表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編小説集

若鮎

作者: 大西洋子

 琵琶湖の鮎は、琵琶湖のみで生息するものと、河川へ遡上するものがいるが、そのどちらも成魚になっても十センチ程度にしかならない。それゆえ琵琶湖の鮎は、小鮎と呼ばれている。

 ところが、その小鮎を他の河川に放つと、立派な鮎と成長することが大正の始まりに発見され、鮎苗として全国の河川に放たれるようになった。

 そんな琵琶湖の鮎に例え、湖国を飛び出し活躍する若者、……特にスポーツ分野で活躍する者を「若鮎」と称することがある。

 りょうは、そんな若鮎の一人だ。

 小学生の低学年より、りょうは人一倍足が速く、運動会の駆けっこはもちろん、マラソン大会も一番で、小学校の教員室の壁の上に貼ってある、それらの記録のほとんどが、りょうの名前に変わった。

 学校の記録だけではなく、市の記録も次々塗り替えた。そのうえ、県の記録会に、さらには全国の記録会でも、素晴らしい記録を出した。 

 そんなこともあり、りょうは推薦を貰い、高校進学と同時に、県外へと飛び出した。

 だが、この一年、りょうは思うような記録が出せないまま、新年を迎えてしまった。

 りょうは新年最初のトレーニングを早々と切り上げると、その足で食堂に向かった。まだ人気のないと思われた食堂には、テレビを見上げる一団があった。

 その一団ははバレー部で、今日から始まった春高に釘付けになっていた。

 と、りょうの目に、見慣れた文字が入ったユニフォームを来た人物が、画面いっぱいに映し出された。

 アナウンサーがその画面に映った選手の名をあげ、淡々と試合内容を告げる。

 その名はどこかで……。りょうは記憶を探っている間に、画面にはその選手がアタックを決める姿が画面いっぱいに広がり、その名が繰り返される。

 その名は、よく知っていた名前だった。そこで学友近寄り、その選手を詳しく知りたいと声をかけた。学友は知りあいか? と、広げたままの雑誌のページ数を繰り、その選手が載るページを見せてくれた。

 そこページには、小学校の教員室の壁の上に貼り出されていた校内記録の中で、唯一その記録を書き変えられなかった名が確かにあった。

 りょうは食い入るように、そのページを見る。プロフィールに地元中学の名が載っていた。――間違いない、あの人だ。

 小学校の時の上級生。と、答えながら雑誌を返した。どんな人だったかと学友にたずねられ、りょうは小学校時代の記憶を掘り起こした。

 ――あれはそう、あの人が卒業間近の全校生徒が集まって遊んだ時だ。

 あの人はりょうとは違う班組みだったけれど、あの人から声をかけられ、りょうと雑談するうちに、どちらかともなくかけっこを始めた。

 始めはじゃれ会うかのように、だが、何時しか本気で走り、そんなことをしているうちに視線が集まり、喚声がわき上がり、お互いの名前が体育館中に響き渡った。

 ひといっきり走った後、あの人はりょうの駿足を誉め、自分の持っている記録、お前に抜かれてしまうんだろうな。と、言われた。

 そのかけっこの楽しさから、陸上クラブに入り、走りに磨きをかけた。そう、あの人の記録を塗り替えるために。

 ――結果から言うと、五年の時は記録変えられず、六年の時は塗り替えたのだが。

 学友にその思い出を話している間に、画面はいつしか別のチームの試合を告げて始め、話は尻切れトンボにならざるをえなかった。

 りょうは新たな試合に集中し始めた学友から離れると、すっかりのびてしまったラーメンを腹に納め、寮に戻った。

 寮に戻ってからも、りょうの脳裏から小学校の頃の思い出と、あの人の活躍の姿が離れず、思わずパソコンを起動させて、あの人の試合を一から見た。

 あの人が、コートを走る様は、まさに水を得た魚。いつか見た博物館の鮎の姿と重なりあう。

 りょうは、しびれるような、それでいて、背中を押されるような感覚に、しばらくの間動けなかった。

 りょうが我に返ったのは、空の色がすっかり変わってからだった。

 りょうはパソコンをたたみ、立ち上がるとそのまま玄関に向かい、反射素材が入ったたすきをかけ、数キロ先の海に向かって駆け出した。


 ――若鮎が静かに泳ぎ出す。

 

 


  

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ