼んで、呼んで呼んで、床を叩いて泣いた。何もできない自分がわかって、泣いた。父親の重い声が上から降ってきた。
「納屋にいろ、邪魔をしたら、村から出なきゃならなくなる」
―――― 朝日が昇ってきたのか、空気がキラキラと光る。カシオスの木々の色が、白い森の大地に色を描く、黄色、緑、朱に茶色、青に鼠色、黒に菫、玻璃で作られたようなカシオスの木の葉。神からの贈り物の木々。
年中白い甘い香りの花を咲かせ、赤子の握りこぶし位の実をつける。その甘い果実の中には硬い種子があり、干して炒り挽いて粉にして使う。
茶褐色の太い幹に傷を付け、器をあてがっておくと樹液が取れる、それは万能薬とされていた。
不思議な事に、冬でも落ちぬその葉の色は、他の木々と違い緑一辺倒では無い、黄色がある、茶色も黒も鼠色もある、緑も赤も、青や朱色も、藍も菫色も、さしずめ森に囲まれた村に住む人間の瞳の数だけある。ただし同じ物は一本としてない。
雪の上にポツリぽつりと落ちているカシオスの実、森の動物達を養い、人々も養う、甘い果実。踏まない様にして駆ける。
…………リージア、フリージア、嘘だよね。そんな事無いよね、大人は嘘勝手ばっか言ってるだけなんだよね?眠りについた君を埋めるなんて、息してるよ、温かいよ、死んじゃいないのに、そんなの嘘だ!
触れ合った時を思い出す。そろりとした、密やかで甘やかな時を思い出す。
『カシオスの木が終わる時、同じ色の人間が眠りにつく、その者はカシオスとなり次代を導く』
…………嘘だよね。嘘、木があった場所に君を埋めたら、木になるなんて………、そんなの嘘っぱちだ!きっと言い伝えなだけなんだ、木が無かったら僕が助ける、君を地面から出すんだ!
「嘘だよね、リージア、リージア」
目の前には材が積まれ布がかけられたキンマ、それには雪が積もっている。白くもあもあと、息をはずませ立ち止まる今日の目覚めの儀式が終われば、馬に引かれて街に行く藍色の木。美しい木目と滅多と出ないそれは高値で取引されるという、その金は、一度領主様の元に行きそれから村に下賜される。
村長が厳しい冬を乗り切るために、穀物倉庫を作り蓄えをしようと話す、終わってからでも村に恵みを落とす神の木カシオス。
カシオスの木は、ひと夜で芽吹き大樹になるという。
「え、う、嘘」
昨日迄は、確かに何もなかった場所、ぽっかりと空いたそこ、しかし今そこには、藍色の木が天高く枝葉を茂らせ育っていた。アシュリが呆然とし見上げる、さやさやさやと藍色の葉を揺らしている。
嘘だろ、グシャリとその場に膝をついた。嘘だろと肘をつく、雪をぐっと掴み握る。バタバタと熱い涙が落ち、白を溶かす。
「うわぁぁぁん、なんでどうして」
リージア、フリージアフリージア、名前を叫んで泣いた、叫んだ、チチチチ、と冬毛に覆われたふくふくとした小鳥が、藍色の葉の中でさえずる。
「ねえ、リージア、リージア、なんで?どうしてねぇフリージア、フリージア、今日の祭りに僕と踊って。リージアぁぁぁ」
泣きじゃくり支離滅裂な事を言いながら、フラフラと立ち上がる、まだ若い色をしている、手をそろりと触れる、身を寄せる、頬を寄せる。幹にすがる。
それは外にあるにも関わらず、樹皮が仄かに温かく感じたアシュリ。
蕾も花もまだつけていない、生まれたばかりの藍色の木、彼女の名を呼びながら、抱き締めるように幹に両の手を回す。
チラチラと、葉が数枚落ちてきた。サワサワと葉擦れの音、それがアシュリには、クスクスと笑う彼女の声に聞こえる。
野葡萄を食べて赤く染まった二人の唇、ふわりと触れたそれ、感じたカシオスの香り、ぬくもり。
………… リージア、リージア、どうしてこうなったの、どうしてこうなったの、僕は、僕は君が、君が大好きなんだ、大好きなんだ、聞こえる?フリージア。
「踊って、僕の手を取って、祭りに最初に踊ると結婚できるんだ、ねぇ、リージア、リージア、そうでしょ、だからここから出て、僕と帰ろうよ、帰ろうよ、リージア、帰ろう…………」
白い雪の上には、彼女の瞳と同じ色の葉が落ちている。泣くなと言う父親も兄もいない、アシュリはぽろぽろと涙を流した。
愛しいあの子の名前をよびながら、朝日さす冬麗の空の下、森の中で頬を凍らせながら彼は、
何時までもいつまでも名を呼び、白い世界の中、独り泣いていた。
【完】
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