第七話 素性
「私は――天使なんです」
「……は?」
たった一言で、フィリアは俺の理解を遥かに超える世界へとジャンプした。
「今、なんて……」
「私は天使なんです」
フィリアが確固たる自信を持って、再び言う。
「その、もしかしてだけど、電波ちゃんとか、その類の子……?」
「すいません、信じてもらうのは到底無理な話だとはわかってるんですけど、私は神世界から来た天使、フィリアなんです」
大真面目な顔をして、ふざけたことを言うフィリア。まあ、フィリアという名前からして、おかしいとは思ってたんだけど。
「シンセカイ?」
「神の世界、と書いて神世界です。森羅万象を司る神と、その下で働く天使のいる世界です」
「じゃあ、フィリアがその天使だったとして、なんでこんな所に?」
「それは、私が失敗をしてしまって、それに対する罰なんです」
「罰?」
「私のせいで、一人の命が亡くなってしまって」
フィリアが少しきまり悪そうに視線を逸らした。
それから、フィリアのミスが神様に伝わったこと、神様が激怒して、罰としてフィリアを下界に降りさせたこと、そして、神世界に帰る方法は下界で他人と信頼関係を築くことだったと、フィリアが話した。
「じゃあ、俺の腕の中で光って消えたのは……」
「雪陽さんが私を抱きしめ返してくれたその瞬間に、他人と信頼関係を築くという条件がクリアされたからです」
なるほど。ぶっとんだ話だが、ひとまず筋は通っている。
「でも、力だけでなく記憶まで制限されるとは思ってませんでした」
「つまり、この世界に降りてきた時のフィリアは、本当に名前しか知らなかったってことか」
「はい、自分が何者なのかさえも、すっかりさっぱりです」
フィリアが呆れ笑いを浮かべる。神様ってやつも、なかなか鬼畜なのかもしれない。
「とりあえず、フィリアの素性について一応理解はした。で、なんでもう一度俺の所に来たんだ?」
「それなんですが、その理由こそが、私が雪陽さんにお話する一番大事なことなんです」
フィリアが再び姿勢を正して、俺を見る。そして、今日一番のありえない話が彼女の口から飛び出た。
「私と一緒に、異世界で暮らしませんか?」
「……その、もう少し分かりやすい言葉で言ってくれないか」
「これ以上簡潔で分かりやすい言葉はないと思うのですが」
「いや、確かにそうなんだけど、ちょっと理解が追いつかないというか……なんで俺が異世界に行くという話になった」
「それは、その……」
フィリアが顔を赤くしながら、視線をベッドに落とす。
「雪陽さんは、私と一緒にいるのはイヤですか……?」
不安に揺れる瞳が、上目遣いでこちらを見た。
「それは、嫌じゃないけど……」
「私にとって、雪陽さんと一緒にいた時間はとても幸せなものでした」
フィリアが幸せに満ちた顔で俺を見た。
「神世界に帰還した後、雪陽さんと一緒に過ごしたいという旨を神様に伝えました。最初は、神様は反対だったのですが、説得の末になんとか許しを得てきました」
「でも、天使が下界で暮らして大丈夫なのか?」
「普通はダメです」
だが、フィリアは続けてこう言った。
「しかし、神世界からの永久追放という条件を飲めば、その限りではありません」
「永久追放って……」
「文字通りです。一生、天使として神世界には帰れないということです」
「いや、それはダメだろ!天使じゃなくなるんだぞ!?」
「それでも構いません!天使じゃなくなったとしても、それでも、私は雪陽さんと一緒にいたい、って思ったんです」
必死で止めようとする俺に、フィリアは決心はついているとばかりに言葉を被せた。
「もちろん、雪陽さんがどうするかは自由です」
「もし、断ったら?」
「その時は、お互い生きている間に再び会うことはないでしょう」
フィリアの口調は落ち着いたものだった。
「でも、もし俺が異世界に行ったら、この世界で生きてきた俺の存在はどうなるんだよ」
「行方不明か死亡扱いになると思います。人々の記憶から雪陽さんの存在が抹消されることはありません」
「というか、そもそも、なんで異世界なんだ?一緒に過ごすのなら、ここじゃダメなのか?」
「そうするには、この世界は文明が発達しすぎているんです」
突然の話の飛躍に、頭にクエスチョンマークが浮かぶ。
「それのなにが問題なんだ?」
「この世界は科学が発達する以前は、魔法はもちろん雷などでさえも、人智の及ばない事物として信仰や畏怖の対象となってきました。しかし、科学が発達するにつれて自然現象の多くは解明され、未知の事象も研究者の手によって解き明かされようとしています。そのような世界に私のような存在がいたら、どうなると思いますか」
「畏怖や信仰じゃなくて、研究の対象ってことか…」
「研究はおろか、最悪の場合、実験体になるかもしれません」
装置や器具によって、フィリアの身体がなすがままにされる光景が目に浮かんだ。
「このことを考慮して、他の世界で生活するべきだ、と私が仕える神様は言っていました」
神様も神様なりにフィリアの身を案じているようだ。
「でもだからといって、いきなり異世界に行きませんかと聞かれても、簡単にいいですよ、とは返事はできない」
「…………そうですよね。ごめんなさい、今の話は無かったことにし……」
「だから、しばらく――――1週間後に、もう一度来てくれないか」
「えっ?」
フィリアの言葉を遮った俺の発言に、俺に背を向けて神世界に帰る支度をしていたフィリアが、驚いた表情でこちらを見た。
「それは、どういう……」
「考える時間が欲しいってこと」
俺がややぶっきらぼうに言うと、フィリアは喜びの声を上げた。
「わかりました!それでは、また一週間後に!」
「ああ、またな」
フィリアは最後にとびきりの笑顔を見せると、光に包まれてその姿を消した。
※一週間の表記が一部「1週間」となっていますが、これはダッシュ記号(―)の直後に漢数字の一が来ることでダッシュ記号と繋がって見えるのを避けるためです。