第十一話 宿
「来てすぐだというのにご迷惑をかけてしまい、すみませんでした」
家主が帰った後、今度は俺たちに向かってジェロックさんが頭を下げた。
「いえ、実際に切り倒したのは私なので、ジェロックさんが謝る必要はありませんよ」
「むしろ、俺たちの方こそすみませんでした」
俺とフィリアも揃って頭を下げる。
「しばらく待っていてください」
ジェロックさんが受付の奥へと消えていく。少しすると、なにやら封筒のようなものを持ってやってきた。
「修繕費にお金が回ってしまうため、本当に僅かなのですが……」
手渡された封筒の中を覗くと、金貨と銀貨が合わせて十枚ほど入っていた。
「町を壊しておいて、さすがにお金は受け取れないですよ!」
「いえいえ、私に出来ることはこれぐらいしかないもので。どうかお受け取りください」
フィリアと顔を見合わせるが、フィリアは小さく縦に首を振った。
「では、ありがたくもらっておきます」
「夜も遅くなってきましたし、急いで宿を見つけないといけないな」
「そのことなのですが」とジェロックさんが言葉を遮った。
「お恥ずかしい話ですが、観光産業に乏しいこの町では宿屋が少なく、すでに今日はどこも満室状態になっておりまして……」
「てことは、俺たち今日……」
宿無し野宿という最悪のパターンが頭をよぎる。
「いえ、役場に職員の宿泊室で空きがありましたので、今日はこちらにお泊りください。もちろん、お金は払っていただかなくて大丈夫です」
ジェロックさんが優しい方で本当に良かった。断る理由もなく、俺たちはジェロックさんに案内され、役場の三階にある宿泊室に向かった。
「こちらになります」
ジェロックさんが通路の突き当りに位置するドアを開けて、中を示した。ベッドと机、椅子、明かりだけの質素な部屋だが、少しでも節約したい俺たちにとっては、十分すぎるもてなしだ。
「私は一階の町長室におりますので、もし何かおありでしたら、そちらまで尋ねてきてください」
「良い夜を」という挨拶とともに、ジェロックさんが今来た階段を降りていった。
「さて、ひとまず宿は確保できたし、お金もゲットできたし、晩御飯を食べに行こう」
「そう言えば、私たちここに来て、まだ何も食べていませんでしたね」
一度食事を意識し始めると、途端に空腹感がやってきた。
スーツケースを部屋に置いて俺とフィリアは役場を出ると、来るときに通った大通りへと足を運んだ。
若干居酒屋が多めだが、ラーメンらしきものなど、普通の飲食店もあるようだ。
「フィリア、安さ重視でいいか?」
「節約しないといけませんし、そうしましょう」
先程頂いた金貨にどれくらいの価値があるのかはわからないが、さすがに何ヶ月も食っていけるような高額貨幣ではないだろう。金欠で困らないためにも、今は必要最小限の出費に抑えたい。
「あそこはどうでしょう」
そう言ってフィリアが指差したのは、通りの外れにあるパン屋だった。
「この時間だし、置いてあるものも限られてきそうだな」
「しかし、売れ残りを避けるために、値段が下がっているかもしれないじゃないですか」
ほんのちょっとまで神世界にいた天使が、パン屋の経営事情について語っているのが少し可笑しかったが、フィリアの意見は一理ある。
「じゃあ、行ってみるか」
人混みが出来ないほどの活気の通りをフィリアと並んで歩く。途中、肉の香ばしい匂いや揚げ物の匂いが食欲をかき乱したが、諦めることなくパン屋に着いた。
「やっぱり、私の思ったとおりです!」
店内に入ると、既に塩パンやクロワッサン、食パンといったシンプルなものしか残っていなかったが、フィリアの言う通り、値段は2割引になっていた。
「とは言え、さすがに食パンだけで食べるのもしんどいな……」
「あっ、雪陽さん、ジャム売ってますよ!」
そう言われフィリアの方を見ると、レジの脇にイチゴジャムやブルーベリージャム、マーマレードが置いてあった。
「フィリアはどれがいい?」
「んー……イチゴジャムにしましょう」
食パン一袋とイチゴジャムを持ってレジに向かう。合計で銅貨60枚に対し銀貨1枚を渡すと、銅貨40枚のお釣りが返ってきた。
「素で封筒持ち歩くのも危ないし、鞄でも買おうか」
「スーツケースに鞄は入ってないんですか?」
「あー、そう言えば小さいやつが何個かあったと思う」
「じゃあ、鞄は買わなくても大丈夫ですね」
食パンとイチゴジャムを手に、役場の宿泊室まで戻る。
「なんだか、雪陽さんの家で食べた朝ごはんみたいです」
「そう言われると、確かにそうだな」
食パンを袋から取り出し、イチゴジャムを塗って口に運ぶ。その味はあちらの世界と変わらないもので、少し郷愁感がこみ上げてきた。
「そういや、なんでイチゴジャムを選んだんだ?」
「私、あの3つの中でこれしか食べたことないので、安全策で一度食べたことのあるものを、と」
「ブルーベリーもマーマレードも美味しいから、次はそっち買ってみようか」
それぞれ満足するまで食パンを食べると、特にすることもなくなってしまった。今日は色々あったし、明日に備えてもう寝てしまうか。
「……なあ、フィリア」
「どうしました?」
「今更なんだが、この部屋ってベッド一つしかないよな?」
「そうですね」
「俺らって、別に部屋を用意されたわけでもないよな?」
「そうですね」
「そんでもって、ベッドの上に枕が並んで2つ置いてあるのは気のせいじゃないよな?」
「気のせいじゃないですね……」
俺の言わんとする事を察したフィリアが少し頬を赤く染めた。
「きょ、今日は雪陽さんがベッド使ってください! 前回、私がベッド独り占めしちゃいましたし!」
「フィリアだって疲れてるだろうし、俺は机で寝るの慣れてるから、フィリアがベッド使ってよ」
「でも雪陽さんだって同じように疲れてるだろうし」
「しっかり寝れなかったせいで、フィリアの具合が悪くなったりしたら嫌だから」
「うう……」
フィリアが言葉に詰まる。強引だが上手いこと折り合いがついたと感じ、就寝具のジャージをスーツケースから取り出そうとした。
「じゃ、じゃあ、二人でベッドに寝ませんか!」
予想外の返しにフィリアの方を振り向くと、思わず口をついて出てしまったのか、フィリアは顔を真っ赤にして俯いていた。
「その、雪陽さんがイヤじゃなければ、ですけど……」
そんな言い方されたら、断るに断れないだろ……
「じゃあ、一緒に寝よう」
「はい!」
恥ずかしそうにしながらも、フィリアは嬉しそうな笑顔を見せたのだった。
追記:3月22日に一部修正しました。