第十話 大木
「これなんですが」
「これは、また……」
「大きいですね……」
町長に連れられて俺たちがやってきたのは、住宅街の中にある小さな広場だった。広場の周りには、2~3階建ての石造りやレンガ造りの建物が並んでおり、いかにもヨーロッパの街と言わしめる雰囲気が漂っている。
そして、俺たちが目にしているのは、その広場の中心に聳える大きな広葉樹だった。
「出来ることでしたら、あなた方にこの木を切り倒してほしいのです」
「どうして切り倒してしまうんですか?」
「少し前から、近くの住民から日当たりが悪いとの苦情が来ていまして……」
確かに、木は近くの建物を優に超える高さで、そこから伸びる枝葉が広場だけでなく近くの住宅まで覆っているのは明らかだった。
「日当たりの問題なら、上の枝葉を切り落とすだけでいいんじゃないですか?」
「一度やったことはあるんですが、危険を伴う作業の上、一週間も経たないうちに元通りになってしまうのです」
一週間で再生するというのは信じられない話だが、ここは魔法がある世界だ。そういうことが起こってもおかしくはないのかもしれない。
「フィリア、これなんとか出来るの?」
「切り倒すことなら出来ると思います」
「本当ですか!?」
ジェロックさんが驚いた表情でフィリアを見た。俺も、驚き半分心配半分でフィリアを見た。
「早速、切り倒してもいいですか?」
「どうぞ、お願いします!」
フィリアが特に気合を入れる素振りもなく、すっと木に近づく。
「念のため、雪陽さんとジェロックさんは広場の外に出てください」
「無茶だけはするなよ」
一言声をかけた後、俺とジェロックさんは広場の外に出てフィリアを見守る。
「いきます」という宣言の後、フィリアが片手をそっと木の幹に添えた。そして、木に触れたままゆっくりと幹の周りを歩く。
歩きはじめて2~3周経った時、変化は突然訪れた。
フィリアが歩きながら撫でていた幹の側面に一瞬にして筋が入ったかと思うと、そこから上の木全体が音をたてることなく切断面を滑っていったのだ。
「「おおぉっ!!」」
神業を目の当たりにした俺とジェロックさんが感嘆の声を上げた。幹が断面を滑り終え、ストンと上半分が地面に落下し、ズシーン!と低重音を街中に響かせた。
こちらを向いたフィリアが少し自慢げにピースサインをした。
だが、切断された大樹は当然バランスを失い、不運にもフィリア目がけて倒れてきた。
「フィリア、避けろ!!」
しかし、恐怖に怯えてしまったのか、フィリアはその場にしゃがみこんでしまった。
フィリアを助けに行くには間に合わない。無力な俺は、ただ、その光景から目を逸らすことしかできなかった。
ヒュー、と大木の枝葉が空を切る音が届き、
ガッシャーーーーンッ!!!
ひどく大きな破砕音が耳朶を襲った。それが物理的な音なのか、心の中に生じた絶望の音なのか区別がつかなかった。
一瞬の静寂の後、「キャアァーーーッ!」という甲高い女性の悲鳴が上がった。
目を開けたくないけど、でも目を開けるしかない。そこに見たくない光景が広がっているとしても。
俺はおそるおそる目を開け、フィリアがいた方へ振り返った。
その視線の先には、先ほどと同じく蹲ったままのフィリアの姿と、彼女の背中から僅か数センチの所で止まっている大木があった。フィリアは九死に一生を得たのだ。
が、その代わりに
「わ、私の家がーーっ!!」
大木は広場の近くの民家に直撃し、衝撃で窓ガラスは割れ、その三階部分はまるで大砲でも食らったかのように破壊されたのだった。
「「本当にすみませんでした……」」
フィリアが言葉通り木を「切り倒した」後、町役場で俺たちは破壊された民家の家主に謝罪していた。
「今回の件は、町長である私に全ての責任があります。修繕費などは全て、町の方から補償させていただきますので、どうか、お許し下さい」
俺たちに並んでジェロックさんも頭を下げている状況である。
「わかりましたので、頭をお上げになってください」
ジェロックさんが頭を下げているのが大きいのか、最初はパニックになっていた家主の男性も、今は落ち着きを取り戻しているようだった。
「一つお聞きしたいのですが、一体誰がどのようにしてあの木を切り倒したのですか」
「き、切り倒したのは私です……」
フィリアが遠慮がちに名乗り出た。まさかの少女に家主の方も驚いているようだ。
「すみませんが、お二人はどちら様で?」
「今日この町にやって来ました、フィリアといいます」
「同じく空野雪陽です」
「切り倒したのは、雪陽さんではなく、フィリアさんなんですよね?」
「は、はい」
それを聞いて、家主の方がまたしても驚いたような表情を浮かべる。
「どのようにしたら、あなたのような女性があの木を切り倒せたのですか」
「えー……説明に困るんですが、ざっくり示すとこうです」
そう言って、フィリアがすーっと木を撫でるように右手を動かす。
「本当にそれだけで?」
「それだけでした」
フィリアに代わって、ジェロックさんが肯定した。
「魔法などとは比べ物にならない、まるで神が為せる業とでも言いましょうか、見事なものでした」
「その、もしよろしければ、見せていただくことは……」
「すいません、一日に何度も出来るわけじゃないんです」
フィリアが申し訳なさそうに断ると、「では、今日は失礼いたします」と言って、家主は町役場を後にした。異世界転移初日にしてのトラブルは、なんとか丸く収まったのだった。
追記:3月22日に一部修正しました。