第二話 お風呂
なんでもしますから。
眼下に立つ少女が言った一言。女の子が男性を相手に口にしてはいけないワード。
その禁断の一句は、弱冠十七歳の俺の心を揺さぶるには十分すぎるものだった。
俺は半開きになっていたドアを閉めると、階段を降りた。
「なにがあっても、文句は言うなよ」
一言念を押すように言うと、少女は「ありがとうございます……!」と咽び泣くようにお礼を言った。
少女を連れて階段を上る。近くで見て初めて気がついたが、少女の服はボタンが何箇所かとれており、スカートの裾などはところところが破けていた。
ドアを開けて少女を中へ入れると、俺は周囲を一通り見回してから、鍵を閉めた。
「とりあえず、リビングに行って」
「……お邪魔します」
少女が汚れたローファーを綺麗に揃えて置き、おそるおそる部屋の中へ入っていく。
「クッションとかないけど、適当な所に座って」
俺は教科書などの荷物を勉強机の横に置くと、床にペタンと座った少女の前に胡座をかいて対面した。少女は再び怯えた目をして視線を逸らした。
「名前は?」
「……」
少女は沈黙したまま口を開こうとしない。
「なんでもするんじゃなかったのか?」
「……フィリアです」
「ふざけてるのか」
俺が少し苛立った声を出すと、少女はビクッとして視線を彷徨わせた。
「でも、私の名前……」
「お前、日本人だよな?」
「……わかりません」
困惑した顔で答える少女に俺は頭を抱えた。もしかして、記憶喪失の類のものだろうか。どちらにしろ、予想以上にヤバい女の子を拾ってしまったのかもしれない。
もう一度目の前の少女を見やる。長い黒髪は手入れが出来ていないのか乱れており、スカートから覗く脚は普通に生活していればありえない程に汚れがついている。
「ひとまず、風呂入ってこい」
「えっ?」
「2,3日、まともに体洗ってないだろ」
俺は少女を立たせると、洗面所の奥の風呂場に連れて行った。
「でも、お邪魔していきなりお風呂を使わせてもらうのは……」
「なんでもするんじゃないのか?」
「わかりました……」
少女は戸惑いながらも、洗面所とリビングを分かつ引き戸を閉めた。ドア越しに衣擦れの音が聞こえてくる。
少しして、風呂場のドアを開け閉めする音がした。俺は少し間を置くと風呂場の前の引き戸を音を立てないようにゆっくりと開けた。
ドアを隔てた向こうには、俺と同い年ぐらいの少女が一糸纏わぬ姿で風呂に入っている。シャワーの音が俺の想像をかき立てる。
下を見ると、先程まで少女が来ていた衣服が綺麗に畳まれて置いてあった。他の衣服に隠れて見えないが、下着もあるのだろう。
一瞬、理性の糸がぷつんと切れそうになったが、すんでのところで自制すると、俺はクローゼットから持ってきたTシャツと短パンを置いた。
「俺の服だけど、着替え置いといたから」
「えっ」
風呂場からシャワーに混じってくぐもった声が聞こえた。すると、シャワーの音が止まり、風呂場のドアが開かれようとした。
「ストップストップ! 今俺いるから!」
慌てて風呂場のドアを強引に引っ張ると、向こうからドアを引っ張る力がなくなった。
「着替え、ありがとうございます」
ドア越しのお礼を聞くと、俺はすぐに洗面所を後にした。
リビングでスマホを弄りながらこれからあの少女をどうするかを考えた。そもそも高校生の俺が解決するのは土台無理な話だ。普通なら、警察に連絡するのが一番だろう。
俺がスマホから近くの交番へ電話を掛けようかと迷っていると、洗面所のドアが開かれ俺の服を着た少女が出てきた。
「これからの事だが、警察に電話してお前を引き取ってもらうことにする。いいな?」
「ちょっと、それは待ってください!」
少女が詰め寄って俺のスマオに手を伸ばした。だが、俺は簡単にその手を避けると、立ち上がってスマホを少女の手の届かない高さまで持ち上げた。
「お願いですから、警察に連絡するのはやめてください!」
「どうして?」
「大事にはしたくないんです」
そう言うと、少女は再びスマホ目がけて手を伸ばした。俺は体の向きを変えてそれをあっさりかわす。
その時、手を伸ばしてジャンプした少女が体勢を少し崩し、俺にぶつかった。
俺の体に少女の胸がむにゅっと押しつけられるようにして当たる。今まで感じたことのない柔らかい感触に緊張して、思わず俺の動きが止まってしまった。
重力に従って無意識に下がった俺の手から、少女がスマホを奪った。そして、すぐに両手で握りしめこちらに背を向けた。
その少女の背中を見て、あるべきはずの物がないことに気付く。
「お前、ブラジャーはどうした?」
「汗でかなり湿っていたので今はつけてませ……」
「とにかくブラをつけろ!」
俺は少女を洗面所へ押しやった。というか、てことは、さっきの感触はほとんど生のそれに近いってことかよ……!
思わぬスキンシップにドギマギしてると、しばらくして、下着をつけてきたであろう少女が出てきた。
「ひとまず、そのスマホを返してくれ」
「……警察には連絡しないって約束してくれますか」
少し震え声で言った少女は、出会った時と同じ怯えた目をしていた。よほど警察のお世話になるのが嫌なんだろう。
「わかった、約束するから」
そう言うと、少女は素直にスマホを渡してきた。俺はそれを受け取ると、勉強机の上に置いた。
「これから風呂に入るけど、勝手に机の周りのものやクローゼットは開けるなよ」
「わかりました」
俺はクローゼットから適当に服を選ぶと、洗面所のドアを閉めた。
手早く服を脱いでシャワーを浴びる。
この状況、もしエロ漫画とかだったら、ドアが開いて全裸の女の子が恥ずかしがりながら侵入してきたりするのだろう。
なんでもしますから。
少女の言葉が甦る。俺がその気になれば、命令一つで想像したようなシチュエーションを作ってしまうことも今は出来てしまう。でも、それはさすがにダメだ。
俺は心の底から顔をだした邪心を底に追い戻すと、夏の暑さで疲れた体を洗いながら、あの少女をこれからどうするか、ぼんやりと考えるのだった。
追記:3月2日 改題しました。
3月5日 改稿しました。