第十五話 バイト
前半は前話の続きです。
「整理すると、開始早々ソファから落ちたフィリアちゃんを見兼ねた雪陽くんが、フィリアちゃんをベッドまで運んで自分はソファで寝た、ってこと?」
「そういうこと」
「私たちには睡眠時相互テレポートの能力は備わってなかったんですね……」
フィリアが肩を落とす。いや、そこで落ち込むのかよ。
「てことはさ、雪陽くんは真夜中に暗い部屋の中でフィリアちゃんを抱っこしてた、ってことだよね?」
「まあ、そうなるな」
「雪陽くんってもしかして仙人なの?」
「えっ、なんで?」
「だって、夜中にこんな可愛い子の無防備な体を抱っこなんかしたら、イタズラしちゃいたくなるもんじゃないのー?」
「雪陽さん、私の体触ったんですか!?」
フィリアが顔を赤くしながら、両手で胸を隠した。胸触ったって思われてるの、心外なんだけど。
「私の右手が迸りますよ!」
「うわっ、その事完全に忘れてたわ!」
フィリアの右手は就寝時カッターナイフだった事をすっかり忘れてた。もしかして、フィリアを運んでいる間にどこか切られていたりしないよな……?
「切れてないか確認したいし、ちょっと風呂場借りるわ」
「待ってください、雪陽さん! 本当に何もしてないんですよね!?」
「ああ。眠たすぎて、フィリアをどうこうしようなんて微塵も考えてなかったよ」
「逆にそれはそれでどうなんでしょう……」
俺が勝手にやったことだし、感謝の言葉とか期待してるわけじゃないけど、ああいう態度を取られると、俺としても思うところがなくはないよなー、とも思ったが、気にしてもどうしようもないので、さっさと風呂場に行った。
日中はシャインも含めて3人とも暇だ。なので、それぞれ自由行動になった。
シャインに聞くと、この町には寺子屋のような自主的に行ける所はあっても、小中学校のような義務教育は存在しないらしい。子どもは小さい時から親や近所の人の仕事を手伝いをするため、俺のような歳で朝からあてもなく散歩していると、浮浪者のように見られてしまうのだそうだ。そういうこともあり、町で見かけるのは、忙しそうに走っていく男の人や、ご老人がほとんどである。
とにかく、仕事を見つけなければならない。この町でハローワークのような事をやってる場所といったら、一箇所しかない。
俺は役場に向かうと、掲示板の貼り紙に目を通した。ほとんどが尋ね人なのだが、求人広告もちらほらある。
その中からある貼り紙を剥がすと、カウンターの受付に持っていった。
「雪陽さん、今日はどうされましたか?」
「ここに書いてる『こどもの教室』ってどこにありますか」
「町役場の前の通りを進んでいけば見えてきますよ」
役場を出て通りを進んでいくと、商店が立ち並ぶ中で白壁の簡素な建物が見えてきた。入り口の扉の上には、鉛筆と定規を象った彫刻がある。ここで間違いないだろう。
「すいません!」
「……どちら様でしょうか?」
扉が半開きになり、女性が顔を出した。歳は30ぐらいだろうか。長いこげ茶色の髪を後ろで三つ編みにしているのが印象的だ。
「役場の貼り紙を見て来たんですけど」
「もしかして、子どもたちを教えに来てくれたの!?」
お疲れ気味だった表情が一転、パアァっと輝いた。
「どうぞどうぞ、中に入って!」
「えっと、失礼します……」
中に入ると、短い廊下と左右に一つずつ扉があった。前を歩く三つ編みの女性に案内され、奥の左の部屋に入る。
「途中の右の部屋は教室で、こっちは先生用の部屋。って言っても、今は私しか先生がいないから私の部屋みたいになってるんだけど……」
対面になっている椅子に座ると、程なくしてお茶が出された。
「自分しかいないから、お菓子とかは用意してなくて……」
「全然気にしないでください」
「ありがとう。見かけない顔だけど、名前は?」
「空野雪陽です」
「あっ、もしかして、草原からやって来た人?」
「そうです」
へえー、と言った表情でまじまじと顔を見られる。さすがに、ちょっと恥ずかしくなってくる。
「今、お金無くて。今日からでも働けますか?」
「人手不足だから、むしろ大歓迎なんだけど、君の学力を知りたいんだよね」
そう言って手渡されたのは、小学校高学年レベルの算数の問題だった。スラスラと一分もかからずに解いて渡す。
「合格! もうそろそろ子どもたちがやってくるから、問題を配るのを手伝って」
「わかりました」
子どもたちに算数や読み書きを教えていると、気づけば夕方になっていた。最後の生徒が帰ると、先生用の奥の部屋に呼ばれた。
「今日一日の給料ね。来てくれて本当にありがとう!」
そう言われ、小さい巾着を渡された。中を覗くと、銀貨が8枚入っていた。
「明日も来ても大丈夫ですか?」
「明日は休みなんだけど、明後日はやってるから、ぜひ!」
「また来てね!」という声とともにニコニコした笑顔で見送られた。夕陽が城壁に隠れていく中、ダンディ酒場に帰ってくると、シャインとフィリアが開店準備をしていた。
「おかえりー、今日はどこ行ってたの?」
「こどもの教室ってとこでバイトしてた」
「雪陽くん、勉強できるんだ! あたしは全然できないから羨ましいよ」
「あのっ、雪陽さん!」
フィリアが上擦った声を出した。心なしか、緊張しているようにも見える。
「どうした?」
「その、私、朝に雪陽さんに失礼なことしてしまって……ごめんなさい」
「あんまり覚えがないんだが」
「わざわざ私をベッドに運んでくれたのに、色々言いがかりをつけてしまって……」
フィリアの目から涙が溢れそうになっていた。
「俺は気にしてないし、フィリアもそんなに気にしなくていいから」
「でも……」
フィリアが顔をくしゃりと歪ませた。あー……こういう時どうすればいいんだ。
助けを求めるべくシャインを見ると、なぜかシャインまで涙を流していた。いや、なんでお前泣いてんの?
どうすればいいかわからないまま、俺はぎこちなく両腕をフィリアの背中に回すと、そのままフィリアを抱きしめた。
「今泣いたら、お客さんに顔見せられないだろ」
「はい……」
「あと、なんか拍手してるけど、シャインもだからな!?」
「おーい、イチャイチャするなら店閉めてからにしてくれ!」
オヤジさんに大声で言われ、フィリアを抱きしめるのを止める。てか、閉店してからならいいのかよ。まあ、イチャイチャする気はないけども。
俺は「接客頑張れよ」とフィリアに声をかけると、皿洗いをするべく厨房へ向かった。すれ違った時に、オヤジさんが俺にニヤついた笑顔を向けたのはきっと気のせいだろう。