第十八話 二人
「雪陽くん、テンション低いね。なんかあったの?」
「ああ、どこかの誰かさんのせいで俺は今、すこぶる機嫌が悪いんだ」
「ふーん、そっか」
他人事みたいにしてるけど、お前だからな、シャイン。
朝のパンがこれほど美味しくなく感じたのは初めてだ。
「あれ、雪陽さん、バイトもうすぐじゃないんですか?」
「今日は休み」
夜まで暇だし、部屋に戻って寝るか。
「雪陽さん」
「ん、どうした」
「今日、二人で出掛けませんか」
「二人で」の部分が強調されたように聞こえたのは気のせいだろうか。
最近、フィリアと二人でどこかに出掛けた記憶がないな。バイトやシャインと3人だったし。
「食べたらすぐに行くか?」
「そうしましょうか」
「買い出しはあたしがやっておくから、二人は楽しんできてね!」
「なんか悪いな、シャイン」
「その代わり、お土産期待してるよ~」
そんな物を買えるほどの金銭的余裕はないが、善処はしよう。
俺は部屋に戻ると、バイトで貯めた銀貨80枚全額を財布に流し込んだ。せめて、これで少しは楽しむこともできるはずだ。
「出掛けたはいいけど行くあてはあるのか?」
「いいえ、全くです」
「やっぱりそんなことだろうと思ったよ」
俺も行き先などないので、二人散歩状態である。
「なあ、俺たちってここに来て何日経ったっけ?」
「16日だったと思います」
「……俺の記憶が正しければ、滞在許可証の有効期限って二週間だったよな?」
「てことは、私たち……」
「不法滞在者、だな」
フィリアの血の気がサーッと引いていった。
「かなりマズくないですか!?」
「とりあえず、門の横の事務所に行こう」
こんなタイミングで思い出したくはなかったが、早めに対処しないと、もっと大変なことになるだろう。
揚げ物を売ってる屋台や、初日に行ったパン屋の横を通り過ぎて、水を大量摂取した思い出のある事務所まで出向く。
「すいません、滞在を延長したんですけど」
「では、現在持ってる許可証を提示してください」
おそるおそる、期限切れの許可証を見せる。
「期限が一昨日までとなっていますが、これはどういうことでしょう」
やっぱり、聞かれるよな。潔くいくしかないか。
「すいません、二週間の期限を忘れてしまっていて」
「本当にごめんなさい」
フィリアと一緒に頭を下げた。
「本来なら、罰金が発生するのですが……二日ということですし、木を切り倒していただいているので、大目に見ましょう。次はないですからね」
「「ありがとうございます!」」
なんとかお咎め無しで済んだ。ここでお金を取られていたら、再び一文無しになっていたかもしれない。
「許可証の更新完了です。楽しんできてください」
優しい事務所の方に見送られ、来た道を戻る。やっぱり行くあてがないことに変わりはないけれど。
「あっ、あれ見てください!」
フィリアが通りに並ぶ店の一つを指差した。スカートやジャケットなどがショーケースに飾られているのが見える。
「洋服見ていく?」
「はい!」
フィリアが店のショーケースに飾られている服を食い入るようにして見ている。フリルがついていたり、露出が大きいような華美なものではないが、白やベージュを基調としたシンプルなデザインは、フィリアに似合いそうだと思った。
「そういや、フィリアって服何着持ってたっけ?」
「えっ」
俺の突然の質問にフィリアがピタッと固まった。顔を覗き込もうとしても、すいー、と逸らされてしまう。
「お前、まさか」
「……そうですよ、今着てるこの一着だけですよ!」
フィリアがヤケクソになって言った。転移の時も手ぶらで来てたけど、本当に何も持ってこなかったのか。
「お前、普段どうしてんの?」
「シャインちゃんと背丈が近いので、借りたりしてます」
「えっ、でも下着とかは……」
「それは、シャインちゃんと出会った次の日に買ってもらって……ってなんでそんな事聞くんですか! 雪陽さんのヘンタイ!」
「いや、変な意味じゃなくて、単純に疑問に感じただけで」
「それでもダメです!」
フィリアが少し顔を赤くして口調を強めた。でも、本気で怒ってるわけじゃなさそうだ。
「お店、入ってもいいですか?」
「買う金持ってるのか」
「あ……」
今更気付いたようでフィリアが肩を落とした。せっかくフィリアが楽しそうなのに、金銭面で台無しにしたくはない。
「持ってる服着てるのしかないんだろ? 一着なら買ってやるから、好きなの選んでこいよ」
「それは悪いですよ。私、何もお返し出来ないですし」
「別にいいよ。フィリアが喜んでくれるなら」
思いがけず出た台詞は、言った瞬間自分でも恥ずかしくなってきたが、この距離で聞き逃すはずもない。フィリアは口をもにゅもにゅさせると、「ありがとうございます……」と小さな声で言って、店内に入っていった。
「これなんかどうでしょう」
そう言って、フィリアが手にとったのは薄いピンクのカーディガンだった。さっと羽織ると、ゆっくり一回転して俺の方を向いた。
「似合うと思いますか?」
「あ……似合ってるんじゃないか」
「なんですか、その微妙な反応は」
フィリアが半眼でこちらを見つめる。見惚れてて咄嗟に言葉が出なかった、とはさすがに言えなかった。
「これ、可愛くないですか」
次にフィリアが手に取ったのは、ベージュの膝丈スカートだった。ショーケースにも飾られていたやつだ。
「試着室があればいいけど……」
「試着室をご利用でしょうか」
いつの間にか俺たちの側に来ていた店員さんが、店の奥の試着室まで案内してくれた。
「着替えるので、少し待っててください」
フィリアがスカートを持ってカーテンの奥に消える。女性服の店内に男一人で佇んでいるのには、気まずさを感じられずにはいられなかった。
「お待たせしました」
カーテンが開かれると、先程のピンクのカーディガンとベージュのスカートを着たフィリアが、少しはにかみながら俺に視線を向けた。
「どうでしょう?」
「うーん、逆にフリルのシャツが浮いてるような気がする」
「では、中のブラウスも見ましょう」
フィリアが試着室からでて、再び店内を見て回る。フィリアが見つけたのは、装飾のない薄手の白のブラウスだった。
「じゃんっ! これだったらいいでしょうか?」
「別に、俺に同意を求める必要はないぞ」
「買ってもらうんですから、雪陽さんの意見は重要ですよ」
「そう言われてもな……」
ファッションセンスなど皆無なので、俺からは何も意見することができない。
「可愛いと思うよ」
「あ、ありがとうございます……」
実際にそう思ったから口にしたのだが、やっぱり恥ずかしいな。
「着ていた服に着替えますね」
再びフィリアが試着室に戻る。着替えが終わりカーテンの向こうから出てきたフィリアは、何故か浮かない顔をしていた。
「どうしたんだ? さっきまで嬉しそうだったのに」
「その、この中から買ってもらう一着をどれにしようか悩んでいまして……」
フィリアが悩ましげにそれぞれの服を見やる。俺はそれらの服をさっと取り上げると、レジまで持っていった。
「すいません、これください」
「合計で銀貨二十枚になります」
「えっ、雪陽さん!?」
財布から銀貨を取り出す俺の手を、フィリアが慌てて妨げた。
「さっき、一着って……」
「一着から、一式に今変更した」
「で、でもっ、銀貨20枚なんて、雪陽さん一人に払ってもらうわけには……」
「俺が買うと決めたからいいの」
「でも、私……」
何もしてあげられませんよ、って、俺はフィリアに見返りを期待して買うわけじゃないんだけどな。でも、面倒くさいけど、こういう遠慮がちで真面目なところも、俺は好きなんだ。
「そこまで言うのなら」
俺はフィリアの方に向き直ると、フィリアの目をじっと見つめて言った。
「今日買う服を着て、また一緒に出掛けてほしい。それじゃダメか?」
「その、そんなことでいいんですか?」
「そんなこと、ってなんだよ。俺はフィリアとこうして出掛ける事ができて、すごく嬉しいんだよ」
そう告げると、フィリアが俯いたまま黙ってしまった。疑問に思い顔を覗き込むと、フィリアの瞳から涙が溢れていた。
「ちょっ、なんで泣くんだよ」
「雪陽さんにそんな風に言ってもらえて、私嬉しすぎて、涙が出ちゃって……」
フィリアは袖で涙を拭うと、俺の胸に飛び込んだ。
「雪陽さん、大好きです。だから、これからもずっと一緒にいてくれませんか……?」
胸元に顔をうずめたフィリアが上目遣いで俺を見る。なんで、そんな不安に満ちた目をするんだよ。俺の答えは前から決まってるというのに。
「最初からそのつもり。俺もフィリアの事が大好きだ」
フィリアの背中に腕を回して、優しく抱き寄せる。フィリアと触れ合っている感触が、体温が、匂いがとても愛おしかった。
「私たち、恋人でしょうか?」
「もちろん」
どれくらいの時間、そうしていただろうか。店員に声を掛けられるまで、俺はフィリアから伝わる優しい熱を全身で感じていた。
「3点お買い上げでよろしいでしょうか」
店員のおずおずとした声で、現実に引き戻される。ここが公共の場であることに気付くと、俺たちはバッと勢いよく離れた。
「銀貨20枚になります」
財布からジャラジャラと銀貨を店員に渡した。バイト二日半に値する金額は、フィリアのためなら少しも惜しくはなかった。
「フィリアの服なんだから、自分で受け取れよ」
「わかりました」
フィリアが店員から袋に入れられた洋服を満面の笑みで受け取る。店を出ようとした俺の腕にフィリアの腕が絡んできた。
「恥ずかしいから止めろ、とかはナシですからね」
身長が俺より少し低いフィリアが、俺を上目遣いで見た。
「酒場に帰ってもこのままでいてやるよ」
「そんなことしたら、シャインちゃんに見つかっちゃうじゃないですか!」
「シャインに見られたら恥ずかしいんだ~。本当に恥ずかしがり屋さんなのはフィリアの方だったな」
「んーっ、やっぱり雪陽さんは意地悪です!」
フィリアがそっぽを向いてしまった。でも、数秒後にクスクスと笑いだすと、さらに腕を絡めて、体を近づけてきた。
「次どこ行きます? そろそろお昼ですかね」
「そうしよっか」
腕を絡めて、手を繋いでフィリアと並んで歩き出す。楽しい二人きりの時間は、まだ始まったばかりだ。
突然ですが、今回で最終回です……。最後までお読みいただきありがとうございました!