静かな一日の終わりの始まり
窓辺から雨音が微かに聞こえる。この世界に来てから今までずっと快晴が続き、この街は青と白のコントラストという印象だったけれど、今日は朝から曇天と小雨のせいであらゆるものが灰色になっている。空気が冷えたのか少し肌寒い。
朝食を終えたパニカさんと相談し今日は一日お休みとなった。パニカさんは部活が忙しくなってきたらしく、話し終えた後黄色い雨がっぱを着て颯爽と出て行く。雨で煙る景色の中黄色いてるてる坊主は小さくなっていった。
ことんっ、とカップを置く音が響く。静かすぎて落ち着かない。そんなふうに思ったのは異世界に来てから初めてだった。この世界に来てからというもの、まるでお祭り騒ぎのような日々が続いていた。今日はもうパニカさんはいない。雨空から視線を切って石版通販を呼び出し、興味を惹かれたタイトルの本をいくつか買ってみる。ダンジョンに通うようになってから少し余裕が出来てきたのだ。まだ一階層でおっかなびっくりだけど徐々にポイントは増えている。日々成長。パラパラ本をめくって、そのうち気に入った一冊をバッグにしまい今度は傘を買った。
地図を見ながら小雨の中を歩く。広場までは通いなれたものだが少しでも路地を外れると途端に迷ってしまう。街の作り自体が迷宮のようだなと一人ごちる。やはり雨の日は皆も休んでいるのだろうか、人通りが全くない。広場も静かなものだった。ダンジョン神殿で雨宿りしている人が幾人かいるくらい。街全体が眠っているかのように静まり返っている。吐く息が白く、意外と体が冷えているのに気づいて足を速めた。
ドアを開けたと同時にコーヒーと薪の燃えるような香りに包まれる。木の温もりがある小さな喫茶店。パニカさんに教えてもらった今日の目的地。いまこの街には続々と店が作られているが、中でも喫茶店が一番多いらしい。異世界で小さな喫茶店を営むのはロマンだ、とパニカさんが熱弁していた。たしかにちょっと憧れる。店内には女性店員と男性客が一人だけ。お好きな席へ、と言われて一番奥の窓際の席に座る。落ち着いたピアノの音。コーヒーと小豆サンドを注文してから本を開く。元の世界でもたまにこうやって過ごした。これといった趣味の無い男の休日の過ごし方としてはなかなか優雅なんじゃないかと思う。運ばれてきたコーヒーを飲んで一息ついた。静かで穏やかな時間。男性客は何かを作っている。生産系の人だろうか。
ふと窓の外を眺めれば雨の中色とりどりの雨がっぱを着た子供たちがはしゃぎ回っている。小人族みたいだ。サイズが小さい。雨がっぱだけが強く色付いてみえて童話の世界のように見える。視線をずらせばガラスに映った自分の顔。あぁそういえば、と自分の姿を思い出した。ずいぶんと裏路地の喫茶店が似合わない姿になったものだと苦笑いする。オープンテラスで甘いケーキが似合うんじゃないかと他人事のように思ってしまう。冷たい雨とこのひっそりした喫茶店の雰囲気が懐かしくて、すっかり男だった時の自分に戻っていた。何処までも独りだった男。苦では無かったしそれが当たり前だとも思っていた。感情の揺れの無い淡々とした灰色。
それに比べて今の私はどうだろう。夢を探したり、花畑でご飯を食べたり、化物と戦ったり。泣き脆く怖がりにもなった。笑うようになった。そして今、人恋しいとすら思ってる。化物と戦う事以外まるで少女のような日々。神は魂や性格に応じて姿を変えたと言っていた。今は少しだけ、なるほどなと思ってしまう部分もある。性癖は考慮して欲しかったが。もう一度思う。性癖は考慮して欲しかった。小豆サンドを齧っているとコンコンとどこからか音がする。気になって視線を巡らせる。
窓の外に魔王陛下が立っていた。
ひゅっと息が止まる。黒く豪華なフードの奥の殺意の目が私を捉えて離さない。私は反射で魔王陛下!と叫んだが陛下は意に介さずこちらを見ている。あっ。これチンピラさんだ。不良という意味のチンピラではなく、パニカさんとある意味仲のいい方のチンピラさんである。観察していると喫茶店に入ってくるようだ。
「いらっしゃ……ヒィッ!!お忍びの魔王!!!!」
「今の吾輩はだだの客…て誰が魔王じゃテメエら!!ボケのコンボかましてんじゃねぇぞクソが!!オラ黙っていつものカフェオレ持ってこいや!!!!!!!」
ノリ突込みの切れがいい。近づいてきた魔王陛下が私の席の反対側を指したので頷いた。フードを取ったチンピラさんがテーブルを挟んで座ったのを見て、私は一つだけどうしても言わなきゃいけない事を思い出した。こほんと一つ咳払いして私は伝えた。
「ボケじゃなくて、素でした」
「それ言う必要あったか!?気を遣って心に仕舞い込めよ!しまいにゃギャン泣きすんぞ金髪ぁ!!!!」
名前が似ているせいで兄妹扱いされてる、とパニカさんは言っていたけれど、話のテンポや気安さがどこか似ている気がする。陛下が落ち込んでしまったので小豆サンドを一つ捧げた。悪いな、と言いつつ齧り付いてあっさり機嫌を持ち直した。やはりパニカさんと似ている。
「なんかこう、アンパンとは違う感じでうめぇなコレ。フルーツ感覚っつーか…いや、そうじゃねぇ。あんたには…えーっと、シアっていったか、悪いことしたなって思っててな。一言謝りたかったんだよ」
追っかけ回された事だろうか。それはとっくに謝られたし何も思い当たらない。
「俺があのチビを預けた事が切っ掛けで飯やら何やら集られてんだろ?その、正直あんた強そうに見えないし稼ぎもキツイだろうなって思っちまってな」
チンピラさんやはりいい人である。パニカさんに関しては明るくかわいい小悪党という感じでなんだか憎めない。何故だかどこへ行くにもとことこ着いてきて色んなことを教えてくれたり、露店で巻き上げた食べ物くれたりと世話を焼いてくれる。露店の人が泣くのでその際こっそり料金を払っているが。パニカさん的には師弟感覚なのかもしれない。私の感覚では育児なのだけど。いつの間にか毎日一緒にトレーニングする仲になったしダンジョンも一緒に潜ってる。たしかに一日に一度はほっぺ抓りたくなるが、今更ご飯くらいなにも気にしていなかった。なにより、共にいて楽しい。思った事を告げたらチンピラさんは目を丸くしていた。
「あんた逸話に違わぬ人柄だな…。大丈夫か?詐欺にあった事ねぇか?」
「逸話…?なんでしょう。高い絵は買わされた事はありますが……」
聞いた話はこうだった。突如街に現れた暴食の悪魔は店という店の品物を魔眼を使い奪い去ってゆく。時に市民を操り、時に眷属を率いて暴れ回る。抗った者は悪魔の自爆魔法にて店ごと葬り去られる。あの悪魔は誰にも止められぬ。そう、誰もが諦めたとき奇跡が起きた。天使が降臨したのである。その天使は悪魔を恐れずただ一人で立ち向かい、己が犠牲を顧みず悪魔の力を封印した。ただ、その天使はまだ生まれたてで力が弱い。そのため悪魔の残滓が未だ時折現れる。たった一人のか弱い天使が傷だらけのまま封印を続けているのだ。街の住人は奮い立ち、せめて天使の負担にならぬよう、悪魔の残滓に供物を捧げ鎮めることにしたのだった。完。
「…ゆ、夕飯も食べさせたら完全封印という事でしょうか…。神話…?」
「…その、なんだ。俺が言うのもなんだが同情する。しかも、この話生徒会が面白がってな…?チビガキの危険性を周知するためだかなんだかで、マンガが掲示板に貼ってあるぞ。あと、ほら、調理部近辺で信者が出来てる」
ちょいっとチンピラさんが指さした先に祈りを捧げる女性店員。テーブルにいつの間にかチーズケーキが捧げられている。
「あの…店員さん、このケーキいいんですか?」
「はい。『天使さん』への祈りとサービスは『調理部』の総意ですから」
良い笑顔で言われた。パニカさん何してんだ。暴れ放題か。そして察した。この『天使さん』って二つ名けっして良い意味だけじゃなく生贄って事だ。与り知らぬ所で自分が周知されていく事態になんだか疲れてしまって長い溜息を吐く。
「人生ままならないものですねチンピラさん…」
「その年で人生語るなって…あぁ中身違えのか。なんにせよ『チン兄妹』よかマシだろ。こっちゃ完全に悪名だぞ。しかも巻き込まれた形で……てチンピラさんて誰だよ!!!!!」
怒られた。名前を知らなかったのだから仕方ない。チンピラさんの本名はレンジというらしいが誰もが『チン兄妹』の兄の方と呼んでくるのだとか。それどころか本名を主張してもレンジでチンと笑われて大立ち回りするらしい。あれ?大立ち回り悪評の原因になってない?なんにせよチンピラさんは名前関係に繊細なのでレンジさんと呼び、慰めたり慰められたりしながら和やかにお茶をした。
「おい、絶対窓の方向くな。待て待てフリじゃねぇ!クソ面倒なことになるぞ…!」
横目でチラッと窓を見てみる。黄色い雨がっぱの幼女とさっきの小人族達が窓の外からこっちを上目使いで見ている。整列してお腹すいたのポーズである。結構な数の眷属を引き連れての襲撃のようだ。静かな一日のエンドロール。戦いの幕は切って落とされた。